A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが解題する週末ニュースレター。若林さんが原稿を書きながら聞いていたプレイリスト(Apple Music)とあわせて読むのもおすすめです。
Butts and the Biopolitics
豊尻のバイオポリティクス
──こんにちは。お忙しそうですね。
本当は忙しくしてなくてはいけないのですが、捗りませんね。
──何して過ごしているんですか?
映画や動画を観ていることが多いですね。
──そればっかですね。
ほかにあまりすることが思いつかないんです。ふらふら出歩くわけにも行きませんし。
──どこにも行ってないですか。
ほとんど行ってないですね。会社に来てずっと地下室にこもって、街が静まりかえったころに帰る感じです。さすがにどんよりしてきます。
──面白い映画とかありました?
最近音楽ものの映画を観てないなと思ってNetflixで検索したら、ブラジルの人気ラッパー、emicida(エミシーダ)という人のライブ作品と、このライブの背景を明かしたドキュメンタリー作品があったので観てみました。
──emicidaって、知らないです。
わたしも名前は聞いたことある、というくらいだったのですが、サンパウロのストリート出身で、非常に物静かかつ知的な佇まいの人で、ライブもいいんですよ。非常に政治的ではあるのですが、とてもポエティックで。ちょっと感動しちゃいました。
──へえ。
このライブは2019年にサンパウロ市立劇場という由緒ある劇場で行われたもので、ここは歴史的に白人エスタブリッシュメントの文化的牙城とされていたところなのですが、そこで黒人のラッパーである彼がライブをやることは歴史的に大きな意義があったそうで、ドキュメンタリー作品のほうでは、サンバがいかにブラジルにおける人種的な闘争の重要な武器であったかが時代ごとに語られ、それがいかに現代のブラジリアンヒップホップに引き継がれているかが明かされています。とても勉強になりますよ。
──そうなんですね。
人種だけでなくサンバの歴史における女性といった問題も扱っていまして、それに絡んでアメリカの有名なアクティビストのアンジェラ・デイビスがブラジルで行った講演のフッテージなどが出てきまして、そこで彼女は、「なぜブラジルのみなさんがアメリカに目を向けようとするのか理解できません。わたしなんかより、過去のブラジルの活動家たちに、はるかに多くを学ぶことができます」と語り、70年代の著名なアクティビストで、ブラック・ブラジル・フェミニズムの礎を築いた、レリア・ゴンザレスという方の名前をあげています。
アンジェラ・デイヴィスと彼女との関係については、「アンジェラ・デイヴィスがブラック・ブラジリアン女性たちと逢った歴史的瞬間」(The Iconic Moment Activist Angela Davis Visited Black Brazilian Women)という記事に詳しくありますので、ぜひ読んでみていただけたらと思うのですが、こうした歴史がemicida自身のナレーションで語られていくことで、サンパウロで行われたコンサートの重みがどんどん増していくという格好になっていまして、これを観てからコンサートの映像を観ると、なかなか感動的なんです。
──歴史の重みを感じる、と。
emicidaはドキュメンタリーの最後に面白いことを語っていまして、ちょうどいまから100年前、ヨーロッパを席巻したスペイン風邪が終息しはじめたころに、パリのある映画館がお客さんを呼び込むために音楽家を呼んだそうですが、そこで出演したのがOito Batutas(オイト・バトゥタス)という楽団で、このバンドがブラジルのサンバを世界的に広める端緒となったグループだったんです。
──面白いです。
このグループはPixinguinha(ピシンギーニャ)という伝説的な作曲家/フルート奏者を擁する伝説のバンドですが、emicidaは、100年前、新しい時代の幕開けを告げ、サンバを通して抱擁と笑顔を人びとの間に取り戻したことの意義を感慨深く語るのですが、その逸話を語った直後に、こんな謎めいた詩句を語るんです。
エシュは、今日投げた石で、昨日の鳥を殺した。
──ん? どういうことでしょう?
