A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。プレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。
Social bonds: An introduction
ESGのプラシーボ
──お疲れさまです。今週は何してたんですか?
相変わらず毎日のようにアナログレコードを買ってますね。で、買ったものが毎日のように何かしら届きます。
──買いすぎですよ。
自分でもそう思います。
──それ以外には何をしていたんですか?
今週はなぜか企業向けの仕事が多く、一日中、企業の人とお話している日もありました。今日も土曜なんですが、朝からとある県が主催する新規事業開発のワークショップみたいなものにリモートで参加していました。
──それは楽しいんですか?
どうでしょうね。特に苦だというわけでもないので、嫌いではないのだとは思います。
──それは何が面白いんですか。
企業の方とお話しする内容というのは、基本的に、その企業なり部署なりが抱えている課題についてだったりしますので、規模の大小に関わらず、そこで働いている人がどういう人たちで、どんな感じで働いていて、何がどこでどんなふうに手詰まりになっているのか想像することになるのですが、そうやって、きっとこんな感じなんだろうと想像するのは結構楽しいですね。
──想像、ですか。
想像ですね。といってそんなに具体的な想像でもなくて、割とぼんやりと、そこではきっとこういうことが考えられているのだろう、といったことかなと思います。どういうことを当たり前だと思っているのか、どういう思考に慣れ親しんでいるのかといったことかと。
──思考のバイアスみたいなことですか。
そうかもしれません。そうやって想像力を働かせなくてはいけなくなるのは、企業の人の少なからぬ割合の方たちが自分たちで語っていることばが、ほとんど当てにならないからなんです。言っていることとやっていることがだいたいズレているというか、ひどいときにはまったく関係なかったりするんですよ。特に企業のビジョンみたいな話になると、基本敵にただのポエムですから。ポエムの読解には、それなりの想像力が必要になるんです。
──あはは。文芸としての企業ビジョン。
しかも当人には文芸のつもりはみじんもないので、相当錯綜した読解が必要になってきます。それって、本人たちはサッカーをやっているつもりがアウトプットは将棋、みたいなことだったりしますから、まずもって、「あ、サッカーのつもりだったんだ」ということがわからないと理解が混線してしまうわけですね。つまり、自分たちがこれまで、そしていま何をやってきた/やっているのかという「現状」に対する認識が、日本の企業は、自分の経験の範囲内ですが、総じて欠落しているように見えます。
──現状認識。
例えば、企業が「テクノロジーで人を笑顔に」といったことをビジョンとして、あるいはミッションとして言っていたとします。仮に指標化されていなかったとしても、それが達成目標なのだとすると、そのことばの背後には、「人が笑顔になっていない」という状況の認識があることになるわけですよね。
──つまり、「早起き」を目標にする人は、そもそも朝起きることができないから、それを目標にするということですよね(笑)。
はい。で、この現状認識についても、可能性としては、少なくとも「テクノロジーが足りていないから笑顔がない」というものと「テクノロジーはあるのに笑顔がない」というふたつのありようが想定されるはずです。つまり目標やビジョンは、自分のビジネスや社会に何が欠如しているのか、という認識とセットであるはずなんですが、それがないところで、口当たりのいいことばだけを一生懸命ひねり出そうとしちゃうんですね。
それは出来の悪いポエムにはなっても、約束にはなりませんので、その達成に向けて何がどう進んでいるのかわからないものになってしまうんですよね。そんなものわざわざつくる意味ないと思うんですが、ビジョンが大事だとかパーパスが大事だと言われると、それをこさえなきゃと右往左往するわけですから、人がいいといえばそうなのかもしれません。
──「両利きの経営」とか、とにかくキャッチフレーズに振り回されることに、ビジネスセクターはほんとうに熱心ですよね。
勉強熱心なのは、それはそれでいいことだとは思いますが、全部が試験前の一夜漬けみたいなことだとすると、さして学びになっていない可能性はありますよね。何かを学ぶということが基本一夜漬けのテスト勉強を意味する教育システムのなかで育ってそれしか知らなければ、そのことを責めるのも気の毒なのかもしれませんが。
──あはは。
