9月30日まで、平日夜のニュースレターでは、これまで通り気候変動やアフリカのニュースのほか、この3年で起きたグローバルビジネスの大転換を振り返る内容をお送りしようと思っています。今夜は、この1週間で注目されたロシア製の「新車」についての話題を深掘りします。
ウクライナ戦争が始まって6カ月以上が経ちました。西側諸国はロシアに対する経済制裁を断行し、企業も次々とロシア事業から撤退しています(ちなみに、日本企業の撤退割合の累計がG7の中で最低との調査結果も出ていますが)。
当のロシアはといえば、いまも西側諸国の制裁によって自国が揺らぐことはないと主張しています。しかし、国営自動車会社アフトワズ(AvtoVAZ)傘下として半世紀の歴史をもつ、ロシアを代表する自動車ブランドLada(ラーダ)をめぐる実態は、それとは異なっています。
かつてラーダは、西側諸国の製造業から独立しようとする旧ソ連のシンボルでした。そして今度は、ロシアにとって同じような位置づけにあります。もっとも、現在の結束の固い世界経済からロシアが抜け出すのは、冷戦期に比べればはるかに困難です。
今年初めには、アフトワズは制裁措置のためにスペアパーツを調達できませんでした。生産ライン停止を余儀なくされ、従業員の多くが3カ月間の一時帰休を言い渡されました。マクドナルドのハンバーガーの代わりはすぐに用意できても、自動車を完全国産化するのは簡単ではありません。実際のところ、アフトワズの自動車に必要な部品の20%以上は輸入に頼っていたのです。
6月、アフトワズはようやく操業を再開しました。しかし、生産ラインから市場に送り出された新車は“丸裸”でした。シートベルトプリテンショナー(衝突時にシートベルトをロックする装置)はなく、他にもアンチロック・ブレーキ・システム(ABS)や横滑り防止装置(ESC)、エマージェンシー・シグナル・システム(ESS)といった標準的な安全装備が搭載されていなかったのです。これは、ロシアの規制当局が安全基準や排ガス規制をいち早く緩和したことで実現した“成果”です。
アフトワズの社長を務めるMaksim Sokolovは、同社はプーチン大統領の意向に沿うかたちで「自給自足」で製造していると主張しました。
「今日、長い間停止していたアフトワズの自動車生産が再開された」と、Sokolovは6月に述べています。「自動車工場の人員を確保することは、最優先事項のひとつだ。そしてもちろん、われわれは、輸入部品の不足に左右されずに、ロシア市場で最も人気のある、手頃な価格の自動車をさらに生産しなければならない」
THE BACKSTORY
ほんとのところ
- アフトワズは1966年に設立され、1973年に最初のラーダが登場した。ラーダは、フィアット(Fiat)の角張った車種をさらに角張らせたようなモデルでしたが、冷戦時代のソ連にとって、誇りともいえる国産車でした。このため、ロシア人にとってアフトワズは、米国人にとってのゼネラルモーターズ(GM)、日本人にとってのトヨタと同じように、非常に大きな象徴的重要性をもった存在だったのです。ラーダは飾り気のないデザインで知られていましたが、常にトップセラーを記録し、海外にも輸出されていました。ラーダ以外のクルマがロシアでベストセラーとなったのは、実に2014年になってからです。
- ルノー(Renault)は2008年、アフトワズの株式25%を10億ドルで取得した。これは、当時、前年比34%という成長率を記録していたロシアの自動車市場に参入するためでした。その後、ルノーは徐々に出資比率を高め、68%まで取得しましたが、ウクライナ戦争が勃発すると、5月に22億ユーロ(約3,070億円)相当の事業を1ルーブルという金額でロシアの国営企業に売却しました。ルノーは、今後6年以内に株式を買い戻す権利を有しています。
BY THE NUMBERS
数字でみる
- 3万2,500:3月現在、ラーダの製造に関わる従業員数
- 40万人:ロシアの自動車産業に従事する労働者の数。この産業に間接的に依存している労働者の数は、約10倍に上る
- 4,600万:ロシア国内の自動車台数。平均で15年近く使用されている
- 21%:昨年ロシアで販売された全新車に占めるラーダのシェア
- 50%:今年予想される、ロシアの自動車販売台数の減少率
- 9,000ルーブル(約2万900円):1988年当時のラーダの価格
- 67万5,900ルーブル(約157万2,000円):ロシアとその同盟国が製造した部品のみでつくられた、ラーダ「Granta Classic 2022」の価格。ロシア市場で最も安価なクルマ
PUTIN AND THE LADA
プーチン肝いり…
ロシアには、こんな古いジョークがあります。──質問:「ラーダにブレーキがついたものを何という?」。答え:「特注品」。
ラーダは愛すべきクルマである一方で、必ずしも信頼のクルマとは言いがたいブランドです。そしてそれは、ロシアのプーチン大統領にとってもそうでした。自国の製造業を支援すべく、よくラーダと一緒に写真に写ったプーチンですが、彼はラーダのベストセラーでSUVの前身ともいえる「ニーヴァ」モデルの愛車のエンジンを独オペル製に交換したことも包み隠さず話していました。
2011年にデビューした「グランタ」のセダンにプーチンが試乗した際も、ちょっと様子がおかしいことがありました。このモデルは当時、欧州で最も安いクルマとして宣伝され、定価はわずか7,100ドルでした。しかし、このクルマを走らようとしたプーチンは大層苦労したようです。イグニッションを5回も試したあと、やっとのことでエンジンを始動させることに成功した姿が映像に収められています。
その他にも、プーチンはプロモーションのため、「カリーナ」でシベリア2,000キロを走破し、その性能が信頼できるものだと賞賛したこともありました(2010年)。もっとも、当時の映像には、プーチンが率いる車列に同じ黄色のカリーナが3台付き従っているのが映っています。「プーチンが運転するカリーナが故障した場合の代用品」であるにしても、必要以上に用心深いとも感じてしまいます。
ONE 🚗 THING
ちなみに……
モスクワから反対側のキューバでは、いまもラーダが人びとの心を掴んで離しません。1959年のキューバ革命後、自家用車の所有者といえば、米国製のシボレーやフォードのオーナーたちでした。
それから十数年後、1970〜1980年代にかけて旧ソ連からラーダが輸入されるようになります。のちにある自動車評論家が『The Guardian』に語ったところによると、当時の政府が「医師や砂糖農場で働く人、スポーツ選手、エンジニア、科学者に与えた」そうです。
キューバにはいまも約25万台のラーダが存在しており、その一部はタクシーやパトカー、救急車として現役で走っています。手入れの行き届いた車両であれば、小さな家一軒分の値段で売れることもあるようです。
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