Guides:#80 メディアビジネスの当事者性

Guides:#80 メディアビジネスの当事者性

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週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。第80回を迎えた今回は、この連載のことを閑話休題的に振り返ってみました。毎週更新している本連載のためのプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。

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Image: Christian Hartmann / Reuters

The Interlude

メディアの当事者性

──こんにちは。ご機嫌いかがですか。

忙しくなってしまっていますので、機嫌悪くしてるヒマがない、という感じです。

──それは周りの人にとってはありがたいことなんじゃないですか?

そうかもしれません。

──この連載も、今回で80回目ということになりますが、毎週毎週、よく続いていますね。

そうですね。自分としては毎回、自分の知らなかったことを学ぶいい機会にはなっているのですが、読者のみなさんにとって、有益な何かであるのかどうか、だんだん怪しくなってきたな、という危惧はなくもないです。

──前回の缶詰の話とか、タイトルだけを見ると、自分となんの関係あるんだと思われる人も多いかもしれませんね。

そうですね。連載の当初は、米国版Quartzの〈Field Guides〉というシリーズをお題にして、そこで取り上げられたトピックを扱っていましたが、この〈Field Guides〉は比較的時事的なテーマが多かったので、国際ニュースにキャッチアップするという有益性があったと思います。それが、今年になってそのシリーズが休止してしまい、急遽〈Weekly Obsession〉というシリーズで選ばれたお題からネタをピックアップすることにしたのですが、このシリーズがちょっとトリッキーなんですね。ニュースの一面にはならないけれども、ちょっと気になるよね、というネタを扱うシリーズなんですよね。

──はい。これまで取り上げたものを見ると、「シモーン・バイルス」「積読」「お尻(豊尻)」「無神論」「ファンタジースポーツ」「ディスコ」「ゾンビ」「ビジネスクラス」「缶詰」と、まあ、これだけ見ると、「なんでいま、これ?」と思うようなものだったりしますよね。

とはいえ、各特集を読み解いていき、それがなぜ問題になっているのか、そしてどういう論点がそこに隠されているのかといったことを理解していくと、日本にいるからといって、まったく関係がないといった話題はないんですよね。海外のニュースを理解していく上では、どんなニュースでも、そうした読み解きはある程度必要になるとは思いますので、「缶詰」というお題を投げられて、そこに自分の暮らしとどういう関連を導き出すのかというチャレンジは、コンテクストや文脈を探す訓練としては、非常にいいんですが、そうやって人のトレーニングに付き合わされる読者の方々は気の毒かもな、と思わなくもありません。そこで、編集担当のトシヨシ氏とは、ネタ元を変えようか、という話もしたりしています。

──候補はあるんですか?

そうですね。例えばQuartzには〈The Forecast〉というシリーズがありまして、これは日本語のニュースレターとしても配信されているものですが、「メタバースへようこそ」「チャイニーズユニコーンの終焉」「未来の金融」「殺人ロボットのルール」といった感じで、それっぽいラインナップになっているので、これはこれで読み解くのはやりやすそうではありますし、読まれている方にとっても興味あるお題だとは思うので、この〈The Forecast〉を主軸にしていくのはアリかなとは思うんです。

──いいですね。「メタバース、なんぞ?」といったあたりは、日本語でもかなり記事が出ていますし、多くの人が興味をもっている領域だったりはしますよね。

はい。自分も、そろそろちゃんと自分なりに理解しとかないとな、とは思っていたりもしますので、取り上げたい題材ではあるのですが、とはいえ、その一方で、そうやってトレンドにキャッチアップしていくことは、きっと他のメディアもやるだろうしなあ、と思うところもありまして、ちょっと悩ましいところなんですね。

──なんでですか?

この連載が始まった2020年はそれこそグローバルパンデミックが発生して、世界中が未知の体験に右往左往するなかで、そこで起きていることを海外ニュースを通して見ることは面白かったですし、とても意味があったと思っています。それが2021年に入ると、日本はオリンピックを控えて週替わりで問題が勃発するめちゃくちゃな状況になったことで、オリンピックというものを軸に世界と日本の距離をみたり、その行方を考察することは面白かったのですが、そのオリンピックが有耶無耶のうちに終わり、黒歴史として刻まれるどころか、ほとんどすでに誰も覚えていないというようなかたちで過去に消えてなくなり、そうこうしているうちにコロナも有耶無耶のうちに、今後またどうなるかはわかりませんが、終息しつつあるという状況になって、一気に自分自身も基軸を失った、という感じがあるんですね。

