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Obsession:1950年の「未来の食堂」

いま、あなたは1952年のNYにいるとしましょう。そこにあるのは「自動販売式食堂」──。 パンデミックで注目される、レストラン業界の未来のセルフサービスがそこにありました。

A woman uses an automat
Youtube
This story was published on our Quartz Japan newsletter, A glimpse at the future of the global economy-in Japanese.
  • Sota Toshiyoshi
By Sota Toshiyoshi

Editor in Chief (Quartz Japan)

Published
週に一度、夜にお届けする日本版ニュースレター「Obsessions」では、グローバル版の人気シリーズ「Obsessions」の翻訳のほか、力のこもったレポートやインサイトをお送りしていきます。

いま、あなたは1952年のニューヨークにいるとしましょう。ランチの時間になったので、ポークパイハットを引っ掴んでタイムズスクエアのオートマットHorn & Hardart」(ホーン&ハーダート)に向かえば、そこではガラスケースに入った何十種類もの出来合いの軽食があなたを待っています。コイン投入口に5セント硬貨を数枚入れて出てきたコンビーフサンドとココナッツクリームパイを手に相席のテーブルへ──いかにも“レストラン業界の未来のセルフサービス”って感じですよね。

「自動販売式食堂」とでもいうべきオートマット(automat)を特別なものにしていたのは、なにもコイン式の自動会計システムだけではありません。ビュッフェスタイルで温かいメニューが提供されていたことも押さえておくべきでしょう。しかし、それよりなにより重要なのは、20世紀前半、アールデコ調の設えのホーン&ハーダートのカフェテリアは「公共の広場」としての機能も兼ねていたということです。

そこでは会社秘書もセレブリティも、観光客や金欠アーティストと同じテーブルを囲みます。ゲイの聖地としても機能していたし、当時としては珍しく人種別に分けられてもいませんでした(米国務長官も務めた故コリン・パウエルが、2021年のドキュメンタリー映画『The Automat』でそう回想しています)。

オートマットはセルフサービスでしたが、それは移民にとって魅力的な特徴でした。「すばらしい料理が揃っていて、値段も安くて、英語が話せなくてもいい。それに、しばらくのあいだ、そこにいても咎められない」とは、ドキュメンタリー監督リサ・ハーウィッツの弁(最近の『New York Times』のインタビューより)。劇作家のニール・サイモンがオートマットを「恵まれない人たちのマキシム」と呼んだのも頷けます。

ホーン&ハーダートは100年近く営業を続けましたが、最後の店舗が1991年に閉店しています。しかし、その存在そのものについては、都市化とオフィスワークによって人の食生活が変化することを予見していた例として、いまも忘れ去られてはいません。さらにパンデミックの影響で、ソーシャルディスタンスに適うフードサービスに対する関心が高まっているいま、オートマットは復活のときを迎えているのかもしれません。


by the digit

数字でみる

  • 80以上:オートマット最盛期にニューヨークおよびフィラデルフィアで営業していた
  • ホーン&ハーダートの店舗数
  • 80万人:1950年代、1日あたりのホーン&ハーダートのオートマット利用者数
  • 50万杯:同じころに提供された1日あたりのコーヒー
  • 5セント:コーヒー1杯の価格(1912〜50年。その後、10セントに値上げした)
  • 7: 1週間の営業日数
  • 243:1958年当時、提供されていたメニュー数

The standard for standardization

「標準化」の先駆け

ファストフードチェーンが、ポテトの調理時間からハンバーガーの正しい挟み方までをフランチャイズ店に指示するようになるずっと前から、ホーン&ハーダートはレストラン業界の「標準化のパイオニア」というべき存在でした。彼らは、ニューヨークおよびフィラデルフィアのどの店舗でも同じように、完璧にサクサクのチキンポットパイやベルベットのようなプディングが食べられるようにしたのです。

「レシピと調理法は、カフェテリアとセントラルキッチンのオーナーが連携し、定期的なサンプリングと詳細なトレーニングマニュアルによって厳密に管理していた」と、ニコラス・ブロメルは雑誌『New York History』のエッセイで書いています。そのマニュアルは、例えばベークドビーンズの付け合わせの四角いベーコンの寸法は「1インチ×1インチ」と明記されているほどです。

ホーン&ハーダートは、スピードも重視していました。1分間に6個のパイをつくるべく、組み立てラインにはコック4人を配置していたようで、「1人目はパイ皿を枠の上に置いて生地をかぶせ、2人目は具を入れ、3人目はその上にトップクラストをかぶせ、4人目は縁を切り生地に具の種類を示す印をつける」と、『Gourmet』誌では説明されています

かくしてオートマットは、便利さを求める大衆の欲求を満たすようになりました。忙しいホワイトカラーが求める“昼休みに手早く食べられる店”となったのです。しかし一方で、オートマットを彩るステンドグラスもそこに集う多様な客層も、あるいはお釣りを出す機械の動きも、日常の食事にスペクタクルな感覚を吹き込むことに成功します。スターバックスのCEOハワード・シュルツは前述したドキュメンタリー『The Automat』において、ホーン&ハーダートが、「劇場的で、興奮できて、驚きと喜びに満ちた体験」を顧客に提供し、かつどこにでもあるコーヒーチェーンという彼のビジョンにインスピレーションを与えたと語っています


WATCH THIS!

バリスタはあなた

A woman uses an automat
Image copyright: Youtube

オートマットで最もポピュラーなオーダーはコーヒーで、何十年にもわたり1杯5セントで提供されていました。共同創業者のジョセフ・ホーンがイタリアで目にした噴水をモデルに発想したイルカの形をしたクロームの注ぎ口付きのマシンで、20分ごとに新たに淹れられていました。

1934年の映画『蛍の光』の劇中では、ジョーン・クロフォードがオートマットを象徴するこの注ぎ口から磁器のカップをコーヒーで満たし、他の客の食べ残しのパイを見つめるシーンが見られます。


BRIEF HISTORY OF HORN & HARDART

ホーン&ハーダート小史

1895:世界最初のオートマット「Quisisana」(キシサナ)がベルリンにオープン

1902:米国最初のオートマットであるホーン&ハーダートがフィラデルフィアにオープン

1912:ホーン&ハーダートがニューヨークのタイムズスクエアに 2 店舗目をオープン。

1924:ホーン&ハーダートが「お母さんの仕事を減らす(Less Work for Mother)」というスローガンを掲げて小売店でのパッケージ食品の販売を開始

1937:アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)がホーン&ハーダートにピケを実施し、裏方の労働条件の改善を要求

1958:ホーン&ハーダートの年間収益がピークに

1966:ホーン&ハーダートが「ハンバーガースタンドに対する答え」として、歩道で食事を提供する「Windomat」および子ども向け店舗の「Wild West Room」をオープン

1970s:ホーン&ハーダートがアービーズおよびバーガーキングのフランチャイズに転換し始める

1991:ホーン&ハーダート最後のオートマットがニューヨークで閉店


Whither the automat?

オートマットの衰退

A flashing neon sign that says EAT and DRINKS
Image copyright: Giphy

「安くて早い」が売りのオートマットは、最終的にマクドナルドやバーガーキングのようなファストフード(イートインすら必要なし!)に押され、その座を追われることになりました。1978年、ホーン&ハーダートの後継店のオーナーは『New York Times』に対して、「顧客は、カフェテリアで食べるような“2種の野菜添えの肉料理”などは求めていない」として、バーガーキングに乗り換える決定をしたと語っています

歴史家のポーラ・ジョンソンが『Atlas Obscura』に語ったところによると、中流階級の労働者は仕事が終わればすぐに都会から郊外の自宅に帰宅するし、日中も補助金の出るオフィスのカフェテリアで食事をするようになり、次第に足が遠のいていったようです。

1970年代には、ホーン&ハダートがかつて発していた輝きは失われました。『Times』によれば、日中よくいる常連客といえば「コーヒーを淹れる老人」で、俳優のダスティン・ホフマンも、夜は「娼婦かハスラーかドラッグの売人か……とにかくいかがわしい」雰囲気だったと回想しています。(ダスティンはタイムズスクエアのオートマットの客の中に上手に溶け込むことで、自身が『真夜中のカーボーイ』の詐欺師役がいかにふさわしいか、監督に納得させてみせました)。


Fun menu!

あの日のつもりで

もしオートマットに行ったなら、何を注文しましょう? ホーン&ハーダートの1958年版メニューで、ホタテのフライ(たったの1ドル。現在であればインフレで10ドル)からチキンポットパイ、ホットファッジサンデーまで、いかにもアメリカらしいメニューの数々を感じてみてください。


Automats across time and space

現代のオートマット

オートマットはいかにもアメリカ的な風景ですが、実は他の国々でもよく見られるものでした。オランダの「FEBOオートマット」は1960年にオープンし、コロッケやチーズペストリーなどを専門に扱うファーストフード店として現在も親しまれています

日本では、回転寿司なるものが一種のオートマットとして登場しています。回転寿司は、あらかじめ調理された寿司がベルトコンベアーに乗って客の前を流れていきます。日本のあるチェーン店では、外食が苦手な寿司ファンでも楽しめるよう、自宅に回転寿司を設置できるよう什器をレンタルしているほどです。

アメリカやカナダでは、オートマットを復活させようとする新しいレストランが続々と登場しています。ニューヨークの「Brooklyn Dumpling Shop」、カナダのトロントの「Box’d」、ニュージャージー州ジャージーシティの「Automat Kitchen」などがそうです。パンデミックの影響でセルフサービス方式を採用したレストランが増えつつあり、顧客と従業員の接触を最小限に抑えるレストランへの関心が高まっていることがわかります。

とはいえ、オートマットの復活は(仮に実現したとしても)、労働者の観点からすると必ずしもよいこととはいえません。ジョシュア・デイヴィッド・スタインが『Eater』に寄稿しているように、ホーン&ハーダートは、裏方の労働者を搾取していると繰り返し非難されてきました。

「オートマットシステムの付随的な利点の一つは、機械が鉄のカーテンとして機能したことだ」と指摘する彼は、外食産業における自動化について、ロボットが人間の仕事を奪うことよりも、店に残った労働者が公平に扱われているかどうかが懸念されるとも記しています。


今日のニュースレターはSarah Todd、Susan Howson、Jordan Weinstockがお届けしました。日本版は年吉聡太が担当しています。

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