続けて、彼はこう言います。「過去の断絶を修復するチャンスは、現在にある。だからすべては昨日のためなんだよ」。ちなみに「すべては昨日のため」はポルトガル語では「É tudo pra ontem」となりますが、これがこのドキュメンタリーのタイトルでもあります。
──タイトルの日本語訳は「過ぎゆく時の中で」となっていますが、だいぶ、というかまったくニュアンスが違いますね。
わたしたちは、現在から石を投げると考えたときどうしても「未来」に向けて投げるものと考えてしまうように思うのですが、この一節を聞いて、過去に向かって石を投げて「昨日の鳥を殺す」ということができるのか、とかなり新鮮な感慨を覚えました。
──昨日は変えられないと思ってしまいます。
でも、emicidaは「すべては昨日のため」と言うんですね。これがどういう感覚なのか、いまひとつピンと来てはいないのですが、ちょっとポケットに入れてもっておきたいようなことばだなと思いました。
──いいですね。
emicidaの歌詞には、これ以外にも、いいフレーズが結構ありまして、個人的にカッコよかったのは、「Pantera Negra」、つまりは「ブラック・パンサー」という曲に出てくる一節で。
ソランジュは/ネグラ(黒人)か/ムラータ(混血)か/迷ったら王女と呼べ
──おお。かっこいい。
というわけで、そうやってブラジル音楽に関するものを観ていたら、すぐさまNetflixのアルゴリズムが目ざとくブラジルものをレコメンドしてきまして、それが今度は、Anitta(アニッタ)というブラジルポップス界の大スターのドキュメンタリーシリーズ「アニッタ:メイド・イン・オノーリオ」というものです。
──しかし、Netflixには色んなものがありますね。
アニッタはもちろん日本ではほとんど知名度がないと思いますが、本当にブラジル音楽界の最大のスターですから、Netflix的にはアメリカにおいてトラヴィス・スコットやテイラー・スウィフト、日本において嵐、韓国においてBlackpinkの作品を制作するに似たようなものだと思います。とにかく大スターでして、音楽的なジャンルはR&Bやレゲトン、エレクトロポップスなどにまたがっていますが、彼女はファベーラ(スラム)のクラブで「ファンク」と呼ばれるジャンルのシンガー出身であることから、「ファンクの女王」と呼ばれてもいるそうです。
──ファンクってJB、スライ、P-Funkの、あのファンクですか?
欧米で呼ばれる「ファンク」とは基本的にまったく異なるものでして、90年代頃にリオのファベーラで生まれた音楽スタイルだそうで「Baile Funk」とか「Funk Carioca」とも呼ばれるそうです。その音楽的な特徴を、自分もまだいまひとつつかめてはいないのですが、かなり乱暴でごった煮感のあるもので、かなり狂っていて面白いです。ドキュメンタリーの第3話「ファンク」の章では、この「ファンク」が非常に下品かつ危険な音楽であるとみなされ、いまでこそアニッタのおかげもあってポップスの一部となりましたが、それでもいまなお危険視はされていまして、2019年にはファベーラのクラブで行われていたファンクパーティに警察が突入して、9人の来場者が射殺された事件が起きていることが明らかにされています。
──ああ、音楽による差別ってまだあるんですね。
ブラジルでは、貧困エリアから出てきた音楽には弾圧されてきた歴史があり、ファンクに対する差別・規制はサンバが弾圧されてきた歴史の繰り返しであると、アニッタを含め、ドキュメンタリーに登場する関係者は一様に怒りを露にしています。
──その辺はemicidaの作品ともつながりますね。
また、ファンクの特徴はそのダンスにもあって、ここから今回の本題になるのですが、これがやたらとお尻を振るんですね。
──ほほう。今回の〈Weekly Obsession〉のお題は、文字通り「お尻」(Butt)です。
2019年の「Combatchy」という曲のPVがあからさまにそうなのですが、ここではアニッタを含む4人の女性による「尻振りバトル」が描かれていまして、解説するよりも観ていただくのが早いのですが、まあ、とにかく基本、ずっとお尻を振っています。
──ひとことで「尻を振る」といってもバリエーションというか、表現域が広いものなんですね、と驚いてしまいます。
2013年にオックスフォード辞典に「Twerk」という語が収録されましたが、ここでの定義は、「ポピュラー音楽における性的に挑発的なダンスの一種で、尻を突き動かしたり、低く屈んだ姿勢を含む」とされています。この「Twerk」の語は、2013年にマイリー・サイラスが、2013年のVideo Music Awardで披露したことで一気に一般化したと言われていますが、お尻を強調するようなダンス自体は、サイラスさんが発明したものではなく、もっと前からあります。
