Guides:#82 ライブコマースの没入感

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週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。毎週更新している本連載のためのプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。

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Image: REUTERS/TINGSHU WANG

Your next shopping experience

ライブコマースの没入感

──もう12月です。あっという間の一年でしたね。

そうですね。何度も書いていますが、何をしたのかよくわからない1年でした。

──何か得たものはありそうですか。

どうでしょうね。昨日、パノラマティクスの齋藤精一さんとシモーネのムラカミカイエさんと3人でトークイベントを行いまして、ランダムに最近感じていることなどをお話ししたのですが、そのなかで面白いなと思ったのは、お二方とも、それこそ行政に近いところで泥臭い町おこしのようなことをやられている一方で、例えばK-POPやNFTといったテクノロジーとカルチャーが交錯する最先端にも携わっておられて、時代の両極端にあるような領域に関わっていながらも、実は、それが結局は同じところでつながっているような感じがする、と仰っていたところです。

──へえ。

全部同じ話なので、両極を行ったり来たりしていても、ほとんど頭を切り替える必要がなくなっている、というようなことをおふたりとも仰っています。もちろん、実際のアウトプットはまったく違うものだと思いますので、体の動かし方はまったく違うのだとは思いますが、物事を捉える視点のようなものはおそらく一緒なんだと思います。これは、ここ最近自分もうっすらと感じていることでして、今週は先のトークイベント以外にも、武邑光裕先生とともに「東洋圏/西洋圏/デジタル圏」という3つの圏域がクラッシュしている状況をめぐる「三体問題」をテーマにお話ししたほか、「小売の未来」をお題としたイベントにも参加したのですが、自分としてはほとんど同じ話をしている感覚なんですよね。

──そうなんですか。どういうことなんでしょう。

最近の自分の興味としては、例えば「クリエイターエコノミー」といったキーワード、「ファンダム」といったキーワード、あるいは「NFT」や「メタバース」といったキーワードに、それなりに興味をもってはいるのですが、そこまで深く考えているわけではないとはいえ、これら、実際は同じことを、別の視点・側面から何かを言ってるだけなんじゃないかという気がしているんですね。

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──へえ。よくわかりませんが。

今回は、Quartzの〈The Forecast〉というシリーズを手がかりに自分の考えを整理する上でも、この辺のことをお話してみたいと思うのですが、ここで難しいのは、どこから話始めるか、ということなんです。

──全部つながっているなら、そうでしょうね。

試しに、〈The Forecast〉からいわゆるライブコマースをお題にした「ただいま配信中:来るべき買い物体験」(Streaming now: Your next shopping experience)という記事を見てみましょうか。日本語訳された記事は、「世界最先端の『ショッピング体験』」となっています。

──ほほう。意外なところから。

ライブコマースというのは、すでにみなさんご存知かと思いますが、簡単にいえば、TVショッピングのインタラクティブ版ということですが、これをシステマティックに一般化したのは中国市場でして、欧米市場は、中国と比べると大きく遅れをとっています。Quartzはこう説明します。

いま、中国では「ライブコマース」(ライブストリーム・ショッピング)がビッグビジネス化し、ショッピングの手法として一般的になっています。2017年には30億ドル(約3,400億円)の産業に過ぎなかったものが、瞬く間に膨れ上がり、2022年までに4,230億ドル(約47.9兆円)の売り上げが見込まれています。

配信中、出演者が商品を紹介するとその商品の価格情報や支払いのリンクがポップアップ表示されます。「ピクチャー・イン・ピクチャー」表示なので、ユーザーは視聴中の配信を中断することなく商品を購入できます。QVCのようなテレビ通販番組は一方的で、事前に収録されていることが多いのですが、ライブ配信でのショッピングはインタラクティブで、まさに「ライブ」です。

ライブ配信という形式がブランドにとって魅力的なのは、商品を購入したい気分になっている視聴者の目の前に直接商品を展示できるから。配信される内容そのものが面白く、インターフェイスは簡単で、コメント欄にはコミュニティが存在しています。スクリーンを見ているあいだに買い物をするのは、マルチタスク時代のわたしたちにぴったりです。

中国では、ソーシャルメディアからECマーケットプレイス、支払い方法がひとつのアプリに統合されていることが多いため、ライブコマースへの移行はよりシンプルなものでした(もしもFacebook、Amazon、PayPalがすべて同じアプリに入っていたら、米国人もすでにライブ配信で買い物をしているかもしれません)。

──47.9兆円! 凄まじいですね。

はい。現在はアパレルの販売が主流で、次いで、コスメ、生鮮食品、家電といった順番になっていますが、生鮮食品がすでに家電の販売を上回っているのは、面白いところですよね。