──とにかく疲れる一年でしたよね。

もちろん、その後も総裁選があったり、COP26があったりして、世界は相変わらず動いてはいますし、北京での冬季五輪についても、アメリカが外交ボイコットを匂わせはじめるなど、興味深い動きが出てきてはいるのですが、いまのところ、まだそれを正面から取り上げなきゃな、という気分にもなれずにいたりします。

──あ、そうですか。

これは、自分の仕事全般に関わることでもあるのですが、今後どういった基軸で何をやっていくのがいいのかなといったあたりで、あんまりいい基軸を見出せていない、ということでもあるのですが。というか、それを、毎回、この連載をやりながら考えているといった感じなんですよね。

──具体的な切り口を探しているという感じですか?

そうですね。具体的な話ではありつつ、新しい切り口を見つけるというのは、実際は、対象に対する距離感やスタンス、視座の位置に関わることだったりもしますので、具体的でありつつも抽象的な話でもあるんですよね。

──よくわからないですが。

例えば、このQuartzというメディアは「グローバルビジネスメディア」であることを基本的には謳っていますが、そもそもビジネスメディアって何を読者に伝えるべきなのかというところで、もうずっと岐路にあるようには思うんですね。それって結局「ビジネスとはこういうものだ」というところで固着してしまっていて、その固定観念から抜け出せていないということだと思うんです。これは「音楽メディア」といったことについても同じだと思うんですが。

──それはわかります。なんか面白くないんですよね。

はい。で、つい先日とある知人に、BTSを擁するHYBEがやっているファンダムプラットフォーム「Weverse」がやっている『Weverse magazine』っていうのが面白いですよ、と言われてみてみたら確かに面白いんですよね。個人的には、特に「NoW」(New of the world)というシリーズが面白くて、美術批評や音楽批評を掲載しているのですが、音楽批評も作品をレビューするようなものはほとんどなく、どちらかというと音楽ビジネスにまつわるネタが多く、音楽というものを「社会を映し出す鏡」として捉えている感じがとてもいいんですね。

──どういう記事が載ってるんですか?

ABBAの復活を論じたものや、現在のストリーミング音楽の傾向を分析したもの、アナログ回帰を分析したもの、デジタル限定版音源をNFTに絡めて論じたものなどもあります。どれも面白いですし、今後の音楽ビジネスの動向を占う意味でも有用です。テイラー・スウィフトの再録を論じた記事もあります。

──いいですね。

主に韓国の批評家が書いたもので、もちろん一個一個の記事は十分面白いのですが、大事なのはそこじゃないんですよね。そういう記事と出会う回路というか、そのインターフェイスが重要な気がするんです。

──意外性はありますよね。HYBEがそんな情報出してんの?という感じで。

おそらくファンのみなさんは、そこになんらかのメッセージ性を読み取って、それをBTSの言動に紐付けながら理解していくことになるのでしょうけれど、そうでなかったとしても、HYBEのビジネス自体を、メタレベルで理解する上でのコンテクストを提供している感じがあって、そのコンテクストが豊かになればなるほど、ファンもそうでない人も、HYBEが今後手がけるであろう動きの意味を正確に読み解けるようになるんだろうという気がしてきます。そういう意味では、非常に自己言及的ではあるのですが、これは別の言い方をするなら当事者性がある、ということでもあるのかな、という気もします。

──なるほど。

実際に、こうしたレビューで言及されたアート作品が、BTSの作品に反映されたりすることがあるそうですから、単に第三者的に、これ観たり聴いたりした方がいいですよ、という話であるよりは、もう一歩踏み込んだものになっているんですね。

──たしかに。その結果、こうした情報がコレクティブな学びの場を提供することになるわけですよね。

はい。この数日、日本のメディア企業で働く人、何人かとお話する機会がありまして、改めて暗澹たる思いがしたのは、いかにも先進的な情報を扱っているメディア企業が、最も時代から遅れているということでして、要はメディアを通して世の中に発信している内容を、自分たちがまったく体現していないということなんですよね。

──「両利きの経営」とか謳った本を出しているところが、どの程度、それを自分たちでやれてんのか、と。

はい。もちろん、「『ティール組織』なんて本を出してる出版社なんだから会社自体もティール組織になってなきゃおかしい」と言われても、それはそれで無体な相談ですし、出版するもの全部に対してそんなふうにコミットするのは不可能なんですが、とはいえ、その一方で、「売れそうだと思ったから出しただけですよ」と開き直られても、それはそれで白けますよね。

