Africa Rising
躍動するアフリカ
Quartz読者のみなさん、こんにちは。今、グローバル企業は人種差別に対して明確な立場を表明することを迫られています。今日は、企業における不平等は企業こそが解決できるという、南アフリカの論客の声をお届けします。英文記事はこちら(参考)。
from Rainbow Nation
虹の国のおわり
テレビに映し出された、ブラック・ライヴズ・マター(BLM)のデモ。その映像は、多くの南アフリカ人にとって1970〜1980年代の記憶を呼び起こすものとなりました。
黒人の自由と、すべての南アフリカ人に対する平等な権利を求めた反アパルトヘイト運動は世界中に広がり、文字通り血のにじむ努力が何十年も続きました。結果として、1994年、南アフリカ初の民主的な選挙が行われ、「非人種主義」の理想に基づいた「虹の国」として、この国は世界に紹介されることになりました。
しかし今、その理想は、米国に端を発したBLM運動によって終焉を迎えるのかもしれません。
というのも、非人種主義に立脚した30年近くの痛みを伴いながらの歩みは、南アフリカの経済と産業における深刻な不均衡を変えることができませんでした。
PricewaterhouseCoopersのレポート(2019年)によると、南アフリカの人口の80%を黒人が占めています。しかし、ヨハネスブルグ証券取引所に上場している企業のCEOに占める黒人の割合はわずか10%にすぎません。所得格差は悪化しており、就職についても白人が圧倒的に有利です。格差は生活環境にも表れており、黒人の多くは、いまだに中心地のはずれにあるタウンシップ(アパルトヘイト時代の黒人居住区)に閉じ込められています。
人種的正義は常に議論され、追求されてきました。にもかかわらず、なぜ南アフリカは進歩できなかったのか──その解をもっているのは、おそらく若い世代です。変革の糸口を見出せるとすれば、それは、非人種主義という“理想”に安住せず、人種差別との闘いを積極的かつ恒常的な闘争として理解しようと求める彼ら、彼女らの声にあるといえるでしょう。
Non-racialism vs. anti-racism
非人種、反人種
実際、南アフリカでは「非人種主義」の理想を問い直す声が日に日に高まっています。
そもそも非人種主義は、アパルトヘイト後の社会の枠組みとして採用されました。人種とは過去の人たちによって発明され適用されてきたある種の“カテゴリー”であり、人種差別を克服するためには、歴史的な人種の定義から脱却し協力していく必要があるという考えに基づいています。
1985年、この理想を唱えた元南アフリカ憲法裁判所判事のアルビー・サックスは、次のように語っていました。
「非人種主義は、単に耳障りがいいだけのことばではない。南アフリカで非人種文化が発展することは、非常に豊かなことだ。活動的でダイナミックで、南アフリカの個性が表現されている」
このアプローチは、人種差別的であった過去が憎しみとなり、この国の民主主義を浸食するのを防ぐべく、憲法にも明記されました。
1991年、のちに南アフリカ初の黒人大統領となるネルソン・マンデラ(1918 – 2013年)は次のように語っています。
「私たちは、白人と黒人という一つの民族であるということを皆が認識すること以外に、この国を救うことはできません。異なる型にはめられていても、それぞれが大切に思う政治的、イデオロギー的信条に関係なく、相互に依存し合う一つの民族です」
かくも非人種主義は、この国の26年間の民主主義の中で、すべての市民の参加を促すべく援用されてきたのです。
Post-1994 legacy
1994年以降の遺産
人間科学研究評議会のCEOであるクレイン・スーディエンは、先日、BLM運動をきっかけに開催されたウェビナーに出席しました。このウェビナーでは、南アフリカ社会に今なお蔓延しているシステミックな人種差別がどうすれば覆せるか、パネリストたちによって議論されました。
なかでもスーディエン氏とジャーナリストでアナリストのユーセビウス・マッケイザーの間で行われた議論は、黒人多数派が政治権力を握った26年間で、南アフリカがいかに進歩できなかったかを象徴するものでした。
「私たちは非人種主義の南アフリカのために戦っているのではないし、戦うべきでもない」と言うマッケイザー氏は、次のように続けました。「私たちは、『反人種主義』の南アフリカのために戦うべきだ」
南アフリカは、システミックな人種差別を解体しようと取り組んできました。しかし、経済のオーナーシップについて、依然として人種間で大きな隔たりがあることもまた、明確な事実です。
1994年に政権を握ったアフリカ民族会議(ANC)は、有色人種が300年間耐えてきた経済的搾取と機会の不公平に対処すべく、ブラック・エコノミー・エンパワーメント政策(BEE)を採択しました。
2003年には法制度としても整備され(「Broad Based BEE法」)、多くの企業が遵守しています。採用や幹部への登用で黒人を優遇する企業を後押しし、教育や社会保障も充実させました。その導入進捗状況を評価・測定する試みとして、たとえば適正実施基準「Codes of Good Practice」が2007年に施行されるなど、制度を実態にあわせアップデートする取り組みも行われています(Codes of Good Practice は15年に改定)。
しかし、人種的正義に対する試みは“それ止まり”に終わっています。今もって、南アフリカに住む多くの黒人は、いざ職場に入ると深刻な人種的、ジェンダー的、文化的な排除に直面せざるをえないと感じているのです。
例えば、法学部の学生であるムフェリ・マシャンゴーン(20歳)は、「白人は白人であることが許されているが、黒人である私は、白人でなければならない」と語ります。黒人が白人と同程度の賃金を稼ぐにはそれ以上に努力をしなければならないという感情は、この国の黒人に共通しています。また、2008年以降現在に至るまで続く、同国内での外国人労働者に対する排斥運動も、今もって解決をみていません。
Breaking free
自由になるために
南アフリカの「生まれながらにして自由な世代」(1994年の初の民主化選挙後に南アフリカで生まれた子どもたちに付けられた名前)の“抜本的な変革”を求める声は、今、主に民間部門に向けて発せられています。
彼ら若い世代は、これまでにはない新たなかたちでの政治的、社会的、経済的な参加を実践しています。彼らは植民地時代の記念碑を撤去することからはじまり、大学教育の無償化や、植民地時代の枠組みを排除した教育カリキュラムの導入などを求める抗議行動を主導してきました。
この世代が求めているのは、有色人種が経済に参入して成功することを妨げる構造的な障壁が今も消えずに残っていることを社会に認めさせることです。あるいは、人種差別が経済活動のみならず社会階層の一部として存在し続けていることを認めさせること、さらには、これらの課題に対する答えは過去の経験ではなく現在の実践にあると認めさせることにあります。そしてそれは、まさに今、米国にいる同胞たちがとった行動の根底にも同じくあったものでした。
先述したウェビナーにおいて、Anti-Racism Network South Africaのコーディネーターであるブシシウェ・ンコシは、次のように述べています。
「若者は、変化を望んでいる。彼らは、自分たちが日常的に経験する人種差別に対して解決策ももっている。今日の若者が直面している状況は、アパルトヘイト時代のそれとさほど違いはない。我々上の世代の人間が若者から学ぶことで人種差別との戦いに役立つことは、たくさんある」
26年間にわたる南アフリカでの非人種主義という“実験”は、人種差別が雇用枠や学問領域に適用されるという結果をもたらしました。
この経験から学ぶことがあるとすれば、それは、有色人種が職場で経験し、社会で受ける制度化された人種差別を解体するためには、企業にこそ果たすべき重要な役割と責任とがあるということでしょう。
南アフリカから得られる重要な教訓は、企業が反レイシスト文化を構築しようとするのであれば、人種差別への取り組みは継続的かつ積極的な実践でなければならないということです。多様性を謳うだけでなく、たとえば同一労働同一賃金を採用したり、黒人の機会へのアクセスを向上させたりすることもできるでしょう。
これを機会として活かすことで、企業は、人種問題に積極的に取り組むことで、自社と自社が抱える多様なスタッフの繁栄を可能にする条件をつくり出すことができるのです。
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