──たしかに。日用品の買い物がすでにライブコマース化していると。

はい。上記の解説には、ふたつ重要なポイントがありまして、ひとつは「コメント欄にはコミュニティが存在しています」というところです。さらに、最後の「もしもFacebook、Amazon、PayPalがすべて同じアプリに入っていたら、米国人もすでにライブ配信で買い物をしているかもしれません」という一文です。

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──ふむ。

これは以前に中国の音楽アプリと欧米の音楽アプリの違いについてお話しした際にも説明したことですが、欧米の音楽アプリは極めて「個人主義的」で「スタティック」なつくられ方をしており、一方の中国アプリは、ユーザーの能動性が発露できるような機能をたくさん備えているという意味で「ダイナミック」で、かつ、背後にソーシャル機能が走っていますので、個人主義的というよりは「ソーシャルな空間」としてコミュニティドリブンな運動を促す意味でも「ダイナミック」なものとして設計されています。これは、ライブコマースをドライブする上でも非常に重要な観点なんですね。

──そもそもそれを見てくれるコミュニティがなければ、ライブ配信したところで意味ないですもんね。

はい。ライブコマースは言ってみれば、店頭で魚屋さんが「今日はイサキのいいのが入ったよ!」と買い物に来た奥さんに声かけるのと原理的には一緒なんだと思うんですね。それを、隣で魚を選んでいる別の奥さんが聞いていて、「どうやって食べるのかしら?」と聞くと、「塩焼きにしてもいいし、煮付けにしても美味しいよ」なんて応えるわけですね。すると、また別の奥さんが「お刺身はどうかしら?」なんて聞いたりするという。

──すでに失われた昭和の景色、という感じですが(笑)。

このやりとりを見ていただくとお分かりになるかと思いますが、お魚を買いに来ているお客さんは、「魚を買う」ということは決まっていますが、「何を買う」を決定するところにおいて、さまざまな情報を必要としていたりしまして、それを一連のやりとりを通じて得ながら、「何を買う」という意思決定にまでつなげていくわけですが、雑に言ってしまうなら、そのプロセスが、西洋のデジタルサービスにおいては、アプリごとに寸断されているわけですね。

──情報を得るアプリ、買うアプリ、決済するアプリがバラバラになっていると。「Facebook、Amazon、PayPalがすべて同じアプリに入っていたら」という一文は、まさにそこを指摘しているわけですね。

はい。中国のアプリは、簡単にいえば、毎日使うアプリのなかにこうした機能が統合されていて、アプリを出たり入ったりする必要がないわけです。

──そりゃ便利ですよね。

と思いますよね。にも関わらず、欧米のアプリは相変わらず、それが寸断されたまま運用されているんですよね。これが一体なぜそうなっているのか、という点は、実は、大きく見過ごされていることのように感じます。遅まきに、西洋のサービスもようやく、自分たちのサービスが実はいうほど便利なものでもないということに気づき始めてはいまして、AmazonやFacebookがライブコマース機能を導入したりしているそうですが、そこまでインパクトを出せていないのは、おそらく根本的な理解において、何かが間違っているからのような気がしなくもありません。

──ほお。

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以前、K-POPのファンダムをここで解説した際に、ファンダムというのは「スタティックな消費者」の群れではなく、「能動的にアクションを起こす参加者」であると説明しましたが、どうも西洋のサービスは、その辺の機微が微妙にズレてきているように思うんです。それこそFacebookやAmazonを見ると非常に顕著ですが、ユーザーというものを「いかにスタティックな消費者にどとめおくか」という線で、ビジネスを行っているように見えまして、それはその方がおそらくお金儲けの観点からはいいのでしょうけれど、実際は、インターネットのポテンシャルを阻んでいるようにも感じます。

──インターネットのポテンシャル、と言いますと?

それはやっぱり、P2Pのネットワークとそれがもたらすコミュニティ形成能力だと思うんですね。

──言われてみると、Amazonにはどこにも「コミュニティ」という概念がないですね。

はい。ただの無人量販店ですよね。それはそれの便利さはありますが、そこに商品を卸すことのメリットについては、多くのブランドがすでに疑問を呈し始めてはいますよね。さらにいえば、Amazonがいくらライブコマース機能を導入したところで、そこに参加しようというコミュニティが、そもそもないわけですから「誰がいくねん」となるのも当然です。

──たしかに。

こうした例から自分なりに思うのは、「ソーシャル」という概念をめぐって、もしかすると非常に興味深い分断線が、西洋と東洋の間にはあるかもしれない、ということなんです。音楽アプリの話をするなら、中国ではアプリの大きな収入源として「ソーシャルカラオケ」というものがあるそうなんですね。これはオンラインでつながった複数人がアプリ上でカラオケを楽しむものだそうですが、この音楽の楽しみ方というのは、実際はかなり独特なものだと思うんです。

──そうですか。

これは昔から気になってきたことですが、わたしのような生真面目な音楽ファンからすると、音楽というのはやっぱりアーティストの作品をありがたく拝聴するものだという意識が抜き難くありますので、カラオケって一種の冒涜でもあるという感じは、理屈上ではするんです。とはいえ、最近はあまり行きませんが、やはりカラオケは楽しいものではあって、音楽を通して仲間とつながる喜びは、やはり音楽というものの力によってもたらされるものだという感覚もあるんです。

──それはわかります。

アートと呼ばれるものを、こうしたかたちで「自分たちでやってみる」という方向で発動するのは、カラオケだけではなくて、例えば俳句なんかもそうなんですね。「俳句を楽しむ」といったときにそれが意味するのは、みんなで尾瀬あたりに出向いて、みんなで一句詠んで、みんなで講評しあうといった一連の行動であって、必ずしも「松尾芭蕉の作品を味読する」ことを指すわけではなかったりしますよね。

──スタティックな受け手として何かを受容するのではなく、実践を通して受容していくというような手続きを取る、と。

それが果たして日本固有の感覚なのか、「アジア的」として敷衍できるものなのかどうかはよくわかりませんが、そこには社交やコミュニケーションといった意味あいが強く含まれていて、ある対象を通じてアクションが発生することで、動的なコミュニティが生成されていくようなメカニズムがある感じがするんですね。で、それは、いまのことばでいうなら、とても「ソーシャル」なものであるはずなんです。しかも、そこでのアクションは、労働と規定できるようなものではないわけですね。

──面白いですね。K-POPをめぐるファンカルチャーは、そういう意味では、俳句の「連」的なものとして理解すると、その動態が理解しやすいものになるのかもしれませんね。

そうした観点からいえば、ライブコマースというのは、参加型の社交空間をそこにどうつくるのかがポイントになるのかと思うのですが、「個人主義的な受容=消費」という形式に固着している限り、そこの重要性がうまく見えてこないのではないかと思うんです。

──なあるほど。

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これはメタバースに関する議論でもおそらく同じことが言えると思うのですが、「PCGamer」というサイトに「バーチャル世界はメタバースが到底実現しえないほど面白いことになっている」(Virtual worlds are already better than the metaverse will ever be)という記事がありまして、アディダスのようなブランドがメタバースに進出しているような状況を、「セカンドライフ」の概念を参照しながら、こんなふうにくさしています。

2000年代にゲームをやっていた人であれば、セカンドライフ上で、億万長者の不動産王がバーチャルな土地を売って大儲けしようとしているといった話を聞いたことがあるだろう。だが、セカンドライフに関するドキュメンタリー作品を制作したBernhard “Draxtor” Draxによれば、セカンドライフの住人は自分たちがマーケティングの対象になることは好ましく思っていない。

「アディダスのような企業が『セカンドライフには何百万人と参加者がいるのだから、彼らに向けて広告を打たないと』と言ってやってきて、実にくだらないアディダスモールなるものをつくったが、誰ひとりそこに現れる者はいなかった。そんな話はいくらでもある」とDraxは語る。

「思い上がりと言うべきだ。セカンドライフ上には、すでにインタラクティブなメトロポリスや、バトルスター・ギャラクティカのロールプレイのような没入型体験があるのに、なんでダサいアディダスのモールをわざわざ訪ねる必要があるんだ?」

──まさに、昨今の「メタバース」ブームで起きるのはこうしたことでしょうね。死屍累々ということになりそうです。

この記事は、すでにゲームの世界に、優にメタバースをしのぐような世界が築かれているということを指摘していまして、例えば、全世界で2億5,000万人のプレイヤーを抱えるFortnite上で、ナイキやバレンシアガが販売したスキンは、実際莫大な利益を生み出したと言われていまして、バーチャル世界でバーチャルな衣服を購入するといったことは、すでに現実化していますし、ゲーム上でプレイヤー同士が金銭の授受を行うことも暗号通貨ベースでできたりしますので、そこにFortniteやMinecraftのようなゲーム上では、すでに新たな経済圏ができつつあるわけですね。