──その辺は、例えば企業が環境問題にどうコミットするか、といった話とも交錯してきましね。いいかげんなやり方で「エコ」を標榜することが、すでに許されない環境になりつつあります。

そうした風潮を「行き過ぎたポリコレ」と批判する向きがあるのもわかりますし、言動一致を極端なまでに求めるのも世の中を窮屈にするだけだとも感じはするのですが、とはいえ、メディア企業は、「中立性」という理念を盾にして、自分たちの当事者性というものを顧みることなく、ある種特権的な立場から自由に振る舞うことを自らに許してきたわけで、今の社会にあっては、それがやたらと傲慢に見えているわけですし、メディア批判の根底には、それがあるわけですよね。

──エラそうに、何さまだ、と。

自分で言うのもなんですが、実際「何さま?」なんですよね。たまたまメディア企業に就職したからという理由だけで、ものすごい影響力をもったプラットフォームでなんらかの影響力を行使することができ、しかも、中立性や表現の自由といった大義名分において保護されるわけです。言ってみれば、ど素人にかなり大きな権限、権力を預けている格好になっていますし、そうであればこそ、こんな気楽で楽しい商売もないわけですよね。ですから、そういう企業で一定の地位をもつ人たちには、それ自体を変えようと言うインセンティブもないですし、モチベーションもないわけです。

──メディアが一番旧弊で保守的な業界である、というのは社会として本当に最悪ですね。

自分なんかは、本当に傍観者気質でして、外野からやいのやいの言うのが楽しく、だからこそ、メディアの業界に憧れたということはありますし、そうした第三者的な視点が世の中には不可欠だということについては、少なからず信念めいたものもあるのですが、とはいえ、そもそもこの業界が中心的に扱ってきた「情報」というものを支えてきた、「中立性」という幻想がソーシャルメディアによって剥ぎ取られていくことになったことで、業界全体、そして業界で働く人の態度を規定してきた原則も、同時に壊れていっているのは事実ですし、少なくともそれをビジネスとして持続させようと思ったら、その状況に適応せざるを得ないのも事実なんですね。

──言動一致が求められてきてはいると。

そうですね。この連載でも何度も語ってきたと思いますが、ソーシャルメディアというものの大きな特質は、それが情報や知識ではなく「アクション」を伝播することが何よりも得意だということでして、それは、これまで情報や知識のやりとりを旨としてきた、静的な「中立メディア」のありようとは決定的に異なるんですね。そのあたりのことが、旧来のメディアの記事と、『Weverse magazine』の記事の違いの根底にあるような気がするんですね。

──旧来メディアの記事には、なんのアクションも紐づいていない。

とはいえです、メディアをつくる、記事を書くというのは、それ自体が十分にダイナミックなアクションなんです。印刷技術が発明された初期の頃には、それを有用化した歴史に名を残す論客を輩出しまして、エラスムスやジョナサン・スウィフト、マルティン・ルターなどはその代表格といえますが、彼らにとって出版はそれ自体がアクティビスムだったわけですし、洋の東西を問わず、歴史に名を残す憧れの出版社や雑誌のカッコよさは、誌面そのものや内容だけでなく、そこに集った人びと、つまりはコミュニティとしてのカッコよさであって、そうであればこそ、それは単にメディア事業としてではなく、ひとつのムーヴメントとして見えるわけですね。

──たしかに。多種多様な才能が集まって、そこにコレクティブとして、ある感性や考え方、ものの見方が集約されるところがカッコいいんですよね。

はい。ところがそういうものが、時代を減るなかで産業化され、官僚化されていくことになり、口汚くいえば、その成れの果てとして、ロクに新陳代謝もおきないいまの日本のメディア業界があるように見えるんですね。

──メディアのお役所仕事化。

そうなんです。ですから、メディアはおそらく、それをやること自体がアクションであるといった感覚を取り戻す必要があるんじゃないかと感じるんですね。メディアの仕事がわかりやすく政治的アクティビズムに回収される必要はまったくないと思うのですが、メディア自体がアクションであるような建て付けがやっぱり必要なんじゃないかと思うんです。

──どうやったら、そういうものって、できるんですかね。

どうなんでしょうね。「メディアをやる」と決めて「じゃあ、何やろう」と考える、みたいな設計でやっているうちは、おそらく堂々巡りになるような気がするんですよね。少なくとも、メディア云々は抜きにして、「何やろう」を先に置くような考え方をしないとダメかもしれませんね。