──のちに渡辺直美さんがモノマネする、ビヨンセの尻振りは衝撃ありましたよね。
「Crazy in Love」のダンスですよね。あの曲のリリースは2003年ですが、実際のところあのような動きが果たしていつからあったのかはよくわからないようで、アフリカには古くからあったとされますし、19世紀のニューオリンズにはすでにあったなんていう記載も見かけます。いずれにせよ、こうした尻振りダンスの隆盛を見るにつけ、近年のある時期から、明らかに「お尻」という部位が、女性の身体をめぐる関心の中心的な位置を占めるようになったのは確かなようでして、『Daily Beast』の記事「お尻元年:2014年の世界を変えたお尻たち」(Year of the Butt: How the Booty Changed the World in 2014)によれば、2014年がその大きな契機でして、火をつけたのはキム・カーダシアンの『PAPER』誌の表紙、ニッキー・ミナージュの「Anaconda」、またはJ.Loことジェニファー・ロペスの「Booty」だったと言います。
──ふむふむ。みなさんしかし見事なお尻です。
はい。今回の〈Weekly Obsession〉が、なぜお尻をお題としたのか、いまひとつ定かではないのですが、Quartzの記事の「数字で見るお尻」の項目を見ますと、こうした見事なお尻の世界化がもたらしたひとつの帰結が「豊尻手術」の爆発的な増加であることがわかります。8つ数字が挙げられていますが、そのうち4つは「豊尻手術」に関わるもので、こんな数字が挙げられています。
- 78%:ヒップリフト手術の2015年から19年にかけての増加率
- 1/3,000:ブラジリアン・バット・リフト(BBL)手術における死亡率
- $6,500:BBLのアメリカでの平均施術料
- 300ml:尻に注入する脂肪の適正量
──なるほど。J.Loやニッキーみたいなお尻にわたしもなりたい、という方がひきも切らない、というわけですね。
はい。2014年の『Vogue』の記事は、マイアミのある美容整形外科医のコメントを引用していまして、お尻のサイズアップを求める声は、実際には2000年にジェニファー・ロペスが前も大胆にはだけたグリーンのヴェルサーチのドレスを着てグラミー賞に出演したときから出始めたとの証言を紹介していますが、この記事の出た2014年において、豊尻手術による売り上げは前年比50%以上だと語られています。
──そこから2015年以降もさらに伸び続けているわけですね。
はい。で、先のリストを見て気になった方もいるのではないかと思いますが、豊尻手術の最もポピュラーな施術方法は、「Brasilian Butt Lift」と呼ばれる、脂肪を注入するやり方なのだそうですが、その名前からも予想される通り、これは実はブラジルが発祥なんですね。
──へえ。そうなんですか。
はい。わたしもまったく知らなかったのですが、ブラジルは世界に名だたる整形大国でして、それどころか美容整形というもの自体を世界に広めたのが、ブラジルなんだそうです。
──知らなかったです。
『The Guardian』は「ブラジリアン・バット・リフト:世界で最も危険な美容整形の裏側」(Brazilian butt lift: behind the world’s most dangerous cosmetic surgery)というロングリードを、2021年2月に掲載していますが、そこにはこう書かれています。
BBLはブラジル人医師イヴォ・ピタンギィによって始められた。美容整形大国においてピタンギィは「法王」と呼ばれていた。彼はさまざまな施術を手がけ、フランク・シナトラやソフィア・ローレンなどセレブの整形をおこなったと噂されている。その一方で、リオのクリニックで貧しい人たちの施術も行った。ピタンギィは、美は人権である、と信じていた。けれども美の追求は問題も孕んでいることも知っていた。「最も大切なことは良い内面をもつことです。であれば手術なんかは必要ありません」とピタンギィはよく語っていたという。美しい戒めだが、リオの冲に大豚島と呼ばれるプライベートアイランドを彼にもたらしたのは、それを守ったからではない。
1960年、ピタンギィは世界初の美容整形学校を創設し、次世代の医師たちに彼の技術を教えた。ピタンギィの元で学んだリオを代表する美容整形外科医マルセロ・ダハーは、「彼は知識をシェアする天才でした」と語る。「そして彼に学んだ医師たちが世界中に巣立っていったのです」。BBLを学んだ医師たちは次第に北上して行った。「そしてアメリカの南部にたどり着いたのです」。アメリカのサンディエゴで、20年来BBLを執り行ってきた医師は証言する。
──へえ。面白いですね。ブラジルが世界の美容整形の震源地だなんて知りませんでした。なんでなんでしょう。
