Deep Dive: New Consumer Society
あたらしい消費社会
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アディダスは、傘下にあった「リーボック」を売却することを発表。1980年代の一時期、米国では最大のスニーカーブランドとしても人気を博しましたが、なぜブランドの存在感を失う結果となってしまったのでしょうか? 英語版はこちら(参考)。
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1980年代のある時期において、リーボックは米国を代表する最大のスニーカーブランドでした。この10年間、リーボックは競合他社に先駆けてフィットネスやエアロビクス製品を求める世間の声に応えることで急成長。例えば、1982年に女性向けにデザインされた初のフィットネスシューズとして発売されたスニーカー「フリースタイル(Freestyle)」は、業界で最も売れた商品に。ワークアウトの第一人者であるジェーン・フォンダが愛用し、女優のシビル・シェパードが1985年のエミー賞のレッドカーペットで履いていたことも話題を呼びました。
しかし、2005年、アディダスがリーボックを買収。このころまでに、リーボックはかつてあった力をすでに失っていました。
missteps by management
アディダスの失策
とはいえ、当時のリーボックはスニーカー業界では依然として大きな存在で、この買収は業界を再編する可能性を秘めていました。ドイツに本社のあるアディダスは、38億ドル(約4,150億円)でリーボックを買収。米国での売上を約2倍に増やすことに成功し、理論上は、この買収によって貴重な米国市場おいてナイキに対抗するためのパワーを得られたのです。
それから15年。幾度も失敗を繰り返したのち、アディダスはリーボックを売却することに。「2つの会社が一緒にいるよりも、別々の方がその可能性を発揮できると考えたからです」と、まるでハリウッドの離婚発表のような声明を発表するに至りました。
この決断は、間違いなく遅きに失したと言うべきでしょう。リーボックは全盛期からいくつかの成功を収めてきましたが、かつての栄光を取り戻すことはできませんでした。その理由には、嗜好の変化についていけなかったことと、アディダスも含めた経営陣の失策にあるといえます。
Whatever happened to Reebok?
何が起こった?
リーボックは、1958年に英国でジョー&ジェフ・フォスター夫妻によって設立されました。1979年に実業家のポール・ファイアーマンが展示会でリーボックの靴を見て米国での販売権を獲得するまで、米国での存在感は決して大きなものではありませんでした。5年後、彼は英国の親会社を買収し、リーボックは米国の企業となります。
1980年代には、フィットネスやファッション用のスニーカーとして、米国の多くの消費者に愛用されるようになり、ブランドは驚異的な勢いを見せました。1988年には、年商約18億ドル(約1,965億円)となり、ナイキの12億ドル(約1,310億円)を上回るかたちで米国市場でのシェアを拡大。しかし、その売上はすでに低迷し始めていて、この年、同社は初めて業績を落としました。ナイキは、バスケットボールのマイケル・ジョーダンや、サッカーと野球の両方で活躍したボー・ジャクソンなどのスター選手の力を借りて、バスケットボールやクロストレーニング用のスニーカーで消費者を魅了し、再び人気を集めていました。
しかし、リーボックは諦めませんでした。シューズに空気を入れて膨らませて足にぴったりとフィットさせる技術「ポンプ」を導入したのです。1991年、ボストン・セルティックスの新人ポイントガード、ディー・ブラウンは、その年のスラムダンクコンテストで「目隠しダンク」を決めたときに「ポンプ」シューズを着用していて、注目を浴びるようになりました。このシューズはメガヒットとなり、ブランドに新たなエネルギーを与えました。
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とはいえ、それだけではリーボックを継続するには不十分でした。1990年代に入ると、リーボックはバスケットボール選手のシャキール・オニールやアレン・アイバーソンなどのアスリートとスポンサー契約を結び、さまざまなスポーツへと参入を拡大。「DMXシリーズ 2000」のように、新しいクッション性のあるプラットフォームを導入しました。しかし、そのスニーカーは消費者には受け入れられませんでした。同社は、コアカテゴリーから離れすぎてしまい、消費者の目から見て、関連性を失いつつあったのです。市場シェアは低下し続け、1999年には、シアーズ(Sears)やJ.C.ペニー(JCPenney)といった量販店に依存していたため、ブランドイメージが損なわれていきました。
ブランドは、こういったネガティブな問題に取り組もうとしながらも、冷静さを失わないように努めていました。2000年にはナショナル・フットボール・リーグ(NFL)との大きなライセンス契約を獲得し、2003年にはラッパーのジェイ・Zや50セントとシューズ契約を締結。ただ、これらのシューズは、最初の限定発売ではニッチな層に売れましたが、ニーズは必ずしもマスマーケットには反映されませんでした。
アディダスが買収したときには、リーボックのカリスマ性はすでに低下。それでも、ブランドは修復不可能ではありませんでした。2000年から2004年のあいだに、リーボックの全世界での売上は10億ドル(約1,091億円)近く増加し、37億9,000万ドル(約4,136億円)に達しました。競合他社との差はあっても、アディダスには好転の可能性があったのです。
The Adidas era begins at Reebok
苦戦するリーボック
当時のアディダスは、本拠地であるヨーロッパでは強かったものの、米国ではなかなか足がかりをつかめずにいましたが、リーボックはその助け舟でもありました。リーボックには、アスリートやミュージシャンなどの強力なメンバーが揃っており、米国市場の大部分を支配していました。
しかし、買収後はほとんど何も起こりませんでした。アディダスは何も手を打たず、リーボックの売上は何年も低迷していました。
復活の兆しが見えてきたのは、2008年にリーボックが「イージートーン」(EasyTone)を発売してトーニング市場に参入したとき。同製品は、リーボックにとって久々の大ヒット商品となりました。
それでも、ライバルには敵わず、苦戦を強いられていました。世界的に見ても、ナイキ、アディダス、プーマに次ぐ第4位にまで落ち、資金も枯渇。2009年、アディダスはリーボックのリストラに取りかかるに至ります。
近年では、フィットネスに関心の高い消費者向けの商品が人気を博していたため、リーボックはその恩恵を受けることに。「JumpTone」「RunTone」「ZigTech」など、トーニングシューズやウォーキングシューズにさらに力を入れていき、売上は急速に伸びました。2011年5月の決算説明会で、アディダスのCEO(当時)、ハーバート・ハイナーは、「今日、わたしは自信をもって、リーボックの黒字化を達成したと言い切ることができます」と述べていました。
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しかし、トーニングの売上が伸びる一方で、規制当局から、製品の効果を示す証拠がほとんどないとの指摘が持ち上がります。売上は大きく減少。2011年、米国連邦取引委員会は、リーボックに対し「欺瞞的な広告」を行ったとして、顧客に2,500万ドル(約2.72億円)の支払いを命じました。その後もさまざまな問題が発生。リーボックはNFLとのライセンス契約を終了し、インドのリーボック経営陣が売上と利益を誇張していたことも明らかになりました。
その後の数年間、リーボックの売上はジェットコースターのように変動。急速に人気を集めているトレーニングプログラム「クロスフィット」などのフィットネスやアクティビティを自社のものにしました。2015年初頭には、数四半期連続で成長を記録。しかし、米国ではまだ追いつけず、小売店の棚のスペースから商品が消えていきました。アディダスの幹部は、決算説明会で、フィットネスをリーボックの強みと認識し、それに合わせて「ブランドを操縦するのが遅すぎた」と認めました。
To reset its brand in the US
ブランド力の低下
フィットネス製品を重視するあまり、他カテゴリーでの存在感が希薄化したリーボック。2016年、ハイナーの退任に伴い、アディダスはカスパー・ローステッドを新CEOに任命。アディダスが自社のクラシックスニーカーの販売で成功する一方、リーボックの低迷は続きます。ローステッドは2016年11月の決算説明会で、「一定期間、製品よりもブランドの方が強かったのではないか。いまは、製品がブランドよりも強いと言える」とコメントしています。
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2018年、リーボックはようやく黒字化し、2019年末には、ミュージシャンやファッションブランドと提携して若い買い物客にアピールしている北米を含めて、売上高が微増しました。しかし、パンデミックで売り上げは再び減少。2020年9月30日までの9カ月間で、リーボック社の売上は22%も落ち込みました。
現時点では、アディダスはリーボックに対してできる限りのことをしたと考えており、投資を続けるよりも売却を選択するようです。詳細については今後、発表される予定になっていますが、リーボックの将来がどうなるかはまだ分かりません。
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『Bloomberg Businessweek』3月号のカバーストーリーでは、スニーカーを「パンデミックに強い金融商品」として扱う、あらたなスニーカー消費者像が紹介されています。この流れについて、『VICE』は、何年も前からスニーカーヘッズのコミュニティで進行していた「変化の火種」となっているものであり、スニーカー収集は「文化と資本主義の融合」であると言及しています。
一方で、『Bloomberg』はスニーカー所有が「アセット(資産)クラス」へ移行することで、「ウータン・クラン(Wu-Tang Clan)を知らず、ナイキのモデル『SB』のSBが何を意味するのかも気にしない」転売屋が参入してきていると指摘。現在生まれているあらたなコミュニティはスニーカーが生み出す利益にのみに集中しており、恣意的な希少性にあると述べられています。
(翻訳・編集:福津くるみ)
🎧 Podcast最新エピソードのゲストは、世界8カ国を移動しながら都市・建築・まちづくりに関する活動を行う杉田真理子さん。多様な「都市」がもつ魅力と、トレンドとなりつつあるその価値とに迫ります。 Apple|Spotify
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