Guides:#73 システムダイナミクスの社会感覚

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週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。今回は「The bullwhip effect」(鞭打ち効果)がメイントピックですが…。プレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。

A man demonstrates using a bullwhip
Image: YouTube

the bullwhip effect

システムダイナミクスの社会感覚

──こんにちは。

ご苦労さまです。

──総裁選と小室圭さんが今週の大きなトピックでしたが、いかがですか?

まったくどうでもいい話をしていいですか?

──ちゃんとどこかにつながるんですよね。

さあ、わかりませんが。

──まあ、いいや、どうぞ。

あの、つい数日前に、長谷川京子さんという女優さんの離婚をめぐる報道が話題になりましたよね。

──これですかね。「長谷川京子が別居、夫と子供が暮らす家を出る 結婚13年目で離婚へ決意」。

それですそれです。

──離婚そのものよりも、長谷川さんが写真で着ていらしたお召し物においてやけに強調されていたバストのところに、注目が集まったようです。

はい。わたしは、そもそも長谷川さんは特に興味ある女優さんでもなかったので、この写真を見て、「あれ? こういうキャラだっけ?」と思ったのですが、芸能事情に明るい知人に聞いてみたところ、数年前から、なんと形容していいのかわかりませんが「こういう感じ」にはなっていたそうなんですね。

──まじでどうでもいい話ですが(笑)。

SNSなどを見ますと、「叶姉妹化」などと口の悪い投稿もあるのですが、それ以外の最近の画像などを見たところ、自分としては「叶姉妹」というよりは、ファッション面などにおいては、わりと海外セレブを意識しているように見えまして、雑にいうと「カーダシアン化なのか?」と思ったりしたわけです。それが古いというなら、「カーディB化」でも「メーガン・ジー・スタリオン化」でもいいんですが。

──メーガン・ジー・スタリオン化、ってのはウケますね(笑)。

いや、適当に言ってるだけですので、その辺の違いもよくわかってはいないのですが。

──キム・カーダシアンも長谷川京子さんも下着のブランドをやっていたりしますから、やっぱり案外キムの影響は、普通にあるのかもしれませんよね。

まあ、何にせよ、面白い方向に行くもんだと思いながら、適当に情報を掘ってみましたら、直近の『anan』に長谷川さんがお出になられていることがわかりまして、これは同誌恒例の「美乳特集」だったのですが、その表紙の画像を見ると、「美乳教化塾:私らしく、ボディポジティブでいこう!」というタイトルでして、「ああ、そうか」と思ったんですね。

──と言いますと?

端的に言いますと、「ボディポジティブ」ということばが『anan』のようなメインストリームメディアの表紙に踊っていたことに驚いたということなのですが、そのことば自体は自分も知ってはいまして、そのムーブメントは自分の非常に偏向した情報バイアスから言いますと、例えばアメリカのシンガー、リゾがブレイクしたあたりから、目に見えて顕在化した印象がありました。

──「#MeToo」運動から派生して「見た目」による差別が問題化していく流れですよね。

はい。それは「ルッキズム」という問題として、ジェンダーはもとより、人種、年齢、サイズといったことが社会規範化、もしくは場合によっては暗黙裡に制度化されてきたことを批判の対象としたものと理解していまして、それ自体が大きな潮流になっていることは、海外のファッション/ビューティメディアの動きなどからも知ってはいたのですが、日本ではまだそれこそ「フェミ」と揶揄される一部の人びとや、グローバル意識の高いメディアなどが、そうした動きの重要性を訴えるくらいなのだろうと思っていたところ、例えば「ボディポジティブ」といったことばが『anan』の表紙に載るのか、と驚かされたんですね。

──『anan』意識高いな、ということですか?

自分が驚いたのは、そうした用語が一般化していくスピードが早いなということでして、何を言っているかと言いますと、おっさんは確実にこのスピードについていけないな、ということです。つまり、ある世代の女性にとっては、「ボディポジティブ」は一般用語になりつつあるところ、下手するとおっさんはそのことばすら知らない、というズレがかなりシビアなものになりつつあるのではないか、ということです。

──それこそ「ルッキズム」だ「メイルゲイズ」だと次から次へと初めての用語が出てきますからね。

おっさん側は、下手すると大元のコンテクストがよくわかっていない場合もあるでしょうから、全部がただの暗記になってしまい、それこそ前回にお話したように、キャッチフレーズを追いかけるだけになってしまいかねないわけですね。一方で、そうした「用語」はただの用語ではなく、リアルな現実として立ち現れているわけでして、それこそ先の『anan』の表紙を飾った倉科カナさんや長谷川京子さんから、ゆりやんレトリィバァさんといった人たちは、その現実を牽引する代表選手として、読者の現実認識を形づくっていくことにはなるわけですよね。

──長谷川京子さんの胸について、男性には「叶姉妹」というコンテキストしか見えていないところ、女性側は、それをリゾからビリー・アイリッシュまでが連なる「ボディポジティブ」というコンテクストで理解している、と。ここは結構なミゾかもしれませんね。いずれにせよ、そのズレが多くの男性からはまるで見えない、という状況があるわけですね。

もちろんそうした論点を社会問題として声高に語る人たちが、一部の男性から反発を受けバッシングに合うようなことは頻繁にあると思いますが、例えば、女性ファッションやコスメといった領域で起きている変化や、そこでそれとなく語られるポリティカルな論点は、見えてきませんよね。ちなみにランジェリーブランドに絡めて『マネー現代』が長谷川京子さんを取り上げた記事がありますが、先の『anan』の記事がタイトルからして「自愛と解放」と謳っていたのに比べると、こちらは「下着をまとった圧巻ボディ…!」というタイトルですから、どうでもいい話かもしれませんが、かなりのズレがあるのは見てとれます。さらにこうした動きのスピードは本当に早くてですね、先ほど名前を挙げたリゾは、「ボディポジティブ」の動きが急速に商業化したことを批判していまして、「ボディ・ニュートラリティ」という概念が新たに持ち上がっていたりもします。

──早いですね。

そういえば、つい先日、元AKBの前田敦子さんのインタビューがトレンド入りしているというので、読んでみたのですが、そういう意味ではかなりいまっぽい「#MeToo以降」の論点が挿しこまれていて、比較的保守的といっていいタイプの芸能人ですら、半ば誘導的とはいえ、こうした語り口になるのだなと感じました。例えば、こんな一節があります。

Q 「結婚/離婚したらこうすべき」というルールは、世間が勝手に作り出している幻想の部分も大きいかもしれませんね。

A それは大きいですよね。その幻想によって、自分のことを苦しめてしまうのは勿体ないと今では思います。

──つくられた社会規範や社会的な役割の割り当てに縛られるのはやめよう、というメッセージですよね。

はい。これは取り立てて前田さんがリベラルな立場を取っているからというわけではないですし、前田さんのようなスターが、こんなふうにサバサバと離婚やシングルマザーの恋愛について語ること自体が、社会がすでにこれまでのようには「離婚」や「シングルマザー」といったものを特殊な経験として扱っていないことの現れでしょうから、普通に考えて女性のありようが、これまで期待されてきた、あるいは社会から押し付けられてきた「ロール」から今後さらに自由になっていくことは、趨勢としてほとんど避けられないように思えるんですね。もちろん、それを行政や企業がそれをどう制度的にサポートしうるのかという困難はありますが、いったん変わり始めてしまったマインドセットを逆戻りさせるのは、基本できない相談かとも思います。

──たしかに。

という趨勢のなかで、眞子さまの問題とか、皇室の問題といったことをどう考えることができるのか、といったあたりに、自分としては興味があるわけです。

──遠回りしたなあ。

要は「象徴天皇」といったときに、それは日本社会、あるいは日本国民の何を象徴しているものなのか、という話でもあるかと思います。

──天皇家の女性ということでいえば美智子さまは戦後民主主義における良妻賢母の新しいモデルであったのでしょうし、雅子皇后が皇室に入られたのは1993年でしたから、グローバル時代における国際感覚をもった共働き夫婦のひとつのモデルとして仰ぎ見られたという感じでした。

はい。つまりその時代時代において、皇室の一挙手一投足が「これからの社会」というものの方向性に沿ってきたとは言えそうで、その意味で「象徴」と言えたのだと思いますが、いま、天皇家は日本社会におけるどういった傾向、どういった流れにおいて象徴たりえるのか、は難しいところですよね。というのは、逆に言えば、社会全体に方向性といったものが存在しないことの現れでしかないとも言えるわけですが、とはいえ、調査によれば国民の8割近くは「女性天皇」は歓迎しているそうですし、「女系天皇」についても、その意味をよくわかっていない人が増えているそうですが、賛成が反対を上回るとも言われています。