記事はこう続きます。
ブラジルはいまなお美容整形手術の世界的中心である。それはピタンギィのレガシーに負うところもあるが、別の理由もある。ブラジルでは低価格の美容整形手術は公共医療に組み込まれているのだ。ブラジルでは美容整形は裕福な人のためのものではなく、あらゆる社会階層に浸透している。そして、簡単にアクセスできることが暗部を生み出している。「ブラジルの美容整形医師は次々と新しい技術を生み出すことで知られています」。人類学者のアルヴァロ・ジャリンは語る。「なぜなら彼らには低所得者層の身体という実験台が提供されているからです」
──おっと。急に重たい話に。
そうなんです。今回は「お尻」というお題で愉快なお話ができるかと思っていましたら、そうは行きませんでした
──しかし、美容整形が公共医療の一部となっている、というのはすごいですね。
そうなんです。話が重たくなるのは実はここからなんです。先の記事の文末に登場するアルヴァロ・ジャリンさんは文化人類学者でして、ブラジルをフィールドに美容整形をテーマに調査されている方です。2017年に「美のバイオポリティクス:ブラジルの美容市民権と感情資本」(The Biopolitics of Beauty: Cosmetic Citizenship and Affective Capital in Brazil)という著書も刊行しています。そのジャリンさんは『The Conversation』に寄稿した記事で、ブラジルにおいて美容整形が公共医療に含まれた経緯をこう概説しています。
──ふむ。
ブラジルにおいて美容整形が公共におけるエッセンシャルなサービスだと考えられるようになったのはイヴォ・ピタンギィに負うところが大きい。美容整形の法王として知られるピタンギィは、1950年代末にジュセリーノ・クビチェック大統領に働きかけ、「美の権利」は医療や健康と同様の基本的な権利だと説いた。ピタンギィは、「醜さ」こそがブラジル全体を心理的に蝕んでおり、医療界として、この人道的問題に背を向けることはしない、と説得した。
1960年に彼は、貧しい人たちのための美容整形機関を創設し、そこで新人の医師のトレーニングもおこなった。それは大きな成功を収め、この教育モデルはブラジル全土に広まった。無料もしくは低価格の施術と引き換えに、労働者階級の患者たちは医師たちが学ぶための練習台となったのだ。
ブラジルはこうした実験には理想的な場所だった。1920年代初頭、ブラジルの優生学の研究者たちは、美こそが国家の人種的進歩を測る重要な指標であると考えた。「美」は、それ以来文化的な影響力をずっと持ち続け、美容整形は、そうした優生学者が掲げた理想を継承した。美容整形は、あまりにも混血化が進んだブラジル、とりわけ低所得者階級において、社会を「改善」するための手段と考えられたのだ。
──なんだかめちゃ怖い話じゃないですか。
そうなんです。ブラジルが人種問題や混血化の問題をどういうふうに国家として取り扱ってきたのか、わたしはまったく知らなかったのですが、調べてみましたら、色々なことがわかってきました。ただいまの引用に「1920年代の優生学者」ということばが出てきましたが、彼らがブラジルにおいて政治的な影響力をもつにいたった経緯を調べてみますと、およそこんな流れになっていたことがわかりました。
──なんだか難しい話になってきましたね。
そう言わず、お付き合いください。
──頑張ります。
先のジャリンさんの2015年の論文「美のバイオポリティクスに向けて:ブラジルにおける優生学、美的ヒエラルキーと美容整形」(Towards a Biopolitics of Beauty: Eugenics, Aesthetic Hierarchies and Plastic Surgery in Brazil)は、こう始まります。
1976年のコレージュ・ド・フランスでの講義でミシェル・フーコーは、ナチスドイツが支持したような国家レイシズムは、ある特定のグループを国家の脅威とみなし、そのグループの死を、生命を守るという名目のもとに求めるものだと語った。ブラジルにおいて、こうした否定的優生学が国家によって主導されたことはなかった。代わりに、ネオ・ラマルキズムに着想を得た「ポジティブな」優生学がもてはやされ、婚前証明書の発行、衛生状態の改善、衛生教育の向上、あるいはヨーロッパからの白人移民を歓迎することで、不適切な人びとが徐々に淘汰されると考えられた。ブラジル国立博物館の館長であったジョアン・バチスタ・ラセルダは1911年に、白人化によって2012年までにブラジルには黒人がいなくなり、混血の人びとは人口のわずか3%になるだろうと論じた。こうした非暴力的な手続きに基づく人種殲滅は、フーコーが語ったバイオポリティカルなレイシズムとは明らかに異なっている。(中略)
