A Guide to Guides
週刊だえん問答
週末のニュースレター「だえん問答」では、世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題します。新型コロナを機に、世界で普及が進む遠隔医療。果たして日本はどうでしょう?
──また、オリンピック関連で炎上していますね。今度は、佐々木宏さんというクリエイティブディレクターが早々に放逐されました。
「オリンピッグ」ってのは凄かったですね。アイデア出しの局面での思いつきということで「目くじらを立てるのもどうか」という意見もあるそうですが、改めてタイムラインを見てみますと、このアイデアが出されたのが3月5日だそうで、開催の1年延期が決まったのが3月24日ですから、これ、「1年以上も前に行ったブレスト時のやりとり」というよりは「開催が数カ月後に迫ったなかで出されたアイデア」のようにも思えます。どうなんでしょうね。
──言われてみるとそうですね。
このところのオリンピック関連の騒動を見ていて不思議に思うのは、これ、本来であれば昨年やるはずのものだったわけですよね。ということは、昨年の3月24日までにはそれなりに準備、決定されていたはずで、それがパンデミックによって大きく変更されることになったとはいえ、この間の体たらくを見ていますと、仮にコロナがなかったとしても、本当に昨年開催できていたのかなと思ってしまいますよね。
──こういう大型イベントが実際にどういうスケジュール感で実施されるのかはわかりませんが、開催数カ月前に「オリンピッグ」って、たしかに怖いですね。
今回話題になっていた女性振付家を含めた7人の演出チームが解散し、佐々木宏さんという方が統括の立場に就いたのが2020年の12月ですから、それなりに骨子が固まっているからこそ、こうした乱暴な人事が行われたのか、あるいは、骨子が固まらぬままこうしたことが行われていたのか、内部の事情はわかりませんが、はたから見ていると不安しかありませんよね。
──問題になった佐々木さんという人については、何か思うところはありますか?
携帯電話会社のCMも缶コーヒーのCMも、特段面白いと思ったことはなく、むしろあまり好きではありません。どうして好きじゃないのかを改めていま考えてみているのですが、実はあまりうまく特定できないんですよね。で、そこが、おそらくあまり好きではない理由なんだろうと思うんです。
──ほお。
うまく言えませんが、意表をついたアイデアでクリエイターとして頭がキレる感じを出しながら、同時に大衆の支持を集めることもできるというのがおそらく佐々木さんという方の強みで、ハイエンドもローエンドもカバーできるクリエイティブを発動できるというところにご本人のアイデンティティもおありなのだと思うのですが、その「両方押さえます」って感じが、個人的には鼻につくという感じでしょうか。やたらと操作的なクリエイティブだな、と感じちゃうんですね。
──「操作的」?
アイデア自体は、ある意味バカっぽいんですよ。でも、それが決してバカっぽくはなくて、頭のよさを見せたいがための「バカっぽさ」のように見えてしまう、という感じでしょうか。
──「オリンピッグ」というアイデアにも、そういう感じはありますね。「バカっぽいアイデアを臆面もなく出せるオレってチャーミングじゃない?」というような自意識を感じますよね。謝罪文にもその感じがありました。
そうなんですよね。広告の人ってどうしたってマスを相手にするので、「ただカッコいいだけ」みたいなアイデアを一段低くみるところがあったりするんですね。やはり一般性が大事なので。とはいえ、「トップクリエイター」などと呼ばれるためには、ただ大衆におもねるだけではダメでしょうから、先進性やアイデアの冴えは必要になるはずで、その両方をどうバランスするかがおそらく生命線なのだと思うのですが、その手法ややり口がやたらと複雑化・巧妙化している印象はありまして、どんどん面倒くさい感じになっているという印象を受けるんです。そうした「面倒くささ」が内面化されていくと、当然、自意識も面倒くさいものになりますよね。
──犬がお父さんとか、フランス人俳優がドラえもんとか、たしかに言い知れぬ面倒くささがありますよね。
とはいえ、そうした面倒くささが通用してきたのは、あくまでも日本の「お茶の間」という空間ですから、そこで勝ってきた方程式を国際イベントに適用できるかどうかというところで、ある種の見誤りがあったのかもしれません。「大衆」や「一般性」と言ったときの相手が変わったときに、どうチューニングできるのかという点で、ご本人には限界があったのかもしれません。とはいえ、おじさんクリエイターのズレをチームメンバーが即座に指摘し却下したのですから、チームとしては機能していたわけで、それは五輪組織委員の騒動と比べると評価すべきことですよね。
──みんなが忖度して「いいですねえ」なんてことにはならなかったわけですからね。
多様性のあるチームで議論をしていたことの意義が明らかになったのは、意義がありましたよね。
──かつ、変に庇いだてすることなく、即座に辞表が受理されたあたりも、森喜朗さんのときの顛末と比べると、なんらかの学びがあったという感じはしますね。
なんでもかんでも「辞任だ!」「やめろ!」と騒ぎ立てる、いわゆる「キャンセルカルチャー」の横暴を危惧する声はわからなくもないですし、「思ったことがいえなくなる」といった反論にも一定の理があるとは思います。とはいえ、「思ったことが言える」という贅沢を享受している人とそうでない人とがいるというのが批判の根幹にあるわけですから、自分の「言いたいことを言える自由」を守りたいのであれば、他人のそれも認めないとダメですよね。
──「キャンセルカルチャー、息苦しい」みたいな論調には、あまり与しない感じですか?
