A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。毎週更新している本連載のためのプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。
An introduction to kudzu
葛のセンスメイキング
──こんにちは。前回はちょっと閑話休題的に、「この連載なにやってるんだっけ?」を振り返ってみましたが、そのおかげで肝心のお題である「葛」についてほとんど触れることができませんでした。今回は、唐突ですが、そこから行きませんか。
そういう約束でしたしね。しかし、「葛がお題」と言われても、日本にいるわたしたちにはまったくピンと来ませんよね。
──英語だと「Kudzu」という表記され、完全に一般名詞化していることを、わたしも初めて知りました。
発音する際には、「カッズー」という感じの音になります。このカッズーがどんな問題になっているかと言いますと、アメリカ南部で異常繁殖していまして、アメリカでは「南部を食い尽くした蔓」や「グリーンモンスター」などと言われ、非常に悪名高いんですね。電柱などを覆い尽くすようにして繁殖しますので、それが怪獣のような不気味な造形をつくり出すことから、モンスターという呼称が生まれることにもなったわけですが、これが生み出す幻想的な光景は、サザンゴシック的な世界観の絶妙な背景画ともなることから、南部の文学的・視覚的イマジネーションの源泉にもなっています。
──それだけ身近なものだということですよね。
はい。完全に風景の一部なんだと、Quartzのポッドキャスト「Obessesion」でも語られています。問題は、それがなぜ、南部アメリカにそこまで浸食するにいたったかという点なのですが、そもそもアメリカに葛が持ち込まれたのは、1860年代のことだそうです。
──日本から?
はい。日本に駐在していた連邦保安官で園芸マニアのトーマス・ホッグという人が持ち帰ったのが最初と言われています。このことからもわかる通り、最初はあくまでも家の前のポーチを飾る新奇な外来種として持ち込まれ、1876年にフィラデルフィアで開催された博覧会で披露されたりしたそうです。その後、1905年にとあるフロリダの農家が、葛を家畜の餌として用い始めたことで、葛は観賞用の園芸植物から、徐々に農産物として認識されていくことになります。
──ふむふむ。
そして1935年に、葛を大規模にアメリカ中に広めることとなる大きな出来事が起こります。
──ほお。なんでしょう。
アメリカの広い範囲で農家が大旱魃や砂嵐に見舞われるんですね。
──おお。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』ですね。
はい。『怒りの葡萄』は、アメリカ中西部で発生した砂嵐=ダストボウルによって農地を追われた農民たちを描いた作品ですが、まさにそうした砂嵐や旱魃が全米で起きたわけですね。これが国家的な惨事となったことの背景には、綿花の過剰生産によって土壌が痩せてしまっていたことがあったそうで、『怒りの葡萄』に即して言えば、さらにその背景には、農業の資本主義化と機械化による、農地の過剰な搾取があったんですね。
──なるほど。
そこで、アメリカ政府は、葛に目をつけることになります。ここで葛が注目されたのは、葛の生育が極めて早いのと、地中の窒素を増やす効果があると見られたからです。
──農地を再生させる効果があると。
はい。そうした目論見から、政府は、1エーカーあたり8ドルの補助金を用意し、ダストボウル・ファーマーたちに葛を植えることを推奨していきます。これが、葛が全米に広まった理由ですが、とりわけ南部は、葛の生育に適した環境だったことから爆発的に広まることとなります。そして次第に南部の生態系を大きく変えていってしまうことになるんです。
──すごいですね。
1935年に支払いが始まった補助金はその後も支払われ続けますが、葛の生産が大きな収益につながるわけでもないことと、想定以上に繁殖が早いことを懸念しはじめた政府は、1945年に補助金を打ち切ります。ただ、その後も葛は繁殖し続け、線路や電柱や他の木々を覆い尽くしていき、政府は1953年になってようやく、葛の栽培を推奨しないという立場を示すこととなりました。
