A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題する週末のニュースレター「だえん問答」。毎週土曜の夜に執筆され、こうして日曜に皆さんにお届けしていますが、今週からは原稿執筆中に若林さんがBGM代わりに流しているプレイリストも、ともにお楽しみください。
──今日から5月です。
そうですよね。あっという間ですね。今年に入って一体何をしたのか、思い出そうとしても何にも思い出せない感じです。
──なんだかずっとふわふわしてますよね。
地面を失っている感じはありますね。
──はい。
と言いながら、そう言ったときの「地面」って、そもそもなんだったのだか、よくわからないですね。
──現実感ってことだと思いますが。
そうですよね。でも、現実感が失われているって、具体的には何が失われているということなんでしょうね。
──「現実」じゃないですか?(笑)
ですよね(笑)。じゃあ、現実ってなんですか、ということになりますが、現実は基本「そこにあるもの」なのでしょうから、それが失われているわけでもないようにも思うんですよね。
──そう言われると、たしかにそうですね。じゃあ、なんなんでしょうね。「安定」みたいなものが損なわれているということなんですかね。
そこがよくわからないんですよね。わたしなんかはコロナになったからといって、特に生活が大きく変わったわけでもないですし、ビジネスも、パンデミックや緊急事態宣言によって大きく打撃を受ける類のものでもありませんから、変わらないと言えば変わらないのですが、それでも、なんだかふわっとしちゃってるんですよね。と言って、以前がよほどビシッとしていたかというと、もちろんそんなこともないので、そこも、大して変わらないといえば大して変わらない気もします。
──うーん。煮え切らないですね。
そこなんですよ。今年に入ってからも、毎週、こうやって「だえん問答」を続けているわけなんですが、こんなことを言うのもなんですが、今年に入ってから、実はずっとなんだか焦点が定まらない感じなんですよね。
──あれ。そうなんですか?
はい。とはいえ、これはわたし自身だけの問題だけでもないのだろうと思うところもありまして、昨年中は、パンデミックだ! 大変だ!というなかで、さまざまな社会的な問題が持ち上がって騒然となって、考えなくてはならないこともたくさん噴出して、それこそ、そうやって噴出した問題を、さまざまな角度から検証したり、つなぎ合わせたりしながら「論点」を整理していくことにおいて、メディアは大きな力を発揮したと思いますし、毎回題材とさせていただいている『Quartz』も非常にシャープな動きをしていたのですが、今年に入ってからなぜか焦点が一気にぼやけたという感覚があるんですよね。
──そうですか。
といって、これもまた『Quartz』だけの問題ということでもないような気がしていまして、「いま、わたしたちは何を見て、何を議論すべきなのか」というところの「論点」が、世の中全体としてふわっとしちゃっているからのようにも感じるんです。もちろん、昨年一気に浮き彫りになったたくさんのこと、例えば「システミック・レイシズム」や「格差」の問題、あるいは「メンタルヘルス」や「民主主義の危機」「資本主義の限界」といったような問題は、問題化されたからそれで解決するものではありませんし、むしろこれからさらなるアクションが必要になるものだとは思うのですが、とはいえ、そうやっていったん問題化してしまうと、もうだいたいのことが「構造的な差別」や「格差」や「資本主義の限界」といったことばで説明できてしまって、わかったような気になれてしまうようなことにもなってしまうところもあるように思うんです。
──何が起きても同じ議論にたどり着いてしまう感じは、たしかにありますね。
何が起きても、同じところで議論が堂々めぐりしてしまっていると言いますか。
──例えばですが、何かについて誰かが「差別だ」というと「じゃあ中国を問題にしろ」みたいな堂々めぐりを何度もみているような気がします。
先日のアカデミー賞の短編実写部門でオスカーを獲得したのが『Two Distant Strangers』(隔たる世界の2人)という作品で、たまたま発表前に観たのですが、これはいわゆる「タイムループもの」と呼ばれるジャンルの映画なんですね。
──タイムループものといえば『恋はデジャブ』ですよね。
はい。まさに、本作は「恋はデジャブ×BLM」といったキャッチフレーズで語られたりもしていまして、内容はと言いますと、「ガールフレンドの家で目が覚めた青年が家に帰ろうと外に出ると警官に呼び止められ殺されてしまう」という朝を、何度も何度も繰り返し生きなくてはならないという痛烈なものです。
──怖いですね。
はい。それこそ、BLMの運動を通じて可視化された構造的な不条理を鋭く描いた作品だと思いますし、希望があるのかないのかわからないエンディングも含めて秀逸なのでぜひご覧いただけたらと思うのですが、ここで問題にしたいのは、その内容上のメッセージというよりも「タイムループ」という形式なんですね。というのも、これはまだ観ていないのですが、これとはまた別に、同じNetflixのドラマシリーズで『ロシアン・ドール:謎のタイムループ』という作品がありまして、この作品も、実はタイムループものなんだそうなんです。
──へえ。流行ってるんでしょうかね。
といって、あと思いつくのは、トム・クルーズが主演したちょっと前の作品で『オール・ユー・ニード・イズ・キル』くらいですから、流行っているというのもおそらく語弊があると思うのですが、いまこの形式が妙に引っかかる感じがあるのは、たしかにそうなんです。もっとも、これは自分がそう感じているだけかもしれませんので、とりたててその一般性を主張したいわけでもないのですが、なぜかいまの心持ちと符号するところがあるように感じてしまうんです。
──同じ日が毎日続いていて、どうにも抜け出せないという感じ。
はい。これは堂々めぐりじゃないか、と。なので、毎週こうやって「だえん問答」を続けていて、それこそ毎回違うことを書いているはずなのですが、なんだか同じループのなかで、同じことを書き続けているだけなんじゃないかという気がしてきてしまうんですよね。
──まあ、でも、同じ人間がやってれば、どうしたって言うことは同じになってきてしまう、ということはありますよね。
それはもちろんその通りでして、自分の視点、視座みたいなものは、どうしたって固定されて生きますから、そこから離れることはできませんし、そのこと自体に飽きているというのは、とりたてて新しい話でもないのですが、いまある状況は、それとはちょっと違っている気もするんです。
──不思議な感じですね。
そうなんです。といって、それでメンタルをおかしくするほどのことでもないですし、仕事もそれなりに充実している感覚もあるので、ものすごく困っているわけでもないのですが、このことは今年に入ってから、実はずっと引っかかってはいまして、そのぼんやりとした状況の正体が何なのかとつどつど向き合うために、この連載をつくる作業を毎週繰り返しているようなものなんですよね。逆にいうと、この連載があるせいで、毎週毎週、振り出しに戻されているということもあるのかもしれません。
──あはは。苦行じゃないですか。
苦行は苦行みたいなものですが、とはいえ、作業自体はとりたてて苦しいわけでもないですし、楽しいといえば楽しかったりもします。ほとんど儀式みたいなもので、土曜の夕方に事務所に来て、執筆しながらかけておくためのプレイリストをつくって、「えいや」で取り掛かって、だいたい5〜6時間没頭し続けるという作業なのですが、1人きりの自由な時間でもありますので、それなりの開放感もあるんですよね。ちなみに執筆中にかけているプレイリストは、今週から公開しようと思っています。
──あ、いいですね。
いつもだいたいこんな感じなのですが、本当に毎回出会い頭で思いついたことを書き始めるので、今回も実はこんな内容になるはずじゃなかったんです。
──あ、そうなんですか。
事務所に来る途中に考えていたのは、こういう出だしです。ちょっと書いてみましょうか。
──はい(笑)。
行きますよ。
「──今日から5月です。
そうですね。5月1日といえばメーデーですよね。
──そうですね。
本当はこんなところで仕事していたらまずいですよね。
──あ、それ気にされるんですね。
ものすごく気にするというわけでもないのですが、先日たまたまあるニュースを読みまして、それは、『NPR』というアメリカの公共メディアのテックワーカーたちが新しい組合を結成したというものでした」
てな感じです。
──面白そうじゃないですか(笑)。これ、どう続くんですか?
続けてみます? 自分でもそれがどこにどうつながるのか、まったくわかりませんが。
──あ、ぜひ。
The air we breath
室内のサステナビリティ
このニュースはとあるツイートで見かけたもので、詳細はあまりわかっていないのですが、『NPR』のテックワーカーが組合を結成したつい数週間前に、『The New York Times』のテックワーカーたちも組合を結成したそうなんです。この投稿によれば、この間、デジタルメディアのジャーナリストたちが組合を結成したことに続いて、メディア企業内のテックワーカーたちが連帯する動きが高まっているということなのだそうです。
──ふむ。
パンデミックに入って1年以上が経過したなかで、巨大な経済プレイヤーたちが、自分たちの権益を災害をテコにより強固なものにしようという欲望を隠し立てしなくなっている状況を、前回、オリンピックや欧州スーパーリーグ構想に寄せて触れたのですが、これは、まさに作家/アクティビストのナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』という本のなかで主題とした「惨事便乗型資本主義」の典型とも言えそうなものでして、災害で市民が茫然自失の状態にあるどさくさに紛れて、極端な市場原理主義の導入を行うこうしたやり口は「火事場泥棒資本主義」とも言われています。
──コロナのどさくさに、ということで言えば、看護師の派遣法の改正もありましたし、人材派遣会社がワクチン接種を担当する医師を10万円で募集しているなんていうニュースもありました。
これは政権に近い経済学者が人材派遣大手企業の会長を務めていることから、小学生でも裏を勘繰れてしまうような施策ですが、これ以外にも、例えばワクチン接種の予約システムの構築を、この経済学者が顧問を務める企業と日本旅行が請け負っていたりといった情報もあります。ちなみに日本旅行は、GoTo事業の運営委託先であった「ツーリズム産業共同提案体」の一翼を担った企業です。
──火事場泥棒感、ハンパないですね。
笑っちゃいますよね。先の組合結成の話に戻りますと、こうしたなりふり構わない火事場泥棒が、おそらく世界的にも横行していることから、ワーカーたちは新たに自衛策を講じる必要が出てきているということなのだと思います。これはあくまでも余談ですが、さるグローバルメディアコングロマリットでは、コロナ禍での業績不振を受けて、中央集権化をどんどん強め、各国のローカルの編集部がヘッドクォーターの直轄化に置かれるような組織体制の変更が行われていたりもするそうです。これを火事場泥棒と呼ぶべき動きかどうかは判断が難しいところですが、そうした動きを通じて実際のところ「何が守られようとしているのか」は明らかではありますよね。
──現場のワーカーではないことはたしかですね。
ここで今回の〈Field Guides〉のお題である「わたしたちの空気」(The air we breath)の話に移るのですが、今回の特集で面白いのは、「COVID-19は〈きれいな空気の室内〉の時代をもたらすか」(Could Covid-19 usher in the age of clean indoor air?)と題された記事でして、ここで紹介されている19世紀から現在にいたる「室内環境」の変遷が、非常に興味深いものとなっています。
──へえ。
現在の病院においては、病院内の衛生状態が患者の病状を左右する非常に大きな要素となっているのは当たり前のことですが、病室の換気や日当たりを良くし、病床の間隔を開け、清潔に保つことで、死亡者を劇的に減らすことができることを突き止め、それを実施し、広めたのは、みなさまご存知のフローレンス・ナイチンゲールだったことが、記事ではまず明かされます。
──ナイチンゲールは、すごい人なんですね。
はい。そこから、人間の健康にとって室内環境が重要なファクターになるという知見がもたらされ、その知見は、20世紀初頭のモダニズム建築に受け継がれると記事は書きます。ここで引用されるのが、これまたみなさまご存知のル・コルビュジェのことばでして、記事からの直訳で申し訳ないのですが、こういうものです。
「家は光と空気がふんだんにあって、壁と床が清らかであってこそ、住めるものとなる」
──ははあ。
コルビュジェは換気についても重視していたそうで、キッチンの匂いが家に充満することがないよう注意すべきだ、とも語っていたそうです。
──なるほど。
つまり、換気、外光、床や壁の衛生といったものを重視する考えは決して新しいものではないということですね。しかしながら1950年代になるとこれが間違った方角へ向かうことになると記事は指摘していまして、経済効率を重視する観点から、屋内に化学的な有害物質が使用されるようになり、さらに蛍光灯とエアコンの発明が、室内というものをコルビュジェが語ったような開放的なものではなく、より密閉的なものへと変えていったとしています。
──そうか。エネルギー効率の観点から、密閉度を高めたほうがいいということになるわけですね。
まさにその通りです。そして記事は、その傾向に一層の拍車がかかった契機として、1973年のオイルショックをあげています。外光を巧みに生かし、窓を用いてより良く空気の循環を行うことのできる建築デザインの手法「パッシブ・デザイン」の技芸が、オイルショックを契機に、建築家やエンジニアから一気に失われていったと記事は指摘していまして、これが80年代になると、もはや建築デザインは「エクステリアが大事で、なかで何が起きようがどうでもいい」といったものになってしまったと語っています。
──手厳しいですね。
そして、それが90年代になりますと、ようやくそうした状況に対する反省が出てくるのですが、それを強く後押ししたのは、必ずしも室内環境が人間にもたらす影響という観点ではなく、「気候変動」という文脈から「建物のエネルギー消費」が問題になり、そこからさらに「サステイナビリティ」という論点を通じて「なかにいる人間の健康」がようやく考慮の対象になっていき、それがパンデミックという事態を経て、より包括的な観点から「グリーンな建物」の有りようが検討されなくてはならなくなっている、ということでして、これがまさに今回の〈Field Guides〉の論点ともなっているわけです。
──面白いですね。
100年経ってコルビュジェが語っていたのと同じ地点に戻ってきているということなのであれば、これこそ遠大な堂々めぐりとも言えそうですが、それはそれとして、「オイルショック」という危機における対処がひとつの大きな展開点になったことは、改めて検討しておく必要があるような気がします。
──先の火事場泥棒資本主義に通じる話ですよね。
はい。先の記事は、オイルショックによってもたらされた「エネルギーはもはや安価ではない」という危機感が、建物の「効率化」を大々的に推進したとしていますが、結果から見ると、そこで行われた「効率化」が、かえって建物というもの全体の環境負荷を高める方向へと進めてしまったわけですよね。面白いのは、オイルショックという危機がもたらしたのは、本来であれば「これからは好き勝手に思う存分エネルギーを浪費することはできないぞ」という警鐘であったはずで、実際、時代背景的にもこの辺りから「エコロジー・生態」といった概念が広く提唱されるようになっていますし、日本でも60年代から続いてきた四日市ぜんそくの訴訟が決着するのが1972年であることを考えれば、「環境」という論点は社会的に非常に重いものとなっていたにも関わらず、なぜか、そこでの反省が、逆の結果をもたらす方向に進んだように見えるところです。
──たしかに。なんでそんなことになったんでしょうね。
野口悠紀雄先生が書かれた『1940年体制〜さらば戦時経済』という本がありまして、これは日本の経済体制がいまもなお戦時中に敷かれた「1940年体制」から脱却されていないことを指摘した非常に面白い本で、わたしはこの本を元ほぼ日/現株式会社エールの篠田真貴子さんに教えていただいたのですが、この本のなかに、オイルショックのことがチラッとだけ出てきます。
「一九七〇年代を計画期間とする『経済社会基本計画』をみると、『福祉の推進』が主要目標として登場する。これを反映して、一般会計の支出面でも、社会保障関係費、なかでも社会保険費が顕著な増加を示した。とくに、一九七三年度は『福祉元年』といわれたほど、さまざまな社会保障制度が拡充された。
このような状況がそのまま推移すれば、日本経済は四〇年体制から脱却していた可能性がある。
しかし、ここで、予想外の大きな外的ショックが生じた。それは、一九七三年の石油危機である。これによって日本経済は深刻な打撃を受け、再び全国民が一丸となった総力戦を戦わざるを得なくなった。生産者第一主義、会社中心主義、労使協調路線などは、むしろ強化されてしまったのである。
実際、日本経済が石油ショックへの対応において他の先進諸国に比べてすぐれたパフォーマンスを示したのは、労働組合が賃金引き上げを強く求めず、企業の合理化に協力的だったことにある。政府が強制しなくとも、ある種の所得政策が実施された」
──「政府が強制しなくとも〜」の最後の一文は、ちょっとこの間のコロナ対策を思わされるところがあって、ちょっとギョッとしますね。
ここで野口先生が指摘されていることはとても重要でして、わたしたちは、それが何か日本文化に強く根ざした伝統的なものであると考えがちな「生産者第一主義」や「会社中心主義」といったありようは、実は戦後社会のなかで徐々に解消しつつあったものだったのが、このオイルショックを機に強化され、それが80年代以降も一種の「デフォルト」の状態として慣習化したところなんですね。このことは、大沢真理先生という経済学者が『企業中心社会を超えて 現代日本を〈ジェンダー〉で読む』という非常に面白い本で指摘されていることでもありまして、本書ではこのように書かれています。
「高度経済成長末期には、『成長よりも福祉を』、『生産よりも生活を』といった世論が高まり、一九七三年の田中角栄内閣による『福祉元年』を生み落とした。この時期、民間大企業の正社員たちは、『公害隠し』をひきおこしたようなみずからの会社人間的なあり方を、修正するよう迫られていたといってよい。すくなくとも企業主義が全社会を制圧したなどとは、とてもいえない状況であった。
だが、事態はここでドンデン返しとなる。石油危機による不況と低成長のもとで、『成長よりも福祉を』の世論はあっけなくしぼんだ。賃上げ自粛、『我慢』、『減量合理化』、『福祉見直し』などのあいことばが広く受容されていった。『日本的経営』は、日本経済が諸外国にくらべていち早く危機を克服したことの原動力として称賛を集めていく。合理化の渦中での生き残りをかけて競争と効率への一辺倒、会社優先が、社会のすみずみまで及んでいったのはこの時期だった。実際、高度経済成長期には減少し続けていた労働時間が一転してやや増加、そして横ばいのパターンに転じるのは一九七五年である。
このように、今日欧米諸国との対比で問題になる日本の長時間労働、『過労死』問題そのものが、すぐれて石油危機以降のものであることに注意しなければならない。極力人員を抑えつつ、残業増加・休日出勤・年休返上、はてはサービス残業でノルマをこなす『会社人間化』が、民間大企業でいっそう強まるとともに、下請化・系列化を通じて中小企業の労働者に過酷なまでに押しつけられた。そして一九七四年なかばから、所定外労働の削減、新規採用の停止、一時帰休などの『雇用調整』が進行して、労働条件は低下するにもかかわらず、離職率は顕著に減少する。(中略)
ついで企業主義の矛先は、巨額の財政赤字をかかえながら『ぬるま湯』の労使関係にひたり続ける公共部門に向かった。つまり福祉国家の減量合理化である」
──はあ。そうなんですね。「会社社会」がデフォルトになるのは、まさにこのときなんですね。オイルショックを諸外国よりもうまく抜け出たことが自負となって、成長を福祉よりも優先する社会を国民が「自らの手で」選びとっていくようになるというのは、なんというか、強固なロックダウンをせず、あくまでも「自粛」で乗り切ったことを「日本モデル」と自画自賛しようとした手つきを思わせもして、ほんとうにますますぞっとします。
先にご紹介した篠田さんは、以前、ハリウッドでコンセプトアーティストとして活躍する田島光二さんとわたしとで行った鼎談のなかで、こうした事態を、こんなふうに語っています。これはコロナ前の2019年に行ったものです。
「篠田 供給力が上がればすべてが回るっていうのは、典型的な戦後復興時のマインドセットですよね。二次大戦後の復興においては、どの国でも概ねそういった政策が取られたんですけど、多くの国は、オイルショックでひどい目にあい供給側の視点だけではダメだなって方針転換をするんですね。ところが日本は労使一体となって乗り切っちゃったんですね。
田島 根性すね(笑)。
篠田 そうなんです。その「根性」が変な成功体験になって、そのままバブルに向かってしまうので、変わるタイミングを失しちゃった。
若林 オイルショックが起きた時代は、消費者運動や人権運動、環境運動などが大きな影響力を持つようになっていった時代とも重なっていますから、そこで起きた転換は、本当は大きいはずですよね。
篠田 だと思います。経済においては需要が大事、政治で言えば人権が大事っていうのが当たり前のことになっていくわけですからね」
──コロナに揺れ動くこの間とりわけ大きくクローズアップされてきた問題が「人権」であったり「環境」であったり、あるいは「消費者」に関わることだったりしますが、日本政府も経済界も、まったくピントがズレたことしかできていないことの理由が、なんだか見えてくるような気もしますね。
70年代初頭に起きたオイルショックが、日本の社会を1940年体制のなかに固定化させたというのが本当であるなら、わたしたちはいま一度、ここで起きたことによほど注意を払っておくべきように思うんです。つまり、そこで、わたしたち国民・ワーカーたちが「国難だから」という理由から、自ら進んで戦時体制のなかに逆戻りをしたということで、より重大だろうと思うのは、その選択をした際に、おそらくみんなが「良かれ」と思って、その選択をしたのだろうと想像できるところです。
──そんなときにひとりだけ賃上げ要求するのは、なんというか「公共の福祉」に反するだろうという抑制が働いちゃったわけですよね、きっと。
はい。それ自体は、そんなに責められたものでもないと思いますし、それが日本人の美徳なのかどうかは知りませんが、気持ちはわかるところは十分にあります。ただ、そうやってある意味「お人好し」であったがために、そしてそうであることが短期的な結果をもたらし、それがプライドになってしまったことによって、自ら変化を起こすことができず、長期的により甚大な損失を被ることになったのであるなら、お人好しであることにも、やはり問題はあるのだと思います。
──うーむ。
やはり、コロナ禍のなかにあっても、あるいはオリンピックの問題に関しても、まず、やはりわたしたちは、その問題の中心に「経済的合理性」というものを据えてしまうわけですよね。これは、先に検討した「ビルの進化史」を見ても、その中で働く人・暮らす人の福祉よりも、ビル自体の「経済合理性」を真っ先に優先させたことに、やはり問題の根幹はあるはずで、先の大沢先生の引用にもあったように、「成長か」「福祉か」と二者択一を迫られると、多くの人が「やっぱり成長が先だな」となってしまうわけですね。
──まあ、それを一概にも責められませんしね。
でも、やはり、そうやって二者択一を迫るやり方そのものがほんとうにそれでいいのかと問うことは可能でもあるはずで、要は「成長」と「福祉」は、そもそも対立しあう概念なのかを問う必要はありそうで、コロナ禍のなかで起きている議論というのは、基本、それなんですよね。
──たしかに。「持続的成長」といったことばは、成長と福祉を同時に向上させようということですもんね。
そもそも、どんな経済行為であっても、それが他者というものと関わるものである以上、どこかには必ず福祉的な側面があるはずですし、どんなに福祉的に見える仕事でも、そこには経済的側面もあって、それを二者択一で、どちらかに決めろというのは無理だったりするわけですね。それを日本の場合、1973年を契機にして「競争と効率への一辺倒」のほうへと寄せたまま、それ以外のやり方を知らないというまでに、それを当たり前としちゃったわけですね。
──うーん。残念な話ですね。
もしかすると、わたしたちは、いま改めて1973年の状況にさしかかっているのかもしれないと考えると、少しは考えられることもあるのかもしれません。今回の〈Field Guides〉に即して、例えば建築について言うならば、やはり、もう一度、建物のなかの「空気」というものについて真剣に考えをめぐらせてもいいんじゃないかと思います。
──それも、「より性能のいい空調を実装する」という、過去に過ちを犯した方向ではないやり方で考えるのが大事ですよね。
はい。これについては、建築家の妹島和世さんが、とても面白いことをおっしゃっています。これはわたしが取材に立ち会ったものなのですが、非常に感銘を受けたものでして、長いのですが引用させてください。
「最近、日本の建築の中でよく使われるようになった言葉は『換気』です。日本は昔から湿気が多い国ですから、障子や引き戸によって簡単に開け閉めができるようにするなど、空間を密閉しないのが特徴です。なので、隙間風があったりもしますし、『換気』は何か自然に行われていたように思います。
一方、おそらく北ヨーロッパから持ち込まれて、近年、日本でも多く見られるようになった、高気密・高断熱という考え方は、完全に区間を切り取って、外側と内側を分けるやり方です。この考え方は、パンデミックによって否定的に捉えられる前から、個人的にはなかなか理解しづらかったんです。空間の内側と外側を完全に分けることで、エネルギーをセーブしているのですが、それはあくまで空間の内部での話で、外側を合わせた全体としてどのような状態かというのは内側にいる限り、どうしても見えにくいですよね。
つまり、たとえ空間を密閉して自分がいる場所だけを最適化したとしても、その状態を成立させるために、外側の状態が悪くなってしまえば、全体としていい状態だとは言えません。周りの環境も含めた全体の中でいい状態を目指すべきだと思いますし、世の中でよく言われる『サステイナブル』というのはそういった状態のことを指すのではないかと個人的には考えています。
内から外に広がっていくのが、日本の建築なんです。縁側や庇、庭などがあって、外側の自然に対しても“ぶくぶく”と、自由に広がっていきます。扉を開けても、どこまでが内側で、どこまでが外側なのかという区別が曖昧ですよね。それに対してヨーロッパの建築は、決められた枠組みの中で、“ビシッ”と1つひとつの機能を規定して、作っていきます。日本の建築は“ぶくぶく”と外に手を伸ばしていきたがるからこそ、建築がどこかに入り込んだり、出てきたりと、インタラクティブに自然の中に入っていくので、形的にも柔らかくなるのが特徴なんだと思います。
私がヨーロッパのコンペに呼ばれ始めた24〜25年ほど前は、空間の外と中が自然につながったほうがいいといった考え方はあまり理解されていなかったかもしれません。当時は、空間がつながっていく場所を作りたいと思い、『オープン』という言葉を使っていたのですが、その考えがあまりうまく伝わらず、『開く』という言葉をそのように翻訳した自分が間違っているのかな、と思っていました。10年ほどたつと、多くの人が『オープン』という言葉を使い始めまして、『ああ、そうか』と思いましたが(笑)。
境界がなく、空間がつながっていくということはつまり、人間同士、もっと関係を持ちましょうよ、ということなのですが、いまでは、その考え方もごく一般的なものになったと感じます」
──ああ、面白いですね。
妹島さんはこれを建築の話として語られていますが、「オープン」ということばは、むしろ建築だけではなく、組織や社会のモデルのありようとして語られるものですから、このお話も、そういうものとして思考の手がかりにするのがいいように思うのですが、ただ、こうしたことばも、ものすごく目新しいのかといえば必ずしもそうではなく、放っておくと、つまらない「日本建築礼賛」にもなりかねませんから、注意も必要です。このインタビューの最後で、妹島さんはこうも語っています。
「自分のキャリアを振り返ってみると、空間の内側と外側がつながっていったほうがいいなと、建築を始めた当初に思っていたことを、さまざまなプロジェクトを通してやり続けてきた30年間なんです。ただ、以前と変わったことと言えば、何か1つのものを単体で作り上げるというよりは、手がける対象が周辺の関係性を含めた領域にまで広がっていることだと思います。(中略)
犬島の集落で、空き家をアートギャラリーに改修するプロジェクトを行ったときも、最初はただ、ギャラリーを作ってほしいとお願いをされたのですが、そのギャラリーを作りながらもっとこういうことをやったほうがいいんじゃないかという気持ちが湧いてきて、その周辺の環境も含めていろいろなことにトライし始めました。
以前であれば、最初に決められたフレームの中で物事を考えて、作ってプロジェクトの完成としていましたが、犬島での仕事を通じて、プロジェクトの過程で作る対象が広がっていくことを経験し、決められたフレームの中で完成とするやり方はどこか違うんだなと感じ始めました」
──「決まられたフレームの中で完成とするやり方」ではなく、そのフレーム自体もオープンにしておくということですよね。
はい。オープンという概念をどこまでオープンにしておくことができるのか、という問いなのかもしれません。書きながら聴いていたBGMが、いまちょうどCANの「Out of reach」 というアルバムにさしかかったところなのですが、たしかキーボードのイルミン・シュミットさんが「CANの曲には終わりがない」ということを語っていたような気がするのですが、これは、まさに「音楽がどこまでオープンでありうるか」ということをめぐる問いだったと理解しています。
──あはは。いいですね。
最近ストリーミングサービスに全アルバムが揃ったので繰り返し聴いているのですが、タイムループ的な感覚に陥っているのは、そのせいもあるかもしれません。ずっとオープンであるということは、そこから抜け出ることができない、ということでもありますからね。
──あはは。それはそれで困ったものですね。
はい。困ったものです。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載をまとめた書籍「週刊だえん問答 コロナの迷宮」もぜひチェックを。
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