──女系天皇賛成という立場は、簡単にいえば、仮に愛子さまが天皇になって子どもが生まれたら、その子が天皇を継承できるとする立場ですが、反対する立場は、これを認めないと言っているわけですね。つまり父親の系統からしか後継を選べないという立場です。

これに関しては、わたしはどちらでもいいと思っていますが、なぜか強行に反対する勢力という方々がおりまして、その主旨が自分にはよくわからないのですが、その代表格のひとりである高市早苗先生のロジックをお借りすると、こんな感じになります。古谷経衡さんの「高市早苗氏の政策・世界観を分析する―『保守』か『右翼』か」というコラムからの引用ですが。

現在においても、世界一の御皇室を戴き優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本民族の本質は、基本的には変わっていないのだと感じます。しかし、敗戦後の占領期にGHQが違法に行った最高法規の変更や社会システムの解体、教育勅語の廃止などにより、多くの良き精神文化が衰退してきたのも事実です。

──えーと。これは何を言ってるんでしょうか。

おそらく、ここで先生がおっしゃりたいのは、「日本民族の本質」は「優れた祖先のDNA」にあって、その象徴あるいは純粋形態として天皇家に受け継がれている、ということだと思います。ただ、その「本質」における優れた部分、よき精神文化が何であるかは、少なくともここでは言及されてはおらず、とにかくそれがGHQで破壊されたと言っています。そこから逆算すると、日本民族の優れた本質は、ここでは明治憲法や教育勅語に体現されていた、とおっしゃっているように読めます。

──んーと。皇室はほとんど関係ない話ですね、これ。

そうなんですよね。安倍元総理もそうでしたが、愛国といったコンセプトや靖国を重視する政治家は、個人的には天皇家というものにほとんど興味がないように見えるというのがわたしのざっくりした印象論でして、どちらかというと自分たちが体現したいイデオロギー、例えば家族が大事とか、夫婦別姓反対といった論点を補強したり、ここでの高市さんの論法のように、「失われた精神」を語ったりする際に、それを体現してきた一族として持ち出す感じなんですよね。

──象徴天皇というのは、まあ、自立的には意味性を発しない主体ということになっているのでしょうから、外からなんでも適当に意味を付与できてしまうわけですね。

そうした観点から言いますと、退任される菅首相は、この問題については自民党内ではユニークな見解をもっていたようで、『女性セブン』の6月の記事には、こんなことが書かれています。

コロナ対応で後手に回り、支持率低迷にある菅政権ですから、国民の関心の高い『女性宮家の創設』に着手し評価されることで、支持率低迷の打開策にする狙いがあります。天皇の『男系維持』にこだわっていた安倍前総理の流れを汲む菅総理は、表立って女性・女系天皇に関する意見は言いづらく、発言は控えています。ですが、菅総理は実際のところ、女性政策にはとても積極的ですし、男女平等の信念を持っています。女性宮家の創設、ひいては女性天皇の実現にも肯定的なんです。

──へえ。菅総理が男女平等の信念をもっていたとは知りませんでしたし、この人の動きは一事が万事支持率回復という目的に紐づいているところがなんとも微妙ですが、それでも、これからの日本社会の「象徴」を担う機関として、そこでも男女平等を体現するというのはメッセージとしては妥当ですよね。

と思うんですけどね。というなかで小室ファミリーの問題が持ち上がってきて一気に話がややこしくなるのですが、ここで思うのは、皇室におられる眞子さまや佳子さま、あるいは愛子さまだって、さすがにスマホをもっているでしょうし、それこそ英国のメーガン妃の騒動などについてだって情報も入ってくるでしょうし、そうした流れでジェンダーロールをめぐる議論なんかだって耳に入ってくると思うのですが、そういうなかで自分の人生について考えたとしたら、実際はかなりいまっぽいコンテクストにおいて考えることになっているんじゃないかと思ったりもするんですよね。

──学生・若者たちのアクティビズムについてだってずいぶん報道されていますし、同世代ですもんね。

はい。かたや眞子さまの婚約者の小室氏は、内実はさっぱりわかりませんし、その複雑な家庭事情はなかなか一般化しづらいところもありますが、ありようとしては、日本でスタートアップ的世界を目指す「意識高い系」の若者のある典型に属しているように思えますし、アメリカの学会誌に掲載されたという論文は、「Challenges and Implications for Potential Reforms of Crowdfunding Law for Social Enterprises(社会的企業のためのクラウドファンディング法改正の可能性への課題と示唆)」という、結構面白そうな内容ではありまして、内容は読めていませんが、少なくとも興味のありかや、キャリア形成をめぐるイメージは、とりわけ奇異というわけでもないと思います。

──与沢翼さんやホリエモンさんに心酔していた、なんて話も聞きますし、ひろゆき氏が褒めていたりするところからも、どういう傾向か、ざっくりとはわかりますよね。

そう考えると、眞子さまの恋愛・結婚話は、いまどきの意識高い名家の令嬢が何かのサークルや会合で出会った自称スタートアッパーと出会って恋に落ちたという意味では、そこに政略的な意図があったとしても、ありがちないまっぽい話ではあるように思えてきます。

──韓国ドラマ感ありますね。

といって別に茶化したいわけではなく、最初からお話しているのは、世の中では、すでに新しい価値観や物事を理解するパースペクティブが大きくなっているわけでして、そのなかで「家」や「恋愛」「結婚」、そしてそれとセットとしてある「仕事」をめぐるリアリティは大きく変わっているのだろうということです。小室ファミリーと皇室の問題をめぐる問題がここまで大きく注目されるのは、そうした変化が大きな軋轢として顕在化しているからではないかと思うんです。

──家系みたいな問題でいうと、身近なところでは、実家の墓を誰が守るんだといった問題があったりしますが、すでにして多くの人が、それをお荷物としてしか感じていないというのが実際だったりしますしね。

近年、世話をする人もいなくなって「無縁墓」になるお墓も多く、お墓を閉じる「墓じまい」が増えているなんてこともあるそうです。

──そういう時代にあって、万世一系の家系の価値とか言われても、まあ、正直あまりピンとこないですよね。普通に考えて、「家」という概念はすでにリアリティを失っているでしょうし、「先祖が代々眠っている墓に入る」といったことに積極的価値を見出す人は減っていくとしか思えませんよね。

そうした状況がいいことなのか悪いことなのかを論じることはいくらでもできると思いますし、それがよくないことだと考えて現状を批判することも大切なことではありますが、これって別にGHQがもたらした教育制度にその原因の一端があったとしても、それだけのせいであるはずはなく、何十年とかけて、この国の政治や経済や社会が、つどつど選び取ってきた選択の末にある状況なので、ことの因果をそうやって単純化して、「日本人の変わらない本質」といったものを、あたかもそれが確固たるものとして実在するかのように言うのは、まあ、よくてただの政治的レトリックですよね。

──なので、それは受け入れるしかない、と。

趨勢に抗うことは、それはそれで大切なときもあると思いますが、それもまずは趨勢を把握した上でやらないと意味がないですよね。現代日本を蝕む最も大きな問題は、「現状を把握しようとしない」ところにあると思っていまして、それがないところで「こうあるべきだ」ばかりを論じるんですよ。で、実際の現実に立脚しないところで、「こうあるべきだ」を実行するので、基本なんの成果も出ないんです。ここでは何回も言ってますが、優れたイノベーションというのは、ソリューションが優れているんではなくて、現状をめぐる洞察が優れているんですよ。

──毎回、その話が出てる気がします(笑)。

今日の本題は実は、ここまでの話とまるで関係ない話で、「The bullwhip effect」(鞭打ち効果)ということばに関するものなのですが、Googleで検索すると、こういう解説がトップに表示されます。

多段階の需要‐供給が行われる流通過程(サプライチェーン)において、末端(需要側)から源流(供給側)に向かって需要情報が連鎖的に伝えられるうちに、発注数量が実需とは乖離(かいり)したものになってしまう現象のこと。

──ハセキョーも小室ファミリーもなんの関係もないすね(笑)。

はい。これは、先の説明にあった通り、突然トイレットペーパーやイソジンや半導体などの供給が途絶えて店頭などから商品がなくなってしまうような現象が、どのように起きるのかを説明したものですが、用語としましては、情報システムに関わるものでして、ことばとして登場するのは1997年のことだと、『Quartz』は書いています

──ほお。

スタンフォードビジネススクールの Hau Lee、V. Padmanabhan、Seungjin Whangという人が書いた論文が初出だそうなのですが、これには別の呼称がありまして、「Forrester Effect」とも言われたりします。つまり、サプライチェーンを逆流してくる情報がもたらす混乱のメカニズムは、実はジェイ・フォレスターという研究者が理論化したものなんです。

──誰ですか、それ。

わたしもお恥ずかしながら初めて知ったのですが、この方は、情報システム論のパイオニアのひとりでして、「システム・ダイナミクス」という領域を確立した人で、のちの世界、と言いますか、わたしたちがいま生きている世界に決定的な影響を与えた人でもあるんです。

──ほお。

まず人物の簡単な概略から行こうかと思いますが、事業創出のコンサルタント企業と思しきSaltという会社のサイトに、簡潔にプロフィールがまとまっていましたので、そこから引用させていただきます。

システムダイナミクスの生みの親であるジェイ・フォレスターは、1918年ネブラスカの農家の家に生まれました。第二次大戦中は、サーボ機構と言われるミサイルの自動制御装置等の開発に従事していました。自動制御装置は、フィードバック系技術という、飛び続けるミサイルやロケット刻々と変わる情報をリアルタイムで収集しながら今の位置を確認し、たえず修正し続ける技術です。(中略)

現在ではこの技術は、ミサイルなどの軍事技術。ロケットや人工衛星といった宇宙技術だけでなく、株価を予測してデリバティブ取引を行う金融分野、経営の意思決定に使用されるようになりました。

戦後は冷戦構造の中で、米本土のミサイル防衛システムの根幹の技術開発を行っていましたが、1956年、MITのスローン経営大学院に移って、企業の課題解決システムのプロジェクトを立ち上げました。このときジェイ・フォレスターのメソッドで経営の分野で効果を上げたのがGE(ゼネラル・エレクトリック)です。

──なんかすごい人ですね。面白い。

続きはこうです。ここが「鞭打ち効果」の発見に関わるところです。

当時GEは、ほぼ3年毎におこる利益変動に悩んでいました。景気が良くなると、雇用を増やし製造や営業に力を注ごうとしますが、3年後には景気が悪くなり人手が余ってしまう。そのためやむなくレイオフなど雇用調整を行いますが、そうすると3年後くらいから売上が上がってくる中で、今度は人手が足りなくなる。

ジェイ・フォレスターのシミュレーションでは驚くべきことが明らかになりました。それまで、GEの幹部たちは、景気変動で売上の波が起こると思っていました。そのため、それまでの対策といえば営業担当に「景気を言い訳にせず成果を上げるのが営業だ!」とハッパをかけるくらい。何度も営業担当副社長のクビを変えましたが効果が上がりません。

しかし本当は売上に変動が起きていたのは、景気のせいではなく、GEの企業構造が引き起こしていることがわかりました。収益予想、投資計画、市場に対する意識などの認識が各部署ばらばらで、各現場が「部分最適」を追求しているため全体では市場と合わない動きになっていたのです。

──ふむ。どういうことでしょう。

このGEでの研究結果からもたらされた知見が「システム・ダイナミクス」という分野を生み出すことになるのですが、これまた引用で恐縮ですが、簡単にいうとこうなります。

システム・ダイナミクスは、物事をシステムとしての全体像でとらえ、要素間のフィードバック構造をモデル化し、問題の原因解析や解決策を探るためにシミュレーションを行うことで、実社会に存在するさまざまな問題の効果的な解決を図るアプローチです。

──先の話からの続きでいうと、ある物事が起きる原因は、シンプルな一対一の因果からではなく、システム内にある諸要素で起きる情報のフィードバックがもたらす複雑さにある、といったことでしょうか。

フォレスターはそれをモデル化し、シミュレーションを行うことで、その複雑さを制御する道筋を開いたというわけです。

──ほほう。

それで、このGEで用いた方法論を、今度は都市開発において用いる研究に着手することになります。

──へえ。

そこで彼が行ったシミュレーションによると、例えば低所得者住宅を増やすといった施策はむしろ逆効果で、むしろ貧困者を増やす結果になるといった結果が出てくることになってしまいました。つまり、当時の政府が考えてきたソリューションの多くは直感的な因果関係においては正しいもののように見えるのだけれども、システムダイナミクスという方法から見ていくと、直感的に正しく見える介入が、複雑な相互フィードバックのなかで想定とはまったく逆の効果をもたらしていることが明らかになったというわけです。このことから『Urban Dynamics』というフォレスターの著書は、極めてリバタリアンな性質をもったものとみなされ、ニクソン政権下のアメリカで、「小さい政府」の正当性を認めるものとして利用された経緯があったりするのですが、彼は、当時の批判に答えるかたちで、1971年に『Reason』という雑誌にこう記しています。

わたしの研究の基本テーマは、社会システムがどのように振る舞うかを理解するのに、人間の思考は適応していないということにあります。わたしたちの社会システムはマルチループ・ノンリニア・フィードバックシステムと呼ばれるものに属しています。長い進化の歴史のなかで、人間がこのようなシステムを理解する必要は、ごく最近までありませんでした。人間の進化の過程は、わたしたちがその一部となってしまっている動的システムの挙動を正しく解釈するに足る思考力を授けてはこなかったのです。

──リアリティありすぎて、1971年に書かれたとは思えません。

ここでフォレスターはコンピュータによるモデリングと人間の思考とは、排他的関係にあるのではなくむしろ補完的なものだと語っていまして、かつコンピュータによるモデリングをそのまま実社会に援用することについても保留をしています。彼が最初に提出した都市モデルは、人口と住宅供給と大気汚染と工業化といった非常にシンプルなパラメーターを用いてつくられたシミュレーションで、実際の都市は、それよりもはるかに複雑なものだからです。

──なるほど。

とはいえ、彼が考案した方法論は以後、都市開発や都市政策の策定において有用化されるようにはなりまして、余談めきますが「シムシティ」というゲームを開発したウィル・ライトはフォレスターの『Urban Dynamics』の直接的な影響を受けていることを明かしてもいます

──へえ。面白い。

また、フォレスターの影響はこれに止まりませんで、1972年にローマクラブが発表した『成長の限界』という本がありまして、これは発表以来幾多の批判を受けてはいるものの、現在の環境や気候変動をめぐる運動の基調をつくったものではありまして、世界で1,200万部を売り、環境関連本の歴史のなかでも突出したベストセラーとなったものだそうです。『The Nation』は出版から40年後の2012年に、改めてこの本の意義を振り返っていますが、本書が世界にもたらしたメッセージを、こう要約しています。

1972年の春、『成長の限界』と題された薄い本が、先進国の人びとの未来への楽観を打ち砕く知的爆弾のように投下された。コンピュータによって生成されたグラフと2人のMITの若い学者による冷静かつ明晰な文章に彩られた本は、過激とも思える主張を送り届けた。その主張とは、1970年を基準とした経済成長、資源利用、汚染が変わることなく続けば、21世紀中葉に現代文明は環境的・経済的崩壊に直面するというものだった。崩壊とは、つまるところ人間の大量死である。

──耳慣れてしまったメッセージですが、1972年のこの本がいわば初出なんですね。

ここで重要なのは、この本の根拠となったシミュレーションは、フォレスターが指揮したものだったということでして、彼は、企業内で行った研究を都市へと拡張し、ここでその対象を地球全体にまで広げたんですね。彼の著作はまさにこの発展に即して「Industrial Dynamics」「Urban Dynamics」「World Dynamics」 と題されています。

──なるほど。

ちなみに、ここでは指数関数的成長がある時点まで進行すると、人間には止めようがなくなり、地球の物理的限界を超えていくという予測が描かれ、その状況を説明する際に「オーバーシュート」という用語が用いられています。

──コロナの感染爆発でよく使われたことばですね。

社会システムにおいて「オーバーシュート」という概念の形成において、フォレスターが果たした貢献は大きかったと言われているそうです。

──そうなんですね。面白いですね。情報理論が、知らず知らずのうちにわたしたちのものの見方や理解の仕方の基盤となっているということですもんね。

まさにそうなんです。知ったかぶりで言うのもなんですが、フォレスターという人がもたらした功績というのは、組織や社会、都市、地球といったものを個々の要素が相互に干渉しあいながら非常に複雑で、反直感的な挙動をするものだということを明らかにしたことだと思うんです。加えて、人間の頭が、そうした動的なシステムを理解する訓練をまったく受けていないという指摘も、いま改めて重い指摘だと感じます。

──ほんとですね。

その一方で、こうしたコンピュータモデルは、社会というものの複雑さを記述する上で常に限界があり、パラメータやアルゴリズムの設定は結局のところ人間の恣意性に委ねられているという問題もありまして、それは常にフォレスターが非難されてきたことでもあります。とはいえ、だからといって「鞭打ち効果」をもたらす複雑なシステムが、複雑ではないということにはなりませんし、ビジネスの世界において、これはすでに基礎的な現実認識にはなっているわけですね。

──はい。

この「鞭打ち効果」というのはサプライチェーンのなかで情報が絶えず歪められながら伝達していくものですので、それに対する処方というのは、まず第一に「ちゃんと情報共有をする」だったりするんです。

──拍子抜けするような処方箋です(笑)。

The Supply Chain Consulting Groupという企業のサイトで語られている「鞭打ち効果」に対する処方箋で、第一にあげられているのはこんなことです。

意思決定プロセスを改善するには、サプライチェーンのあらゆる段階で一層の協働と情報共有が求められる。それぞれの段階においてゴールが共有されていないことから問題は起きる。

──情報が分断されていたり、意思決定プロセスから排除されているところがあると、そこから情報の歪みが生じるということですかね。

はい。それこそコロナ以降よく聞かれるようになった「マルチステークホルダー」というアイデアの基盤にあるのは、ある組織や社会をひとつの動的なシステム、相互作用しあうネットワークとして捉えるというもので、そう考えると、ステークホルダー間で情報の透明性を担保しましょうといった要件は、単に道徳的・倫理的な観点から語られているのではなく、むしろシステム・ダイナミクスの観点からの要請なんですね。

──なるほど。これからの企業においては、発信よりもむしろ受信が大事になるといったことも、どんな組織も、いまや「マルチループ・ノンリニア・フィードバックシステム」だと考えると必然的ではありますね。

面白いのは、組織や社会というものを捉えるにあたっての転換は、理論としてはすでに50年以上も前に提出され、かつそれが、それなりにビジネスや行政の世界に浸透してきたにも関わらず、相変わらずわたしたちは、物事をシステムにおいて、あるいはネットワークにおいて捉えるということができずに、ほとんどお伽噺といっていいレベルの因果の物語に規定されているわけです。

──人間の頭は、よほどそういう思考が苦手なんでしょうかね。

もちろん、この世の出来事すべてを、その動的な態において一気にすべて把握するなんていうことなどできはしませんが、例えば、自分がやっている事業におけるステークホルダーは誰ですか?と聞かれたら、さっと列挙できるというくらいのシステム感覚はあってもいいと思いますけどね。

──それすらできないですか。

あるワークショップで参加者に尋ねたことありますが、驚くほどに出てこないので呆れてしまったことがあるんですが、それこそエコロジーとかそういうことに興味があると言ってる「意識高い系」の人からして、そうだったので、この人たちが考える「エコシステム」とか「マルチステークホルダー」とか「ビジネスにおけるインクルージョン」とかって、一体なんのこと言ってるんだろうと、不思議でなりませんでした。

──その辺もあれですね、冒頭で話があったような、コンテクストがよくわからずにバズハードを追従しているだけという感じなのかもしれませんね。

最後にもう一回だけ眞子さまの話に戻っておくと、つい先日、眞子さまが複雑性PTSDと診断されているとの報道があり、『朝日新聞デジタル』によれば、これは「ネット上の攻撃やいじめといった『言葉の暴力』で起きるもので、お二人の結婚への誹謗(ひぼう)中傷が原因と考えられる」そうで、このことが結果的に結婚にGOサインが出る決定打となったというのが本当であれば、これはまさにご本人やご家族とメディアと国民とが、「マルチループ・ノンリニア・フィードバックシステム」のなかで相互作用しあいながら事態が刻々と変わっていく状況を端的に表しているわけでして、これをどう解きほぐしてしていくのかといえば、理屈上は、丁寧に情報開示をしていくしかないように思えますが、諸般の事情からそれが困難なのだとすれば、問題はさらにこじれそうではありますね。

──とはいえ、これが最後という案件でもないですよね。むしろ、これがデフォルトの環境ですから、同じ問題が出てきて、同じように病む人が出てきかねない、ということでもありますよね。

そういう意味でも、ここでの眞子さまの状況は、現代社会を端的に「象徴」しているともいえそうですが、社会自体が病んでいることの表れでしかないと思って学びにした方がいいんじゃないですかね。そうでないなら、ただ無駄に若い女性をひとり、社会全体で病ませただけということにしかなりませんから。

──ほんとですね。いまのこの時代の現代性において皇室というものを考えてみようということですね。

まあ、そうですね。

──よくわからない話でした(笑)。

ほんとすみません。

若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも


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