──あらら。
それでも葛は繁殖し続けまして、1990年代には、アメリカ全土のうち700万エーカーが葛に覆われてしまったと言います。これは、約2万8,328平方キロメートルの広さですが、日本の面積が37万7,971平方キロメートルだそうですから、日本全土の13分の1ほどが完全に葛に覆われている計算になります。といってもアメリカは広いですから、それがどれくらいの重大事なのかは、ちょっと感覚的にはわからないところはあるのですが。
──とはいえ、問題なんですよね。
1997年に連邦政府が有害植物と指定して、すぐに取り下げられたそうですが、それでも現在でも13の州では有害指定されているそうです。
──使い道もそんなにはなさそうですしね。
日本では古くから葛はテキスタイルに用いられてきましたし、食用ともされてきましたので、アメリカでも草の根的に、そうした取り組みも出てきているようですが、それが南部を覆い尽くした葛を片付けるほどの産業となりうるのかは未知数です。ただ葛には、アルコール接種を抑制する効果があるとされています。
──葛湯ですね。
Wikipediaを見るだけでも、葛湯には、かなり幅広い薬効があることは見て取れます。
栄養成分は、葛粉による炭水化物と砂糖の糖分がほとんどである。若干のミネラル成分を含むが、ビタミンは含まれない。葛の根(葛根)そのものには、イソフラボン誘導体であるダイゼイン・ダイジン・プエラリンなどが微量含まれており、発汗・解熱・鎮痙作用などがある。初期の風邪の寒気をやわらげ、熱を取り、喉の渇きを癒したり下痢などにも効果があるといわれ、民間療法として伝統的に用いられている。また、近年では、イソフラボン誘導体が更年期障害、骨粗鬆症、糖尿病、乳癌、子宮癌、および前立腺癌の治療もしくは改善に効果があるといわれる。
──葛、なかなか優秀ですね。
そうですね。漢方で言いますと、葛根湯が、読んで字の如し、葛から取られるものです。
──言われてみればそうですね。
ちなみに日本でも、葛は森林自体を枯死させてしまう可能性のある植物とされてはいまして、除草剤を用いて除草が一般的に行われているようですが、その一方で、葛などが構成する「マント群落」には、「森林(特に社寺・屋敷林のような小面積のもの)の周辺・露出した裸地・斜面などを覆い、風や直射日光を防ぎ、土砂の崩壊を抑える役目を果たしており、特に森林内を自動車道路が貫通するような場合などは、クズなどを含むマント群落植物が道路周辺にあった方が森林を保護する効果がある」との記載が、Wikipediaに見られます。
──なるほど。一筋縄ではいかないですね。
面白いですよね。葛をお題にしたポッドキャストでは、葛の歴史から学ぶことのレッスンは何であるかが議論されていまして、ある課題を解決するためのソリューションが、別の問題を引き起こしてしまうことんついて、よくよく考えて肝に銘じておく必要がある、と語られます。これは気候変動対策を考える上でも極めて重要な論点だとされています。
──たしかに。
葛は、地中の窒素も回復するし、家畜に食べさせるにももってこいだし、見た目もかわいいし、といいことづくめのように当初は思われたわけですよね。21世紀のいまから見ると、なんて愚かな、と思ったりしてしまいますが、当時の時点で、それがもたらす結果を予測することは、おそらくとても困難だったのだとは思います。ただ、やっぱり人間は、目先の症状を緩和することに目がいってしまいますし、まずはそれを緩和しないと、とどうしても思ってしまうものなのだな、とも感じます。
──と言いますと。
もちろん、こういう言い方は、結果論でしかないずるい物言いではあるのですが、そもそもの原因が、綿花の過剰生産にあり、さらに、その背後にあった農業の機械化と大資本化にあったのだとすると、本当はそこに手を入れない限り、事態の根本的な解消にはいたらないようにも思うのですが、そこに目を向けて、そこに手を入れようとは、やっぱりなかなかならないんですね。
──そうですよね。目の前に困窮している人がいたなら、素早い応急処置は当然必要になります。
ただ、それが治療のすべて、ということになってしまうと、場当たり的な治癒ばかりになって、全体性の回復からますます遠ざかってしまう、ということもあるのだろうな、と思ってしまったりします。
──難しいですよね。葛も増えすぎると有害になりますが、完全に除去してしまえば、土砂の崩壊を招くリスクが高まってしまう。要はバランスって話になりますよね。
さらに葛について注目すべきは、それがアメリカ南部に固有の風景をもたらし、それが南部の人たちのアイデンティティに深く根ざしてしまっているところです。必ずしもみんながそれを誇りに思っているわけではないのですが、愛憎半ばするような感情を抱いていると言うんですね。ポッドキャストにはジョージア出身の記者さんが登場しますが、彼女がいうには、葛は鬱陶しいし迷惑なんだけど、それがない故郷はイメージできないといった感じなんだそうです。
──厄介ですね。
『Smithonian Magazine』に、ビル・フィンチという南部出身のナチュラリストが寄せた「葛の真実:南部を食べ尽くすことのなかった蔓」(The True Story of Kudzu, the Vine That Never Truly Ate the South)という面白いコラムが掲載されていまして、葛が南部を食い尽くすモンスターであるというナラティブに異を唱えています。フィンチは、どのように葛が南部人の心理において内面化されているかを、こんなふうに語ります。
多くの人にとって、葛をめぐる目を奪うような描写は、フロリダにおける椰子や、アリゾナにおけるサボテンのように、単に風景を象徴するイメージでしかなかった。しかしなかには葛に物語を見出す者たちもいた。それは、葛は南部を覆う奇妙な絶望感の象徴であり、その美しく旺盛にもつれあった蔓から南部は決して逃れることができないのだと語りかける。『カラーパープル』の著者アリス・ウォーカーは、1973年にミシシッピに関する記事の中で、「人種差別は、森や廃屋を丸ごと飲み込んでしまう葛の蔓のようなもので、根を引っ張り続けていなければ抜き取るよりも素早く生えてくる」と書いている。南部のドキュメンタリー番組で繰り返し登場する、葛に覆われた車や家の写真は、この地を覆い尽くす貧困や敗残を表象する。
南部の人びとのなかには、こうした痛々しいイメージを前に、逆に葛を不屈の精神の証として誇らしげに身につける人もいる。見捨てられた農地や家屋、廃墟を包み込むように繁茂する葛に、倒錯的な喜びを見出す人もいる。いまでは、Kudzuブランドの文芸批評、文学祭、回顧録、漫画、イベントなどもある。『Kudzu: A Southern Musical』というミュージカルは全米中で公演された。南部には「葛」の名を冠したカフェ、コーヒーハウス、ベーカリー、バー、シーフードレストランやお酒のブランドなどが見出すことができ、その多くはアトランタを拠点とする「Kudzu.com」で簡単に検索することができる。
──なるほど。
ただ、フィンチはこの後に、葛をめぐるこうした「神話」は、たしかに南部を覆い尽くしているけれど、葛が南部に文字通り「食い尽くされている」という神話には科学的根拠が乏しいとしていまして、先に紹介した「葛がアメリカの700万エーカーを浸食している」という数字も、実は出典がよくわからないのだとしています。
──面白い。南部が危険な植物に浸食されているという物言い自体が神話である、と。
フィンチはこう書きます。
葛は、現代の南部の人々が最も慣れ親しんでいる風景、つまり車窓から目に映る道端の景色のなかで最もよく育つ外来種だった。時速65マイルで走っていても目立ち、複雑で判読できない風景の細部を、一見まとまった一つの塊のように見せてしまう。そして、視界のすべてを覆っているかのように見えるため、道端の一面の緑のスクリーンの背後で別の植物が消えたとしても気づく人はほとんどいない。
それこそが葛がもたらす真の脅威なのだ。私たちの葛への執着は、本当の南部を覆い隠してしまう。葛は、郊外のスプロール化や、密集して育つ攻撃的なコゴメグサや低木のプリベットといった、より破壊的な外来植物がもたらすよりより深刻な脅威を覆い隠してしまう。さらに重要なことは、南部のランドスケープの豊かさを覆い隠し、その多様性を一面的なメタファーへと還元してしまうのだ。
