Company:メタバース時代の任天堂の勝ち筋

Company:メタバース時代の任天堂の勝ち筋
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任天堂Nintendo)というブランドには何か魔法のようなものがあります。わたしの場合は、「ゼルダの伝説」シリーズの「ブレス オブ ザ ワイルド」(The Legend of Zelda: Breath of the Wild、2017年発売)で、任天堂の世界に引き戻されました。主人公のリンクが探検するオープンワールドに魅了されたのです。そこでは何百時間歩き回っても、見るべき景色や発見すべき秘密、解き明かすべき謎が尽きることはありません。

このゲームで感じるピュアな驚きは間違いなく本物だといえるでしょう。任天堂の人気を支えるのは、あらゆる年齢層を取り込めるという能力です。マイクロソフトのXboxやソニーのPlayStation、そしてさらにはパソコンゲームの世界全体では、FPS(ファーストパーソン・シューティング)など、大人を対象としたゲームに力を入れてきました。これに対して、任天堂はある意味では簡単で誰でも楽しめるゲームにこだわったのです。

任天堂の成功は、「家族向け」かつ「子どもっぽく」はないという評価を得られるかどうかにかかっています。これは代表取締役の宮本茂が実際に語ったことで、最近は広大なオープンワールドのデザイン、スムーズなオンラインプレイハックアンドスラッシュ形式のゲームなど、野心的な挑戦で作品をヒットさせてきました。ただ、同社は新しいキャラクターやシリーズを生み出すのではなく、すでに評価が確立している作品を発展させていくという戦略を貫いています。

最近ではパンデミックの間にNintendo Switchが爆発的に売れ、任天堂は再びゲーム界の巨人となりました。ただ最新の決算報告によれば、同社は世界的な半導体不足を受けてSwitchの販売見通しの引き下げを余儀なくされています。

創業132年の任天堂はこれまで、時代に先駆けて素早く行動を起こしたり、何かの破壊者であったことはありませんでした。そして同社はいま、先に突き進んでいく競合他社に付いていけるのかというシンプルな問いに直面しています。それとも、品質とノスタルジアを巧みに組み合わせるという従来通りの戦略で、今後もファンを繋ぎ止めることができるのでしょうか。


BY THE digits

数字でみる

  • 51億本:任天堂のゲームの累計販売数
  • 8億台:任天堂のハードウェアの累計販売数
  • 5,944人:世界全体での従業員数(2019年時点)
  • 2,600万人:Nintendo Switchのオンラインサービス「Switch Online」の会員数
  • 510億ドル(5兆8,060億円):現在の時価総額

FROM HUMBLE BEGINNINGS

はじまりは花札

任天堂は1889年、京都で「花札」と呼ばれる精細な絵柄の入ったカードゲームのメーカーとして誕生しました。創業者は山内房治郎です。ただ花札には日本の犯罪組織であるヤクザのイメージがつきまとい、1950〜60年代に次第に廃れていきます。このため、1959年にディズニーのキャラクターを使用したトランプを売り出す契約を結び、これがゲーム・玩具市場に参入するきっかけとなりました。

カード事業が苦戦するなか、任天堂は創業者のひ孫の山内溥が社長だった1970年代に電子機器に軸足を移します。当時はアタリ(Atari)の「ポン」(Pong)やタイトー(Taito)の「スペースインベーダー」(Space Invaders)といったまったく新しいアーケードゲームが登場しており、任天堂もこの分野の開拓を目指したのです。

1981年には伝説のゲームデザイナーとして知られる宮本茂が手掛けた「ドンキーコング」(Donkey Kong)が発売されます。このゲームはマリオ(Mario)の元になったジャンプマン(Jumpman)と呼ばれるキャラクターが転がって来る樽に当たらないようにしながらレディー(Lady、その後にポリーン・Paulineという名前が与えられます)を助けるという内容で、大ヒットしました。任天堂はこのとき、北米向けのアーケードゲーム「レーダースコープ」(Radar Scope)の失敗(販売台数は2年間で6万7,000台にとどまりました)で経営破綻の危機に直面していましたが、「ドンキーコング」のヒットで救われたのです。

1983年には家庭用ゲーム機のファミリーコンピュータ(欧米では「Nintendo Entertainment System」)を発表し、その後の10年間で「ダックハント」(Duck Hunt、1984年)、「スーパーマリオブラザーズ」(Super Mario Bros.、1985年)、「ゼルダの伝説」(The Legend of Zelda、1986年)などの名作ゲームを世に送り出してきました。

一方、ゲームボーイでは、「星のカービィ」(Kirby’s Dream Land、1992年)や「ポケットモンスター 赤」(Pokemon Red)、「ポケットモンスター 青」(Pokemon Blue、いずれも1996年)といったタイトルで携帯ゲームの世界に革命をもたらしています。

1990年代は任天堂にとってディズニー・ルネサンス(Disney Renaissance)のような時代で、非常に重要なものとなりました。これは売り上げにも現れており、1988年にはABC「20/20」でリポーターが、「玩具メーカーでは過去に例を見ない数字だ」と述べています。「誰もが知っているバービー人形の売上高は年間約5億ドル(567億円)ですが、任天堂はその3倍以上なのです」


A BRIEF HISTORY OF CONSOLES

どれ、持ってますか?

