二十世紀を代表する彫刻家、アルベルト・ジャコメッティ(1901 - 1966)。彼は非常に多作であると同時に、その創作の過程で強く悩み、苦しんだことでも知られています。
彼の作品でもよく知られているのは、荒削りの細長いシェイプの人物像でしょう(この作品は、第二次世界大戦後の荒廃した世界で忍耐強く生きる人間の象徴である──批評家の受け売りですが)。
ジャコメッティは1947年、ピエール・マティスに宛てた手紙の中で、「多くの場合、(手を重ねるあまり)それは小さくなりすぎてしまって、ナイフが触れるだけでチリと化してしまうほどだった」と書いています。
先日、シアトルの美術館では戦後のジャコメッティの作品を集めた巡回展が開かれていました。そこで目にしたジャコメッティの苦悩は、この20世紀を代表する芸術家に対して意外な親近感を抱かせるものでした。いったい何かと言うと──プロジェクトに没頭すると、誰しもいつ立ち止まるべきか悩むものなのだ、ということです。
ジャコメッティの彫刻との格闘のなかには、完璧主義を克服し、作品の完成に至るための答えが隠されているかもしれません。
Why perfectionism can be self-defeating
完璧主義は自滅的
ジャコメッティは、自身の強迫観念的ともいえる性格をよく理解していたようです。その性格がよくあらわれているのが、彼の彫刻に見られる独特の斑点のような質感です。ジャコメッティは常に粘土や石膏をつまんで何度も手を加えていたようです。
ジャコメッティの作品で、最も多くモデルとなった人物は彼の弟と妻でした(シアトルでの展示を見ていて気づかされたのですが、彼の長く厳しい作業にモデルとして耐えられる忍耐力をもった人など他にいなかったのでしょう)。
巡回展では、ジャコメッティが亡くなる直前の1966年に撮影されたドキュメンタリーが上映されていました。映像の中のジャコメッティは自分の頭の中にあるビジョンに見合う作品をつくろうと努力するものの、その努力は虚しく終わりを告げます。
ジャコメッティは、目の前にある粘土の胸像を指で引っ張りながら、こう語ります。「目の前にあるものに近づけば近づくほど、より見えるようになる。だから、終わりなんてありえない」「わたしがやりたいことと、わたしがやっていることの間に横たわる距離は、基本的にずっとそのままだ。(中略)1,000年後にあなたに会ったとしよう。そのときわたしは、すべては間違っているが少しくらいは近づいた、と間違いなく言うことだろう」
ジャコメッティに(そしてわたしたちにも)不老不死が与えられていれば、このプロセスも合理的だといえるでしょう。しかしいまのところは──、自分の作品を高い水準で維持することと自己破壊に陥ることとは紙一重だと言わざるをえません。自分がつくったものを自分以外の世界と共有したいと思うのなら、自分の作品と決別しなければならない時期は必ず訪れるのです。では、果たしてどうすればいいのでしょうか?
The power of deadlines
締め切りの力
まずは、期限を設けること。古典的な解決策ですね。ジャコメッティもまた、時間のプレッシャーがもたらすモチベーションの力と無縁ではありませんでした。2018年の『the New Yorker』の記事によると、ジャコメッティが1947年に発表した有名な作品「指差す人」は、彼が展示の締め切りに追われながら、「真夜中から翌朝9時までの一晩で」彫ったと紹介されています。
Knowing when you’ve gone too far
過ぎたるを知ること
ジャコメッティは(手を加えるあまり)自分の彫刻をうっかり壊してしまうこともあったようですが、彼にとってそれは、自らの介入の限界を知る過程だったのかもしれません。アーティストのクララ・リューは、デッサンの授業で生徒たちに「デッサンが台無しになるくらい」わざと描き込むようにすすめることがあると自身のブログに書いています。つまり、一度やり過ぎるくらいまでやってみること。「こうすることで、生徒たちにはプロセス全体に対する意識が芽生え、将来的に引き際がわかるようになる」のだとか。
Trying is everything
挑戦することがすべて
最後に、ジャコメッティの経歴をもう少し掘り下げてみましょう。彼は自分の成し遂げたことに決して満足しませんでしたが、にもかかわらず、新しい芸術を創造し続けることができた希有なる人物です。それには、次のような2つの要因があったのではないでしょうか。
まず、ジャコメッティには、自分が達成できなかったと思っていたことであっても、その価値を認めてくれる人たちがいました。「彼はおそらく、自分がつくったものをすべて破壊してもおかしくなかった」と、『Artforum』では指摘されています。「しかし、彼の不可欠なモデルにして彼にとって唯一の金型製作者であった監視役の弟ディエゴは、この芸術家の最高の作品をいくつか保存していた」
翻って、わたしたちがつくるものが常に理想通りにいくとは限りません(それはまさにジャコメッティが語っているのと同じ理由かもしれません)。だからこそ、大切なのは信頼できる人に見てもらうことです。彼らは、頭の中の理想の作品と現実に存在する作品を比べることなどできません。そして、だからこそ目の前にあるものを、必要にして十分な目で見ることができるのです。
ジャコメッティが創作を続けられたもうひとつの要因は、彼が繰り返しを好んだことにあります。
これは、ともすればアーティストにとっては批判として語られることでもあります。ジャコメッティの盟友であったパブロ・ピカソも、同じ題材やアイデアに何度も立ち戻ることは、作品を単調にしてしまうと指摘していました。
しかし、ジャコメッティは、「男が歩き、女が立つ」というモチーフに回帰することで、「同一性の中の変化」を探求するだけでなく、個々の作品が自分の期待に応えていないことを受け入れることができたのでしょう。確かに幾度も失敗を重ねましたが、可能性こそが彼を前進させたのです。
「挑戦することがすべてだ(Les essais c’est tout)」──ジャコメッティはこう書き残しています。結局のところ、プロジェクトの終わりを知る秘訣は、プロジェクトそのものにはなく、その先にある次の努力への期待にあるのかもしれません。
今夜のニュースレターは、QuartzのSarah Toddがお届けしました。また来週、お会いしましょう。