──なるほどなるほど。フィンチによれば、例えばQuartzのようなメディアが葛をめぐる従来のナラティブを踏襲しながら、こうした記事化していけばいくほどに、「南部が食われている」という神話が強化され、南部の景色とイメージを、どんどん一面的に固定化していくことになるわけですね。
蔓がアメリカ全土に広まっていくにあたって、非常に強力なドライバーとなったのは、ラジオだったと言われていまして、とりわけチャンニング・コープという人の番組が絶大なる影響力を誇ったと言われます。フィンチはこう指摘しています。
多くの歴史家は、人気ラジオ番組の司会者であり『Atlanta Constitution』のコラムニストであったチャニング・コープが、最終的に葛をアメリカの農地に根付かせたと考えている。コープは単なる支持者ではなかった。文化地理学者のデレク・アルダーマンに言わせるなら、彼は「伝道師」だった。コープは葛の有用性を宗教のことばを用いて説いた。彼は放送のなかで、葛は不毛の南部の農場を「復活」させると宣言し、南部には何十万エーカーもの農地が「奇跡のつる植物による癒しを待っている」と語ったのだ。
──まさにナラティブの力ですね。南部は敬虔なクリスチャンが多いと言われますから、響くものがあったんでしょうね。そして、それが時間を経て南部を覆い尽くすと、こんどは貧しい人たちや人種的抑圧を受けている人たちから、その抑圧の象徴や、約圧に対する不屈の象徴として葛が語られるようになる、と。それぞれの時代において、葛の表象が変化していくんですね。
興味深いですよね。ここでのさらにひとつ学びがあるとするなら、科学的な知見は必ずしも社会を動かす大きな力にはならないということでもあるかもしれません。葛の推進において政府が期待した「葛が地中の窒素を増加させる」という科学的知見は、「復活」「奇跡」といったナラティブに埋め込まれてこそ説得力が増す、ということを、ここまでのお話は教えてくれているようにも思います。
──これがネガティブな影響力を持ち始めると、いわゆるフェイクニュースや陰謀論がはびこることにもなるのではないかと思いますが、陰謀論の特徴は、たしかにディテールにおいては科学性や数字にこだわったりすることかもしれません。
つい最近知って面白いなと思った事象がありまして、それは、TikTok上で「#Witchtok」というハッシュタグがアメリカでものすごい勢いをもっているというものです。つまり魔女、魔術、呪文、タロット、占星術、数秘術といったオカルト/スピリチュアル/神秘主義的題材をモチーフとしたアカウントや動画が大量につくられ、しかも大量に視聴されているそうなんです。これは昨年末くらいから勃興したトレンドらしいのですが、大手メディアなども取り上げています。
──へえ。面白い。世界が中世化しているということは、この連載でも何度か指摘されてきたことですが、まさにそれを地で行くような現象ですね。
はい。『Financial Times』『The Conversation』『The Spectator』『The Washington Post』などが記事化していますが、すべて2021年に配信されたもので、直近ですと、この11月に配信されたものもあります。
──いままさに盛り上がっているところなんですね。
それぞれのメディアから、ざっと概要を拾っていくとこんな感じです。
- ソーシャルメディアデータや購買データ、さらに専門家の証言は、現代の若者が、異教の神や女神だけでなく、キリスト教やイスラム教など数千年の歴史をもつ宗教に登場する聖人、天使、悪魔、さらには超自然と多様な意識の形態とその力に対して深い関心を寄せ、オープンであることを示している。アメリカの若者の多くはスピリチュアルなものを求めている。ただし、彼らが畏敬の念や高次の真実を求める場所は、既存の宗教組織や教育機関ではなく、自然や自分自身の中である。(The Washington Post)
- 若者の魔術の概念は高速で変容し増殖する。ヒップスター魔女、エクレクティック魔女、コズミック魔女、グリーン魔女など次々と生まれでる。セルフケアのための魔術もあれば、政治的な主張のための魔術もある。Urban OutfittersやSephora、Barnes & Nobleなどの大手小売店では、魔女のための化粧品や本、クリスタルなどを手軽に購入することができる。(The Washington Post)