そうですね。そのうち自分にも降ってくるだろうなという恐怖を感じもするので、そうした不安はなくもないですが、オリンピックのレガシーということでいえば、いままでであれば「臭いものに蓋」で済まされていた物事が、それではまったく済まなくなっていることが明らかになり、公正で透明なやり方で対応しないとダメなんだなということを、上位レイヤーの人たちが危機感をもって感じるようになったのだとすれば、それこそ、貴重なレガシーと言えると思います。
──という意味では、開催されるのかどうかはわかりませんが、今回のオリンピックには、すでに大きな意義があった、と(笑)。
冗談ではなく、そう思いますよ。ビッグイベントを国家的な事業として開催することの意義は、それをテコにして国なり都市なりを新たな環境・時代状況に適応できるものにつくり変えることにあるわけですよね。1964年は、敗戦を経て国際社会に再度復帰するという大義名分があったはずで、巨大イベントをテコにインフラを整備したり、市民のマインドセットをアップデートしたりして、新しい価値を世界に向けて発信することが目論まれたわけですよね。また、そうであるがゆえに巨大投資も正当化されたはずです。
──なるほど。
今回のイベントについても同じことが目論まれていたはずですが、具体的に「何をどうアップデートしよう」というアイデアが、さほど明確ではなかったように思いますし、それを従来のやり方でやれると考えていたところに大きな見込み違いがあったんですね。
──想像していたよりも大きな転換に取り組まないといけない、ということに途中で気づいたということですよね。
はい。サステイナビリティやダイバーシティといった問題系やデジタル環境への対応といった課題意識はうっすらとはあったはずですが、そうした問題・課題の解決に向けた取り組みをちゃんとやろうと思えば、運営組織の組織体制や会議体の運営の仕方まで、ドラスティックに変えないと遂行できないということなどが、この間の騒動がもたらした気づきでありますから、少なくとも、それに気づいただけでも、イベントの開催が社会のアップデートに貢献したところはありそうです。
──古い体制の遺物が次々とキャンセルされていくのは、後戻りできない流れだということですよね。
だと思います。元を辿れば、オリンピックの招致自体が、古い体制の人たちが自ら招いたことですから、「そもそも、それを使って世の中を変えたかったんですよね?」という話に戻ってきてしまうのは仕方ないですよね。皮肉ではありますが、自ら墓標をつくった格好ですが、未来に向けた展望がほとんどないまま招致されたイベントですから、最初から「昭和・平成」の残骸・遺物の死に場所探しだったといえなくもないですよね。
──あはは。じゃあ、目論見通りだ(笑)。すでにして20年前からデジタルトランスフォーメーションは課題になっていたわけですし、広義のサステイナビリティに向けた取り組みのみならず、パンデミックへの対策なども10数年来、世界的な課題として語られてきていたわけですから、そうした環境変化に向けて本腰を入れて準備もしてこなかったことに、改めてビビります。
そういう意味では、本来であればオリンピックはもっと有用化できたはずなんですよね。「デジタル庁」なんていう話が菅政権になってから突然出てきて、ポイント稼ぎの打ち上げ花火のように見えてしまってもいますが、その前の長期政権のうちにだって、こうした構想を実現するチャンスはあったはずです。「むしろなんでいままでやれなかった?」という疑問の方が、いよいよ大きくなってきます。
──「働き方改革」とか言っていたわりに、リモートワークをがんがん推進しようといった感じもなかったですしね。
「ソサエティ5.0」といったお題目だけ言ってロクな政策を発動できず、「総裁スタンプ」とかしょうもないことをやっているわけですね。
──なんですか、それ。
知らなくて大丈夫です。
Is telehealth medicine’s future?
テレヘルスの梃子
──それこそ、今回の〈Field Guides〉のお題である「テレヘルス」「テレメディスン」、つまり「遠隔医療」ということですが、これについてもさしたる話題はありませんね。
ひとまず〈Field Guides〉のサマリーから世界とアメリカの状況を拾っておきますと、こんな感じです。
- 610億ドル:2019年のグローバルテレヘルス市場の年間売上
- 5600億ドル:2027年のグローバルテレヘルス市場の推定年間売上
- 370億ドル:アメリカのテレヘルス最大手「Teledoc」の評価額
- 35億ドル:現在のアメリカのテレメンタルヘルス・セクターの市場価値
- 50%:2020年にテレヘルスを利用開始したメディアケア患者。2019年は1%
- 92%:遠隔医療の方が従来の診察よりも「良い」「はるかに良い」と答えた患者数(ジョンズ・ホプキンス大学調べ)
- 10.5マイル:アメリカの郊外における最も近い医者までの平均距離(都市部の倍の距離)
- 54%:2019年と比したときの2020年のテレヘルスユーザーの増加率
──やはりコロナで急激に伸長していて、かつ、評判も上々ということですね。
比べて、日本の状況はどうかと言いますと、こんな感じです。2月19日掲載の「日本マイクロソフト、ヘルスケア分野のオンライン化などを推進」という記事からです。
「デロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリーが2020年8月に発表した調査結果によれば、コロナ禍で48%の患者が、『なるべく通院は控えたい』と回答。同調査では遠隔診療の認識率が43.9%に上るものの、実態は『国内約11万の医療機関で遠隔診療を実施しているのは約15%』という。ただ、実際に遠隔診療を受けた患者の評価は高く、『医師と対面で会話できるのは大きい。これまで医師は電子カルテに向かい、ほぼ患者を診(見)ていない』との声が寄せられたという」
──面白いですね。認知度がかなり高いんですね。
そうなんですよね。認知は高いですし、「どうせ直接行ったところでカルテばっかり見ていてろくに患者のこと見てないんだから、オンラインの方がよっぽどマシ」という意見が寄せられているのも面白いところです。
──この手の「オンラインとオフライン、どっちがいい?」みたいな議論ですと、「やっぱりフィジカルかつ対面で話すのが大事」って話はよくありますが、「そもそも対面していても意味ねえじゃん」って思われているということを、医療業界は重くみたほうがいいですよね。
おっしゃる通りかと思います。ちなみに、この記事でコメントを寄せているのは、「インテグリティ・ヘルスケア」という医療従事者向けのサービスプラットホームを提供している企業の代表取締役の武藤真祐さんという方ですが、この方が、現状をこう解説しています。
「国内で遠隔診療が普及しない理由として武藤氏は、『コロナ禍でようやくイノベーター(革新者)からアーリーアダプター(初期採用層)に広まったが、日常診療内で普通の医師が使ってもらわなければならない。診療報酬(の改善)や規制緩和が必要だ。他方で医師も変わりつつあり、患者が遠隔診療を望む『ユーザードリブン』が起きている。ただ、映像で会話するだけの遠隔診療は医療診察の一部分で、疾病管理に役立つことを証明しないと、大病院など(に遠隔診察)は受け入れられない。さらに医療現場のデジタル化が進んでおらず、遠隔診療だけ進めても意味がない。デジタル庁発足をはじめとする社会的変化で解決していくだろう」と、遠隔診療にまつわる諸課題を挙げた。
──「ユーザードリブン」ですか。
そこですね。先の認知度の高さを見ても、需要は大きいんですね。にもかかわらず、医療の現場も制度面も追いついていないというわけですね。はっきり言ってしまえば、ユーザーの要求に対して、サービスがまったく追いついていないという状況なわけでして、もちろん、問題が医療ともなれば安全の確保は、極めて重大なイシューであるとはいえ、「まだここ?」という感じは否めません。
──変な言い方ですが、せっかくのコロナを無駄にしている感じですね。
この間何度かお話していることだと思いますが、デジタルトランスフォーメーションにおける重大な課題は「実装」にあるんですね。システムやサービスをつくるのはできたとしても使ってもらわないとつくった意味がない、というのはマイナンバーでも「COCOA」でも同様で、サービスの緊急性や利便性を、ユーザーつまりは国民が認識しない限りどうにもなりません。民間サービスであれば「売れなかったね」ということですべて企業の責任ですが、行政サービスは税金からつくられるものですから、「使われなかったね」では済まないわけです。ですから、どうユーザーの利用に向けた機運を高めていくのかは、実際どの国でも一番頭を悩ませているところで、最も頭を使わなくてはなりませんし相当の努力を要する部分です。という意味では、「コロナ」は、ことばは悪いですが、動かない状況を動かすことのできる千載一遇のチャンスですし、本来であればオリンピックのような巨大イベントも、そういう意味で「テコ」として利用するためのものなんですね。
──そのチャンスをみすみす逃している、と。
先の記事には、こんな指摘があります。
「2020年4月に厚生労働省が新型コロナウイルス感染症対策として、初診・再診患者に対する遠隔診療の時限的措置を発した。遠隔診療自体の制度化は2018年3月だが、コロナ禍以前は全体のレセプト(診療報酬請求明細書)件数(月間約1億枚)に対して、遠隔診療料算出回数は100回程度(2018年4月時点)だったとされる」
──コロナが、せっかく制定したにもかかわらずまったく意味をもてていなかった制度を、大きく動かすチャンスだったわけですね。
そうなんです。ところが、ことはそう簡単には行かずでして。続けてこうあります。
「現在は前述の時限的措置に加えて、指針の一部改訂(2020年7月)や初診の遠隔診療を考慮した指針改定を2021年秋頃に実施する。説明会に登壇したインテグリティ・ヘルスケア代表取締役会長の武藤真祐氏は、初診患者の扱いについて『事前にトリアージ(緊急度に応じた優先順位付け)をして、オンラインと対面を分ける仕組みが検討されているものの、個人的には医師が診察して判断すべきと思う。その意味で(実現は)難しい部分がある』と見解を述べた。それでも遠隔診療の需要は大きい」
──「難しいんかい!」と(笑)。
現場のことはよくわかりませんので迂闊なことは言えないのですが、需要が大きいということは、その領域にちゃんとコミットしていくことが経済政策にもなりうるということでもありますから、そこにビジネスチャンスを見出していく人たちがいてもいいわけですし、政府にしてもそうした企業を支援したって良さそうに思うのですが、少なくともこの記事を読む限り、医療サービスの提供側、つまり大病院から街場のお医者さんまでが、その状況に対応できていなさそうです。これだけ明確に「需要」が見えている市場も珍しいように思うのですが、その需要にちゃんとコミットしよう、と業界全体としてなっていないのだとすると、相当深刻ですよね。経済原理が健全に作動していない空間は、外部からなんらかのインセンティブを働かせることもできないですからね。
──自ら「需要」を放置し、見殺しにする産業って、たしかに相当怖いですよね。
怖いんですよね。ただ、今回の〈Field Guides〉にある「テレヘルスの成功はサイバーセキュリティの悪夢をもたらした」(Telehealth’s success created a cybersecurity nightmare)の記事が指摘するように、需要に答えたからといって、すべてが解決するわけではなく、新たな問題が発生することにはありまして、サイバーセキュリティはその最大の懸念とされています。
──そうですか。
記事は、データ漏洩がもたらす平均損害コストを業界ごとに分けてグラフ化していますが、ヘルスケア業界における損害は、テック、金融、エネルギーなどの業界よりも甚大で、平均713万ドルと算出されています。これは逆に言いますと、ヘルスケアをめぐる個人情報は、ファイナンシャルデータなどよりもはるかに価値があるということでして、「D Magazine」というメディアによれば、その価値はクレジットカードデータの50倍もあるそうです。
──こわっ。
ハッキングによって盗まれたデータはブラックマーケットで売買されるほか、病院を強請る事例も増えているそうで、かなりシビアな状況と言えます。昨年10月末には、アメリカのCISA(Cybersecurity and Infrastructure Security Agency)と保健福祉省(Department of Health and Human Services)とFBIが共同で医療機関や医療サービスプロバイダーに警告を発しています。
──おおごとですね。
記事は、さらに深刻な問題として、ユーザーの側の脆弱性も指摘しています。ユーザーはYouTubeを見ているのと同じデバイスで医療機関にアクセスするわけですから、病院やサービスサイドがいくら頑張ってセキュリティソフトを導入し、院内や社内で徹底的にセキュリティ教育をスタッフに施しても、ユーザーがリスクになってしまうわけですね。
──困りましたね。
記事はユーザーに向けて5つほど助言を授けていますので、それはさらっておきましょう。
- OSを必ず最新バージョンにしておくこと
- 複数段階認証を用いること
- ウイルススキャナーを定期的に走らせること
- フィッシング詐欺の基本的手口を知っておく
- パスワードマネージャーを使うこと
──ユーザーもただ「テレヘルスを使わせろ!」と言っているだけではいけませんね。
データ保護は個人の「義務」とすべきだ、という議論が欧州では出ているくらいですから、その辺りの習慣づくりも、困難な課題として立ち上がってきます。加えて、遠隔の対面診察に、例えば「ZOOM」や「FaceTime」などの商業アプリの利用を認めるのかどうかといったあたりも、同列にある問題として考慮される必要がありまして、記事によればイタリアやオーストラリアは商業アプリの利用を認めているそうですが、アメリカでは、コロナによるパンデミックが終息するまでは特例として認められているようです。ちなみに、世界各国のテレヘルスの状況については、このレポートが詳しく紹介していますので、ぜひご覧ください。
──日本の行政府は、先ほどの「総裁スタンプ」の平井卓也氏のツイートにもあったように、やたらとLINE推しだったりするあたり、なんだか不安ですよね。
テレヘルスの先進国って、わたしの知る限りですと、やはり中国だと思うんですね。平安保険、衆安保険といった保険会社が、町のお医者さんなどをプラットフォーム上でネットワーク化してそのなかでチャットによる問診などを受けられるようなサービスを、コロナ前より展開していて、かなり広範囲に利用されていると聞きます。保険サービスと医療サービスとがひとつのアプリ内に収まることで、サービスの連動性が高まりますし、結果ユーザーの利便性は上がり、新しいサービスを利用するにあたっての心理的ハードルが下がります。こうやって、どんどんサービスが拡張していくアプリは「スーパーアプリ」といった言われ方をしまして、アリババやテンセントをはじめ、中国のプラットフォーマーはこれが非常に得意なんですが、先にお話したような「実装の困難」を乗り越えるにあたって、これは、おそらく最も合理性の高いアプローチなんですよね。日本政府が、何かと「LINE」をあてにするのも、そういう意味では理にかなっていると思いますし、先般のヤフージャパンとの経営統合も、基本的には、そうしたスーパーアプリの開発を目論んでのことでしたよね。
──あー、そうなんですね。
そうですよね。検索すると、すぐに「ヤフーとLINEが経営統合。“3つのスーパーアプリ”で’23年2兆円」なんていう記事がヒットします。
──ほんとだ。
ここで言われているのは、こんなことです。ヤフージャパンの親会社にあたる「Zホールディングス」(ZHD)の川邊健太郎CEOのことばです。
「スーパーアプリを定義すると、生活に身近な異なるサービスが1つのアプリで使える。新ZHDには、LINE、PayPay、Yahoo JAPANアプリという3つのスーパーアプリ候補があり、それぞれ発展可能性がある。LINEは人と人のコミュニケーション起点で、アカウントが強い。お店との関係も含めた生活支援ができる。かつては、Yahoo! JAPANアプリしかなかったので、いろいろ詰め込んで使い勝手を残っていたが、スーパーアプリに3つもチャレンジできる会社は世界中見ても、ZHDだけ。それぞれのアプリを無理のない形で強化していきたい。新ZHDをユーザーに取って意味ある統合にしていく。新サービスに期待してほしい」
──なるほど。
具体的には、例えば金融領域ですと「ユーザーのアクションに応じてローンや投資商品、保険などの提案する『シナリオ金融』を拡充する」とされていまして、これとヘルスケア分野における「『LINEドクター』を起点に、オンライン診療や、服薬指導、薬の配送などの遠隔医療サービスを展開する。2021年中にオンラインの服薬指導を開始する」という絵図は、まさに平安保険などが提供しているサービスを思わせますし、さらにそれが行政サービスと連動して「Yahoo! JAPANのサービスやLINE上で行政手続きの情報を拡充。さらに内閣府の『マイナポータル』と連携し、行政手続きのオンライン申請サービスを開始。児童手当や介護などの手続きから順次拡充を目指す」となっていきますと、実際、一気にさまざまな領域がデジタル化され、かつ使い勝手のよいものになっていく可能性は十分ありますね。
──とはいえ、LINEは韓国の会社じゃんか、といった批判は根強くあります。