現総理の言語能力の低さには、多くの人が「ありゃひでえな」と思われたかとは思いますが、なんのことはない、ビジネスセクターだってたいして変わらないんですよ。というか、そういう社会、経済の反映が菅さんだったと見るほうが妥当なのでは、とも思っちゃいます。
──根深い問題ですね。
自民党の総裁選の行方は、自分はそこまで熱心には追いかけてはいませんが、それなりに興味深いなと思うのは各候補の「経済政策」と呼ばれるものでして、例えば日経新聞の記事には、岸田文雄氏は「新自由主義的政策を転換、数十兆円規模の経済対策」、高市早苗氏は「物価安定目標の2%の達成まで、基礎的財政収支黒字化目標を凍結」、河野太郎氏は「雇用重視企業に法人減税、個人を重視する経済」とざっくりとまとめられていまして、河野氏の主張は、日本のビジネスセクターをどう変えていきたいかが多少見え隠れしてはいますが、前者ふたりについては、どちらかというと、経済に関する財政政策とでも言うべきもののように見えるんですね。
──ふむ。
そういうものだというならそれはそれでいいのですが、自分がここでよくわからないなと思ったのは、経済政策って金融政策や財政政策とイコールなのか?ということでして、そもそも「経済政策って何?」と改めて思ったんですね。というのも、安倍前首相が退陣したときに、その功績として株価が上がったみたいな話がありましたが、そのことに一定の功績を認めたとしても、日本経済が成長したという実感を、おそらくほとんどの人は感じていないはずで、その乖離に少なからず違和感を覚えるところもあったはずなんですね。
──金融経済と実体経済の乖離みたいなことですかね。
河野氏は、「『22兆円のGDPギャップを埋めるには未来につながる投資を』と主張し、デジタルとグリーンを『イノベーションの核』」に据えていると上記の記事は書いていますが、具体性がないとはいえ、これから経済分野で、日本がどこをコア領域として世界としのぎを削っていくのかを示す方向性はあるといえばありますが、岸田氏の政策を見ても、「対策費」に「22兆円」を使うのはいいのですが、それを何に使うのかが「経済政策」なんじゃないかと思ってしまうのですが、違うんですかね。
──不思議ですね。適当に当たりそうなビジネスやれば?みたいなことなんですかね(笑)。
高市氏につきましては、成長投資として量子コンピュータの開発と小型核融合炉の開発を国家プロジェクトに据えるとしていまして、危機管理投資が成長投資になるのだとおっしゃるのですが、それはそれで面白味はあったとしても、スパコン開発を引き合いに出しながら次は量子コンピュータだと言われても、「スパコンの開発って日本の成長にどんなふうに寄与したんだっけ?」というところが、そもそもあんまりピンときていないので、量子コンピュータがどういう理屈で成長投資になるのか、よくわからないんです。
──ふむ。
核融合炉も同じで、エネルギー政策的に重要というのはわかるのですが、それが仮にうまく実用化できたとしたら、それを世界中に売って儲けるのだ、ということなんですかね。
──わたしに聞かれても。
この辺のわからなさは、高市氏応援団に名乗りをあげた西尾幹二先生が、産経新聞に寄せられたコラム「私が高市早苗氏を支持する理由」によく表れているように思えましたので、ちょっと引用してみたいと思います。こういう書き出しです。
21世紀の初頭には技術産業国家の1、2位を争う国であったのに、平成年間にずり落ち、各国に追い抜かれた。ロボット王国のはずだったのに、今やAI(人工知能)ロボット分野で中国の後塵(こうじん)を拝している。世界的な半導体不足は日本のこの方面の復活のチャンスと聞いていたが、かつて円高誘導という米国の謀略で台湾と韓国にその主力は移った。実力はあっても今ではもう日本に戻りそうもない。
──ほほう。続きが気にはなりますね。
こういう書き出しですから、当然経済分野における日本の復権に関してなんらかの道筋が示されるのかと思ったら、以下こうなっちゃうんです。
毎年のように列島を襲う風水害の被害の大きさは国土強靱(きょうじん)化政策も唱えた安倍晋三内閣の公約違反であり、毎年同じ被害を繰り返すさまは天災ではなく、すでに「人災」の趣がある。
台湾情勢は戦争の近さを予感させる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺のきな臭さを国民の目に隠したままではもう済まされない限界がきている。少子化問題は民族国家日本の消滅を予示しているが、自民党の対策は常におざなりで本腰が入っていない。
──あれま。