- キングス・カレッジ・ロンドンの神学・宗教学リサーチャーであるサラ・ハーヴェイは、「激動の時代はスピリチュアル運動を生み出す」と語る。「最も直近のスピリチュアリズムの黄金時代は、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にありました」と彼女は言う。(Financial Times)
- 魔術の勃興がパンデミックと並走して起きるのは、これが初めてというわけではない。17世紀のアメリカでは天然痘が流行した際に、大規模な魔女ヒステリアが発生した。セーラムの魔女裁判の背後には、ライ麦エルゴという幻覚を引き起こすカビの大発生があったと言われる。このカビによって人びとが「取り憑かれた」と考えられたのだ。(The Spectator)
- 伝統を重んじる人たちは嘲笑するが、魔術は若者たちが混沌とした世の中でコントロールを取り戻そうとする手立てとなっている。昨年、このトレンドが登場したときには、癒しの呪文、安全のための呪文、より良い世界を実現するための呪文などが氾濫していた。(The Spectator)
- WitchTokersは温室効果ガスの排出の「ネット・ゼロ」を目指す活動にも共感を示している。自然の力を信じ、視聴者にオーガニックな生活、環境への配慮、過剰な消費をしないように呼びかけている。(The Spectator)
──感覚的にはなんとなくどういうノリなのかはわかってきました。それこそ以前ここでも紹介しましたが、メディア美学者の武邑光裕先生が、グレタ・トゥンベリさんを「北欧神話の巫女」だと喝破したことを重ね合わせると、気候変動世代ともいえるZ世代の感受性の、ひとつの必然的な発露として、魔術やスピリチュアリズムに傾斜していくのもなんとなく見えてきますね。もちろん、魔術がデフォルトのものとして扱われる「ハリー・ポッター」以降のポップカルチャーの影響もあるのだとは思いますが。
魔術が当たり前に存在する中世的世界観は、ゲームの世界やハリウッド映画でももはや当たり前で、どちらかというマーベルコミックの世界では、「スーパーパワーをもっていない」ことがあえて強調される必要があることは、先日公開されたばかりの新ドラマ「ホークアイ」を見て感じます。魔法や超自然的な力のほうが、すでにデフォルトなんですよね。「The Washington Post」は、そうした感受性をもったオンライン魔女のひとりヴィヴ・ベネットに密着した記事「ティーンエイジ魔女:呪文からポッドキャストまで」(Teenage witch: From spellcasting to podcasting)を配信していますが、そのなかで、彼女のことばをこんなふうに紹介しています。
現代の若い魔女たちの語ることばは、セルフヘルプと祈りとセラピーを掛け合わせたもののように響く。「魔術はわたしを人間的に成長させ、困難に対処するために必要なマインドセットをもつことを教えてくれました」とベネットは言う。この記事のためにインタビューした、魔術を実践するほかの10代の若者たちも同様にセルフエンパワーメントに重きをおいている。彼女たちは、魔術は自分の意志を集中させるのに役立つと口を揃える。自然界にあるものを利用して、自分のエネルギーがより高次の何かとつながっている感覚を得ることができるのだという。
──魔術が宗教的な何かというより「セルフヘルプ」「エンパワーメント」という文脈において理解・認識されているのが、いまっぽいですよね。
はい。で、ここから先の葛のナラティブの話に少し戻るのですが、記事ではベネットさんの科学との向き合い方も語られるのですが、これも非常に「いまっぽい」感覚なのではないかと思います。
彼女は、魔術が科学と対立するものだとは考えていない。ベネットは科学の授業を取っているし、アンチ・ワクチンにも反対だ。その一方で、お守り袋がどのように悪夢を防ぎ、光の女神ヘカテがなぜ他人の嘘を暴くことができるのかを、科学的に知ることには関心を寄せない。
「すべてが科学的である必要はないと思います。それが真実であったり、役立ったりする上で、科学的かどうかは前提条件にはなりません」とベネットは言う。「すべては科学的に検証されてきたという考えもありますが、すべてが経験的なレンズで測られる必要はないと思います」
──面白いですね。実証科学に対して真っ向からの不信があるわけですね。
はい。とはいえ全面否定をするわけではなく、適材適所だろう、という感じなのではないかと思います。また、こうした科学不信は、必ずしも科学そのものに対する不信というよりは、それを管理・支配している機構や組織体への不信が折り重なっていまして、このことは、フェイクニュースの問題において、頻繁に語られることでもあります。例えば、ヒップホップのアーティスト、トラヴィス・スコットが主催した音楽フェス「アストロワールド」で、観客が将棋倒しとなり、複数人が死亡、数百人の負傷者が出ましたが、その事件を受けて、「実はあれは事故ではなく、悪魔への人身御供の儀式だった」という陰謀論が大量に拡散され、そのことも大きなニュースになったのですが、それを報じた『The Guardian』の記事「アストロワールドの惨劇が、TikTokで広がる悪魔にまつわる陰謀論に燃料を注いでいる」(Astroworld disaster fuels wave of satanic conspiracy theories on TikTok)はこう書いています。
馬鹿げた主張であるにも関わらず、この説は着実に広まり、「アストロワールド 悪魔」、「アストロワールド イルミナティ」「アストロワールド 逆さまの十字架」などのキーワードが、その他の事件関連のキーワードと並んでトレンド入りした。
こうした状況について専門家は、デジタルサヴィな「ネイティブ世代」の評判とは裏腹に、若いソーシャルメディアユーザーがますます偏った陰謀論に影響を受けやすくなっていることを示している、と指摘する。シラキュース大学でソーシャルメディアを研究しているジェニファー・ストローマー・ガレー教授は、「ソーシャルメディア上の陰謀論者は年配者だと思われがちですが、むしろ若者のほうがある意味ではより影響を受けやすいんです」と語る。(中略)
1996年以降に生まれたZ世代は、ミスインフォメーションがもたらすリスクをより多く負っている。Z世代は、旧来の世代に比べてニュースメディアや政府といった、伝統的な機関・組織への不信感が極めて高く、同時にニュースの入手先が前世代と比べて著しくソーシャルメディアに偏っている。
──よくもまあそんな戯言を信じるよな、と思ってしまいますが、そうも笑ってはいられないということですよね。
ウェスレイヤン大学の人類学教授で偽情報・誤情報の研究家であるジョン・ルッソは、こんなことを語っています。
「すべてが混沌として、なにひとつ意味を見いだせないと若者が感じているような世の中にあって、陰謀論は、ある意味安心を与えてくれる毛布のようなものなのです。いくら混沌としているように見えても、その毛布をめくってみるとそこに秩序があるのだと教えてくれるからです」
──これは先に、魔女に関する記事における、「魔術は若者たちが混沌とした世の中でコントロールを取り戻そうとする手立てとなっている」という記載と、完全に同じことを言っていますよね。つまり、混沌を生き延びるためには、なんらかのやり方で、そこに意味や一貫性を見出すことを人は求めるということですよね。
はい。これもつい最近配信されたNetflixオリジナルの韓国ドラマ「地獄が呼んでいる」がまさに扱っているテーマで、説明できない不条理が社会全体を覆ったときに、それを説明するための「わかりやすい説明」が必要になるという問題を扱っています。
──あ、そうなんですか。『新感染:ファイナルエキスプレス』のヨン・サンホ監督の新作ということで、モンスター襲来ものかと思っていたんですが、違うんですね。
モンスターはただの設定で、本題は、実際は宗教なんです。あまり話すとネタバレになるのでやめて起きますが、なんにせよ、人は自分が生きている現実を「メイクセンス」させたい生き物なんですね。
──メイクセンス、ですか。昨今のビジネス界では「センスメイキング」なんていうことばがよく使われ、「意味づけ」みたいな意味で使われるみたいですが。
