Guides:#92 フィギュアスケートの包摂性

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A Guide to Guides

週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。毎週更新している本連載のためのプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。

Image: Giphy/USA Hockey

A beginner’s guide to Zambonis

フィギュアの包摂性

──お疲れさまです。お元気ですか?

疲れが溜まってしまっててちょっとサボりモードです。

──仕事が溜まっているって聞いてますよ。

そうなんです。あれこれテキストをまとめたりしないとなんですが、どうも体が動かず。

──それでも、この連載は休まないんですね。休まれたら困りますが。

本当は、北京五輪を見届けたら一度お休みにしようと思ってはいたのですが、せっかく出来上がった習慣をやめるのもなんだかもったい気もしています。そんな理由で続くのも、読者のみなさんにとってはいい迷惑かもしれませんが。

──最近は何か面白いことありましたか?

これといってないですが、Netflixで配信がスタートしたイェことカニエ・ウェストのドキュメンタリー作品「Jeen-Yuhs:カニエ・ウェスト3部作」が、素晴らしくてちょっと感動してしまいました。まだ第1部が出ただけですので、今後どうなるかわかりませんが。

──いいんですか。

この作品の何がすごいって、カニエが売れる前から、ずっと密着撮影が行われていたという点でして、シカゴでトラックメイカーとして名が知られ始めたカニエが、ラッパーになるべくニューヨークに移り住むところから、本作の監督であるクーディ(Coodie、本名:クラレンス・シモンズ)という人物が、ずっとカメラを回しているんです。

──売れるかどうかわからないのに。

そうなんです。このクーディという人は、元々シカゴでスタンドアップコメディアンをやっていた人なのですが、「カニエという人物の人生の道行きを撮っておかないといけない」と決断して、カニエを撮影するためにコメディアンとして受けていたテレビの仕事を辞め、シカゴから一緒にニューヨークに移り住むことになります。なので、第1部は、カニエがレコード会社に飛び込みで営業に行って、秘書のお姉さま方に冷淡にあしらわれて、カニエが凹む、といった普通はまず映像として残らないようなシーンがたくさん出てくるんですね。

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──カニエが有名になったいまとなっては価値ある映像なのでしょうけれど、その時点では撮る価値があるのかどうかわからないものですもんね。普通、そこでカメラ回っていることってないですよね。

そうなんです。であればこそ、やっぱり、この作品は、カニエに惚れ込んだことから、映像の仕事へと転身することになった監督のクーディの物語でもありまして、のちにミュージックビデオの監督として成功を収めることとなった自分自身の人生が、カニエの人生と二重写しになっているのが、このドキュメンタリーの面白いところなんです。クーディ自身がナレーターも務めているだけでなく、自身のバックストーリーも多少語られるのですが、それがものすごくいいんです。

──成功物語でもありつつ、カニエとクーディの友情の物語でもある、と。

第1部はカニエがレコード会社と契約を結ぶところで終わっていまして、そこからカニエは一気にトップスターになっていきますが、そこで実はクーディ監督との縁が切れるそうなんです。この作品は雑誌『TIME』の映像部門「TIME Studio」がプロデュースした作品なのですが、そのTIMEが「20年かけて完成したカニエのドキュシリーズの舞台裏」(The Inside Story Behind the Kanye Docuseries Two Decades in the Making)という記事を公開していまして、カニエとクーディの関係をこんなふうに書いています。

シモンズは、ウェストのキャリアが離陸するにあたって重要な役割を果たした。シモンズは、その人脈を生かして、ウェストの初期のヒット曲に用いられたR&B曲のサンプリングの許諾取得に手を貸し、本作の共同監督でもあるチケ・オザー(Chike Ozah)とともに彼の最初のミュージックビデオ「Through the Wire」を監督した。ウェストはレコーディングする代わりに、曲のアイデアをシモンズのカメラに向かって直接ラップし、その映像を使って曲を仕上げていった。「やり切れなかったですよ」とシモンズは振り返る。「ジェイ・Zとその仲間たちはスタジオで曲づくりをしているところ、なんでカニエが、こんなところでカメラに向かってラップしていなきゃいけないのか、って」。

ウェストの執念は結局実を結び、彼はすぐにトップへと上り詰めた。しかし、名が売れるとカニエはシモンズとのパートナーシップを捨て、ハイプ・ウィリアムスなどより実績のある映像作家と組むようになった。グラミー賞のアフターパーティーで、酔ったウェストがシモンズの名を呼び間違えるシーンがある。「彼がぼくをディスっている映像は、本当は誰にも観せたくないものだった」とシモンズは語る。「気分が悪くなるからね」

──やっぱり関係自体は長続きはしないんですね。

そうなんです。すっかり疎遠になっていた時間があるそうなので、制作に20年かかったと言っても、20年間ずっとそばで撮影をし続けたものではないので、その空白の時間がどう描かれるのかは見ものなのですが、カニエと疎遠だった時間のなか、完全に縁が切れていたのかというとそうではなく、クーディ監督は、カニエのお母さんのドンダさんとは、つながりがずっとあったそうなんです。

──『Donda』はカニエ・ウェストの最新作のタイトルですが、あれはお母さんの名前だったんですね。

はい。このお母さんというのがですね、第1部の影の主役といっていいくらいの素晴らしさでして、とにかく優しく大らかなお母さんなんです。先の『TIME』の記事はこう書いています。

デビュー前のウエストの可能性を心から信じていた数少ない人物のひとりが、母親のドンダだ。彼女は『Jeen-Yuhs』のなかで、知恵に満ちた助言と尽きることのない愛情をもって、息子にひらめきと安らぎをもたらす守護者として登場する。ウエストの最新アルバム『Donda』以上に、このドキュメンタリーは、息子の創造性、獰猛性、そしてそのハスラー的アプローチに、彼女が与えいまも与え続けている、計り知れない影響を明らかにしている。

また、クーディとの関係についてもこう触れています。

カニエと距離ができていたにもかかわらず、ドンダ・ウェストはシモンズを気にかけ、仕事を与えたり、クリスマスに招待したりした。しかし、2007年、彼女が手術後の合併症で亡くなり、カニエだけでなく、シモンズも大混乱に陥った。シモンズは涙を流しながら、彼女の葬儀のための追悼ビデオを制作した。

──カニエが母親に強い愛着をもっていたことは知られていますが、かつての友人・同志だったクーディ監督にとっても、ドンダさんは大きな存在だった、と。

それが映像にもよく出ていて、ドンダさんがにこにこしながらデビュー前のカニエの曲をラップしたり、息子の自意識過剰を諌めたりするシーンは、それだけで泣けてくるほどでして、これを観た知人は、この映画のドンダさんの姿は「すべての子育て世帯が観るべき」と語っていたほどですが、それくらいのインパクトが、本当にあるんです。

──子育て世帯は観ないと思いますけどね(笑)。

もったいない話です。

──いずれにせよ、今後作品として、どう完成されていくのか、興味深いですね。

問題児カニエを面白おかしく描いたというものではなく、監督の当事者性が極めて高く、ある意味とてもパーソナルな映像作品であるところが非常に面白く、キャリアの途中からカニエがどんどんわけがわからなくなっていく過程のなかで、そうした感覚がどのように2部、3部へと引き継がれていくのかがとても楽しみです。

──いいですね。2部が2月23日、3部が3月2日配信、みたいですね。

宣伝みたいになってしまいましたが。

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──それ以外で何か気になっていることはありますか?

どうでしょう。毎度オリンピックネタで恐縮ですが、修羅場と化した女子フィギュアスケートは、そこまで詳しくは追っていないのですが、大変そうだな、と思ってみていました。

──わたしも他人事みたいな感想しかないのですが、本当にもうオリンピックというものが、選手たちを不幸にする元凶だとしか思えなくなってきます。

わたしも今回のオリンピックで問題が起きるたびに、かつてレーガン元大統領が、行政府というものについて語ったとされることばを思い出しています。「行政府は問題に対するソリューションではない。行政府こそが問題なのだ」というものですが、「行政府」を「オリンピック」に置き換えると、もうまさにいまのオリンピックの体たらくを表しているように感じます。

──スポーツで平和を、調和を、と言いながら、それを壊す要因にしかなっていないということですよね。

で、そこに本当に年端もいかない若者が、使い捨ての駒として放り込まれるわけですね。オリンピックなんてものがなければ、選手たちももう少し伸び伸びとスポーツを楽しめるのではないかという気がとてもするのですが。

──まあ、でも、そうは考えないスポーツ関係者がほとんどなんでしょうね。

今回のワリエワ選手のドーピング問題につきましては、『The Washington Post』の名物記者サリー・ジェンキンスさんが、いつものごとく猛々しく吠えまくっておりまして、彼女はワリエワ選手を擁護しながら、返す刀で、WADA(世界ドーピング防止機構)と、その元々の親分であるIOCを切り刻んでいます。ジェンキンスさんの怒りの声は、いつも興味深いものですので、ざっと論旨を見ておきたいと思います。

15歳の名匠カミラ・ワリエワの犯罪は、アンチドーピング運動にかしずくエセ純粋主義者たちが「ゼロトレランス(zero-tolerance)」の名の元に長年手を染めてきた道徳的災厄の帰結である。それは罪のない人物に呪いを課した。ワリエワを見てみよ。よく見るがいい。彼女の演技に、淡々とした優美さと純粋な偉大さ以外に何を見出せるというのか。(中略)

WADAはこの件に関して、まるで毛糸をぐちゃぐちゃに絡めてしまった猫のように、矛盾だらけの論理の糸をぐちゃぐちゃにしているだけだが、問題があるというのなら、彼女ではなく、自分たちのシステムを問題にすべきだ。ここまでの経緯をざっとおさらいすると、ワリエワ選手は昨年12月25日に薬物検査のサンプルを提出している。それはストックホルムのWADAラボに送られ、10日以内に分析されるはずだった。しかし、謎なことに検査には2カ月近くもかかり結果が出たのは彼女がオリンピックで滑り終えた火曜日だった。これこそすっかりお馴染みとなったWADAの怠慢(もしくは政治化)の典型であり、アスリートたちが何年も前から問題視してきたものだ。(中略)

にもかかわらず、純粋主義に奉じる奇人たちとロシアを敵視する陣営は、ワリエワを世界的な犯罪者として喧伝し、WADAとIOCは何重もの停止措置でワリエワと現場全体を混乱に陥れた。WADAとIOCは「疑わしきは罰せよ」という方針を選手個人に押し付け、あたかも倫理的であるかのように振る舞う見せかけの組織であり、こうした問題を解決することができない。このシステム自体が、本来の違反行為よりもはるかに醜悪な腐敗のワンダーランドであり、WADAとIOCとずぶずぶの取引関係にある独裁者たちの意のままなのだ。ゼロトレランスとは、アスリートの過ちを許さないということを意味しているが、それはすなわち、WADAに一切の過ちが許されないということを本来は意味しているはずだ。

──舌鋒鋭いとはまさにこのことですね。吠えまくりです。

この方の罵詈雑言を訳すのはほんとうに楽しいのですが、彼女がここで語った通り、この間よくわかったのは、IOCだWADAだといかにもご大層な「国際機関」が、実際はただ「やってる風」を装っている「見せかけ」のものにすぎないという推測はどうやら本当にそうなんじゃないかということで、ジェンキンスさんは、ずっと、こうしたスポーツ組織の“はりぼて感”を問題にしてきているわけですが、もういい加減、世の中的にも愛想を尽かしていいと思うんですよね。ジェンキンスさんも、一生こうやって吠え続けるのかと思うと、気の毒にもなってきます。

──やりがいはありそうですが。

というわけで、オリンピックの話題は、もう基本が堂々巡りですのでこの辺でやめて、今回の〈Weekly Obsession〉に話題を移したいのですが、これが実はスケートに関する話題なんですね。

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──あ、そうなんですね。

とはいえ、US版のQuartzとしてもフィギュアスケートの話を、ここで正面から取り上げるのもなという感じがきっとあったんでしょうね、だいぶヒネって「ザンボーニ(Zambonis)」というお題が選ばれています。

──ザンボーニ? なんすか、それ。

わたしも実ははじめて知ったのですが、これ、スケートリンクの整氷をやる乗り物のことを指すんですね。

──はあ! たしかに見たことありますが、話題にしたことはおろか、考えをめぐらせたことすらないです。すごいすね。あれ、名前があるんですね。

そうなんです。簡単な概要からいきますね。

アイススケートをしたことがある人なら、氷の表面の滑らかさで滑り心地がどれほど違うかわかるだろう。氷上の凸凹や他のスケーターがつくった溝や傷は、真っ直ぐ滑ることも曲がることも難しくする。スピードを出そうとすれば危険さえ伴う。9人の仲間と小さなパックを追いかけるとなれば、なおさらだ。

そこに現れたのがフランク・ザンボーニだ。彼は、もともと手作業で90分もかかっていた整氷を機械化できることに気づいた。フランクは数年かけて自分の発明を完成させ、アイスリンクが安全にプレーできるようになるまでの時間を、少しばかり短縮するマシンを生み出した。

スポーツテクノロジーのイノベーションのなかで、ザンボーニほどのゲームチェンジャーは他にない。

──ザンボーニってのは人の名前なんですね。

はい、イタリア系移民で、1949年に最初の「ザンボーニ」を製造したそうです。ちなみに、この正規名称は「ice resurfacing machine」で、日本語だと「整氷車」と呼ばれるようです。『Mental Floss』というメディアが、このマシンができるまでの経緯を簡潔にまとめていますので、見ていきましょうか。

──いいですね。こういう創業物語は、どんなものであれ、楽しいですよね。

南カリフォルニアの自動車修理工場で共に働いた後、フランクは弟とともに、酪農家向けの大型冷凍装置の製造・設置を専門とする電気サービス業を開業した。ザンボーニ夫妻はさらに青果業界の需要に応えるべく、輸送中の腐敗を防ぐためのブロックアイスを製造する工場を建設し事業拡大を図ったが、冷凍技術の向上によりブロックアイスの需要が減り始めると、ザンボーニ兄弟は製氷の専門知識を活かし、フィギュアスケート人気の高まりに乗じて1939年にカリフォルニア州パラマウントにアイスランド・スケートリンクをオープンさせた。

800人ものスケーターを収容するリンクの氷の表面をきれいにしておくのは、手間暇がかかる。アイスランド・スケートリンクの従業員は、トラクターに引かれたスクレーパーの後ろを歩きながら、削りカスをすくい上げ、氷に水をかけ表面を固めていた。ザンボーニのウェブサイトによると、この作業には1時間以上かかった。もっといい方法があるはずだとフランクは考え、それは正しかった。

ザンボーニの初期のプロトタイプのほとんどは、戦争で余った部品でつくられた。ザンボーニは、1949年にパラマウントでダグラス爆撃機の油圧チャンバーを用いて製作した「モデルAリサーフェーサー」の特許を申請した。このマシンの外観は、61年の歳月を経てもそれほど変わっていない。

──カリフォルニアで発明されたというのが意外ですね。

フィギュアスケートがアメリカ全土で広まったのは、19世紀半ばくらいからだそうでして、それというのも、スケートリンクが老若男女、貧富にかかわらず楽しむことができる、新しい社交場として広く支持されていたからだそうなんです。『Curbed New York』というメディアの記事によると、マンハッタンの59番街と5番街の交差点の近くにあったスケートリンクは、当時のニューヨークで一番ファッショナブルなスポットだったそうなんですね。記事はこう書いています。

アイススケートは、独身男女が付き添いなしで一緒にできる唯一の遊びだった。公園では、「片腕に2足のスケート靴、もう片腕に花束を持った紳士を見るのはよくある光景だった」と『Times』紙は書いている。スケートはまた、月夜の晩のカップルの接近を便利にしていた。男性はしばしば女性の足首の輝きや、スケート靴を結ぶ際に「バルモラル(下着)の裾」を拝むチャンスも手にした。健康的で魅力的な女性たちは、未来の奥方候補とみなされた。1866年のガイドブックには、「多くの若者がセントラルパークで失恋し、スケートで結婚した」と書かれている。

記者たちは、氷上の「かわいい女性たちのきれいな脚」に歓声を上げた。しかし、女性たちは単に目の保養だったわけではない。彼女たちは才能溢れるスケーターであり、このスポーツに胸を躍らせた。寒さのなかで、彼女たちは退屈な舞踏会から解放された。当時の人びとは、スケートを、女性に強さとエネルギー(そして健康的な頬の輝き)を与える、爽快な新しい娯楽として歓迎した。

──面白いですね。スケートリンクは社交空間・文化空間としてとても重要なもので、しかもリベラルな空間でもあったわけですね。

今回のQuartzの記事には、それこそ「ピーナッツ」の中でスヌーピーとウッドストックがザンボーニに乗って整氷する場面が言及されていますが、言われてみればスケートって、映画のシーンなどでもよく観るといえば観ますよね。もしかするとリベラルな社交空間の表象として、特別な感興を催す何かが、いまだそこにはあるのかもしれませんね。

──ロックフェラーセンターのクリスマスツリーとスケートリンクは、まさに冬の風物詩だと思いますが、そこにはかつての19世紀の社交場のイメージが残っている感じがしますね。

スヌーピーにおいてなぜあれほどスケートシーンが重要なのか、あまり深く考えたことなかったですが、きっと意味があるんですね。あるいは、Disney+で昨年末に配信された「ホークアイ」でもスケートリンクは重要なものでしたし、先日改めて『ファンタスティック・ビースト』を観たのですが、あのなかにもセントラルパークの池が凍っているシーンがありまして、それはまさに19世紀の若者がスケートと恋に興じた当時のニューヨークの景色ということなんですね。

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──スケートが新しい、民主的な娯楽として人気を得たというのは、いまからするとだいぶ不思議な感じもしますが、とはいえ、ここ日本でも一時期スキーが大ブームになり恋のディスティネーションとしてスキー場が賑わうといったこともありましたから、ノリとしては近いのかもしれません。

日本ではスケートリンクが年々減少しており、スケート人口も減っているというニュースはよく見かけますが、この問題について毎日新聞で元フィギュアスケーターの町田樹さんが、こう概説しています

昭和末期の1980年代は、国内で最もスケートがレジャーとして盛っていた時期であった。各地のテーマパークをはじめ、ジャスコやダイエーなどの大型スーパーマーケットの中に、当たり前のようにスケート場が設置されていた時代だと言えば、いわゆるZ世代と呼ばれる若者たちは驚くのではないだろうか。実際、スポーツ庁の「体育・スポーツ施設現況調査」によると、80年代当時は全国に800カ所以上のスケート場が設置されていたことがデータで示されている。かくいう私も、スケートブームの余波が残る平成初期(93年)に、日常的に家族で利用していた近所のダイエーに、スケート場が併設されていたことがきっかけでスケートを始めた。

ところが、いま全国的にスケート場が危機的な状況に追い込まれている。施設の老朽化や経営難などの理由から、年々施設数が減少の一途をたどっており、日本スケート連盟が公表しているデータによると、現在140カ所程度にまで落ち込んできてしまっているのだ。しかも、冬季限定ではなく年間を通じてスケートができる施設に至っては、全国にわずか27カ所しかない。こうしたとどまるところを知らないスケート場の減少が、フィギュアスケートやアイスホッケーなどの氷上競技に取り組む選手にとって死活問題となっているのである。

──まあ、そうですよね。スケートが趣味っていう人、ほとんど会ったことないですし。

その割にフィギュアスケート大国だというのも不思議な気がしますが、ただ、この現象はアメリカでも同様に起きているそうでして、『Vox』が2021年2月に「薄氷のフィギュアスケートの再生のために」(Figure skating is on thin ice. Here’s how to fix it)という非常に面白いレポートを掲載しています。ここで問題になっているのは、フィギュアスケート人口が減っているということでして、その理由をルールの面やさまざまなスキャンダルなどを踏まえながら分析しているのですが、最も根源的な原因は、スポーツとしてやるにはお金がかかりすぎる、という点だとしています。例えば、記事は経済格差と若者のスポーツ人口の関連をこんなふうに説明しています。

2008年、リーマンショックを受けて、アメリカのフィギュアスケート界はさらなる大打撃を受けた。AP通信によると、2008年から14年にかけて、チームスポーツへの参加率は45%から38%に低下し、いまなお回復していない。08年からの10数年間、若者のスポーツへの参加率は年収10万ドル以上の世帯では上昇しているが、2万5千ドル以下の世帯では減少している。大学入試競争が激化しているのと同様、スポーツチームの遠征も富裕層の熱心な親をもつ選手だけが参加できるようになっており、地元チームやレクリエーションのチームは勝負自体から取り残されつつある。

──そもそもインクルーシブだったはずのスケートが、どんどん排他的になっているということですよね。

さらにこんな問題もあります。

フィギュアスケートが没落した理由は、それが、裕福で細身の白人のためのものだという考えや、スケートリンクへのアクセスの悪さ、子どもが得意でないかもしれないスポーツに何千ドルも投資することへの親の躊躇など、いくらでもある。さらに悪いことに、生涯にわたってボディイメージに関する問題を抱えることにもなる。フィギュアスケートの頂点に登り詰めたとしても、選手は氷上の後の人生と戦わなければならない。2018年、サーシャ・コーエンは、25歳で引退した後に直面したアイデンティティの危機について、『The New York Times』にエッセイを寄稿している。グレイシー・ゴールドは2019年、『Times』に、2014年のオリンピックを前に摂食障害になったこと、そしてその数年後に精神状態がさらに悪化したことを打ち明けた。

──オリンピックに出場できたところで幸せになれるわけでもなさそうだということは、今回の五輪でも改めて明らかになったことですからね。

はい。ただ、話はそこで終わらずここから面白い話になるのですが、記事はミシェル・ホンさんというインストラクターを紹介しています。彼女はフィギュアスケートの練習のティップスや振り付けなどをソーシャルメディアに投稿している人で、TikTokに80万のフォロワーを抱える人気者なのだそうですが、彼女はそこに、新しいオーディエンスを見出したというんですね。

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──80万人はすごいですね。

はい。記事は、そこにフィギュアスケートから排除された人が膨大にいるということを示唆しています。

フォロワーの多くは、フィギュアスケートのビデオを自分で検索しようとすら思ったことのない人たちで、たまたま彼女のコンテンツをフィードで見かけただけだ。ホンは語る。「彼ら/彼女らは、このスポーツをとても楽しんでいて好奇心旺盛です。シェアしている情報は、フィギュアスケートの世界では当たり前のものですが、TikTokを始めたことで、みんながどれほどそうしたことを学びたがっているのかを教えられました」

たとえ、その多くがスケートを始めるには年齢が高すぎると人たちであっても、その人たちこそが、フィギュアスケートがファンとして取り込間なくてはならない人たちだ。しかし、競技という側面に焦点をあてすぎた現在のフィギュアスケートの構造では、「TikTokで見たからスケートを習いたい」というティーンエイジャーや大人の居場所はほとんどない。

そして、そこから記事は、以下のような現象に注目します。

最近ではみんなを夢中にしているのは、オリンピック選手ではなく、むしろスケート・インフルエンサーだ。エラッジ・バルデ(Elladj Baldé)は、バック転を得意とするカリスマ・フィギュアスケーターで、そのユニークなスタイルと振り付けを、ポピュラー音楽や関連する話題とともに動画配信している。バルデはキャリアにおいて、いくつかの有名な大会で優勝している(さらに、ごく少数のスケーターしか挑戦しない4回転ジャンプを成功させている)が、彼の成功はオリンピック中心のスケートシステムの外側で得たものだ。2020年12月にTikTokで定期的に投稿を始めて以来、フォロワーは現在50万人を超える。(註:21年2月時点。22年2月現在では120万人を超える)

「わたしはこの新しいプラットフォームで、若い黒人や先住民の子どもたちにスケート靴を手に取り、ここが自分たちも活躍できる場だと信じられるようになってもらいたいのです」とバルデは語る。「オリンピックチャンピオンになることを自分のアイデンティティの中心に据える必要はないというメッセージを送りたいのです。わたしたち全員が、人間としてそれよりはるかに大きな存在なのですから」

──ああ、いい話ですね。

結局オリンピックの話に戻ってきてしまいましたが、上記のような取り組みは、スケートファンにとってTikTokこそが新しい「社交場としてのスケートリンク」になっているということだと思いますし、そこが同時に、競技の勝敗とは関係のないところでアイデンティティを育み、他者と出会う学びの空間になっていることはとても大事だと思うんです。逆にいえば、現在の「競技を中心としたシステム」は、オーディエンスも選手も、搾り取れるだけ搾り取る対象としてしか見ていないということで、それが結局は、そこで甘い汁を吸っている人以外のすべての関係者/ステークホルダーを競技から疎外してしまっているわけですね。記事にはこんな印象的なフレーズがあります。

この世界には勝者はいない。金メダルを獲った者ですら、勝者になれない。

──ほんとにどんよりしますね。いつまでそんなものを公衆の面前でやり続けるんですかね。

ちなみに知人に聞いた話ですが、「どの選手も大会に出なくなってからの方がイキイキしてて、演目もオリンピックの3倍はきれい」なのだそうです。

──だとすると、「世界の頂点」を謳った大会で、いったいわたしたちは何を見せられているのか、ほんと疑問が募りますね。

最後に無理矢理ザンボーニの話に戻しますと、ポピュラーカルチャーにおけるザンボーニの表象は、こんなふうに年譜化されています。

1971:スヌーピーの仲間、ウッドストックが濡れたティーバッグでスケートリンクを整氷する。1980年にザンボーニにアップグレード

1981:ロジャー・ムーア演じるジェームズ・ボンドが『007/ユア・アイズ・オンリー』のアイスリンクでの格闘シーンでザンボーニを使用

1989:映画『チアーズ』の登場人物エディ・ルベックは、番組のエピソードでザンボーイに殺される

2009:ビデオゲーム「Plants vs. Zombies」に、ザンボーニに乗ったゾンビのキャラクター「ゾンボーニ」が登場。

2014:映画『Dumb and Dumber To』で、主人公のハリーとロイドが盗んだザンボーニで全米を横断する

こう見てみると、最後の3つにおいてザンボーニは、なんというかちょっと物悲しさを湛えた面白アイテムとして登場していることがわかります。

──ザンボーニに載ったゾンビってのが、本当に象徴的です(笑)。

この物悲しさは、ザンボーニというマシンのせいではなく、色んな意味で時代遅れになったスケート競技、あるいはスケートリンクというものがいま背負っている物悲しさに由来するもので、それは、マーケティングの失敗といった小手先の話ではなく、本質的に、その排除性と搾取性に由来するものなんですね。本当に、いまわたしたちはスポーツというものの社会的価値を根本から再定義し直すべきなのだと思います。

──その際に、スケートリンクがかつては、都市における最もインクルーシブな民主的空間だったというのは、いい話だと思うんですよね。

本当ですね。スヌーピーがスケートしている姿を、また観たくなってしまいました。


若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。


꩜ 「だえん問答」は毎週日曜配信。次回は2022年2月27日(日)配信予定です。本連載のアーカイブはすべてこちらからお読みいただけます(要ログイン)。

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