──はあ、なるほど。

ただ、こうした状況を理解する上で、見落とされがちなポイントについて、先のDraxさんは、大変重要な指摘をしています。彼はこう言います。

Draxが指摘するように、ヘッドセットを用いたフィジカルな没入体験は、バーチャル世界においてはまったく重要ではない。彼は言う。「セカンドライフの魅力の源泉、その秘密はコミュニティにある。多くの人は、ヘッドセットなんかなくても完全な没入感を感じている。個人的にはヘッドセット技術の未来には興味はあるが、シリコンバレーは、多くの人びとにとってヘッドセットは『その場にいる』という感覚を高めてくれるものではないことを理解する必要がある。没入感のレベルは、自分がコミュニティにどれだけ貢献しているかに比例している」

──ああ、これはいい指摘ですね。コミュニティへの貢献によって没入感が高まる、というのは実に面白いです。ですし、これは政治、ビジネスに関わらず、参加型のアクティビティにおいて極めて重要な論点ですね。

はい。岡部大介さんという東京都市大学の認知科学教授が『ファンカルチャーのデザイン:彼女らはいかに学び、創り、「推す」のか』という本のなかで、ファンカルチャーのなかにおいては、「ギブとゲット」が複雑に絡まりあっていることをコスプレイヤーのコミュニティへのフィールドワークにおいて明かしています。東畑開人さんの『居るのはつらいよ:ケアとセラピーについての覚書』という本の引用を引いて、このメカニズムは、こう説明されます。

能動的にやっているつもりで、受動的に受け取っていて、受動的に受け取っているつもりが、能動的に手渡している。主体の場所が入れ替わり、能動と受動がぐるぐると回転する。……メンバーになるって、そういうことだ。「メンバー」とはもともとラテン語の「menberum」を語源としていて、それは「体の一部」とか「手足」という意味を持つ。メンバーであるとはコミュニティの一部になることなのだ。一方的にサービスを受けている人はメンバーになれない。

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──面白いです。

これは逆にいえば、主体と客体を固定させ、能動と受動の役割を一方的に固定させているうちは、「コミュニティ」というものが生成されないということでもあるでしょうから、これまでの一方的なリテールの考え方や広告というものの考え方に立っているうちは、いくらメタバースだ、ライブコマースだ、と言っても、どこにも行かないということになりそうです。

──ほんとですね。

TikTokがここまで大きな存在となったのは、こうした観点から見ると必然性がありそうで、それは、上記の引用に照らし合わせるなら、それが「能動と受動がぐるぐると回転する」アプリであるからに他ならないように見えます。「Music Business Worldwide」(MBW)というサイトは、TikTokの今後を占った記事「TikTokは、これまでとはまったく異なる音楽ストーリミングの巨人へと進化する」(Tiktok is Evolving into a Very Different Kind of Music Streaming Giant)で、音楽部門のグローバルヘッドのOle Obermannさんのことばを引用しながら、TikTokが何に向けて進化しているのかを明かしています。

David Guetta、Coldplay、BTSなどのアーティストは音楽最大手のオンデマンド・ストリーミング・サービスで配信される数日前に、新曲のクリップをTikTokで初公開するようになっている。また、ユーザー1人当たりの視聴時間がすでにYouTubeと肩を並べ、すでに一部の層ではYouTubeを上回っているTikTokにとって、ライブストリーミングコンサートは拡大が見込める領域でもある。TikTokは最近、韓国でBTS、Twice、Super JuniorといったK-Popの主要スターによるライブストリームショーを実施し、ヘッドラインスポンサーであるロッテに会員登録したユーザーに入場コードが付与されるかたちで開催された。韓国ではライブストリームのチケットは通常20〜30ドルで販売されるが、実に60万人近い視聴者が集った。こうしたプロジェクトがもたらすビジネス上の可能性は莫大だ。

こうしたプロジェクトは、TikTokが構築しつつある音楽業界向けのサービスのほんの触りに過ぎない。TikTokがMBWに語ったところによると、TikTokのサービスは、SoundOnのベータ版の立ち上げによってさらに拡張することになるという。ダイレクトアップロードサービスとそのために一連のツールを備えたSoundOnは、プラットフォーム上での活動を有益化しょうとするインディペンデントアーティストにとって心強い武器となる。

TikTok音楽部門のグローバルヘッドであるOle Obermannに言わせるなら、こうしたイノベーションはすべてひとつの目的に沿って構築されている。それはすなわち「アーティストがオンラインでファンベースを構築し、それを拡張することを支援する」という目的だ。

TikTokは、クリックして再生するだけの標準的ストリーミングサービスでは実現できない、オーディエンスとミュージシャンの間に深いつながりを育むプラットフォームを構築している。Obermannは言う。

