A Guide to Guides
週刊だえん問答
週末のニュースレター「だえん問答」では、世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題します。今週は、CEO退任を発表したアマゾンのジェフ・ベゾスを切り口に、この30年でネット上の商取引で起きたことに迫ります。
──お疲れさまです。この週末には、若林さんがこの数年ずっとやっているイベントシリーズ「trialog」がありましたね。「サステイナビリティ」というテーマでした。
はい。ちょうどイベントを終えて、事務所に帰ってきたところです。
──いかがでした?
イベントでは、わたしがポッドキャストを一緒にやっている佐久間裕美子さんがモデレーターを務めた、ファッションをテーマにした「サーキュラーエコノミー」のセッションがありまして、それを聞きながら、実はちょうアマゾンのことを考えていたんですよ。
──おお、奇遇。今日のお題はまさに「ジェフ・ベゾスのレガシー」というものです。
そうなんです。
Jeff Bezos’s Legacy
ジェフ・ベゾスの遺産
──どういう論点からアマゾンのことを考えていたのですか?
そうですね。このトークセッションは、ソニーの社内ベンチャーで籾殻を用いた新素材の開発をやられている「トリポーラス」というプロジェクトの開発者の方と、日本環境設計という会社で、ポリエステルの衣服をリサイクルして服をつくる「BRING」というプロジェクトの担当者がスピーカーとして参加したもので、要は「リサイクル」という観点から、環境負荷をより考慮した「生産/消費」の循環を考えていこうというものでした。そこで、BRINGの担当者の方が、正確な引用ではありませんが、「いまみなさんが着ている服が『資源』なのです」というようなことをおっしゃっていたのが、とても印象的でした。
──ふむ。
これを聞いて、改めて思ったのは、おそらく産業革命以来いままで続いている経済というのは、やはり「生産」という行為が先にあって、それを前提としているのだな、ということなんです。
──というと?
これが、経済学的にどういうふうに説明されるのか、よくわからないんですが、まあ、要はあらゆる製造業は、とにかく「新品の商品をつくる」ということを前提としているわけですよ。で、新品の商品というのは、どこかからその「資源」というものをもってこないといけないわけでして、その結果、衣服であれば綿花であったり、ポリエステルをつくるための石油であったりといった自然を、「資源」として取り出すことが必要になるわけですね。ところが、そうやってとにかく自然を搾り取れるだけ搾り取ろうとやってきたおかげで、もうこれ以上は取り出せないというところまできた、というのが、おそらく、世界の現在地なわけですよね。
──自然環境のキャパシティを超えてしまった、と。
はい。で、「生産」と「消費」のサイクルを考えてみると、これまでのところ、生産と消費の関係は、常に前者を起点として起きていたわけですね。つまり、市民の間に「クルマが欲しい!」「冷蔵庫が欲しい!」という声が高まり、それを受けてメーカーが「しょうがねえな」と重い腰をあげる、なんてことはないわけですよね。
──あはは。そりゃそうだ。
もちろん、潜在的な需要はあったとは言えますが、それが発見されるのは、あくまでもモノが生産されたあとのことであるはずなんですね。
──はい。
つまり、生産が必ず先にあって、そこから需要が喚起され、それをさらなる生産を通して拡張し続けていくということが、まあ、ざっくり言うとですが、「経済」というもののありようだったように思うんです。
──サプライドリブン、ということでしょうか。
はい。どうやっても、最初に「生産」が起点としてあるわけです。そこでアマゾンの話になるのですが、自分は基本アマゾンのヘビーユーザーで、やたらと本やら何やら買うのですが、アマゾンが古本屋さんから始まったというのは、とても重要なことだと思っています。本をやたらと買う人間からすると、アマゾンのありがたさって、それが古本の巨大なアーカイブであるところにあって、ちょっと興味のある著者の刊行物を、全部とは言わないまでもそのほとんどを、瞬時に呼び出して購入することができるところにあるんですね。
──はい。
で、自分はしょっちゅうそういう買い方をしてしまうのですが、その際にいつも思うのは、「世界の出版社が全部消えてなくなっても全然困らないな」ということなんですよね。自分で、出版業をやっていて言うのもなんですが(笑)。
──古本があるからいいじゃんか、ということですか?
いや、もちろん世の中は常に動いていきますし、その動きに合わせて人の考えもアップデートされていきますから、本は常に生まれ続けていくのだとは思いますし、そうあるべきだとは思います。ですが、仮に本を出版しようとする人だけが感染する致死性のウイルスが出てきて、出版業というものがどうにも持続できない、という状況があったとしても、本の市場というものが、必ずしも、それで消滅するわけではないということなんです。
──ははあん。
これを、消費者の側から言い換えると、仮に世界から新刊書が消えてなくなっても、「読む本がなくなる」ということにならない、ということなんですよね。
──まあ、たしかに、そうかもしれませんね。新刊書を読むのに汲々としている限り、ゆっくりと古典を読む時間はいつも後回しになっちゃいますしね。
そうなんですよ。もっとも、アマゾンが、自分たちを取り立ててそういうビジネスだと考えていたわけではないのは明らかですしおそらく異論も多くあるような気もするのですが、アマゾンの古本ビジネスって、自分から見ると一種の「シェアリングエコノミー」に見えるんですね。いや、正確にいうと、アマゾンのビジネスそのものはそうではないんですが、「アマゾンというものがもたらしたひとつの未来像」というのがそれだったということで、そこにおける最大の皮肉は、アマゾンはそうした未来像には興味がない、ということなんですが。
──もう少し説明を。
あ、つまり、アマゾンの登場によって、「個々人みんなの本棚にある本」が、すべて「資源」もしくは「在庫」になるということが起きた、ということなのだと思うんです。これは、まさにのちに、Uberが自家用車の空き時間を、あるいはAirbnbが不動産の空き時間をP2Pでユーザーとマッチングさせることで、不用になっていた「資源」を「生きた在庫」に変えていったことと、ほとんど変わらないように、少なくとも自分には思えるんですね。
──はあ。なるほど。
つまりアマゾン以降の世界というのは、自分のなかでは、自分の本棚が、単に自分の私有財産としてあるわけではなく、ある意味いつでもシェア可能で、かつ換金可能な、「資源」になる世界なんですね。
──面白いですね。でも、それってまさに古着の市場でも起きていることですよね。
はい。そうなんです。これは、自分が結構長いことずっと言ってきて、それでも、さして一般化してない理解ですが、インターネットによるコマースって、新品を売ることよりも、むしろ中古品を売ることの方に向いているんですよ。
──そうですか。
インターネットの最大の強みが、お話したようにP2Pのマッチングにおいてこそ最も大きく発揮されるのだとすると、同じ新品を大量に売ることよりも、むしろ中古品を売ることの方に向いているはずなんです。
──どうしてでしょう。
なぜかと言いますと、中古品って、たとえ同じ商品であったとしても、売り手の価値観、査定の基準によって意味や価値も変わってくるし、それに基づいて価格も変わってくるわけですね。
──ああ、なるほど。同じ商品でも、出品者ごとによって、その価値が一つひとつ変わっていくわけですね。
はい。本で考えるとわかりやすいですが、同じ本の同じ版のものであっても、それが初版本だからと5,000円の値付けをする出品者がいてそれにお金を払う人もいれば、書き込みがいっぱい入っているからと100円で売りに出し、安いからそれでいいやと買う人もいるわけですよね。
──たしかに。
もちろん、そもそもの希少性に応じた「市場の相場感」みたいなものはあるのですが、新品においては「生産者」によって一元的に決定されていた商品価値が、中古になった瞬間、売る人と買う人の間の合意に基づく商品価値に転換されるということが起きるんですね。
──骨董の市場なんかは、その最たるものですよね。
はい。ある人にはゴミにしか見えないようなものが数十万円する、みたいな摩訶不思議なことが、そこでは平気で起きるわけですね。インターネットコマースは本来、こうした「1対1」のマーケットプレイスであることにおいて、最もその強みを大きく発揮するはずなんですが、これを強引に「1対N」のビジネスにアダプトさせると、商品価値の差別化要因が結局は価格のみに基づくことになってしまい、アマゾンのように価格競争を仕掛けて、他の小売店をなぎ倒していくという、暴力的なパワープレイがはびこることになってしまうんですよね。
──なあるほど。