そこから国防や天皇制といった話へと内容がスライドしていくのですが、冒頭に提出された「日本経済は何に立脚してやっていくのか?」という問いは回収されぬまま、「実力はあっても今ではもう日本に戻りそうもない」というのが結論になっているように読めちゃうんです。ありていにいうと、「経済は勝ち目ないから、とにかく国防」みたいな論旨になってしまっているような。
──すごいですね。
もちろん限られた紙幅のなかで、まずは重要な争点を列挙することがこの記事の主旨ですから、いちいち答えを出せないのはわかるのですが、それなりに多くの人が気にしているように思うのは、かつて技術大国の名で世界に名を馳せ、それをもってして経済大国にのし上がった日本が、今後どういう商売をしながら生きていくのかということだと思うのですが、「経済政策」においてそうしたことがほとんど語られることがないのが、自分にはずっと不可解でして、先ほどから問題にしている企業のビジョンの空虚さと、こうした政策面での方向性のなさは、相似形をなしているようにも思えてきます。
──ポエムとしての経済政策(笑)。
今日やっていた企業相手のワークショップでは、まずは自社の強みを考えましょうというところから始まって、そこから既存のビジネスとは異なるどんな新しい事業をつくり出せるだろうかを考えていくことになるわけです。おそらく、国にとっても同じような新たな事業計画が必要な気がするんですが、あんまりそういう話にならないのは本当に不思議だなと思います。個人的には、あらゆる産業の「ウェルネスシフト」と「スモールビジネスの振興」といったあたりは、本当にやって欲しいんですけどね。
──面白いですね。
もちろん経済の主体は企業ですから、それぞれの企業が好きなことを、好きなようにやったらいいと思うのですが、とはいえ国家方針としてデジタル化の推進とSDGs/ESGへのコミットといったことは打ち出されてはいますので、基本的にはその線に沿って経済界は自らをつくり変えていかなくてはいけないという道筋は既定路線としてはあるはずで、そこに経済政策の大きな柱がすでにあるはずだと自分は思うんですが、そういう話が前面に出てくるわけでもないですしね。
──今回の〈Weekly Obsession〉のお題は「ソーシャルボンド」でして、それこそ環境問題や社会問題を解決するプロジェクトのための資金調達を行うための債券の話題です。
ESGもしくはSDGs対応といったことは、日本ではこの数年で突然尻に火がついたような格好で熱心に取り組み始めたというところだと思いますが、今回の〈Weekly Obsession〉では、すでにESG熱が一周した様相が明かされているところが読みどころとなっています。
──あれま。
記事は、こんなふうに現状を概観しています。
グリーンからそれは始まった。そして、金融機関がESG銘柄に敏感になっていくにつれて、ソーシャルへのシフトが起きつつある。ソーシャルボンドは、ESGの「S」の頭文字をターゲットとしたもので、そこで調達された資金は、水の浄化からパンデミックによる失業支援といったものへと投入される。
特にこの1年、COVID-19関連の問題に取り組むための資金に大きな需要が生まれたことからソーシャルボンドは大ブレークした。けれども債券の発行者は、すぐさま、これまで人気だった「グリーン」な債券と同じ批判を受けることともなっている。つまり、「ただのマーケティングだろ?」ということだ。業界はいま「社会に良いこと」をいかに計測し、標準化しうるのかという難題と格闘している。
──グリーン・ウォッシングならぬ、ソーシャル・ウォッシングと。
はい。アメリカのビジネス界においてESG投資熱を決定づけたと言われているのは、アメリカの大手投資会社ブラックロックのファウンダー/CEOのローレンス・D・フィンクが、2018年に企業向けに送った手紙だと言われていまして、そのなかでフィンクは「あらゆる企業は、利益をあげるだけでなく、社会に貢献できないのであれば、以後ブラックロックの支援を受けることはできない」と宣言しています。
──ほほう。
その手紙について、『The New York Times』は非常に好意的な論評を寄せていまして、こう解説しています。
フィンク氏の提言は、アメリカ国内において社会的責任をめぐる議論の潮目が変わってきたことを受けている。彼は、パーパス(目的)をもち、コミュニティとエンゲージすることをしない企業は「終局的には、ステークホルダーたちから事業をする資格を剥奪されることとなるだろう」と語る。
企業はこれまでも、あまりにも簡単に「社会への貢献」を語ってきたが、多くの場合、それは利益増大のためのマーケティング上の、もしくは規制当局をなだめすかすための目眩しにすぐなかった。
フィンク氏の宣言がそれと異なっているのは、それが向けられているのがビジネスコミュニティに対してであることだ。宣言は、これまで投資してきた企業と対立する立場に、彼を追い込むことにもなりうる。なぜなら彼が投資してきた多くの企業は、株主に利益をもたらすことが唯一の義務であるとする、長らくビジネス界で支持されてきたミルトン・フリードマンの考えに反するからだ。
「『ビジネス』には責任があるとはいったいどういう意味なのか? 責任を負うことができるのは人だけだ」と、1970年に本紙に寄せた記事でフリードマンは書いている。「このようなことを言うビジネスマンは、この数十年間にわたって自由社会の基盤を切り崩してきた、ある知的流派の操り人形に過ぎない」
──フィンクの宣言は、フリードマンの軛を解くものだった、というわけですね。
はい。このフリードマンの「ビジネスの社会的責任は利益を増やすことである」(The Social Responsibility of Business is to Increase its Profits)というエッセイは、いま読むとなかなか興味深いもので、社会主義・共産主義に対する嫌悪を正当化するためのもののようにも読めなくもない、やや感情的なものですが、以下のようなフレーズは、いま読むとかなり味わい深いです。
自由社会においては、邪悪な人間が邪悪をなすことは難しい。ある人にとっての善は、ある人にとっての邪悪であるのだから。
──マーケットに支持されれば、そこには善も悪もない、ということですかね。
おそらくそうなんでしょうね。ただ、フリードマンの名誉のためにお伝えしておくと、「ビジネスの唯一の目的は利益を最大化することだ」と言うにあたって、彼は「ゲームのルールに従っている限りにおいて」という条件をつけていまして、彼の主旨としては、ゲームのルールを決めるのは民主的なプロセスを経て選ばれた政治家、もしくは公務員の仕事であって、ビジネスマンではないと言っているんです。
──なるほど。それはそれで一理ありそうです。
今回の小特集で大きな焦点となっているのは、ブラックロックのCIOとしてESG投資を主導したタリク・ファンシーという人が、ブラックロックを退社後、ESG投資を鋭く批判する立場を表明したことでして、彼はこの8月20日に、「Medium」上に、3部にわたるエッセイを掲載し注目を集めていますが、彼の批判は、簡単に言ってしまえば、上記のフリードマンのことばの「ゲームのルールに従っている限りにおいて」という部分をアメリカの経済界が見ないふりをしている点に向けられています。
──ほほう。
彼の批判は多岐にわたるので、要約するのが難しいのですが、結論としてはこうなります。
ブラックロックを退社後すぐさま、わたしたちがやっていたサステイナブル投資は癌患者にウィートグラス(小麦若葉)を売りつけるようなものでしかないという結論にいたりました。ウィートグラスが癌の転移を止める証拠はなくとも、医者が化学療法を薦めていればなおさら、その効用を信じたくなるものです。
残念ながら、わたしが辿り着いた結論は、癌の治癒法としてウィートグラスのプラシーボ(偽薬)を売りつけるよりもはるかにタチが悪い、というものでした。わたしたちが送り出した高邁にしてミスリーディングなメッセージは、化学療法を受けることを妨げています。そしてその間、癌は広がり続けているのです。
──プラシーボですか。なるほど。「SDGsは、大衆のアヘンだ」という文から始まる本がたしか、ありましたね。
わたしはその本は読んでいないのですが、もしかすると論点は似ているのかもしれません。さらにファンシーさんは、ESG投資は「森林火災が起こる可能性のある森の近くに住んでいる人が、火災保険に入って安心するようなもの」で、それでは森林火災を止めることはもとより、保険に入れない人のリスクが軽減することもない、とも語っています。
──わかりやすいです。
また、特に気候変動の問題においては、何が実効性があり何がそうでないかを特定することが非常に困難であることも指摘していまして、例えば、石油メジャーのエクソンとテスラとを比べたときにどちらがサステイナブルかは「誰に聞くかによって変わる」ものだということを『Wall Street Journal』の記事を引き合いに出しながら指摘しています。それだけでなく、「社会に良いことをしている企業は、利益も増大する」という仮説についても、プリンストン大学の研究者から、「それについてはまったく不透明だ」とのコメントも引き出しています。
──ふむ。
加えて、ウォーレン・バフェットやマーク・アンドリーセンといった人たちが「株主の利益よりも、社会問題を優先する」ことに反対していることも明かしています。
──そうなんですね。ESG、なんかだいぶ旗色が悪いですね。
ただ、バフェットもアンドリーセンも、フィラントロピストとしては有名ですし、バフェットは金持ちはもっと課税しろと『The New York Times』にかなり激越なオピニオンを寄せていたりもしますので、社会問題に目をつぶっているわけではないんですね。
──先日、アレクサンドリア・オカシオ・コルテスさんが「Tax the Rich」と書かれたドレスを着て「Met Gala」に参加して話題になりましたが、バフェット先生も、同じことを仰っていると。
ファンシーさんが問題にしているのは、自由市場とはいうものの、市場には必ずルールがあるということでして、彼は、「No Rules, No Game」というフレーズを盛んに繰り返しています。要はそのルールを変えない限り、問題をシステミックに解決することはできないということでして、企業、もしくは企業人がボランタリー(自主的)にコミットするだけの「ESG運動」は、なんの実効性もないだけでなく、害悪ですらありうるということなんです。彼の言い方によれば、「ルールをかえずにプレイヤーのスポーツマンシップに期待したところで、バスケの試合からダーティなプレイはなくならない」ということです。
──期待できませんか。
彼の結論はそうですね。彼は、元上司であるフィンク氏が、ビジネス界もしくはビジネスマン自身が「自己規制をすることが望ましい」と語ったことに失望をあらわにしています。
ラリー(・フィンク)をはじめとするビジネスリーダー市民に対して本当のリーダーシップを示したいのであれば、彼らは短視眼を脱して、世の中に対して、義務化されたシステミックな新しいルールが必要であることを明らかにすべきであることを明らかにすべきだ。なぜなら現状のルール下でスポーツマンシップが社会を救うことはないからだ。
──残念極まりないです。
2019年のアメリカのビジネスラウンドテーブルは「ステークホルダー・バリュー」を重視することがで合意されたと言われていますが、最近の調査によると、このラウンドテーブルに参加した企業のうち98%が、それに合意することを役員会に諮っていなかったこと、さらに85%の企業が株主に「歴史的合意」に署名したことを伝えておらず、それが株主の扱いに影響があることを明かしてもいなかったことが明らかになっています。この調査に当たったハーバード・ロースクールの教授は、このステートメントは「ビジネスのやり方を根本が変わっていく予兆であるよりは、ただのPR活動でしかない」と結論したそうです。
──とほほほほほ。
ファンシーさんは、結局のところビジネスリーダーは自分の利益しか考えていないのだと言い、アプトン・シンクレアという20世紀初頭のアメリカの作家のこんな面白いことばを引用しています。
それを理解しないことで給料をもらっている人に、それを理解させることは困難である。
──いやはや、至言ですね。
ファンシー氏が「プラシーボ」ということばを使って「ESG投資」を揶揄したのは、彼が行った独自調査によると、ある企業や投資会社がこれだけの投資額を集めた、あるいはどこかのメディアが化石燃料企業の広告の掲載を禁じたといったニュースが出るたびに、「ビジネス界こそが、サステイナブルな経済を実現するリーダーである」と考える人が増えていくということに危惧を抱いたからでして、これはカナダとアメリカで行った調査ですが、カナダでは、そうした記事を読んだあとでも、持続可能な経済を主導するのは政府であると考える人はさほど減らなかったらしいんですね。
──政府への信頼が低いということですよね。
難しいところですよね。パンデミック対策においては、政府の介入は不可欠だと考える人は当然たくさんいますが、それでもやはりマスク着用の義務化や、ワクチンの義務化に反対する人は、一定数いるわけでして、そこには行政によるトップダウンの介入を嫌う心性がおそらく働いているはずで、それは「自由市場」という錦の御旗を掲げて、政府の介入を嫌うビジネス界と相似をなしているところもありそうです。
トランプ前大統領があれだけの支持を得たのも、彼が政治のプロではなく、実態はどうあれビジネスのプロだとみなされていたところに負うところも大きかったこととも、これはつながっていそうですが、そう考えると左寄りの人が抱くビジネスセクターへの不信感と、右寄りの人が抱く政府への不信感は、裏表一体をなしているとも言えそうです。そもそも行政府の役割が、歴史を通じて拡大していったのは、資本主義が社会にもたらす危機に対するカウンターからだったと考えれば、それも不思議なことではないのかもしれませんが。
──SDGsやESGといったお題目は、今後どうなっていくんでしょうね。