──そうやって、これまで存在したフレームからはみ出して行くっていうのは、難しいものですよね。

はい。計画しても絶対うまく行かないと思いますし、経験的にも、ちょっと面白い取り組みって、ほとんどがノリと勢いで始めて、なんとなくうまく持続しているというものばかりなんですよね。計画しちゃうと、むしろ長続きしないんですね。計画を実行するだけの業務になっちゃって、それって、アクションっていうものとは違うんですよね。

──その辺の兼ね合いは難しそうです。

この連載にしたって、半ばそういうところはありまして、さあ書くぞとなって初めて、Quartzを開いて、今回のお題を知るということでやっていますので、自分にとって、これを書く作業は、極めて身体的なものだったりするんですね。本当は、毎回リアルタイムで書いている状況を配信でもしたほうが、むしろ、この作業の意味は伝わるのかもしれませんけど、自分としては、書き上がったものよりも、そのプロセスのほうが、はるかに意義あるものなんですよね。

──その辺の感覚は、記事を読むだけだと、なかなか伝わらないかもしれませんね。アウトプットされたものは、アウトプットとして、どうしても人は読んでしまいますもんね。

アウトプットは実は、プロセスを発生させるためのきっかけ、アリバイでしかない、というのは雑誌をつくったりする上では、とても大事なことだと思いますし、音楽においても同様のことは起きているはずなんですね。そういえば『Weverse magazine』に、Yeこと、元カニエ・ウェストの評論が公開されていまして、こんなことが書かれていたのでした。「カニエ・ウェストがアルバムの定義を問う」というタイトルです。

8月20日に『Donda』が公開されるか否かは、この文章を書いている現在わからない。だが二度のリスニングパーティーでカニエのメッセージは明確になり、それは『Donda』が完成し公開されるかどうかとは無関係だ。もし『Donda』を、CDはもちろん、ストリーミングでも聴くことができなかったとしたらどうだろうか。カニエと同じ空間でアルバムをともに聴くことだけが可能だとしたら、それはアルバムなのか。このアルバムは公開されたものなのか。カニエのリスニング・パーティーは、現代のライブはもちろん、レコーディングとレコード技術が発達する以前の時代のコンサートとも異なる。カニエは二度のリスニング・パーティーで、ひと言も言葉を発しなかった。数十ドルの入場料を払った観客たちと、その瞬間完成されたバージョンの『Donda』をともに聴いた。Apple Musicの生中継も再び観ることはできない。YouTubeでその痕跡を見つけられるのみだ。

──カニエ、もといYeは、この間、たしかにアルバムという様式を無効化しようと努めてきたように見えますが、それは同時にライブ/音源の区分けを変えていくことにもなるわけですね。

Yeはつい最近、Dondaのデラックスエディションを出していましたが、少なくとも彼の音楽を聴く上では、「完成形のプロダクト」という概念自体を捨てた方がいい気がしてきますね。

──難しいことを要求してきますね。

そうですね。ただ、こうしたことは特にTikTokやInstagram上では、もはや日常茶飯事になっているとも言われていまして、音楽家は、デモやスニペットをソーシャルメディアに公開し、リスナーのフィードバックを受けながら、曲を制作するようになってきていると言います。『WeVerse magazine』の「スニペット、音楽を試聴してください」という投稿には、こんなふうに記載されています。

ポロGは、「Rapstar」の制作過程をほぼ中継しているようなものだった。すでにスニペットと、それに対するファンからの反応が曲の歌詞とメロディを変え、どの曲をシングルとして発売するか決める事例も見られる。

誰かはこれを「プレビュー(preview)」と呼び、また誰かは「リーク(leak)」と呼ぶ。前者は、創作過程をファンとのコミュニケーションに繋げるオープンマインドを強調する。後者は、さりげない宣伝という意図に注目する。K-POPのファンなら、「ティーザー(teaser)」という、より公式化された形に慣れているだろう。どちらにせよ、その効果は同じだ。すぐに熱くなりすぐに冷めてしまうコンテンツ市場において、長期間関心を蓄積し、爆発力を発揮することができる。スニペットがTikTokチャレンジより重要な傾向になる理由も多くある。音楽の発売を待たなくていい上、特定のプラットフォームの流行りに従属されず、予め計画し、意図を盛り込むことができる。今はストリーミング時代であり、ほぼすべての新曲が毎週同じ日、同じ時間に雪崩を打って発売される。あなたの曲が毎週新曲を紹介するプレイリストで何番目にプレイされるかは、プライドを超えて生存の問題にもなる。ただ曲を出してからお祈りをするのか。それとも、予想可能な結果を作るのか。