というわけで、冒頭の話に戻しますとですね、「自然」という外部から「資源」を調達しなくても、すでにいまあるもの、みんなの本棚やタンスに眠っているものを、ぐるぐると回すことだけでも、実は、経済というものは回っていくことができるんではないか、と思ったりもするわけです。もっとも、そこにおいておそらく見落とされるのは、中古品と生産者との関係なんじゃないかとも思います。
──ほほお。
古本のマーケットをぐるぐると流動させたときの問題は、そのサイクルのなかに生産者であるところの書き手や出版社が含まれていないということで、これはすでに長野県上田にある古本の大手「バリューブックス」さんが取り組み始めていることですが、中古本の売り上げを、書き手や出版社に還元する仕組みというを導入し、きちんとつくり手が分け前を得ることができるようになると、本というプロダクトの実際のライフサイクルに見合った持続的ビジネスになりうるのではないか、ということです。
──面白いですね。
本は基本的に、出版社や著者としてみると、新刊で売ったらそれでおしまい、というビジネスです。ところが、本自体のライフサイクルは、それよりはるかに長くて、どこかで古本屋に流れて、また別の人の手元に届くということが起きるわけですね。そしてアマゾンのようなインターネットコマースのプラットホームの登場によって、新刊以降の流通の速度が加速していけば、わかりやすくいえば3,000部しか刷っていない本が、6,000人に届く可能性があるわけです。なので、仮に、その本がもたらした実際の総売上、つまり3,000部の本が6,000人に届くところまでの間に起きたトランザクションの総体に対する対価というものを得ることができたら、もしかしたら、生産者にとってもより息の長い、持続的な生産が可能になるかもしれません。なんなら生産アイテム数をもっと減らして、いままでとは違ったビジネスモデルを組むことができるかもしれません。
──たしかに。
本の例は、必ずしも他の一般の製造業に敷衍できるものではないかもしれませんが、たとえば、クルマのようなものでも、世界全体で見たときに実際に乗られているクルマの総数において、中古車の割合って、バカにならない量であるはずなんです。ところが、そこでの流通量と経済規模と、新車の流通量と経済規模は、必ずしもセットで考えられているわけではなく、明らかに別個の市場と見られているはずなんですね。要は、それをきちんと統合し、第一次生産者も、そのサイクルのなかに組み込んで行くことができれば、全体として、これまでとはまったく異なるビジネスになりうるような気もするんです。
──そうですか。
これは過去に『WIRED』にいたころに扱ったテーマでもあって、「ものづくりの未来」という特集をつくった際に池田純一さんが「ビルダーたちの世界 NASCAR、多崎つくる、と『メンテナンス』から始まる創造」という非常に面白い原稿を寄せてくださったのですが、そこにはこんなふうに書かれています。
「すべての国ですべての製品が製造されるわけではない。自動車の場合、多くの国で新車か、中古車かを問わず輸入されている。けれども、そのような輸入国でも、日々の生活で自動車のメンテナンスが必要になる。修繕のための技術が求められ、むしろ修繕技術を通じてこそ、製品の仕組みに触れることができる。かつてのアメリカのように、自動車を製造する北部、利用する南部という違いが、国の間でも存在する。
となるとNASCARを始めた南部のクルマ好きと同様に、クルマの輸入国のなかにも当然、修繕に長けたアマチュアが生まれる。彼らからすれば市販品という製品も、いわば巨大な部品のひとつとみなすことができ、そこから次なる創造の一歩を踏み出すこともできるだろう」
「もちろん、修繕から改造・改善を経て創造に至るには、それらの『部品としての製品』の利用が可能でなければならない。だから消費対象の製品が無条件に創造物に転じるわけではない。とはいえ、従来の大量生産体制の下では、消費者/利用者の方が圧倒的に数が多いという非対称性があった。その事実を踏まえたとき、さらには多くの人が国産品に拘泥しなくなるグローバル化の時代を迎えた今、メンテナンスや修繕から始まる創造性を無視することは現実性を欠くことになるだろう」(池田純一「ビルダーたちの世界 NASCAR、多崎つくる、と『メンテナンス』から始まる創造」、『WIRED日本版』、2020、VOL. 28)
──中古市場が新たな創造の舞台になるということですね。面白いです。
実際、古着の市場では、まさに池田さんが書かれていることが起きていまして、救世軍などで買ってきた服をつくり変えて「DEPOP」というアプリ内で販売をしていた若い女性が、1億円相当の売り上げを達成したという報道が昨年ありまして、古着が単なる転売ではなく、新たな価値創出の場になっているんですね。
──へえ。
これは以前に『Pen』という雑誌にコラムとして書いたことがあるのですが、自分の原稿を引用して起きますと、こういうことです。
「米国のビジネスメディア『Fast Company』は、ひとりの少女デザイナーのブランド〈iGirl〉が、中古ファッションマーケットアプリ『Depop』において1億円の売り上げを達成したことを報じていた。ベラ・マクファデンは訓練を受けたデザイナーでもなんでもない。ファッション好きのインスタグラマーであった彼女は、質屋や救世軍などから調達してきた古着を自分なりに手直しをし、販売することからビジネスを始めた。インスタグラム上に60万人、ユーチューブに10万人のフォロワーを抱える彼女の服は、瞬く間にZ世代のハートを掴んだ。チープでポップで、なによりも安い。彼女は『Depop』上で、すでに4万点以上のアイテムを売りさばいている」
「彼女のような『デザイナー』の存在は『ファッションデザイナー』という職業のあり方そのものを変えるだろう、と『Fast Company』は予測する。彼女のブランドの『プロダクト』は、服のみならずバッグやアクセサリーにまで及ぶが、それらのアイテムのすべては『ベラのテイストと、ボディスタイルに合わせてつくられている』と記事は書く。何気ない一節だが、この一文は極めて重要だ。というのも、これまでの『ファッションデザイナー』は、自分の体型に合わせて服をつくる、という前提をもっていなかったからだ。ベラのブランドは、彼女の『当事者性』を基軸にまわっている。彼女の服を買う人と、服をつくる彼女とは、入れ替え可能な『当事者同士』であり、そうであればこそ共感を通じて商品がやり取りされることになる」
「ベラ・マクファデンのようなDIYデザイナーを欧米メディアは『ベッドルーム・アントレプレナー』と呼び、彼女たちの苗床となっている『リコマース(Re-Commerce)』市場は、2028年にはファストファッションの市場規模を追い抜くであろうとの予測も提出されている。Depopは昨年6200万ドルの資金調達を実現し、米国の中古ファッションマーケット『RealReal』も大成功のうちにIPOを果たした」(若林恵「ネットの台頭が生んだ、ファッション市場の新たなサイクル」、『Pen』、2020、No.773)
──ファストファッションより市場規模が大きくなる、というのは、しかしすごいですね。
これはファッションの話ですが、こうした「メンテナンスや修繕に始まる創造」を基軸とする「リコマース市場」が、今後おそらく、ハードウェアにおいても広まっていくことになるだろうと予測されるのですが、というのも、最近面白いニュースを見たからなんです。
──ほお。
フランスが今年の1月1日から、特定の電化製品に対して「Repairability Score」、つまり「修理可能性」のスコアをつけることを義務付けることを法制化したというニュースで、この2月にフランス政府が、早速Appleに対して、このスコアを提出するように求めたとされています。
──修理可能性、ですか。
そうなんです。これは主に「アンチ・ウェイスト(anti-waste)」、つまり廃棄物を減らすことを趣旨とした規制に基づくものですが、特に電化製品は、いわゆる「計画的陳腐化」と呼ばれる「意図的に製品サイクルを短くして、買い替えを促進するような手法を取り、その結果として、「リペア=修理」を著しく困難にしてきたわけですが、このフランスの法律は、それに歯止めをかけようというわけですね。
──なるほど。面白いです。
この間、実際、「修理権」というものが、特にサステイナビリティという観点から大きく注目されているのですが、こうした流れは、修繕が付加価値を生み出して行くことで、新たな中古市場が創出されて行くことで補完されていくことになるはずですし、そこに製造者も参入できるようになることで、製造者が「計画的陳腐化」のような手法を捨てるインセンティブになっていく可能性もあるのではないかと思います。
──なるほど。そうした観点から、ほどなくCEO職を退任するアマゾンのジェフ・ベゾスを評価すると、どういうことになるんでしょうか。
今回の〈Field Guides〉には、ベゾスが1997年にシェアホルダーに宛てて書いた、いまでもよく引用される手紙の全文が再掲載されています。「ベゾスの1997年のシェアホルダーレターはアマゾンの成功の青写真だった」(Bezos’s 1997 shareholder letter was a blueprint for Amazon’s success)という記事なのですが、そこには「Obsess Over Customers」というAmazonの理念の根幹ともいわれるが提出されています。これは「とにかく顧客に執着しろ」ということなのですが、いま、この手紙を改めて読んでみて首をひねるのは、たしかに「顧客」、つまり「消費者」への執着は強く謳われているのですが、手紙のどこを読んでも、プロダクトの生産者に対する言及がまったくといってないことなんですよね。
──たしかに。
「顧客=消費者はもっと安く、もっと早く、を望んでいる」ので、「その欲求にあらゆる手を使ってでも答えるのだ」と言うのは、たしかに勇ましい理念なのですが、ただそのお題目をもとに、生産者やその他の小売を、ぼこぼこになるまで圧迫してよいのか、という点を、ベゾスは面白いくらい考慮しないんですよね。
──ふむ。
そこにベゾスの思想の特異性が見えるように自分は思うのですが、おそらく彼は、徹底した顧客中心主義を取り、その欲求が、製造者にプレッシャーをかけていくことで競争が生まれ、商品のクオリティは上がるし、価格もフェアなものになる、と考えているんじゃないかと思いますし、それが望ましい商業のあり方だと考えているように感じます。
──まあ、それによって、こちらは楽をさせてもらっているところが大いにあるわけですが、なんだか腹落ちしないところもありますよね。
面白いですよね。ベゾスの思想の根本のところには「人は怠惰な生き物である」という観念がある気がするんですよね。人、というのは、ここでは「消費者」という意味ですが。ところがアメリカなどでの消費者意識の高まりなどを見てみると、アマゾンへの反発は、基本的にこうした観念に対する反発でもあるように感じます。つまり、こちらからすると「お前ら楽をしたいんだろ?」と、どうも足元を見られている感覚があるんですよね。
──わかります。
怠惰は怠惰なので、結局のところ、アマゾンを使っちゃうんですけどね。ですから、アマゾン/ベゾスへの評価ということになると、どうしてもアンビバレントなものになってしまうわけです。それは、まさに今回の〈Field Guides〉のメイン記事「11人の専門家によるベゾスのレガシー」(Jeff Bezos’s legacy, according to 11 experts)にも色濃く出ていまして、「やっぱすげえよな」という陣営と、バッサリ断罪する陣営とにきっぱり分かれています。
──たしかに。
面白いのは、褒める人のほとんどがAmazon Web Service(AWS)について褒めることに終始していて、一方の断罪する人は、Eコマースの巨人としてのアマゾンを、とりわけ倫理的な観点から強く断罪しているところです。つまり、どこに力点を置くかによって評価が180度違うということになりますが、トータルで見ると、AWSが新しいビジネスのやり方のモデルケースとして先見性があったのは間違いないけれども、Eコマースのやり方とそれを支えてきた企業風土には問題あり、もしくは共感できない、ということになるのではないかと思います。自分も概ねそんな感じです。
──なるほど。
反対派の意見としては、例えば「Bookshop.org」のCEOのアンディ・ハンターのことばに、アマゾンに対する呪詛がよく込められています。
「わたしたちが欲しがっているものといいものとが必ずしも合致するわけではない。ローカルビジネスは、意味のある仕事とコミュニティをつくり出し、わたしたちが共有している社会を支えるために税金を払っている。人の暮らしの美しさと魔法は、速度と低価格であることだけに価値を置くサプライチェーンの外で起きるのだ」
──手厳しい。
アンディ・ハンターはアマゾンによって怠惰化された消費者を映画『マトリックス』で描かれた人間の姿に近いとまで言っています。
──あはは。耳が痛いです。とはいえ、アマゾンのやり方に問題があったとして、それ以外のオルタナティブな道筋ってあり得たのでしょうか?
と思いますよ。テックシンカーのダグラス・ラシュコフはこう言っています。
「無限の拡張を実現するために、本来的には価値を分散的に分配し、長期的で持続的な収益をもたらすはずだったテクノロジーは、収奪的なものへと自らを作り替えなくてはならなかった。アマゾンがいい例だ。それは、eBayのようなマーケットプレイスでもありうるものだった。代わりに彼らはマーケットに焦土戦を仕掛けた。(中略)Uberにしたって、地域ごとのタクシー会社やドライバーたちが、その自立性を失うことなくプラットフォーム上で競い合うことが可能なマーケットプレイスになりうる道もあった。そのような道を取っていれば、仮に今後ロボットが人間のドライバーの座を奪ったとしても、自らの労働をもってともにプラットフォームの成長に貢献したドライバーたちが、以後もシェアの一部を得続けることだってできたかもしれない」(ダグラス・ラシュコフ『Next Generation Bank 次世代銀行は世界をこう変える』、黒鳥社、2018)
──プラットフォームに参加しているプレイヤーたちが自律分散的かつ持続的に価値を生み出し続けることサポートできる仕組みになり得たということですよね。
そうですね。つまり、マーケットを利用する個々の事業者が、ちゃんとステークホルダーとしてみなされるということですよね。結局、多くの製造業者が「DtoC」(Direct to Consumer)に流れていくことになった要因のひとつは、本来はP2Pプラットフォームになるべきだったものが、いつの間にか封建領主になり、個々の事業者が単なる小作人か農奴にさせられていってしまったことに、少なからぬ原因があると思うんです。DtoCの根本のエトスは、いつの間にかプラットフォーマーに奪われてしまった事業のオーナーシップを、自分の手に取り戻そうということのようにも見えなくもありません。
──なるほど。
その点、中国のアリババは、アマゾンの犯した過ちを犯さなかったという点で、とても賢かったと思うんです。アリババの創業者ジャック・マーは、「インターネットは貧乏人の世界だ」と公言していたそうなのですが、アリババの理念は、創業当初から「小さな事業者をエンパワーする」ということにあったように思えます。小さなパパママ・ストアも、それをデジタルプラットフォーム上でネットワークとしてつなぐことで、大手チェーン店と同じパワーをもつことができるようにするというのがアリババの小売店向けサービスの謳い文句ですが、そうした考えかたは、例えばアリペイがQRコード決済を用いることで、小売店や小さな屋台からホームレスの人まで、簡単にデジタルプラットフォームに参画できるようにしたところにも現れているように思います。
──「インターネットは貧乏人の世界」というのは、すごいですね。
そうなんです。あるいは、カナダ発の「Shopify」が、いわゆる「DtoC化」の加速のなかで急激に成長を遂げ、いまや時価総額が10兆円を超えるのも、やはり事業の主権性の回復を求める流れにおいては必然だろうとも思います。Shopifyは、簡単にいうと、自社でECをやろうと思ったときに、その際に必要なサイト構築から、決済、在庫管理、売上分析などの機能を丸々一式提供してくれるサービスですが、ミュージシャンのマーチャンダイズの販売サイトの裏側にはだいたいShopifyが入っています。『東洋経済オンライン』の記事は、こう解説しています。
「ショッピファイの台頭と呼応するように、企業がアマゾンや楽天といった大手ECプラットフォームから離脱する動きが出てきています。ルイ・ヴィトン、ディズニーやナイキ、ワークマンなどの企業が次々に『アマゾンには出店しない』と宣言し、代わりにショッピファイと組みながら自社のECサイトを充実させているのです。
ショッピファイの時価総額は現在約10兆円。日本の企業と比べると、ホンダが約5兆円ですからおよそ倍。三菱商事やソフトバンクグループの時価総額も抜き始めている。創業2004年のベンチャーが、ここまでの規模になっているのです」(山本康正「アマゾンを破壊する、ショッピファイの超威力」、『東洋経済オンライン』、2020/11/28)
──すごいですね。
まあ、そうなりますよ。というのも、これまでのインターネットビジネスは、本来、インターネットが可能にするはずだった世界とはまったく違ってものになってしまっていたことは、ずっと言われていたことでもあったわけで、再度ラシュコフを引用しますと、以下のような問いをめぐって、実際、この間、ネットビジネスは大きな転換が起きてきたんです。
「当時、安価なコンピューターとそのネットワークの勃興は、ピア・トゥ・ピアの、より流動的で、より開かれた経済空間が生まれ出る兆しに見えた。それによってわたしたちは、産業の時代から離脱し、タイムカードで管理された歯車であることから解放され、時間を自分の好きに使い、コラボラティブなやり方で、よりクリエイティブな仕事を、家で、それこそ下着姿のままでできるようになるはずだった。けれども、そうはならず、代わりに強欲な企業主義(コーポラティズム)のもたらす最悪の病状を患うはめになった。仕事の減少、権利からの分断、富の格差、企業的な無気力、人為的な成長、あらゆる物事の金融化。
なぜ、わたしたちは、デジタルが可能にしたはずの、コミュニティ通貨や、働き手自身がオーナーシップをもつことが可能なビジネス、ネットワーク化された協働事業やピア・トゥ・ピアのマーケットプレイスといったものを手にすることができていないのだろうか」(ダグラス・ラシュコフ「特別掲載:「デジタル分散主義」の時代へ 【ダグラス・ラシュコフ】」、2020/05/25)
──なるほど。以前からShopifyとともに「Bandcamp」が、テックスタートアップとしては好きだと言って来られたことの意味がよくわかったような気がします。
結局最近は、音楽配信プラットフォームも、Bandcampのようなものにモデルに移行しつつありまして、例えば「Deezer」という配信サービスがプラットフォームを通じて、ファンとアーティストがダイレクトにお金のやり取りができるような仕組みを実装することを発表しています。これはUCPS(User Centric Payment System)というもので、ユーザーが自分の払ったお金の行き先を決められるというもので、ユーザーの主権性が強く謳われていますが、これは裏を返すと、事業主体者が自分たちの「営業努力」に基づいて、ファンとの関係性を強化し、それによって売上を増やすことができるようにするものですから、ここにおいても事業のオーナーシップの回復が見られるようになっていくのではないかと感じます。
──なんだか壮大な迂回をしたという感じがしますね。
実際そうなんだと思いますよ。必要な迂回だったと言えなくもないですが、いずれにせよ大切なのは、アマゾンのようなやり方は、それがベストな選択肢だったから世間に選ばれたわけでもないし、それが独占的なビジネスになったことに確固たる合理性や必然性があったわけでもないということを理解しておくことなんじゃないかと思います。
──オルタナティブな道はあったし、いまもある、と。
はい。それしか道はなかったのだ、と思い込むのは、単純に想像力の欠如なんですよ。「11人の専門家によるベゾスのレガシー」のなかで、「Ethical Systems」のエグゼクティブディレクターであるアリソン・テイラーという人は、次のように書いています。
「ベゾスは、格差と貧困を緩和することを、アマゾンの成功と引き換えにすることなくできたはずだ。が、彼はそうしなかった。地球の境界を超え宇宙を目指している人物にしては、なんとも見事な想像力の欠如ではないか」
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子さんとともホストを務める「こんにちは未来」をはじめさまざまなポッドキャストもプロデュース。2020年に配信した本連載を1冊にまとめた『だえん問答』も好評発売中。
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