Quartzは、「ESGは壊れているが、捨ててしまうわけにはいかない」(ESG is broken but we can’t afford to scrap it)という記事のなかで、ここまで紹介してきたファンシーさんの論考についてこう書いています。
ようやく資本が気候イノベーションに注がれるようになったいま、ファンシーの提言はプライベートセクターの気候アクションに対する全面否認として読むよりも、修復のためのTo-Doリストとして読むべきだろう。
──穏便な意見ですね。
こうやって振り子が振れながら、前に進んでいくのがアメリカ社会のダイナミズムなのでしょうから、それでいいということなんでしょうね。この記事でQuartzは、「ようやく明瞭なスタンダードが生まれつつある」として、EUの「Sustainable Finance Disclosure Regulation」や、米国証券取引委員会(SEC)が新たに組織したタスクフォース、あるいはESG査定のソフトウェアを開発するブルックリンの「YourStake」というスタートアップなどを紹介しています。
──政府も民間も動いていると。
ここでおそらく大事なのは、先にあげたプリンストン大学の研究者がファンシーさんのコラムのなかで語っていることばで、これはやはり関係者のすべてがもってほうがいい認識なのではないか、という気がします。
この領域にはまだ未知のことがたくさんあります。まだまだ生まれたてなんです。
“I think that there are a lot of unknowns in the space. It’s super, super young.”
──試行錯誤が必要、と。
はい。ちなみに〈Weekly Obsession〉内では、日本政府が、ソーシャルボンドをめぐるガイドラインの策定にいち早く乗り出していることなども紹介されていまして、記事内で参照されている「S&P Global」のレポートでは、日本のソーシャルボンドの発行はパンデミックの影響から2020年には前年と比べて80%の伸びを示したとされていますが、SDGsで約束した貧困や不平等の撲滅といった目標の実現のためには、プライベートセクターがウィークリンク(弱点)になっていると指摘されています。
──ふわふわしたポエムしか書けないプライベートセクターですからね。
日本は、たしかに貧困やシステミックな差別・不平等といわれても、なかなかぴんと来ない環境ではあるとはいえ、「上級国民」なんていう怨嗟の声が折に触れて表出しているわけですから、上から目線で低開発国への援助なんて悠長なことを言ってもいられない状況だと思うのですが、なかなかわがこととして考えることができずにいるように見えます。この辺りについて、それこそ自民党の総裁選について、『The Guardian』がなかなか辛辣な記事を掲載していますので、最後に紹介しておきましょうか。「菅の首をすげ替えても、日本の政治危機は解決しない」(Replacing Suga as prime minister will do little to resolve Japan’s political crisis)というタイトルです。
──タイトルからして手厳しいですね。
国会の女性比率は10%に満たず、菅内閣には21人の大臣のうち女性は2人だった。大臣はほぼ全員が50歳以上で、たったひとりの例外、小泉進次郎はかつての総理大臣の息子だ。大企業とつながる、特権的な保守の高齢男性による権力の独占は、戦後期において物質的繁栄をもたらしたが、現在それは日本人の大半に届いていない。雇用の不安定化と相対的な貧困率の増大は結婚・出産の劇的な減衰だけでなく、孤独やメンタルヘルスの問題を説明するものだろう。
自民党は、一時的なビザしか支給されず、不安定な雇用のなか、雇用市場の最下層に置かれた多くの外国人労働者たちの声を代表することはない。しかしながら、女性、若者、雇用不安定層、移民の声なくして、日本は、超高齢化する社会、終わらないパンデミックや気候変動に立ち向かう術も、もっといえば、日本社会を、より人間らしいものにすべく舵を切ることはできない。
──いやになりますね。一方のプライベートセクターでは、とある社長が「45歳定年」と雑にぶち上げて、「自社でやってみろ」と総ツッコミにあうなんて騒動もありましたが、「それを理解しないことで給料をもらっている人に、それを理解させることは困難である」ということばが、ほんとうに身に染みてきます。もちろん、悪い意味で、ですが。
じわじわきますよね。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも。
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