そこですよね。経営統合が発表された際には、日本における2大大手が組むことで「GAFAに対抗する」といったことが言われていましたが、スーパーアプリという概念を強く打ち出しているところを見ると、脅威と感じているかどうかはよくわかりませんが、最も強く意識されているのは中国のIT産業であるように見えてきます。日韓で中国に対する対抗軸を打ち出していくといった政治的な論点があるのかどうかはまったくわからないのですが、気になるところではありますね。
──どうなんでしょうね。
さあ、まったくわかりませんが、「LINEドクター」では保険証の画像を利用にあたって提供しなくてはいけないようです。そうした認証は、もちろん必要であるとはいえ、大量の国民の保険IDの取り扱いについて、どこまで民間企業をあてにしていいのか、といったあたりはやはりそれなりにセンシティブですよね。成り行きまかせで、行政データとLINEのIDとは紐づいていくようなことになるのは、それはそれでアリなのかもしれませんが、そういったことを可能にしてしまえば、ならApple IDでもAmazon IDにでも紐づいていたっていいような気もしてきますが、そのあたりは、今度は競争政策上問題あるような気もしなくもありません。行政がテコ入れして、GAFAや中国企業に対抗できる、巨大IT企業を国内につくるのは必要なことだというのはわからなくもないですが、それが過度に進行すれば、国民はひとつのプラットホームのなかで選択肢を奪われることにもなりかねませんから、それはそれで結構なディストピアのようにも思えます。
──困りましたね。
今回の〈Field Guides〉の焦点は、実は、これまでメンタルケアも含めた医療サービスから遠ざけられてきた人たちを遠隔医療というものがいかに救うことができるのか、というところにありまして、それは「テレヘルスはヘルスケアをもっと平等にできる」(How telehealth could make healthcare more equal)、「ブロードバンドへのアクセスがあなたのヘルスケアを左右する」(Access to broadband could affect your healthcare)といった記事で明確に指摘されていることですが、遠隔医療は、その根本において「医療格差」のような状況を改善することに一番の期待がかけられているんですね。
──なるほど。
そうしたなか、アメリカでは、例えばLGBTQやトランスジェンダーの方々に特化した「Plume」「Folx」といった遠隔医療サービスや、糖尿病や高血圧の専門サービス「Livongo」など、それこそユーザーのニーズに合わせたサービスが生まれ、結果として、オンラインにおいて医療サービスをめぐる新たな多様性がつくられているそうです。
──いいですね。
そうやって、これまで掘り起こされることなくサービス化されることのなかったニーズが、きちんとサービス化されることが、医療に限らずデジタルがもたらしうる美点なのだと思いますが、スーパーアプリには、そうした状況をエンドースする道筋もありうるわけです。
──逆に、そうした小さなサービスを全部なぎ倒して、勝者全取りといったモデルを採用することも可能なわけですよね。
そうですね。
──どうなりますかね。
期待したいところではありますが、正直半信半疑ですね。多様性や自由といったものを、どこまで重要なものと考えるかが分かれ道になるかと思いますが、日本のテック/ビジネス界に、その勘所がある人がどの程度いるのかということになりそうです。
──いますか?
どうでしょうね。そういう人がたくさんいたなら、日本はすでにこんな体たらくではなかったのではないかと思いますけど。
──あはは。そりゃそうだ。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子さんとともホストを務める「こんにちは未来」をはじめさまざまなポッドキャストもプロデュース。2020年に配信した本連載を1冊にまとめた『だえん問答』も好評発売中。
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🎧 Podcast最新エピソードのゲストは、世界8カ国を移動しながら都市・建築・まちづくりに関する活動を行う杉田真理子さん。多様な「都市」がもつ魅力、トレンドとなりつつあるその価値にせまります。 Apple|Spotify
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