Deep Dive: Crossing the borders
グローバル経済の地政学
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オランダ、ASML。クルマもスマホもプレステ5も国家の安全保障も、この「半導体製造テクノロジー」企業に大きく依存しています(英語版はこちら)。
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世界で半導体不足が深刻化しています。スバル(SUBARU)が群馬県の矢島工場の稼働を一時停止したほか、5Gネットワークの展開にも遅れが出るなど、さまざまな分野で影響が生じているのです。アップルは製品供給への影響に神経を尖らせていますし、「PlayStation5」はあまりの品薄で入手はほぼ不可能な状態です。
背景には、パンデミックで一時的に減産となったことに加え、パソコンや家電の需要拡大があります。今回の事態によって半導体チップの重要性が改めて浮き彫りになっただけでなく、そのサプライチェーンが非常に複雑であることが示されました。
market depends upon…
ASMLなくして世界は
いま、4,390億ドル(約47兆7,200億円)に上る半導体産業の中核をなすある企業に注目が集まっています。オランダ南部フェルトホーフェン(Veldhoven)に本社を置くASMLホールディング(ASML Holding)は、半導体の製造に使われるフォトリゾグラフィー装置のメーカーです。
フォトリソグラフィーとはシリコン基板にレーザー光を当てて電子回路を焼き付ける技術で、半導体製造装置市場におけるASMLのシェアは60%に上り、2019年の売上高は118億ユーロ(約1兆5,400億円)でした。
ASMLは波長13.5nmの極端紫外線(EUV)を使った次世代露光装置を実用化した唯一のメーカーでもあります。EUV露光装置を使えば、溝幅が髪の毛の1万分の1という非常に微細な回路を加工することが可能です。
これほど重要であるにもかかわらず一般にほとんど知られていない企業は、他にはないでしょう。オランダの小さな町フェルトホーフェンがASMLもろともなくなりでもしたら、世界経済(スマートフォンの利用、リモートワーク、Netflixの視聴、オンラインショッピング、クラウドストレージ、“IoT的”な資本主義)は崩壊するでしょう。ASMLは独占企業ではありませんが、半導体産業はASMLの技術に依存しているため、その影響は無視できません。
また、ASMLはその特異な地位ゆえに、米中の貿易摩擦などの影響に晒されています。同社がこの事態にどう対処しているかは、技術面だけでなく社会面の変革も乗り越えていかなければならない他の企業にとって参考になるはずです。
ASMLは世界で半導体が不足しているという事態を十分に認識しています。CEOのピーター・ウェニンク(Peter Wennink)は需要を満たすための生産能力の拡大には2年はかかると説明した上で、「できるだけ早く前に進むために、より多くの人員を動員しています」と述べています。
ただし、これは数十万個に及ぶ部品で構成される露光装置を組み立て、きちんと動くかテストし、再び分解して台湾や韓国、米国などにある半導体工場まで運び、再度組み立てるというプロセスを意味します。わたしたちの飽くなき需要に応えるための半導体チップ生産には、膨大な準備が必要なのです。
The history of ASML
ASMLの社史
1984年にASMLに入社したフリッツ・ファン・ハウト(Frits van Hout)の初出社日、会社の誰も彼がその日から仕事を始めることを把握していませんでした。当時、ASMLはフィリップス(Philips)とASMインターナショナル(ASM International)の合弁として立ち上げられたばかりでした。
ファン・ハウトは、いまではASMLの最高戦略責任者(CSO)を務めています。「好きでここに来たのか、それとも辞令で異動せざるを得なかったのかと、同僚に聞かれたんです。誰もがこんなところにはいたくないと思っていて、他の会社に移る方法を探していました」
最初のオフィスは、雨漏りのする工場の一画にありました。人員は立ち上げ当初の45人から1年間で200人に増え、工場に入り切らないスタッフは仮設小屋で仕事をしていたそうです。
半導体集積回路(IC)の誕生は、1959年にまで遡ります。その製造の際、重要な役割を果たすのが「フォトリソグラフィー」(同年に特許を取得)です。レンズと鏡を用いてシリコンウェハーの表面に回路を転写するわけですが、これはつまり光学系の技術で、急成長するコンピューター産業に部品を提供するために半導体市場が拡大するにつれ、キヤノンやニコンなどの光学機器メーカーが露光装置事業に参入するようになりました。
ファン・ハウトは「フィリップスがフォトリソグラフィー装置を他の半導体メーカーに売ろうとすれば、『製品自体はよさそうだが、フィリップスは半導体メーカーなのに製造装置も販売しているのか』と聞かれるでしょう」と説明します。フィリップスはこのために、露光装置に特化した別会社を立ち上げたのです。
当時のフォトリソグラフィーは現在のそれと比べればはるかに粗雑で、水銀ランプから波長436ナノメートル(nm)の紫外線を照射して露光するというものでした。キヤノンやニコンなど大手を含む10社以上が専用の機械を製品化しており、ASMLのような新興企業は苛烈な競争を強いられました。ファン・ハウトは「顧客やビジネスについては何も理解していませんでした」と振り返ります。「フィリップスは1980年代後半に経営危機に陥り、わたしたちは破綻の一歩手前という状態で事業を続けていたのです」
ASMLは1988年にスピンオフして独立企業となりましたが、競合メーカーと違って、露光装置の組立工場を保有していませんでした。ASMLはこのために、製品をモジュール化して、部品メーカーとの強固なネットワークを築きながら必要に応じて部品やユニットを発注するというビジネスモデルを確立しました。そして、結果的にはこれが大きな成功をもたらします。
半導体の世界では、技術革新によって露光源の波長が365nmから248nm、そして193nmと次第に短くなっていきました。これに伴い製品開発費は膨れ上がりますが、競合メーカーが部品の製造から組み立てまですべてを自社で行おうとしたのと異なり、アウトソーシングが中心だったASMLの場合、コストのかなりの部分を部品のサプライヤーに転嫁することが可能だったのです。
例えば、レンズの調達先だったツァイス(Zeiss)は独自にレンズの改良に取り組んでいました。装置に真空領域をつくる必要が出てきたときには、かつての親会社フィリップスに頼ることができました。ASMLの技術担当副社長ヨス・ベンスホップ(Jos Benschop)は、「貧しい会社にとって、大きな助けになりました」と述べます。
dominate its industry
圧倒的シェア
変化が起きたのは、2000年代初頭のことでした。市場に残る主要な競合はキヤノンとニコンだけで、いずれもファン・ハウトによれば「スリム化やコスト削減を気にしない」企業であり、これに対してASMLは比較的動きが早かったといいます。
インターネットの爆発的な普及に伴い、デジタルカメラ、USBドライブ、MP3プレイヤーなど新しい消費者家電はいずれもチップを内蔵するようになりました。ASMLはここで「すべての卵をひとつのカゴにいれることにしたのです」と、ベンスホップは語ります。つまり、将来に向けて、複数の技術の研究開発を行う代わりにEUVリソグラフィーに的を絞ったのです。
波長13.5nmのEUVを発生させるには毎秒5万個の錫の微粒子にレーザー光を照射してプラズマ化する必要があり、装置の開発は容易ではありませんでした。ASMLは当時、顧客の半導体メーカー(インテル、サムスン電子、TSMC)に自社株を売却して開発資金を捻出しています。
EUV露光装置のプロトタイプが完成したのは2010年で、実用化されたのは2016年です。機械の総重量は180トンで、組み立てには17〜18週間を要します。価格は1億2,000万ドル(約130億5,000万円)を超えますが、ASMLの昨年の販売実績258台のうち31台がEUV露光装置でした。
販売後はコンテナボックス150個に上る部品を大型ジェット機「ボーイング747」3機に分けて乗せて、顧客の半導体工場まで運びます。また、工場にはASMLの専門チームが常駐して保守点検を行うといいます。装置そのものだけでなく稼働させるのにもコストがかかり、EUV露光装置を導入するための費用は総額で10億ドル(約1,088億円)に上るとの試算もあります。
このように金食い虫であることは確かですが、半導体メーカーはEUV露光装置によって大きな力を得ることができるといいます。コンサルティング会社ベイン・アンド・カンパニー(Bain & Company)のパートナーのヴェル・シンハ(Velu Sinha)は、サムスン電子とTSMCがEUV露光装置を持っているのに対し、インテルはこの技術を導入しておらず、これは大きな課題のひとつだと認めていると指摘します。
ASMLは年間数百台の半導体製造装置を販売していますが、EUV露光装置はまだその一部に過ぎず、最先端の性能を必要としない一般的なチップは依然として従来の製法で製造されています。しかし、ASMLは2025年までには売上高の75%はEUV露光装置の販売になるとの見通しを明らかにしました。また、EUV開発で得られた知見は次世代露光技術の開発においても役立つため、すでに独占に近い市場シェアをさらに拡大していくことが可能です。
The geopolitics of semiconductors
半導体の地政学
世界で半導体チップをもっとも購入しているのは中国で、2020年の輸入量は5,430億個、金額にすると3,500億ドル(約38兆700億円)に上ります。中国最大のファウンドリー(受託生産会社)である中芯国際集成電路製造(SMIC)が設立されたのは2000年ですが、シンハは「当時の製造技術はいまほど精密ではなく、例えばクリーンルームのようなものは不要でしたし、工場の外をトラックが通って建物が大きく揺れても問題はありませんでした」と言います。
しかし、半導体の製造は10年で大きく複雑化しました。同時に、米政府は中国に販売された最先端の半導体の使い道に神経を尖らせているほか、中国製の半導体については安全保障上の脅威があるとして懸念を強めています。シンハは「中国企業がEUV技術を使ってチップを大量生産することを許した場合、こうした最先端の半導体には無数のトランジスタが搭載されているため、問題がないか精査するのは不可能です」と説明します。
米国は現在、華為技術(ファーウェイ)に対して半導体の輸出規制をかけています。また、ASMLのEUV露光装置は安全保障分野における重要品目・技術の輸出を管理する「ワッセナー・アレンジメント 」(Wassenaar Arrangement)の対象に含まれているため、この枠組みに参加していない中国に販売することは禁じられているのです。
世界最大の市場との取引を阻まれたASMLのCEOのウェニンクの心情は簡単に想像できるでしょう。輸出禁止の背景には、安全保障上の懸念だけではなく、中国が半導体の自給率を高めることを妨げたいという経済的な理由があります。ウェニンクはこれについて、軍事分野で使われる半導体は大半が最先端のものではなく、古い技術でも十分に製造が可能だと指摘します。
彼は過去に「政府に対しては、わたしたちの機械は多機能かつ汎用的な製品の製造システムの一部なのだと申し上げたい」と述べています。「半導体は例えば医療データや交通データの処理に使われます。制裁を科せばイノベーションが阻害されコストが拡大するということを、政府に理解してもらわなければなりません」
最先端のフォトリソグラフィー技術は非常に複雑なため露光装置の製造は容易ではありませんが、それでも中国が国産のEUV露光装置を完成させる可能性はゼロではありません。中国の装置メーカーが誕生すればASMLにとっては競合となるわけですが、ウェニンクはこの点については言及していません。
ベイン・アンド・カンパニーのシンハは、現行の制裁措置は中国の半導体戦略を5年か10年遅らせることしかできないと推測しています。「中国政府は最新の経済計画で、この分野に300億ドル(約3兆2,600億円)を投じることを決めました。つまり、彼らはゲームオーバーだとは思っていないのです。制裁によって中国が目標を達成できなくなるということはないでしょう」
一方で、ASMLのビジネスに大きな損害が出ているわけでもありません。半導体への依存はますます高まっており、アジア、米国、欧州でファウンドリーの数は増えていくはずだとシンハは指摘します。そして、辛抱強く待てばいずれは地政学的および経済的状況が変化し、ASMLは政府の規制に縛られずに自由に製品を販売できるようになるでしょう。
ウェニンクはこれを理解しており、いつかは制裁が解除されることを望むとした上で、「20歳若ければ苛立ったかもしれませんが、いまはただ現実を受け入れています」と語っています。
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Column: What to watch for
半導体は「インフラ」
今月12日、ジョー・バイデン米大統領は、19社のCEOと意見交換を実施。各メディアはこれを「semiconductor summit」(半導体サミット)と伝えています。半導体需要が増加するとともに、パンデミックによってサプライチェーンには混乱が生じ、米国の指導者たちは国内での半導体製造を強化するよう呼びかけています。彼らは半導体不足を、「国家安全保障はじめあらゆる分野を脅かす危機」であると認識しているのです。
半導体サミットに参加したのは、ゼネラル・モーターズやフォードなどの自動車関連企業をはじめ、AT&Tやグーグル、デル、HP、インテルのほか、メドトロニック(医療機器)、ノースロップ・グラマン(防衛)。半導体メーカーのなかでも、台湾からTSMC、韓国からサムスン、オランダからはNXPセミコンダクターズが招聘されていました。バイデンは会談において、「半導体チップもウェハーも、バッテリーやブロードバンドとならび、すべてインフラである」と述べたとも伝えられています。
(翻訳:岡千尋、編集:年吉聡太)
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