A timeline of Nintendo consoles released since launch
Image: Jasmine Teng

※()内の数字は販売台数

1983年:ファミリーコンピュータ(6,190万台)

1989年:ゲームボーイ(1億1,870万台)

1990年:スーパーファミコン(4,910万台)

1996年:NINTENDO64(3,290万台)

2001年:ゲームボーイアドバンス(8,150万台)、ニンテンドーゲームキューブ(2,170万台)

2004年:ニンテンドーDS(2,170万台)

2006年:Wii(1億160万台)

2011年:ニンテンドー3DS(7,590万台)

2012年:Wii U(1,360万台)

2017年:Nintendo Switch(8,900万台)


THE COMPANY TODAY

任天堂のいま

任天堂の業績は好転しています。2017年に市場投入したSwitchは携帯ゲーム機と家庭用ゲーム機をひとつにまとめてどちらの形でも使えるようにしたデバイスで、COVID-19のパンデミックの間に大きな成功を収めました。2020年第2四半期の純利益は13億7,000万ドル(1,450億円)と前年同期比で428%の増益を達成しており、これにはSwitch568万台と「あつまれ どうぶつの森」1,000万本の売り上げが大きく貢献しています。

ビジネスの形は変化しても任天堂の本質的な部分とその”性格”は変わっていません。主力ゲームでは1980〜90年代に登場したキャラクターと物語を使い続けており、ゲームプレイやグラフィックは進化してより洗練されたものになってはいるものの、プレイヤーはマリオやリンク、ピカチュウ、カービィといったおなじみのキャラクターと再び別の冒険に乗り出すのです。

任天堂はまた、自社のコンソール向けのタイトルだけを手掛け、スマートフォン向けのゲームはほとんど手を出さないという昔からの戦略を忠実に守ってきました。そして知的財産の扱いにも非常に慎重です。

Switchにはユーザー同士がつながることのできるオンラインのサブスクリプションサービスがあり、任天堂の他のコンソール向けの古いゲームをプレイすることができるのが大きな魅力となっています(ただ、NINTENDO64のゲームはエミュレーションがうまくいっておらず、きちんとプレイできないという批判もあります)。

一方、任天堂はeスポーツを通じた「交流」という最近の流行には消極的で、ネットメディア『Input』は昨年、同社がパンデミックの最中にもeスポーツの仮想大会を取り締まっていると伝えています。二次創作や個人主催の小規模なイベントに対しても、著作権侵害を理由に止めるよう求めているそうです。

任天堂も時代に取り残されないために、いずれモバイルゲームやオンラインゲームといったトレンドを受け入れざるを得なくなくなるかもしれません。しかし本音では、成功したキャラクターとストーリーを使った質の高いゲームを投入しながら知的財産を囲い込んでいくという実証済みの戦略を維持していきたいと思っているはずです。

ベンチャーキャピタリストのマシュー・ボール(Matthew Ball)は昨年のブログで、「(任天堂は)ディズニーやテンセント・ホールディングス(Tencent、騰訊控股)、アクティビジョン・ブリザード(Activision Blizzard)になりたいわけではない」と書いています。「任天堂は任天堂のままでいたいのだ。そして、事業拡大ではなく、特定のプロセスを完璧にすることで得られるものがあるということを認識するのも重要だろう」

ゲームの未来は任天堂がこれまで試してきたものよりもインタラクティブでネット中心になっていくでしょう。同社のゲームでは「あつまれ どうぶつの森」が最もこれに近いかもしれません。ボールを含む人たちが説明するようなメタバースを巡る議論が盛り上がっていますが、ゲームとネットが網羅するものの未来が近づいていくなかで、任天堂はファンが愛する世界を構築していく必要があります。個人的にはゼルダの舞台となるハイラルに住んでみたいので、任天堂には頑張って欲しいと思っているのですが。


ONE 😭 THING

おまけ

少し前に米国の発明の歴史を紹介するヘンリー・フォード博物館に行ったときに、1990年代のコーナーでわたしが子どものときに遊んでいた派手な紫色の「ゲームボーイカラー」を見つけました。そもそもゲームボーイは米国の発明品ではありませんし、26歳の自分にとって、子ども時代に使ったおもちゃが博物館に展示されているというのは微妙な気分でした。


今日の「The Company」ニュースレターは、レポーターのScott Nover(ゼルダのメタバースができたらそこに住みたい)がお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。


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