Guides:#69 スポーツベッティングの近未来

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週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが解題する週末ニュースレター。今週は最新の〈Weekly Obsession〉で取り上げているファンタジースポーツについて。この1〜2週間の新譜・新曲を中心にしたプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。

Image: Giphy

Fantasy sports: A crash course

スポーツ賭博の近未来

──最近、ずっと地下にこもりっきりらしいじゃないですか。

そうなんです。書いたり、翻訳をしなくてはならない原稿がたまっていたりするのが、大きな要因なのですが。社会との接点がどんどんなくなっている感じがして、いまは、それがかえって気楽です。

──何の原稿を書いているのですか?

先日はユニコーンについて書きました。

──ユニコーン?

一角獣です。

──なんすかそれ。

いつもお世話になっているデザイナーの藤田裕美さんが、小橋陽介さんという画家の方の画集を制作していまして、それに収録するための原稿です。小橋陽介さんは、わたしが所属している黒鳥社という会社のロゴの絵を書いてくださった方でもあるのですが、相当に面白い天才肌のアーティストでして、自分が『WIRED』の編集長をしていた時代にも、「アイデンティティ」をテーマにした号の表紙に作品を使わせていただいたりしました。

──ユニコーンの画集なんですか?って、あの空想の動物のことですよね?

ユニコーンも、出てくる感じですね。

──何について書いたのですか?

さすがにユニコーンについてはまったくなんの知見もありませんので、まずはオンラインで面白そうな本を何冊か探してそれを読むところからやったのですが、ユニコーンって、さすがに謎めいていて面白いものですよ。あまりここで話してしまうとネタバレになってしまうので、さわりだけお話ししますと、ユニコーンって、ノアの方舟に乗り損ねたせいで、この世からいなくなっちゃったんですよ。

──は? そうなんですか?

ロシアや東欧の民話などにそんな物語が残っているそうで、いったん方舟に乗るんですが、やたらめったらとほかの動物を突いたりするので、ノアが怒って舟から放り出しちゃった、なんていうバージョンもあるそうです。

──うけますね。乱暴者なんですね、ユニコーン。

ユニコーンが面白いのは、時代のなかで、そのイメージがどんどん変遷していることでして、奔放で邪悪なイメージから貞淑で清純なイメージまで、そのイメージの振り幅が広くて、ひとつに定めることができないんです。それにも細かくさまざまな歴史的理由があるそうなのですが、買った資料を読んでいくなかで、20世紀の詩人リルケの詩に出くわしまして、ユニコーンをめぐるそうした事情を非常にうまいこと、美しく描いているのですが、そこだけ引用しておきましょうか。これ、自分の原稿のなかでも引用させていただいたのですが。

──いいですね。リルケ、久々に名前を聞いた気がします。

「オルフェに捧げるソネット」という作品の「第二の書」からの一節です。

彼女たちはその獣を穀物で養(か)うのではなく、

ひたすらに、それが在るという可能性を糧(かて)として養(か)った

──可能性としてのユニコーン。よくわかりませんが、なんかきれいですね。

可能性として開かれていて、そうであるがゆえに自由かつ奔放にそのイメージを変えられていくことができる存在ということなんでしょうね。自分が書いたのは、情報を適宜かいつまんでつなげただけの文章ですが、いろんなことを考えさせられて、大変勉強になりました。作品集が出ましたら、またご案内したいと思います。

──いいですね。なんか、夏休みの自由研究感あります(笑)。この連載もだんだんその色合いが濃くなってきていますが。

そうですね。

──あと最近、地下に引きこもっているのは、オーディオ設備が充実したからだとも聞いていますが。

そうなんです。これまたお世話になっている音響エンジニアの山口宜大さんという方が業務用のモニタースピーカーをもってきてくださって、せっかくだからとターンテーブルとCDプレイヤーをつないだのですが、昔買ったアナログ盤などを久しぶりに聴いてみたらすっかり楽しくなってしまいまして。CDやストリーミングで聴いていて気に入っているものなどを新たにアナログ盤で買い直すことに、目下血道をあげているという。プレイヤーの針を買い替えたりとか。

──ただのおっさんの趣味ともいえそうですが。

困ったものですね。そういうリスナーにはなるまいと固く心に誓っていままで生きてきたのですが、歳なんですかね。

──どうなんでしょう。

困るのは、そうやって「いい音で聴こう」となると、結局聴くものが、クインシー・ジョーンズの『デュード』とかフリートウッド・マックの『噂』とか、いわゆる大定番と呼ばれるようなものに落ち着いてしまうところなんです。

──ドナルド・フェイゲンの『ナイトフライ』とか。

そうなんですよ。で、実際、それなりの設備で聴くと、やっぱりすごいはすごいんですよね。となると、なんかもうどんどんおっさん趣味に陥っていくことになりまして、やっぱツェッペリンだなとか、やっぱクリムゾンだなとなってしまいかねないんですね。

──おっさんのラビットホールですね。

危険ですね。

──陰謀論にハマるわけでもないので、いいんじゃないですか。

どうなんでしょうね。そうやって一種のラビットホールに落ち込んでいくときって、対象はなんであれ自分なりには明確に意思決定を行っている感覚はあって、非常に強く主体性を発動しているんですよね。にもかかわらず、そうやっているうちに、なぜか恐ろしく類型的な道をたどって、極めて画一化された行動様式や思考様式に帰着していくことになるという。これってなんなんだろうな、と最近よく思います。

──自由意志とは何か、と(笑)。

そうなんです。おっさんが蕎麦打ちにハマるとか、そういうのって、自分としては「まったく理解できん」と思っていたのですが、他人事じゃないなと改めて思ってしまいましたね。もちろん蕎麦打ちが悪いわけではありませんし、趣味としてやることですから、自分が楽しければそれでいいものですので、好き勝手に楽しめばいいと思うのですが、そうした道行きが、それこそ陰謀論のようなものにハマっていく過程と相似をなしているのだとすると、ちょっとヒヤッとするところはあります。

──どうなんでしょうね。外からは画一的に見えても、そのなかに入れば、それこそ多様性に満ちた世界でもあるのでしょうから、そのなかでも自由が制限されるわけでもないとは思いますが。

それもそうなんですよね。でも、「やっぱり『愛のコリーダ』最高!」って感じになっちゃうんですよ(笑)。

──そもそも、どうしてそういう成り行きになっちゃったんですか?

ああ、それはですね、実は仕事で、坂本龍一さんの89年の『Beauty』という作品が再発されるということで、そのリマスター音源を聴かせていただいたんですね。久しく聴いていなかったのですが、この作品は個人的にも非常に思い入れが深いものでして、改めて聴いてみましたら、めちゃくちゃ音がよくて驚いてしまったんです。その話を、先の音響エンジニアの山口さんにお話したら、「そりゃいい音で聴きたいですね」となりまして、使っていないスピーカーを持ってきてくださったんです。アナログ盤が出るのかどうか定かではないのですが、ひとまずは再発に向けて準備は万端、と。10月のリリースだそうですから、まだちょっと間があるのですが。

──『Beauty』は、この間、ずっと聴けない状態になっていたんですね。

リリースしたVirgin Americaがなくなってしまって、どうも権利があちこち動いていたみたいですね。音響的にもですが、ロバート・ワイアットからブライアン・ウィルソンからピノ・パラディノまでゲストも豪華でして、内容的にもものすごいアルバムだと思いますので、また注目されて欲しいなと思います。

──それは楽しみです。

あと、ミキシングを担当したジェイゾン・コルサロという人物が、聞けば本当に天才肌の敏腕だったそうで、調べてみると、マドンナの『ライク・ア・バージン』やシンディ・ローパーの『トゥルー・カラーズ』やデュラン・デュランの『アリーナ』などを手がけていまして、そういうポップスど真ん中の人が、そのノウハウと、坂本さんが当時思い描いていた無国籍な音楽世界とを驚くほど高い次元で融合したという意味でも他にないユニークなアルバムでして、そういう観点から聴くのもきっと楽しいはずです。参照として、改めてデュラン・デュランやシンディ・ローパーもアナログで買い直さないとなと思う次第です。

──楽しそうで何よりです(苦笑)。

ありがとうございます。で、先の「おっさんラビットホール」問題に戻るのですが、今回の〈Weekly Obsession〉に、ダニエル・オクレントという人の面白いコメントが掲載されていまして、それがまさに、おっさんラビットホールのなかでも、極めて危険度の高いジャンルに関わるものなんですね。

──唐突に本題。

まずはそのコメントを引用しておきましょうか。

ファンタジースポーツのなかに消えてしまったお父さんたちについて、35年にわたって奥さんや子どもたちにお詫びをし続けてきました。

──えーと?