ネオ・ラマルキズムに基づく優生学がラテンアメリカにおいて力をもったのは、19世紀のヨーロッパ人が南米大陸に対して下した評価への反動からだった。フランスの外交官ゴビノー伯爵は1874年に、ブラジルで起きている過度の人種混淆によって、社会全体が退化し、200年のうちに自己崩壊するであろうと語った。ゴビノーはブラジル人を「ムラート(混血)ばかりで、血も精神も汚され、戦慄すべきほど醜い」と評した。続く数十年の間、ブラジルの知識人たちは、ゴビノーの考えが間違いであることを証明しなくてはならないと気を揉んだ。かつてゴビノーに似た考えをもっていたニナ・ロドリゲスのような者たちも考えを変え、人種的決定論に基づく悲観主義から、混血を称揚する立場へと翻意した。アルフラーニョ・ペイショトは人種混淆の効用を説くことでゴビノーに反論した。(中略)
ペイショトは人種混淆が、遺伝的に劣る非白人人口を純化する建設的な力となると考え、称揚した。彼は白人性は独占的な特質を備えたもので、それが「非文化的な特質や醜さ」を消滅させるものと考えた。(中略)ネオ・ラマルキズムの優生学は、人間の身体は遺伝によって運命が決定されているのではなく、風土や生活・社会環境などの影響を身体化することができ、そうした後天的に獲得された特質も次世代へと遺伝されていくと考えた。
ネオ・ラマルキズムにおける遺伝とはつまるところ、国家とは完全なものへとつくり直すことのできる国民の集合であり、低階層の国民は優生学に基づく適切な政策によって、白人化することが可能になる、ということを意味していた。公共医療は、これを実現するための中心的な機構となった。
──なんだか、ものすごいディストピア小説を読んでいるみたいです。
すごいですよね。「美は人権」という考えと、それを基盤とした美容整形の発展は、19世紀にまで遡ることができるわけですから、簡単に「美容整形」と言っても、そこには、近代国家建設をめぐる、壮大な思想的なドラマがあることがわかります。
──にしても、このネオ・ラマルキズムというのは、実に怖いものですね。
せっかくなので、これについてもう少し触れますと、「フロイトとラマルクを熱帯に輸入する:アルチュール・ラモスとブラジルの人種観の変異 1926-1939」(Importing Freud and Lamarck to the Tropics: Arthur Ramos and the Transformation of Brazilian Racial Thought, 1926-1939)という論文は、優生学の流派を、こう解説しています。
ヨーロッパから派生した優生学にはふたつの国際的な分派を産んだ。ひとつはオーストリアの僧侶グレゴール・メンデルから発生したもので、メンデルの優生学はアドルフ・ヒトラーが採用し、望ましくない者の遺伝的痕跡を抹消することで社会に進歩がもたらされるという仮説に立脚していた。
もうひとつがジャン=バプティスト・ラマルクによるもので、後天的に得た特質は生涯続き、以後の世代にも遺伝子を通じて継承されるというものだった。フランスのネオ・ラマルキズム運動は、個人がある特性を完全に身につけて行くことで、社会は進歩し、それが未来へと引き継がれることを主張していた。ラテンアメリカ諸国の優生学は、このネオ・ラマルキズムによって独占された。歴史家によれば、ラテンアメリカのほとんどの知識人たちは、メンデル主義の遺伝決定論に反対した。近代化、進歩、国際化を求めるラテンアメリカ諸国の人びとにとって、人体への絶えざる介入による絶えざる進歩によって、社会の病を治癒することが可能になるというネオ・ラマルキズムの主張は望ましいソリューションだった。ラマルクは進歩の希望を与え、メンデルはその逆だった。
──しかし、本当にすごい時代ですね。後天的に獲得した身体的な特性がそのまま遺伝されるとか、混血の進行が白人化を進めていく、とか。
これは思い切り余談ですが、先の引用にあった、フランスにおけるネオ・ラマルキズムの有力な信奉者のひとりが、実は近代オリンピックの創始者であるピエール・ド・クーベルタンだったそうで、「優生学の芸術:ネオ・ラマルキズムのバイオパワーとバイオカルチャー」(“L’Art eugénique”: Biopower and the Biocultures of Neo-Lamarckian Eugenics)という論文に詳述されています。
──オリンピックがここでも出てくるんかい!と。
はい。自分も調べていて驚いたんですが、クーベルタンは、ラマルクの優生学の考えに則って、「個人がある特性を完全に身につけていくことで、社会は進歩し、それが未来へと引き継がれることを主張していた」わけでして、その「特性を完全に身につけていく」ための人体への介入としてスポーツというものを考えていたというんですね。
──スポーツによって新たな特質を獲得した人間が、より良き社会のモデルとなって、さらにその特質が遺伝されていくことで、「望ましくない身体」がやがて淘汰されていくということですよね。気持ち悪いことこの上ないですが、そういう理念が根底にあったと見れば、IOCがオリンピアンを「エリート」とみなし、それが特殊で選ばれた「ファミリー」なのである、とことさら謳いたがることの意味も見えてきますね。バッハ会長とかは本気でそう思ってそうで、ほんとに気味が悪いです。
よくわかります。
──というわけで、お尻の話からブラジルの歴史を遡ってみたわけですが、その歴史を踏まえた上で、いまの「お尻ブーム」をどう考えるのかとなると、どうなんでしょう。
ブラジルにおいても、あるいは、イギリスなどにおいても、豊尻手術による死者は少なからず出ていまして、先の『The Guardian』の記事も『The Conversation』の記事もそのリスクに対して警鐘をならすものですし、トレンドは移り変わりによってやがて巨大なヒップが時代遅れになれば、また手術が必要になると、『The Guardian』の記事では、整形外科医の方が語っています。
──ですよね。
また、何度も引用させていただいたアルヴァロ・ジャリンさんは、現在のブラジルにおける「美の権利」の推進が国家主導のものではなく、新自由主義的な経済によってドライブされていることにも強い危惧を表してもいます。メディアによる画一的な美の強制と、その自己責任化ということですね。
──美からドロップアウトしても自己責任。いなくなってくれたら、むしろ社会がよくなるというわけですね。最近、ホームレス状態にある人びとをめぐる発言で炎上していた人がいましたが、それと似たような話ですよね。と考えると、いまなおネオ・ラマルキズムの残滓は消えていない感じもします。
はい。ただ一方で、アニッタの話に戻りますと、現在のお尻ブームは、黒人性が強く打ち出されていて、かつ女性の武器でもあることから、それ自体が、男目線(Male Gaze)が規定してきた白人至上主義的な身体観に対するプロテストという意義は強くあるようにも見えます。ただ、結局それ自体が規範となって、女性の身体の画一化をもたらしていくものになるのだとすると、結局は、優生学的な発想がまたぶり返してきてしまうことにもなるのかもしれません。
──今後どうなるんでしょうね。
よくわからないですね。欧米のお尻をめぐる問題は、基本的にやはり人種をめぐるものではありまして、ブラジルの歴史で見たように、ヨーロッパの白人に「醜い」呼ばわりされたことに、苦難の歴史の端緒があるわけですね。それはもしかしたら日本でも同じかもしれず、鹿鳴館に招待されたピエール・ロチが日本人の醜さをディスりまくるという文章があるように、近代化というのはどの地域においても、西欧人に身体的コンプレックスを植え付けられるところから始まったようなところがあるのかもしれません。
日本人がその身体的なコンプレックスを、どう乗り越えようとしてきて、そしていま、どういう状況にあるのかは、まるでわかりませんが、それこそ、いまでいえば、BTSの身体やBlackpinkの身体、あるいは大谷翔平選手の身体が、世界でどういうものとして受け止められているのかを考えて見るのは面白いのかもしれませんね。
──少なくとも「お尻文化」は、日本ではさほど大きな影響力があるように見えませんしね。
そうですね。あと最後にひとつだけ付け加えておくと、先に紹介したクーベルタンに関する論文で面白いのは、クーベルタンがスポーツを通じた身体改造を称揚した際に、写真という新しいメディアが大きな役割をもったとしている点でして、それで改めて思うのは、身体をめぐるポリティクスは、メディアが強く関与するものなのだな、ということです。かつてであれば彫刻や絵画といったメディアが大きな役割を果たしていたのでしょうし、いまでは動画や、あるいはアニメのようなものが大きく関与していますよね。そうしたメディアを通じて、身体をめぐる自己イメージやバイアスが知らず知らずのうちに内面化しているということはあるのだろうな、と思ったりはします。オリンピックは、まさにそうしたイメージの見本市なんですよね。よくも悪くも、ですが。
──変な話になっちゃいましたね。
いや本当に。たまたまなんですけどね。
──あ、最後になっちゃいましたけど。「豊尻」って、なんて読むんですか?
ですよね。わたしもわからなくて調べてしまいました。「ほうこう」と読むらしいです。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも。
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