ビジネス用語になった途端、なんでも浅はかな感じになるのは、このことばについても同様ですが、おはいえ、このことばは特定の用法をもったことばでもなく、もうちょっと広い意味で一般的に使われるものなんです。ささいな日常会話でも、ちょっと混乱したときに「意味わからん」「筋が通らない」と言いますよね。英語で「メイクセンスしない」というのは、そんな感じなんです。混沌とした社会というのは「なんでこんなことになっているのか」がもはや誰も説明ができない状態だということですが、それを例えば「悪魔のせいだ」「神様のご意志」だと説明することで、そこに一貫性が見出されることが人によっては起こるわけでして、そのとき、その説明は、その人のなかで「メイクセンスした」ことになるわけです。陰謀論も、それを信じる人に取っては完全に「メイクセンス」しているわけです。
──とすれば、「メイクセンス」してしまうことは、必ずしもいいことばかりでもなさそうですが、どうなんでしょうね。
まさにこれは諸刃の剣なんだと思うんです。安心して生きて行くためにはある程度、自分が生きている社会がメイクセンスしていないといけませんが、それを無理矢理メイクセンスさせようとすると、現実がどんどん虚構化していくことにもなります。といって、「フィクショナルではない現実」なんていうものが本当に存在するのか、という話になるとかなり深遠な哲学的命題になってしまいますので、わたしなんかの手には負えませんが、その手前でかろうじて何か言えることがあるとすれば、わたしたちはどうしたって「メイクセンス」を求めてしまうということを認識しておくということが大事なのかもな、といったことくらいでしょうか。かつて音楽家のデイビッド・バーンが「ストップ・メイキング・センス」、つまり「センスメイキングをやめろ」と歌ったのは、その前提に立った上でのことだったはずです。
──ああ、懐かしい。でも、そう言われると、なかなか深いですね、ストップ・メイキング・センスって。
昨今のオカルトブームに乗っかってのことなのかわかりませんが、『The New York Times』は書評欄で、ゴシック、ウィッチクラフト、タロットを主題にした3冊のビジュアルブックを紹介していまして、それにとてもいいことが書いてありました。『TAROT FOR CHANGE :Using the Cards for Self-Care, Acceptance, and Growth』というタロットに関する本について書いた箇所です。
──タイトルからして、今日の話題にピッタリの本ですね。サブタイトルが「セルフケア、寛容、成長のためのタロットカード」。
書評している方は、文章の最後でタロットの効能に疑義を呈しながら、こう述べています。
自分の偏見について白状しておくべきだろう。目を奪うようなタロットの絵柄は大好きだが、過去に自分が引いたカードが、ただのありきたりな偶然を超えた理由から、私の目の前に現れたと信じてはいない。にも関わらず『TAROT FOR CHANGE』は、その寛大で実用的、親切でいてラジカルなアドバイスをもってわたしを魅了した。著者のドーアは、弁証法的行動療法(彼女自身は心理療法を行ってはいないが)の原則を繰り返し引用しながら、複数の、それもときに明らかに矛盾した真実を同時にもっておくことの重要性を強調する。彼女は「パラドックスを自身のうちに携えておくことは、タロットが教えてくれる一貫したレッスンである」と書く。その存在のすべてが善であったり、悪であったりするようなものは存在しない。怪物であっても、魔女であっても、自分自身でもあっても。
──ああ、いいですね。「複数の、それもときに明らかに矛盾した真実を同時にもっておくこと」。
いいですよね。そう考えると、先に紹介したティーンエイジ魔女は、かなりいい線行ってるように思えてきます。何かを信じることで、何かを駆逐しようとすると必ず無理が生じるということなんでしょうね。
──葛がいいからって、全部いいわけじゃない、と。
いいこともあるし、悪いこともある。
──言われてみりゃそりゃそうなんですけど、忘れてしまいがちです。
ストップ・メイキング・センスは、そういう意味でも、実にいい戒めです。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも。