A Guide to Guides
Guidesのガイド
Quartz読者のみなさん、おはようございます。週末のニュースレターではQuartzの“週イチ特集”ともいえる〈Guides〉から、毎回1つをピックアップ。世界がいま注目する論点を、編集者・若林恵さんとともに読み解きましょう。
──今回のお題は「ビデオカンファレンス」です。「Zoom疲れ」なんてことが言われていますが、いかがですか?
いやあ、ぐったりしちゃいますね。
──何が問題なんでしょう?
なんでしょうね。パンデミックの初期、みんながリモートワークになりはじめたころに大手企業の方に聞いたところ「いらない会議がいらなくなった」と喜んでおられたんですが、Zoomで会議をやり続けていてわかってくるのは、もしかしたら「会議そのものがいらないんじゃないか」ということかも知れません。
──というと。
これは元々そうだったわけなんですが、結局会議で話してる人って、だいたい数人なわけじゃないですか。何か重大なことが決定される場だとしても、そもそも意見を言っている人って数人でしかなくて、Zoomだと、その他大勢は、マイクもカメラもオフにしているだけじゃないですか。
ビデオ会議だと、より一層“話し手”と“聞き手”の線引きが明確になってしまうんですね。会議の目的にもよりますが、そうなってきちゃうと「聞くだけの人、ほんとに必要?」ってなってしまいますよね。
The Virtual Conference Reboot
“テレカン”の混乱
──そもそも、会議ってなんのためにあるんでしょうね。
なんなんでしょうね。所詮は儀式、というならそれはそれで大事なことだとも思うのですが、それが“儀式”なのであればなおのこと、それはオンラインに向いていない気もしますよね。
──ふむ。
そもそもSlackのようなオンラインワークスペースやZoomのようなビデオカンファレンスの設計の思想って、ITエンジニアの業務管理から出てきているものだと思うんです。高速で膨大な情報処理を、チームとしてスピーディに効率的に行うことを背後に目標としてもつ、高度な分業体制をマネージするためのシステムで、そのことと「ワーキンググループでフラットにわいわいやる」といったような「クリエイティブな創発」のイメージは、実際真逆のものである可能性もあるんですが、そこがなんだか混在していて、ちょっとよくわからなくなってくるところはあるんですね。
──リモートワークのよさは、ある部分では、みんながフラット化して、分散的に業務を遂行できるところだとも言われていますが。
両方の側面があるというのは、おそらく事実だとは思うんです。ただ、それって結局のところ、その組織がそもそもどういう文化なのかによって、それらのアプリ自体がもっている構造の良い面と悪い面とが違ったかたちで拡張されて表出しちゃうのかな、と思うんです。
──なるほど。
ちょっと話が逸れるかもしれないんですが、リモートワークに関していうとこんな話がありまして、「電気代がもったいないから、できるだけ会社に来るな」と、例えばこういうお達しが出たりするわけですね。
──ははあ。
もちろんロックダウンになっているし、会社としても生産性が下がっているわけですから、余計な支出はできる限り抑えたいというのはその通りなんですけど、とはいえ“リモートワーク”って言っているわけですから、業務はしてるわけですよね。で、その間の電気代とか通信費や、その他諸々の諸経費は、実は家計サイドの負担になっちゃうわけですよね。
──ああ、たしかに。ロックダウンのなかで家庭内の水道代や光熱費、あるいはトイレットペーパーの消費量が上がっているなんてぼやきはたしかに聞きますね。
面白いなと思うのは、例えば、自分が一生で使うトイレットペーパーのどの程度が“自腹”だったのか、とかを考えさせられちゃうところですよね。
──言われてみればそうですね。
実際、どれくらいなんでしょうね。下手すれば半分くらいになるのかもしれませんよね。つまり、ここで重要なのは、実は色んなライフラインが社会のなかに埋め込まれていて、必ずしも全部が全部、自己負担にはなっていなかったということです。
ところが、会社がストップしたことで、外出したりしなくて済むようになるとトイレにかかっていた経費が全て自分の負担になって帰ってくるわけなんですが、実は、よくよくそうやって見てみると、とてもじゃないけど今の給料じゃ回らないかもしれないということになっちゃうわけです。
──なるほど。
ビデオカンファレンスというお題から離れてしまったんですが、要はどういうことか言えば、例えばリモートになっている社員は、おそらく自腹で通信環境のアップグレードをしないといけないかもしれないし、自分の業務環境を整えるために色んなソフトやデバイスを自分で買い揃えないといけないかもしれなくて、それを下手すると自己負担でやらないといけない可能性があるということなんですが、そうした“業務遂行能力”が、単にデバイスや環境のレイヤーだけでなく、「そもそもの人として能力」に振り向けられちゃう可能性もあるのではないか、ということなんですね。これはあとで挙げますが、これからの仕事は「優れたYouTuberであること」が重要とされるようになってくることになりますが、これ、つまりは全部自己投資でやれ、ということなんですね。
──ふむ。
実際、収入減によってあちこちでレイオフや一時契約解除といったことが、とくに海外などでは激しく起きているわけですが、そのとき“残れる人”と“残れない人”の峻別がえげつないほどリアルに行われちゃうわけですよね。しかも、それを決定する人は、基本「残れる前提」なわけですから、なんというか色んなことがむき出しになってきちゃうんですよね。
──イヤな感じになりますね。
そうなんです。ある外国人が、こういうツイートをしていたんですが、これは本当に危惧すべきことだと思います。「CEOたちがリモートワークを称賛し、事態終息後もオフィスはいらないなどと言うとき、彼らは会社の不動産コストを従業員たちの家計のなかに埋め込もうとしている」。
──怖いですね。
これまでフリーランサーとして生きてきた人たちは、そもそも自分のトイレットペーパー代は“自腹”で賄うことができるように家計を設計してきているはずなので、「そんなの当然だろ」と感じるとは思うのですが、会社勤めの人はそうではないわけですよね。
「フリーランス化社会」というのは、そうやって外部化されてきた諸経費を自分で賄えと言っていることでもあるのですが、それをどこまで鵜呑みにすべきなのかは注意すべきでしょうね。特にリモートによって新たなスキルが仕事の要件として求められるときには、なおさらだと思います。
──ほんとですね。
話がだいぶ逸れてしまいましたけど、今回の〈Guide〉であまりそういったことが問題になっていないのは、アメリカの企業が明確なジョブディスクリプションをもった、厳密な分業体制で会社組織が編成されているからなんだろうと思うんです。みんな自分の持ち分が決まっていて、それさえやればあとは何でもいいということですから、リモートになろうがならなかろうが、あまり評価のやり方や指標は変わらないのではないかと思います。
──そうだとする今回のGuideは何がテーマになっているんでしょうね。
今回は、いわゆるイベント的なもののオンライン化と社内会議の話とが並走していて、やや混乱するかもしれないんですが、これは、もしかしたら“カンファレンス”ということばの範囲を、多くの日本人がうまく飲み込めていないところに起因するのかもしれません。
というのもTEDやCESのオンライン化と、ビデオ会議をうまくやる、みたいな話が同時にあるわけですが、例えば、Guideの最後にある、いわゆる「テレカンのハウツー」記事〈How to set the stage for a professional teleconference〉を見てみると、基本、オンラインでプレゼンテーションするためのノウハウなんですね。
なので、これと“会議”ということばではだいぶズレがあるわけです。テレカンとは「プレゼンテーションをする場所である」という前提なんですね、おそらく。
──言われてみれば、たしかに“カンファレンス”ってよく意味をわかっていないかもです。
そうなんですよね。この記事を見てみると「よりよいテレカン」のティップスを授けているのが、YouTuberだったりするわけです。
つい先日、LinkedInの日本代表の方のインタビューで「全管理職、1人YouTuber時代になる」という記事を見かけたのですが、これと同じことを学校のリモート授業の動画を見ていたときにも思ったんです。つまり学校の先生はこれからすべからく“YouTuber”にならざるを得ないということなんですが、先の記事によれば、企業においても同じことが起きるわけですね。ちょっと記事から引用させてください。
「なぜ、管理職がYouTuberなのかというと、リモート環境では、コミュニケーション能力やナラティブ(語り)のスキルをより求められるからです。コミュニケーションの場面が限られる中で、メンバーの気持ちを引きつけ、ゴールに向けて引っ張っていくには、それこそ、管理職は人気YouTuber並みの話力が必要。実際に、常日頃からテレカンファレンスでリモートワークをしている、いわゆるグローバル企業のエグゼクティブは、むちゃむちゃ話がうまいんですよ。リンクトインの役員もみんな「芸人か?!」というぐらい。CEOのジェフ(Jeffrey”Jeff” Weiner)は一番すごくて、もう完全に『サタデー・ナイト・ライブ』。」(【リンクトイン日本代表・村上臣】全管理職、1人YouTuber時代になる。最新ツール使いこなす支援も)
──へえ。SNL並ですか。すごいですね。
ここからわかるのは、“カンファレンス”ってものがそもそもパフォーマティブな何かであって、じっと部屋にこもってみんなで熟議する、というものとはだいぶ印象も内実も違うのではないか、ということですよね。で、そういう観点から言えば、たしかに「みんながYouTuber」というのは、その通りで、かつ「TEDに学ぼう!」となるのも腑に落ちなくはないわけです。
──ちなみにTEDの記事はどういうものなんですか?
TEDを題材にした〈The radical experimentation behind TED’s first virtual conference〉という記事と、〈What the future of meetings will look like after coronavirus〉という記事は、いわゆる“カンファレンスビジネス”のこれからがテーマでして、ここで語られるのは「人を集めることがビジネスの根幹」にある企業は、今後どうしていくのかということです。
──どうなるんですかね。
TEDの記事で、ファウンダーのクリス・アンダーソンは、「われわれのビジネスはカンファレンスビジネスで、そのキモは人を集めるということで、それはつまるところ人がつながり、コミュニティをつくっていくということ。人を集めることができなければ、商売は上がったりだ」と語っています。ですから、コロナによって損なわれるのは、コンテンツ価値のところではなくむしろコミュニケーションの部分であることがわかります。
──ふむ。
4月22日に5時間にわたって開催されたオンラインTEDを観た記者は、「オンラインになった途端、そのトークの緊急性や必要性が伝わってこなくなってしまう」と評していますが、それはやっぱり、なんというか会場の全員が「そうだそうだ! その通りだ!」と盛り上がってスタンディングオベーションになるというような感覚をつくりにくいからなんでしょうね。
つまり、自分なりに、語られるストーリーに対する“緊急性”や“必要性”を探らなくてはいけないわけで、それを家でゴロゴロしながら観られるとなれば、Netflixのドラマの続きの方がどうしたって緊急性が高くなっちゃいますよね。
──自分がよほど興味あるテーマなら別でしょうけど、それはそれで、別にライヴで観なくてもアーカイヴ動画で十分でしょうしね。
そうなんですよね。ユーザーの側から見ると、コンテンツのオンライン化はオンデマンド化とセットでないとあまり意味がないわけですよね。
自分でもたまにライヴ配信をやるんですが、そのときに必ず問い合わせを受けるのは「アーカイヴ化されますか?」ということなんですが、そういう意味でも、「そのときにどうしても聴かなくてはいけない/観なくてはいけない」というものって、実はそんなにないわけです。
強いて言えばスポーツくらいで、音楽のライヴだって、コンテンツを享受するだけだったら、今観ようが、明日観ようが、どっちでも基本いいわけですし、そうである方が多くの人にとってはありがたいものなはずです。
──それは、さっきの全員がYouTuberという話でも、一緒かもしれませんね。
そうなんですよね。プレゼンテーションをオンライン化するのであれば、「あとで観ておくからYouTubeにアップしといて」でいいはずなので、リアルタイムでやることの意味は何か、ということは同じように問い返されることになりますよね。で、リアルタイムであることの意味というのは、やっぱり、コミュニティという論点と関わることになるのかな、と思ったりします。
──TEDの記事の最後の締めの一文がまさに、そう書いていますね。「最高の集会をつくりあげるのはコンテンツだけではなく、コミュニティなのだ」(We’re realizing more than ever that the best gatherings aren’t just about content, but about community)。
同じようなことは〈What the future of meetings will look like after coronavirus〉という記事でも書かれていまして、「バーチャル環境に放りこまれたことで、人とつながりコラボレートすることがいかに重要かが再発見されつつある」と360 Live Mediaというイベント企画制作会社のUXデザイナーが語っています。
つまり、イベント、あるいはカンファレンスというものの意義の再定義が必要で、リアルとバーチャルに応じた機能の使い分けとその見極めが重要になってくる、ということですね。
──やはり、冒頭で話されていたように、「会議ってなんだっけ?」というところに帰ってきちゃうわけですね。
そうですね。今回のGuide内にはエドワード・スノーデンに関する〈Edward Snowden has mastered the art of teleconferencing〉という記事があり、台湾のIT大臣オードリー・タンへの言及などもしながら、彼がいかに“テレ・スピーカー”として優秀かを語っていますが、これもあくまでも、コンテンツとしての“カンファレンストーク”が主題であるわけですね。
これが一般向けの記事となっていて「みんな参考にすべし」とされているのは、カンファレンスというものがいかに「プレゼンテーションの場」かを表しているわけですが、TEDの話を参照するなら、その一方で、会議は「人をコネクトしコラボする場」でもあるわけです。
──はい。
“会議”というのは、今回のGuideをみるにつけ、まずは前者の要素がとても強いものと少なくともアメリカでは理解されているわけですから、Zoomや〈There’s no reason to use Zoom for everything〉の記事で紹介されているその他のサービスも、まずはリモートプレゼンツールとして紹介されているという点をやっぱり間違わない方がいいのかなと思いますね。
冒頭に言ったように、“会議”とは言いながらも、そこは明確にスピーカーとリスナーの区分けがあるようなものになってしまうのは、そもそもカンファレンスというものがもっている「プレゼンテーション=コンテンツ」の側面にフォーカスがあるからで、そのときに考えるべきは、それが本当にリアルタイムである必要があるのか、ということだろうと思います。
逆に、それが「つながりやコラボ=コミュニケーション」を促進するという目的でおこなわる会議なのであれば、むしろここで紹介されたようなツールは、向いていない可能性があるのかも知れません。
──オンラインコラボツールみたいなものは、それはそれで別にありますしね。
はい。ですから、やっぱり“会議”というものの再定義が迫られているということなんだろうと思います。
何かを決定する。新しい情報を共有する。みんなで考える。とりあえず儀式として集まる。そういった色んな目的がごっちゃになって今まで会議というものが行われていたんだとすると、オンライン化によって明らかになっているのは、それが整理されてきてしまうということなんだと思います。それを認識しないまま、これまでと同じような感覚で「会議」をしちゃうと、冒頭に言ったようなおかしな評価がまかり通ることにもなりかねないわけです。
重大なことを決定したかったり交渉ごとをするなら少人数でやるとか、誰かの意見を拝聴するだけなら録画にしてみんなに配信するとか、なんかそういう用途ごとの線引きをきちんとしないとですよね。
──同期か非同期か、コンテンツかコミュニケーションか、といったあたりがうまく棲み分けをするためのパラメーターになりそうですね。
おっしゃる通りですね。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』のほか、責任編集『NEXT GENERATION BANK』『NEXT GENERATION GOVERNMENT』がある。人気Podcast「こんにちは未来」のホストもNY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともに務めている。次世代ガバメントの事例をリサーチするTwitterアカウントも開設( @BlkswnR )。
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