まず、このコメントの発信者であるダニエル・オクレントという人についてですが、この人が「ファンタジースポーツ」の発明者であるかどうかは異論もあるようですが、この人が1980年に、友人たちと始めた遊びが、現在のファンタジースポーツの礎となったと言われています

──ふむ。

ファンタジースポーツというのは、要は一種の賭博(ベッティング)なのですが、単に試合の勝敗に賭けるというものではなく、リアルに実際に行われているスポーツの選手を選んで空想のチームをつくって、個々の選手の戦績をもとにして空想チームの成績を競うというものでして、古典的なファンタジースポーツでは、1シーズンを通じて勝ち負けを争う建て付けになっています。

──ふむ。

このオクレントさんが考案した「Rottesserie League」というものがどういうものであったのか、Quartzはこう書いています。

オクレントの「Rottesserie League」もしくは「Roto League」(オクレントと仲間がゲームのルールをつくりあげたニューヨークのレストランLa Rotisserie Françaiseに因む)は、空想の監督が実際のチームから好きに選手をドラフトして、ホームランの数、三振の数、セーブの数といった戦績に基づいて、ポイントを獲得していくものだ。実際のシーズンが終了したところで、獲得されたポイントを集計し、最も多くのポイントを獲得したものが勝者となる。

──なんとなくわかってきました。

最初のコメントに戻って、このオクレントさんがなぜ、世の多くの奥さまや子どもたちにお詫びをし続けなくてはならなかったかと言いますと、このファンタジースポーツというものが、ある時期からアメリカで一般化、日常化したからなんですね。

──それにハマって、家族を顧みないパパが続出したと。

はい。その経緯をQuartzは、かいつまんでこう説明しています。

ファンタジースポーツは友人や家族や同僚と興じる、ささやかでローカルな季節ごとの楽しみだった。しかし、やがてそんなものでは済まなくなった。多様な競技、多様な遊び方を取り込みながら、アメリカにおけるファンタジースポーツは、70億ドルの産業へと膨れあがった。そしてそれはグローバル化しつつある。扱われる競技には、サッカー、クリケット、オーストラリアンフットボール、ホッケー、ゴルフ、テニス、そしてオリンピックすら含まれている。

──へえ。すごいですね。オリンピックも賭けの対象、ということなんですね。日本ではまったくピンとこない話ですが。

アメリカにおける現状を理解しておくために、〈Weekly Obsession〉恒例の「数字で見る」の項も見ておきましょう。

  • 5,900万人:USとカナダのファンタジープレイヤー数
  • 37歳:ファンタジープレイヤーの平均年齢
  • 81%:ファンタジープレイヤーに占める男性の割合
  • 653ドル:1プレイヤーの年間平均利用額
  • 3,100万ドル:戦績データなどを提供するコミッショナーサービス企業Commissioner.comの1999年における買収額(2021年は1億6,400万ドル)
  • 80%:2018年に単試合の賭けが合法化されて以降、スポーツベッティングを合法化・法制化した州の割合
  • 1,500億ドル:合法化以前の違法スポーツベッティングの年間の売上

──なんと。ちょっと話が見えていないのですが、アメリカでは2018年にスポーツベッティングが一部合法化されているんですね。

そうなんです。これ実は、これからのスポーツ界のみならず、メディア、IT業界の趨勢を考える上でも、極めて重大な転換でして、このことはかねてからトークイベントなどでお話しているのですが、「スポーツ×デジタル」といったときの本丸というのは、実はベッティングなんですよね。

──あれま。そうなんですか。

このことは、以前ここでも少し触れたとは思うのですが、結論だけ簡単に言ってしまえば、スポーツ視聴は、今後5Gが普及していきますとどんどんスマホを起点としたものになっていくわけでして、その中継の上に試合や選手に関するデータが乗っかって、その上にベッティングが乗っかっていくという構図に、おそらくはなっていくんですね。つまり、スポーツ、メディア、ITがぐしゃっとひとつの産業を構成していくことになるのですが、その際のビジネスの3本柱として「配信」「データ」「ベッティング」がありまして、それがぐるぐると循環するという格好になるわけです。

──ほほお。試合、つまり配信においてデータが生成され、そのデータを元にベッティングが行われ、それが配信の視聴をさらに促すと、こういう循環になるわけですね。

このあたり、現在熾烈なプラットホーム争いが行われていて、それこそテレビ局からケーブルTVチャンネル、IT企業、データ企業、ベッティングプラットホーム企業などが買収合戦を繰り広げているようで、業界地図もよく見えてはいないのですが、例えばスポーツ配信をグローバルに展開し「スポーツのNetflix」と呼ばれるDAZNは、コンシューマー向けのコンテンツ配信企業ですが、2019年に、配信を行う部門と、B向けにデータビジネスを展開していた部門とが分裂し、データ部門は「STATS LLC」という会社に売却されたのですが、この会社はクライアントとしてメディア、スポーツリーグのほか、ファンタジースポーツやスポーツベッティング企業を抱えていたりします。DAZNがなぜその部門を売却したのか、その戦略はよくわからないのですが、なんにせよスポーツビジネスが「配信」「データ」「ベッティング」という基軸ですでに動いているということはお分かりいただけるかと思います。

──でも、ベッティングってやっぱり、長いこと社会的には悪だとされてきたじゃないですか。それが急激に転換するというのは、よくわからないですね。

そうなんですよね。ここからはわたしの自由研究ですが、歴史を紐解いてみますとスポーツとベッティングというのは、まあ、そもそもセットなんですね。これは、スイスのローザンヌ大学の研究者が書いた論文で「スポーツと八百長」というものですが、スポーツとベッティングの歴史について、こう記しています。

近代スポーツが、産業革命の進展とともに18〜19世紀のイギリスで生まれたことは、多くの歴史家が認めているところだ。近代スポーツの嚆矢となった競馬、ランニング、ボクシング、フットボールは、産業革命以前の伝統的なゲームから発生している。現代スポーツの先駆けとなったこれらの競技は、仕事の合間の余暇に楽しめるものとして、勃興する労働者階級において瞬く間に大人気となった。競技者たちにとって、競技に参加することは生計を立てるひとつの手段で、多くの場合アスリートたちは報酬をもらえたし、勝てばさらなる賞与(主に現金)を得ることもできた。また、観衆は賭けを通じて金を儲ける(または失う)こともでき、ベッティングはスポーツに不可欠な要素になっていた。賭けはブックメイカーを通じて行われ、その新興ビジネスはスポーツの発展とともに成長した。賭け金をふいにしたくない者のなかには、競技の結果をあらかじめ仕組む者も現れ、八百長も生まれた。

──人間らしい話で、実にわかりやすいです(笑)。

ここで重要なのは、近代スポーツの勃興と興隆は、その原初において賭博とセットだったということです。この論文が面白いのは、オリンピックというものが「アマチュアリズム」を掲げ、アスリートがお金を受け取ることを禁じたのは、それ以前にあった、賭博と一体化したスポーツのありように対する反動であったと指摘していることです。

プロスポーツはアマチュアスポーツという理念が19世紀に発明される以前に確固たるものとしてあった。アマチュアリズムは、それ以後、国際スポーツ全体の理念となり、「ジェントルマンによる競技」という概念が生み出された。それはまさに、オリンピックの再興を夢みた1894年のパリの会議で、ピエール・ド・クーベルタンが言明したテーマだった。英国、フランス、アメリカのスポーツ団体の非公式なコンセンサスのもと、オリンピックは「アマチュア」のみが参加を許されるものとして開催されることとなった。とはいえ、再興されたオリンピック(と近代スポーツ)の理念は、古代ギリシアのそれとはまるで無関係だった。古代ギリシアの競技では、賭けや八百長は当たり前のものだったと言われているからだ。

──あはは。スポーツ賭博は、古代ギリシアにまで遡ることができる、と。

こうして、スポーツを脱・賭博化/脱・金銭化する流れは、20世紀初頭に完成するそうですが、といって賭博が一掃されたかというとそんなことはなくてですね、例えばスイスでは1938年から長らくスポーツ強化のための財源として「Sport Toto」が合法化されていましたし、戦後のイタリアでは、国が五輪組織委員会に対して賭博の実施を義務化したとされています。また1980年にレイク・プラシッドで開催された冬季五輪の際にも、ニューヨーク州がオリンピックのために公認の宝くじを販売していますので、スポーツの振興にあたって、賭博が財源として少なからず役に立ってきたという事実はありますし、現在でもヨーロッパではスポーツ賭博とは極めて日常的なものになっているんですね。

──なるほど。

とはいえ、人の性なのか、そうなったらそうなったで八百長という問題は必ず出てきますし、オリンピックにおいては、それがドーピングの問題ともつながっていたりもしますので、ヨーロッパでは非常にセンシティブな問題となっていまして、特に1988年のソウル五輪から2012年までの間に、ボクシング、フィギュアスケート、アイスホッケー、セイリング、バドミントンといった競技で八百長が発覚していることから、2007年にはIOCがこれを「ドーピングよりも重大な問題」とするにいたっていまして、とりわけ近代スポーツの発祥の地でありスポーツベッティングの本家本元でもあるイギリスで開催された2012年大会では、この問題に非常に神経を尖らせていたと言われています

──そういうニュース、全然聞こえてこないですね。昔サッカーのワールドカップで、オウンゴールしてしまったコロンビアの選手が、帰国後に射殺され、賭博がらみで麻薬カルテルにでも殺されたのだろうと憶測が飛び交う物騒な事件がありましたが、やっぱり大きな問題なんですね。

先のQuartzによる数字で見たように、闇スポーツベッティングは、アメリカだけで見ても1,500億ドルの市場ですからね。

──すげえなあ。

というわけで、世界はある意味、どんどん賭博に対して厳しくなっているところではあったのですが、ロンドン五輪が開催される前年の2012年に、アメリカで変なことが起こるんですね。

──ほお。

というのもニュージャージー州で、まず2009年にスポーツベッティングが禁止されているのは違憲だとする訴えが出され、これは却下されてしまうのですが、2011年にスポーツベッティングを合法化すべきかどうかをめぐって住民投票が行われ、その結果、合法化に賛成する市民が60%を超えちゃうんですね。

──おもしろい。

それまでアメリカでは、ラスベガスのあるネバダ州とデラウェア州、モンタナ州、オレゴン州の4州以外ではスポーツベッティングは、連邦法で禁じられていたんです。アトランティック・シティに多くのカジノを有しているニュージャージー州からすると、ラスベガスでは合法なのに、うちで違法なのはずるい、という感情があったようですが、そこからニュージャージー州が連邦裁判所に持ち込んで、上記4州以外の州を縛っていた「PASPA」(Professional and Amateur Sports Protection Act of 1992)という法律の無効を訴える裁判が起きるんです。そして、ついに2018年、最高裁が、この「PASPA」が違憲であることを認めたことで、各州が合法化に乗り出していくこととなります

──なぜかアメリカだけが世界と逆行している、と。

ニュージャージー州の住民投票で合法化に賛成した人たちの声を見ると、「課税して税収が増えるならいいじゃんか」とか「合法化することで組織犯罪がなくなっていい」といった意見でして、結局のところ、20世紀を通じてそうだったように、ベッティングは、きちんと管理さえできれば、何かと役に立つ財源となるものなんですね。

──たしかに。そうであればこそ、横浜や大阪がいわゆる「IR=統合型リゾート」をやりたがったりするんでしょうね。

ただ、知らないだけかもしれないのですが、日本のIRをめぐる話に「インターネット」の語がほとんど聞こえてこないところが自分としては不満でして、いま説明した通り、スポーツベッティングをより締め付けようとする動きも合法化してしまえという動きも、その底流としてあるのはベッティングのオンライン化という現象で、オンライン化することによってそれが急速に拡大し、急激に一般市民の間に浸透したという経緯があるからなんです。

──そうか。

スポーツベッティングの合法化について、スポーツ界で素早い動きを見せたのはNBAだと言われていますが、この問題について、2014年に当時のNBAコミッショナーのアダム・シルバーが『The New York Times』に「スポーツベッティングを合法化し規制せよ」(Legalize and Regulate Sports Betting)というオピニオン記事を寄せています。

他のスポーツリーグ同様、NBAもまた、20年以上にわたって合法スポーツベッティングの拡大に反対してきました。スポーツベッティングを禁じた1992年のPASPAを支持してきました。

しかしながら、この法規制にもかかわらずスポーツベッティングは蔓延しています。規制も監督もない地下ビジネスは非常に活発です。合法的な選択肢がないため賭けを楽しみたい人は、闇ブックメーカーや怪しげなオフショアのウェブサイトを頼みにしています。米国における違法ベッティングに関する確固たるデータはありませんが、一説には、年間4,000億ドルがスポーツに賭けられていると言われています。

PASPAの制定から時代は変わっています。ベッティングはますます人気で、娯楽として広く根付いています。ほとんどの州は宝くじを行っています。全米半分の州には合法のカジノがあります。3つの州ではインターネットベッティングが合法で、他の州もやりたがっています。

米国の外を見れば、スポーツベッティングやその他の賭博は人気で、多くは合法化され、規制されています。例えば英国ではスポーツベッティングがスマートフォンでも、スタジアムでも、キオスクでも、テレビのリモコンでも行えます。

こうした国内外の潮流を見るにつけ、スポーツベッティングをめぐる法は変更されるべきです。厳格な規制条件と技術的なセーフガードをもったプロスポーツベッティングが各州において実施できるよう、法的枠組みを連邦として採用すべきなのです。

──「時代の変化」といったときに、インターネットがそのドライバーとなっているという認識は、ここでも明らかですね。

また、ファンタジースポーツについていえば、これが一気に一般化するのは、同じくネットの浸透によるものでして、その経緯を『Vox』の2020年の記事「デイリーファンタジーの勃興と自律した経済圏をつくりあげたスポーツベッティング」(The rise of daily fantasy and sports betting has created an economy of its own)は、こう概説しています。

1995年にESPNはウェブサイトにファンタジースポーツのプラットホームをつくり、97年にはCBS Sportが、2001年にはCBSが3,100万ドルで買収した新進のCommissioner.comがそれを追った。ゲームを変えたのは、無料でファンタジーリーグをホストできるサービスを99年にヤフーがローンチしたことで、それは、ユーザーからの使用料ではなく広告費で収益を上げるものだった。また、ファンタジースポーツの勃興は、プレイヤー向けのニュースサイトを生み出した。現在『RotoWire』と名前を変えた『RotoNews』は97年にローンチし、一気に最も訪問者の多いスポーツウェブサイトのひとつとなった。

──はあ。面白いものですね。

ひとつ注意しておきますと、上記に紹介されているファンタジースポーツのホスティングサービスは、それ自体にはベッティングの機能はもっていなくて、あくまでもこれは自分が仲間とやっているファンタジーゲームを管理運営するためのもので、賭けが行われたとしても、お金のやり取りはこれらのサービスの外で行われていますので、サービス自体は違法ではないんです。

──胴元ではないわけですね。

はい。実際の胴元となっているサービスとしては、アメリカでは大手がふたつありまして、「FanDuel」と「DraftKings」になりますが、これらのサービスは、1シーズンを通じて遊ぶ古典的なファンタジースポーツではなく、近年は単一の試合の試合だけでなく、さらに細かな賭けも行うことのできる「デイリーファンタジー」というジャンルを巨大化させたものでして、ここではバスケや野球、サッカーの試合から、ゴルフトーナメント、オートレースのNASCAR、総合格闘技、eスポーツまで扱っています。このデイリーファンタジーは、現在30億ドルの市場規模といわれています。詳しくは、ぜひ、こちらのレポートを読んでください。

──しかし、まあ、なんとも凄まじいものですね。

ファンタジースポーツというものが画期的だったのは、それ自体が現実の試合を素材にしてバーチャルなゲームを遊ぶ、現実とフィクションが融解したものだという点でして、これがインターネットと極めて相性がいいというのはあくまでも結果論ですが、合点が行きますし、実際、ものすごい発明だなと思います。

──ほんとですね。そうやって賭けというものを媒介にして、リアルとバーチャルが溶け合っていくなかで、メディアをめぐるエコシステムが再編されていっているのもすごいですよね。言ってみればこれまでのスポーツメディアが、すべて競馬新聞になっていくみたいなことが起きているわけですよね。

ここは非常に面白いところでして、競馬をやらない人が競馬新聞を読んでもまったく面白くありませんが、競馬でベッティングをする人にとっては、あらゆる情報が意味あるものですから、その情報価値は極めて高いわけですよね。

──お金がかかっている以上、当然ですよね。

そこで思うのは、じゃあ、お金のかかっていない競技情報を読むことの価値ってどこにあるのか、ということなんです。わたしはもうめっきりスポーツを見なくなってしまいましたが、野球でいえば一応阪神ファンなので、かつては阪神のゲームの情報は気にしていたのですが、阪神が勝とうが負けようが、まあ、損も得もないわけです。ただ嬉しいだけなんですよね。それって、少なくとも自分が生まれてこの方、ずっとそういうもので、そのこと自体を疑うことはなかったのですが、賭博が表向きに禁じられた場所では、スポーツは、なんだかよくわからないけれど、お金というとっかかりのない状態で、いわば剥き身で感情を移入して「応援」するものとなってきたわけですね。

──ふむ。

それが、悪いことばかりだとは思わないのですが、とはいえ、スポーツを応援するということは、20世紀においては、お金ではなく、そこに自分のアイデンティティを賭けることで、はじめて楽しむことができるようなフレームになっていたような気がして、であればこそ「代理戦争」としてのスポーツなんていうことも起きてきたんじゃないかと思うんです。あるいは「感動」という基軸が、ことさら強調されるのも、そうしたありようから出てくる話のようにも思えるんです。

──なるほど。

自分は賭博をまるでやらないのですが、賭博をする人のドライさは、ある部分においていいものだなと思うところはありまして、というのも、賭博をやる人にとって、面白い賭け、あるいは儲かる賭けができることが重要であるなら、対象となるゲームは、場合によっては、人気競技である必要もなければ、トップリーグである必要もなかったりすると思うんですね。どこで読んだのか探し出せなかったのですが、以前読んだスポーツベッティングの記事には、賭けの対象としてバレーボールが案外人気だ、と書いてあったんです。

──お金というレイヤーが入ることで、応援する対象に、「応援するための自分なりの根拠」を見出さなくてもいい、ということですよね。調べたら、どうもこいつが勝ちそうだから、こいつを応援する、だけでいいんですもんね。

はい。となると、もう対象は実際なんでもよくて、下手をすると、賭けというレイヤーが入ることで、小学生同士の試合だって、十分に手に汗を握りながら鑑賞できるものとなる可能性がでてくるように思うんです。

──たしかに。言われてみれば、学生スポーツとかって、基本「地元」が応援する基軸になっているという意味では、アイデンティティをめぐるものになっていますよね。

あるいは、「純粋にゲームの面白さを楽しむのだ」という考え方もあると思うのですが、それを言うなら、お金を掛けたほうが、もっと選手について調べたりもするでしょうから、そっちのほうがゲームそのもの、あるいは選手そのものに向き合う真剣度からいったら高い気もしたりするんです。といって、別に誰かをディスりたいわけではなく、ここで言いたいのは、いまわたしたちが「スポーツを楽しむ」といったときにそれを楽しんでいるやり方は、「賭博を排除する」という建前の上に成り立っていて、そういう意味では、それ自体が制度化されたものである可能性がある、ということなんですね。ベッティングを前提に情報産業が編成されているアメリカの事情を知ると、漠然と賭け金ももたずに素手でスポーツ情報を観たり読んだりしているという状況は、そう考えてみれば、それ自体がなかなか不思議な状況に思えてくるんです。

──とはいえ、どうなんでしょうね。ファンタジースポーツもオンラインベッティングも、とりたてて話題にならない日本の状況からすると、スポーツビジネスの基軸がベッティングになる、と言っても、きっと反発しか生まないような気もします。

そうですね。ただ、この連載でも触れたように、スポーツ事業を、来場者収益と放送における広告収入だけに依存してきた、これまでのやり方は明らかに限界にきていると思いますし、メディアや広告主の要請にしたがって「観るべきスポーツ」や「観るべき選手」が序列化されている状況は、「テレビ的」な露出を稼げない競技にとって、極めて不健全な環境を生み出しているのも明らかですので、その両方の問題に応える意味でも、健全なかたちでベッティングを導入して、それを財源に当てていくといったことは、少なくともわたしは検討されていいように思っています。それが、どこまで一般化するのかは、わかりませんが。

──どうでしょうね。

もちろん、本当に投機的な観点からやる人もいるとは思うのですが、ちゃんとそれが財源になるのであれば、ある特定の競技を応援したいといった人たちにとっても、有用なチャンネルになりうる可能性はあると思うんです。アイデンティティに近いところでスポーツを応援するという人は、決していなくならないとは思いますし、それはそれでいい楽しみでもあるはずです。

──ですよね。

自分もそういう意味では冷静な賭博師ではないので、勝ちそうだからといって、自分の嫌いなチームに賭けようとはならないんですよね。負けるのがわかっていても、好きなチームに賭けたくなっちゃうわけです。でも、そうなると、余計応援にも熱が入るわけでして、こう言ってしまうと非常に生臭いですが、お金が絡むとその分真剣になれるということは、もちろんその負の側面も大きいとはいえ、それがもたらすメリットというのも、一方であるようにも感じるんですね。

──クラウドファンディング的な感覚も含めてのベッティング、と。

そうですね。ファンビジネスとベッティングとが、ソフトなやり方で融合していくようなかたちがあると面白いなとは思いますが、Genius Sportsというスポーツ・データ&テック企業が、無料ゲームプラットホームの「FanHub」を買収して、ベッティングのユーザーのエンゲージメントを高める目論見だといった情報もありますので、コミュニティ/ファンダムという基軸は出てきているんですね。そういったところも含めて、オープンに検討したらいいと思うんですよね。

──オリンピックとか、どうするんでしょうね。

それこそ3〜4年前のことだと思うのですが、知人に2028年のロス五輪の実行委員に、大手ゲーム会社やカジノを運営している企業の人間が入っているという話を聞きまして、それが本当なのかどうか調べ切れてはいないのですが、それを聞いたときに「なるほどな」と思いまして、IOCの文書「Olympic Agenda 2020+5 15 Recommendations」にも、ゲーム市場を構成している若年ユーザーの取り込みは急務だと謳われていますし、今回もバーチャルゲームをつくったりしていたんですよね。加えて、ここまでのベッティング業界の隆盛と、それがメディア、ITのみならず、ゲーム、広告といった業界にまで、またがっていることを考慮しますと、これがオリンピックにまで及ぶのは時間の問題という気もしてきます。

──ものすごいスピードで時代が動いていますね。

すごいですよ。試しに「los angeles 2028」と検索したら、「la28.org」というイカしたサイトがすでに上がっていまして、ビリー・アイリッシュがLAの魅力とオリンピックへの期待を語る動画なんかが上がってるんですね。すでになんだか楽しそうで、めちゃいいですよ。

──え〜。いいなあ。

アメリカのお父さん方は、きっと楽しみにしてるでしょうね。

──それがいいことなのか、悪いことなのかはわかりませんが。

Quartzによれば、アメリカでの平均利用額は年間653ドルですから、案外穏便なものだな、と思ったりはします。

──たしかに、想像するよりは堅実ですよね。

日本酒やワインにハマったり、アナログ盤にハマったり、自転車にハマったり、蕎麦打ちにハマったりすれば、それじゃきっときかないでしょうから、まあ、なんにせよ、ほどほどしないとダメですよ、というのは、つねに胸に刻んでおかないとですよね。

──めちゃありきたりな結論(笑)。

はい。自戒をこめつつ。

若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも。本日5日深夜24時からの「Radio Sakamoto」(J-WAVE)に、病気療養中の坂本龍一さんに代わって出演します。


📺 『Off Topic』とのコラボレーション企画、4回連続ウェビナーシリーズの第2回は9月28日(火)に開催。詳細はこちらにて。先日開催した第1回のセッション全編動画も公開しています。

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