──なあるほど。しかし、この『Weverse magazine』、勉強になりますね(笑)。

TikTokのグローバル・ヘッド・オブ・ミュージックのオーレ・オーバーマンは、『Music Business Worldwide』というメディアで、「TikTokは、音楽エンゲージメントのプラットフォームであって、消費のプラットフォームではない。ここには新しいファンダムの形態がある」(Tiktok is a platform that is about music engagement – not consumption. It’s a new form of fandom.)と語っていますが、「消費ではない」ということは、そこに「商品」がないということでもあるんですね。

──なるほど。一方、プロセスにコミットするのが「エンゲージメント」ということですね。

はい。消費は、どちらかというと、そのサブレイヤーとしてある感じで、もちろんビジネスとしては、「商品/消費」がどこかにないことには成立しないのですが、これまでのように、それがゴールとしてあって、そのゴールを達成するためにエンゲージメントが必要である、という順番は明らかに変わってきているのだと思います。実は、この辺は本当は、メタバースといったものを理解する上で、非常に重要なことで、この辺を理解し損ねると、ただ3次元化した広告的スタントにしかならない、といったあたりほとんどの企業とかが間違えそうで、なんなら派手にドすべりする企業を見たいなと思ってますが、どうなるでしょうね。

──その話に行きます?

そうですね、その話に行ってもいいんですが、今回の〈Weekly Obsession〉のお題が実は〈Kudzu〉というものでして、これ、日本の読者には、本当に馴染みのないものだと思いますし、であればこそ、取り上げたいなと思ってはいたのですが、その前段と言いますか、この連載の行く末などを考えていたらいい加減、文字数を食ってしまいました。

──じゃあ、それは来週扱うことでもいいんですが、さわりだけでもちょっと聞かせてもらってもいいですか?〈Kudzu〉っていったいなんのことですか?

漢字で書くと「葛」のことです。

──え。葛?

はい。

──なんでそんなものが、2021年11月においてトピックになるんですか?

日本人からしたら、めちゃ謎ですよね。

──はい。

自分も知らなかったのですが、葛ってアメリカの南部では、実はまったく珍しくないものなんですね。

──そうなんですか。

R.E.M.の『Murmur』というアルバムのジャケットを覚えていらっしゃる方がいれば、思い出していただきたいのですが、こんもりと茂った植物が写っていまして、あれが葛なんです。

──へえ。

アメリカ南部では本当に景色の一部になっていまして、自分もミシシッピに取材で行ったときに電柱に絡まるようにして生い茂っているのを見たことありますが、それ自体がちょっと怪物めいて見えて、景色にゴシックファンタジー的なダークな雰囲気を与えているんです。

──「なんでそんなところに葛が?」と思わずにはいられませんが、これは日本と関係あるんですか?

もちろんあります。ただ、アメリカでこれだけ葛が広まり、しかも「グリーンモンスター」の呼称をもって日常化しつつも、憎まれている背景には、それなりに錯綜した歴史がありまして、これはこれで非常に面白いものなんですね。

──メタバースも興味ありますが、そう言われると「葛」も気になります。そもそもなんでいま?ということも含めて。

そうなんですね。〈Weekly Obesession〉は、実にうまい具合にそういうネタを突いて来るんですが、こうしたものは、ときに「これからはメタバース!」という記事よりも面白いものだったりしますよね。ですから、悩ましいんですよね。どういう方向性のものを取り上げたものか。

──たしかに。

ちなみに、〈Weekly Obsession〉はポッドキャストにもなっているのですが、なるほど、たしかにポッドキャスト向きだな、と思ったりもします。ちょっとした雑談を交えながら、「これってどう考えたらいいんだろうね」とゆるっと語るには、ちょうどいい距離感のお題が選ばれていますので。

──メディアってのは、そう考えると難しいものですね。役立つものがいいのか、面白いものがいいのか。どっちなんでしょうね。

自分としては、役立つものは現在に属していて、面白いものは未来に属している、って感じがするんですよね。どっちも必要だとは思うのですが、いまは面白いものが、あまりに足りていないという感じがするんです。

──じゃあ、次回は、もうちょっと詳細に「葛」の話を聞かせていただくことにしましょうか。

メタバースも、面白い話があればやりたいとは思いますし、本当は「役に立って面白いもの」であるのが望ましいですよね。ただ、あまり目的論的になると、途端につまらなくので、その辺の塩梅は、難しいです。


若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも