Skip to navigationSkip to content

Guides:#99 後編 バビ・ヤールの沈黙

世界がいま何に注目しどう論じているのか、「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。今週も、前後編の2通に分けてお届けします。

October 1, 1941 Babi Yar Public Domain
This story was published on our Quartz Japan newsletter, a glimpse at the future of the global economy-in Japanese. ※ Quartz Japanのサービスは終了しました。詳細はこちらからご確認ください。
Published

A Guide to Guides

週刊だえん問答

前編に続き、後編をどうぞ。

Image copyright: October 1, 1941 Babi Yar Public Domain

#2 the forgotten massacre: Babi Yar

バビ・ヤールの沈黙 後編

──で、いったいどんな問題なのでしょう。

この木曜日にゼレンスキー大統領は、ギリシアの国会で演説を行い、ここでネオナチ組織とみなされているアゾフ大隊のメンバーのスピーチを併せて放映したのですが、これがギリシア国内で大顰蹙を買っています。

──元財務大臣のヤニス・ヴァルファキスなども激怒していましたね。

はい。彼はこんなツイートを投稿しています。

ゼレンスキー大統領はギリシャ議会の招待を悪用してネオナチのアゾフ大隊のメンバーと舞台を共有し、プーチンの犯罪的侵略に対するウクライナ国民の英雄的抵抗に泥を塗った。われわれはウクライナの味方ではあるが、ネオナチ・アゾフ大隊の味方ではない。[参照
ゼレンスキーは国会でのビデオトークにおいてネオナチの隣に立つことを選択した。彼はふたつの理由で非難されねばならない。1. ナチズムを正常化していること 2. 『ウクライナのレジスタンス=ナチズム』というプーチンの主張を裏付けていること。[参照

──他の議員などからも非難轟々でしたが、なんでよりによってアゾフのメンバーを選んだのでしょうね。

アゾフはウクライナ政府はじめ、西側メディアがネオナチ・極右ではないとここにきて盛んに否定していますが、日本の公安調査庁もそれにならってアゾフ大隊をネオナチ組織とは認めていないとして、「国際テロリズム要覧2021」からアゾフの名を削除したようですが、このアゾフ問題はさておき、こうして演説でゼレンスキーが迂闊なことを話して非難されるのは実は初めてではないんです。

──そうなんですか。

ゼレンスキー大統領は、実は3月20日にイスラエルの国会(クネセト)のメンバーに対してZOOM上で行った演説でも大変な不評を買っているんです。

──そうなんですか。って、ゼレンスキー大統領はユダヤ人ですよね。

問題は実はそこにあるのですが、まずはイスラエルのメディア『The Times of Israel』から、この演説のあらましを引用させてくだい。ちなみに問題となったのは、演説のなかでゼレンスキー大統領が、ロシアの侵攻をホロコーストになぞらえた箇所です。

ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領が日曜日の夜に行ったクネセトでの演説は、イスラエルの議員たちから「けしからん」という声から大統領の苦悩を支持する声など、さまざまな反応を呼び覚ました。
何人かの議員は、ゼレンスキーがロシアのウクライナ侵攻をホロコーストになぞらえたことに対してナチスが主導した虐殺にウクライナ人が加担したことを無視した発言だと非難した。
ヨアズ・ヘンデル通信相は「わたしはウクライナ大統領を尊敬し、ウクライナ国民を心から支持するが、ホロコーストの恐るべき歴史を書き換えることはできない」とツイートした。(中略)
ゼレンスキーは演説の冒頭で、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日は、1920年にドイツで国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が結成された日でもあると指摘し、それによって「国家全体が破壊され、ジェノサイドがもたらされた」と語った。
そしてその2月24日という日付について「ナチス結党から102年後、ロシアのウクライナ侵攻開始の命令が下され、すでに数千人が死亡し、数百万人が住む場所を失った」とも述べた。「彼らは数10カ国で難民となっている」。(中略)
(こうした言及について)野党の議員たちは、ヘンデルよりもさらに厳しくゼレンスキーを非難した。リクードのユヴァル・スタイニッツ議員は「ほとんどホロコースト否定論に近い(見解だ)」と述べた。

──えーと。すみません。非難されている理由がいまひとつピンと来ていないのですが。

まず理解しておくべきは、ウクライナが第二次大戦中にナチスドイツに加担していた事実があるということです。実際、キエフ郊外のバビ・ヤールという渓谷で「1941年9月29日から30日にかけて、ナチス・ドイツ親衛隊の特別部隊およびドイツからの部隊、地元の協力者、ウクライナ警察により、3万3,771人のユダヤ人市民がこの谷に連行され、殺害」されています

──そうなんですか。

バビ・ヤールで殺害されたのはウクライナに暮らしていたユダヤ人です。つまりゼレンスキー大統領は、自分の先祖が、同胞であったはずのウクライナ人によって殺されたことを無視している、つまり、ウクライナの加害責任を完全に棚上げにしていることがまず問題となっていまして、かつ、それをプーチンの侵攻と同列のものを扱うことで、「ジェノサイド」が「ユダヤ人に向けて発動されたもの」であることを軽視している点を、「歴史修正」だと批判しているわけです。

──なるほど。ホロコーストの犠牲者は、その他一般の戦争の犠牲者とは違うということですね。にしても、ゼレンスキー大統領はユダヤ人ですよね。ジェノサイドがユダヤ人の殲滅を目指して行われた「民族浄化」であることは、当然わかっていますよね。なんでよりによってイスラエルの国会議員の前で、そんな雑な歴史観をぶってしまったんでしょう。

不思議ですよね。ちなみに彼は同じ演説のなかで、ウクライナ出身でイスラエル首相も務めたゴルダ・メイアの名前を出してウクライナとイスラエルの同胞性を訴えてもいるのですが、彼はメイアの名前を言及するにあたっても、「なぜ彼女がウクライナを追われるはめになったのか」という点をまったく考慮せずに語っています。

──ウクライナがジェノサイドの加害国でもあったという認識が完全に欠落しているわけですね。

はい。

──自国の歴史に疎いにしても、ユダヤ人であれば絶対に問題にせざるを得ない論点をことごとく踏み外しているのは、たしかにかなり不可解です。

そうなんです。実はゼレンスキー大統領は別のところでも同じような不可解さを披露しています。これは、『The Atlantic』が4月4日に掲載した「ホロコーストのもうひとつの歴史」(The Other History  of Holocaust) という非常に面白い記事からの抜粋です。この記事はロシア系ユダヤ人のアメリカ人記者が書いたもので、驚くような内容が明かされています。

(イスラエルでの演説の直後)ゼレンスキーはCNNのファリード・ザカリアのインタビューを受けた。ザカリアは、ユダヤ人であるゼレンスキーに、ロシアがウクライナを「脱ナチス化する」と言っていることをどう思うかと尋ねた。ゼレンスキーの答えは、プーチンが正確な情報にアクセスできているのかどうか、さらにロシア大統領のメンタルヘルスという点にのみ絞られていた。
ザカリアはさらに踏み込んで、ホロコーストと戦争を生き延びた祖父について、そしてその家族の歴史からどんな教訓を得たかを尋ねた。ゼレンスキーは、旧ソビエト出身のユダヤ人であればおなじみともいえる家族史を語った。祖父と4人の兄弟はソビエト軍に従軍し、祖父だけが戦死した。祖父の両親はナチスに殺され、村は燃やされた。これは占領下のウクライナでユダヤ人にも非ユダヤ人にも起きたことだ。「ネオナチの問題についてロシア人に問われたら、わたしは『戦争で家族全員を失った』と答えるだけです。実際、第二次大戦で家族全員が殲滅させられたのですから」。彼はそこから、ロシア人が今日ウクライナで行なっていることとナチスのウクライナ占領の親近性を論じた。
このインタビュー中、ゼレンスキーが「ホロコースト」や「ユダヤ人」といった言葉を口にすることはなかった。

──先の演説と同じように「ナチスドイツ」と「ユダヤ人」との関係性をまったく考慮していないということでしょうか。つまり祖父が「ただ戦争で亡くなった」と認識しているだけで、「ユダヤ人だから」殺されたとはほとんど認識していないと?

そうなんです。「ホロコースト」というものの概要はそこまで本格的に学ばずとも、関連するテレビや映画をちょっとでも観れば、それがユダヤ人と分ちがたく結びついたものであることは真っ先に知るはずです。日本でもかなりの数の人が若いうちに『アンネの日記』などでホロコーストやガス室について、うっすらとでも知ることになりますよね。

にも関わらず当のユダヤ人であるゼレンスキー大統領が、そのことに無頓着なのは腑に落ちませんよね。記事は、まさにそのことを問題にしているのですが、記事が明かしているのは、これがゼレンスキー大統領個人の問題ではなく、実は、旧ソビエト圏のユダヤ人すべてに関わる問題だということなんです。

──なんと。

ロシア系ユダヤ人の家庭に育った記者は、自分が西側とはまったく異なる「ホロコースト観」「ナチス観」のなかで育ったことを知って愕然としたと書いています。

ホロコーストや第二次世界大戦を描いたアメリカ映画は、わたしにとって、まるで異次元の歴史への扉だった。第二次大戦を生き延びたわたしの家族のなかに数字の入れ墨をしている者はひとりもいなかった。わたしの知る限り、家族のなかに強制労働施設や「死のキャンプ」で死んだ者はいない。いつも語られるのは、ソビエト軍の一員として勇敢に戦い死んでいった若者や、家を追われ、愛する人に二度と会えない現実に直面した女性や子ども、高齢者たちの話だった。軍隊に入らず、亡命もしなかった人たちについては漠然と「戦時中に死んだ」と聞かされ、「近所のナチスの協力者」のせいだと仄めかされるばかりだった。ソビエトの戦後を生きた世代は、ナチスはユダヤ人への憎悪に突き動かされていたのではなく、反ソビエト/反ロシア感情に駆られていたと教えられて育った。ホロコーストやジェノサイドといったことばが、ユダヤ人を特定して起きた出来事を指していると知ったのは、西洋のメディアや思想に触れた後のことだった。

──え。戦後の旧ソビエトの教育は、ナチスドイツについても、ホロコーストについても、ユダヤ人との関連性を除外して教えていたということですか。

記者はそう書いています。これはスターリンの戦後の教育政策に端を発しているそうです。記事は、スターリンは第二次大戦後のソビエト領内のユダヤ人が「ユダヤ国家主義」「国際主義」「シオニズム」を蔓延させ、ソ連高官を暗殺しようとしているという陰謀論めいた考えに基づいて反ユダヤ政策を推進するなかで、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺が隠蔽されたと説明しています。

また、この政策を受けて、ウクライナやラトビアなどのソビエト圏内の国で起きたジェノサイドの詳細を記録していたJAC(Jewish Anti-Fascist Committee)という団体のメンバーが処刑され、彼らが残した記録、通称「Black Book」も破棄されることとなったと言います。

結果、戦争を生き延びたソ連国民の子や孫たちは、ナチスが占領下においてユダヤ人の絶滅政策を実行したことを知らずに生きることとなった。これは、ホロコースト否定論の最も効果的なものといえる。

──これは……ちょっとすごい話ですね。にわかには信じられません。

ですよね。自分もひっくり返ってしまいました。

──でも、この説明を聞くと、なぜウクライナにおいてネオナチとされる極右組織がユダヤ人大統領やユダヤ人オリガルヒと共存できるのか、あるいはなぜプーチン大統領がユダヤ人のゼレンスキーを「ナチ」と呼んで矛盾を感じないのか、といったことの謎が少し解ける気がします。

まさにそのことについて、記事はこう語っています。

プーチンが「脱ナチス化」を理由にウクライナ侵攻を正当化しようとするのを、多くの西側諸国は理解不能といった面持ちで見ている。ユダヤ人の大統領のいる国を脱ナチス化だって? だが、ロシア人にとって第二次大戦が偉大なる愛国戦争を意味することを知っていれば、ユダヤ人が指導する国を脱ナチス化することは、それほど不可解な話でもない。(中略)
ソビエト政権がユダヤ人/非ユダヤ人を問わず、あらゆる国民に強いた第二次世界大戦をめぐる知的フレームワークにおいて、ナチスがユダヤ人を標的としたことは一切言及されない。であればこそ、ゼレンスキーはウクライナがナチスと共謀した事実を軽視するホロコースト否定論者であるわけではない。彼はただ、ソビエトの支配を生き延びた旧ソビエト圏に暮らす200万人のユダヤ人と同様に、自分が知っていること、もっとはっきり言えば、自分が知ることを許されたことを政治的アピールの場で語っているにすぎないのだ。

──まさにパラレルワールドですね。

ここでの問題はふたつありまして、ひとつめはウクライナでは自身が加害者であった歴史が忘却されていること。そしてもうひとつは、ホロコーストにおけるユダヤ人という論点が欠落することで、ユダヤ人固有のものであった被害者性を自分たちのものとして奪い取ってしまっている点にあるのだと思います。

そしてさらに、そのことによってユダヤ人をはじめとする少数民族の死が取るに足らないものとさせられてしまい、逆に差別やヘイトが温存されてしまうという問題もあります。

──ホロコーストにおけるユダヤ人という固有性を捨象してしまえば、「みんなひどい目にあった」「みんな被害者」と言えてしまうわけですね。

この問題を指摘したのはこの記事が初めてというわけではなく、ここ数年の間にもいくつかの記事が公開されています。例えばKennan Instituteという研究機関で歴史と記憶を研究するイザベラ・タバロフスキー研究員は、2017年のブログ「ロシア人にホロコーストを学んではいけない」(Don’t Learn from Russians about the Holocaust)でこう書いています。

何十年にもわたる沈黙が、このトピックをタブーへと変えてしまった。ある地域にかつてユダヤ人が住んでいたという事実を認めることはもちろん、その絶滅に地元住民が果たした役割について語ることもタブーになってしまった。政治的意思の欠如と資源の不足から、旧ソビエト圏の国々の政府の多くは、一貫性のあるホロコースト物語を編み上げ、学校でのホロコースト教育を義務づけることをしていない。(ソビエトからの)独立後、多くの国が自国の歴史を書き直していく過程で、ユダヤ人の集団が何世紀にもわたって自分たちと共存してきた事実は排除された。その結果、反ユダヤ主義的な神話が、批判されることなく温存され続けることとなった。

──この連載では、この間ひと月以上にわたってクライナの極右組織の人たちの声などをさまざまな記事などから拾ってきましたけれど、どういうロジックでナチズムへの信奉がナショナリズムや反ロシアの理念と結びついているのかがいまひとつわかりませんでしたし、ナチスドイツのジェノサイドに加担した歴史がありながら、ステパン・バンデラのような協力者たちが戦争犯罪人として罰せられることもなく、いまも国家的英雄として扱われていることが許されていることの理由がよくわからずにいたのですが、この説明でなんだか腑に落ちてきます。

いまご紹介したタバロフスキー研究員は、バビ・ヤールのジェノサイドの犠牲者の名前が特定されているのは、10〜15%ほどだと語っていまして、そのことからもいかにジェノサイドが忘却の彼方に追いやられているかがわかります。

──ユダヤ人団体がものすごい執念をもって被害者の特定を行ってきたことと比べると、驚くべき違いですね。

このタバロフスキー研究員は、2016年にウクライナのバビ・ヤールでのホロコーストの75回忌の式典について詳細なレポートを『Newsweek』に掲載していますが、これを読むと、ウクライナとロシア、そしてそれを取り巻く西側世界の現在にいたるまでの混線の正体が明らかにもなる気がします。「バビ・ヤール:最終的解決としてのホロコーストはここから始まった」(Babi Yar: The Holocaust as Final Solution began here)というものですが、必読の記事ですので長いですが一気に引用します。

バビ・ヤールは、否定、冒涜、忘却のシンボルでもある。ソビエトの歴史書は、ナチスの殺人がユダヤ人に向けられたものであることを否定し、そこで犠牲になった人びとを「平和なソビエト市民」であると謳った。
(虐殺後の)何十年もの間、この場所とここで殺された人びとの遺体の扱われ方は虐殺そのものに匹敵するほど悲惨だ。かつて深さ14.5メートルほどの深さのあった渓谷は、やがて地元の人びとが犬を散歩させたり、ビールを飲むために集まったりする平地となり、かつてあった景色は、この場で破壊された人びとの命とともに消し去られた。
欧米の多くの国では、ホロコーストとそれをめぐる具体的な出来事について語ることは注意が必要だとしてもタブーとされているわけではない。だが、ウクライナでバビ・ヤールやホロコースト一般について議論をすることは気が狂いそうになるほどややこしい。
返ってくる反応はさまざまだ。無関心から、ソビエトの見解をなぞってホロコーストはユダヤ人に向けられたものではないとするもの、ナチスのプロパガンダに則ってロシアのユダヤ人をコミュニストと同一視することで虐殺を正当化するもの、あるいはウクライナの少数民族や宗教的マイノリティの歴史についてまるで無知であることを曝け出すものまで、実に多種多様だが、いずれの言い分も、神話とステレオタイプな偏見に満ち満ちている。(中略)
これはウクライナに限ったことではない。ウクライナの高明な歴史家ゲオルギー・カシアノフによれば、さまざまな悲劇を混同することにおいて、ウクライナは中欧諸国の典型に倣っている。
「(いつくつかの中欧諸国が)EUに加盟した際、多くの国がホロコーストについて語ろうとはしませんでした。そして、彼らはことごとく自分たちがドイツとソビエトによる二重のジェノサイドの犠牲者なのだと主張したのです」
こうして大虐殺の歴史は、責任の押し付け合いや保身の迷路なかで、政治によって封殺され、それを語ることへの恐怖を永続させながら、本当に重要なことを覆い隠してしまった。
最も懸念されるのは、本来多民族・多宗教であったウクライナにおいて、ユダヤ人やポーランド人など、かつてウクライナ人と国を共有してきた民族の悲劇が、ウクライナ国家の悲劇の一部とは考えられなくなっている点だ。(中略)
独立後のウクライナの歴史書は、同国の少数民族の歴史をほとんど無視してきた。カシアノフはこう書いている。
「1990年代初頭に、国史を書くにあたっての新しい基準が設定された。それは、ウクライナの歴史をウクライナ人だけの歴史として提示するものだった。ウクライナの領土に暮らす他の民族はせいぜいこの民族国家史の背景として描かれる程度で、最悪の場合国家の敵として描かれた」
他の東欧諸国とは異なり、民族的・宗教的な多様性が保たれてきたウクライナでは、何世紀にもわたってウクライナ人と共存してきた少数民族の歴史を認める、教育プログラムが必要なのだ。(中略)
歴史学者で、米国ホロコースト記念博物館マンデル・センター国際アーカイブ・プログラムのシニアプロジェクトディレクターであるヴァディム・アルツカンは、最近若い世代のウクライナ人と対話したところ、かつて住人の70~80%をユダヤ人が占めていた街に暮らす人でさえ、その歴史について何も知らなかったと指摘している。
「こうしてひとつの文明自体が消滅してしまったにも関わらず、これらの若者たちは、草の生い茂った墓地でユダヤ人の墓やシナゴーグの廃墟に出くわしても、それが何であるのかがまるで分からないのです。6〜7世紀も続いてきた歴史ですよ! それを捨て去ることはできません! それは確かに存在するのです! そして、この難しい問題に正面から向き合うことなしに前に進むことはできません」
彼は、これはウクライナという国家の根幹に関わる問題だと語る。(中略)
バビ・ヤール75回忌を機に、こうした歴史への関心が再び高まっている。わたしが対話した多くの学校教師は、ウクライナのユダヤ人の歴史が、生徒たちの大きな関心事となっていると語る。
だが、歴史と向き合うことへの恐怖は消えていない。ウクライナはこの難しい問題と向き合うにはまだひ弱で、論争的な歴史を採り上げることが国民に分断をもたらすとの懸念もある。Kennan instituteがキエフで開催した公開講座で、アルツカンは歴史学者や学生、博物館関係などで埋まった客席に向けて、「ウクライナは過去を恐れる必要はない」と語りかけた。
「もしわたしたちウクライナ人が何かを隠蔽しようとすれば、敵は必ずそれを見つけて新聞の一面に掲載するだろう。そうさせないためにも、わたしたちは自分自身がこの物語を語らなくてはならない。そうすることでのみ、敵から武器を取り上げることができるのだ」
注目すべきは、この歴史はすべてが悲劇的なものばかりではないということだ。ソビエトによる事実上のホロコースト否定政策は、虐殺やその犠牲者の名前を忘却の彼方に追いやっただけではない。ユダヤ人を救ったウクライナ人や他民族の人びと、本来なら「国民の正義の体現者」とみなされるべき人たちの名前をも忘れさせてしまった。
だが、ユダヤ人とウクライナ人、そして他の民族との平和的な共存の例は、他にも数多く存在する。わたしたちは、それらを明らかにし、そのことに光をあてなくてはならない。

──いやあ。すごいです。歴史の否定が、まさに現在に襲いかかって来ている感じがします。「敵は必ずそれを見つけて新聞の一面に掲載するだろう」という予言は、まさにプーチンがウクライナをして「ネオナチ」と罵倒したことそのものですね。

この間、ずっとウクライナの極右の問題を中心に、外からは見えにくい非常に特殊な文化状況を根掘り葉掘りさまざまな角度から見てきたのですが、ようやくひとつの像を結んだような気がします。

──ほんとですね。

キーウ(キエフ)という街の歴史を見ると、そこは西欧世界、ロシア、そしてアラブ世界とをつなぐ要衝であって、それこそ1,000年も前から多民族・多文化・多宗教が行き交う商業都市だったはずです。

そこになぜアイデンティティを見出すという道がないのかと感じていたのですが、ホロコーストも含めた歴史と向き合うことで、そこに新たな国家アイデンティティを見出すことができるというタバロフスキー研究員の意見を読んで、ほっとしたと言いますか、やっぱりそうだよなと得心した感じがします。

そしてそう考えると、現在のウクライナも、あるいはロシアもまた、歴史から逃げてきた結果として、いま起きている戦争へと突入するはめになって陥っているように見えてきます。

──ほんとですね。

とはいえ、その一方で、政治の前では歴史なんていうものは実に無力である、ということをまざまざと見せつけられているような気もします。記事内で紹介されていた歴史学者やタバロフスキー研究員のような人たちの声が、戦闘が起こる前に広く届くことなく、むしろ逆向きにことが動いてしまっていることが残念でなりません。といって、もちろんわたし自身、戦争が起きてはじめて、こうしたことを知るにいたったわけですが。タバロフスキー研究員が記事の最後にこんなことを書いています。

ホロコースト研究の本質的な価値は、わたしたちがどのような市民でありたいかという、モラルをめぐる問いをわたしたち自身へと投げかけ、結論を探し出すよう仕向けるところにある。もし自分がその場にいたら何をしただろうか。正しいことを選びとる強さをもてただろうか。他の全員が見て見ぬふりをしているときに、犠牲者のなかに人間を見ることができただろうか。集団的な悲劇の研究は、ひとりひとりの人間の物語に命を与える能力にかかっている。

──これはホロコーストだけに関わる問題ではないですよね。どんな国にも歴史はあって、どんな国にも大きな悲劇はあるはずですから。

歴史修正主義といったことばを近年よく聞きますが、それがもたらした新たな悲劇が、まさに目の前で展開されているのだとすると、わたしたちもその論点から、この悲劇をわがこととして考えるべきなのかもしれません。

──また「一人ひとりの物語に命を与える」という部分は、先の「散文」の話とも通じ合うところがあるかもしれません。

メディアの言説は、いかにも「個人の物語」に光を当てたような記事でも、どこかに、その物語を政治化させようとする意志が作動していることを、この紛争はとりわけ明らかにしているように感じます。実際欧米のメディアはそのやり方が好きなのですが、ここに来てそのやり口にかなり食傷してしまっているのを感じます。そこで取り上げられている人たちにはなんの非もないのですが。

──写真の撮り方なんかにも、かなりあざとさを感じるようになってきました。

そうしたものから引き剥がさない限り、個人の物語に命を吹き込むことはできないのかもしれません。ちなみに、ちょうどいまから100年前のウィーンで戦争とメディアの結託に鋭く切り込み、おそらく世界で初めて「フェイクニュース」というものを人類的な脅威として暴いた孤高の諷刺家・批評家カール・クラウスは、かつてこんなことを語ったそうです。

新聞は内容の表明ではなく内容そのものであり、それ以上に扇動者である。
「新聞の催眠的な力は、嘘以外に真実はないという『偽造された現実』をつくり出した」

──いままさに、わたしたちが目撃していることですね。

2019年に、クラウスの生誕145周年を記念して書かれた「カール・クラウスとフェイクニュースの誕生」(Karl Kraus and the Birth of Fake News)という記事は、クラウスの現代性をこう語っています。

ベルトルト・ブレヒトは、1936年にクラウスの訃報を受けてこう書いた。「時代が自らの生命を終わらせるために手を挙げたとき、彼こそがその手だった」。 ブレヒトが語ったのは、おそらく19世紀のことだったが、クラウスが崩壊を予見していた時代は、いまわたしたちが生きている時代でもある。かつてない速度と浸透力をもったデジタルプラットフォームによって嘘は、単一化された教義として拡散していく。

──いま改めてクラウスに学ぶことは多そうですね。

改めて読まないとと思っていますが、ひとまずデスクトップの画像をクラウスのポートレイトに変えました(笑)。

──いいですね。

クラウスの顔を見たら、少し安心しましたし、ちょっと元気が出てきました。


若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。

꩜ 「だえん問答」は毎週日曜配信。次回は2022年4月17日(日)配信予定です。本連載のアーカイブはすべてこちらからお読みいただけます(要ログイン)。