「TikTokでトレンド入りした曲は、現在毎月数十億再生され、そこから数百万の二次創作動画を生み出すにいたっています。これは信じられないほどのエンゲージメントです。TikTokは、音楽消費のプラットフォームではなく、す音楽エンゲージメントのプラットフォームなのです。再生数、創作数、いいね!数、シェア数といったものは、新しい形のファンダムのなかで一体化していくので」

──なるほどなるほど。「消費ではなくエンゲージメント」というところ、これまで幾度となく聞かされてきたことではありますけれど、ここで強調すべきは、TikTokは、それをまったく別物と理解しているところですね。

そうですね。この「エンゲージメントプラットフォーム」と言うコンセプトをめぐって、ファンダムもクリエイターエコノミーも、メタバースも推移していくことになるということだと思いますが、それこそBTSを擁するHYBEが「Weverse」というプラットフォームで実現しようとしているのも、まさに同じことなのだろうと思います。

──二次創作的なものと、アーティストがつくった作品とが同一プラットフォーム上で同列に置かれているのも面白いですね。

先の記事は、UKのライジングスターであるPinkPantheressの事例を引いて、現在アーティストがどのようにTikTokを活用しているかを、こう説明しています。

PinkPantheressは、現在Warner Music / Parlophoneと契約している注目のUKアーティストで、Bytedanceプラットフォームで600万以上のフォロワーを獲得しています。PinkPantheressは、自分の音楽をファンに届けるためだけにTikTokを利用するのではなく、自分の音楽的アイデアをセルフA&RするためにもTikTokを利用する。彼女は「(曲の)スニペットを投稿して、みんなが気に入ってくれたら、フルバージョンを録音する」のだとBBCに語り、さらにこうも付け加えた。「TikTokのアルゴリズムはすごくて、フォロワーがゼロであってもしかるべき人に投稿が届くようなこともある」

──創作空間の延長としてTikTokを利用している、と。

こうなってくると、創作の行為自体がコラボラティブなものになってきて、誰が送り手で誰が受け手なのかという境界は曖昧化して行きますよね。

──まさに「受動と能動がぐるぐる回転する」と。

はい。先に紹介した岡部先生は、こうした状況を、遊びと学びという観点からも分析しておられまして、前述の本のなかで、こう書かれています。

学習とは舞台という場をつくって未来を生成することであり、テストや課題に対応することだけではない。Chaiklin(2003)、そして上田(2020)の「発達の最近接領域」をもとにした学びの解釈もまた、アイデンティティの変容プロセスである。単に、誰かがお膳立てしてくれた発達の「領域(zone)」に身を投じることだけで、なんらかの学びに繋がるとは考えていない。むしろ、「自らが能動的に他者やモノやコトとかかわっていくプロセスを通じて生み出される愉しさ」(上田、2020)としている。

──ああ、いいですね。BTSのArmyの人たちの愉しそうな感じの説明として、しっくり来そうです。

さらに、こんなふうにも語られます。

腐女子が二次創作を愉しんだり、コスプレイヤーが愛好するキャラクターになりきったりすることは、現実社会から距離をとるための活動とみなされることもあった。しかし、レイブらの正統的周辺参加の視座から見れば、腐女子やコスプレイヤーのこのひそやかな遊びは、単なる待避所での活動を超えた、全人格的な変容を伴う学びの機会となる。

──全人格的な変容を伴うからこそ、きっと没入感も高まるんでしょうね。

面白いですよね。ファンカルチャーというものは、ビジネスサイドからすると諸刃の剣でもあって、極めて扱いが難しいものだということは、これまでも指摘されてきたことですが、ここまで見てきたように、これからのビジネスが「コミュニティ」や「エンゲージメント」といったキーワードを軸にして大きく転回していくのであれば、これまでのように、生産者/消費者、送り手/受け手という考え方をドラスティックに変えて行かなくてはなりません。

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──言うは易しですが、できるようになりますかね。

ここまで見てきて改めて思うのは、学びというのが「自らが能動的に他者やモノやコトとかかわっていくプロセスを通じて生み出される愉しさ」というものであるのだとすれば、硬直化してしまった企業というものは、「学び」の回路を正しくもっていないということにもなりそうです。能動と受動をぐるぐる回転するような、ギブとゲットの空間をつくりだすということについて、日本の企業やサラリーマンは、一から学ぶ必要がありそうにも思えます。自分も人のことは言えませんが。

──そうですね。

最後にひとつだけ強調しておきたいのは、能動と受動がぐるぐる回転するような空間を生み出すことにおいてインターネットというテクノロジーは強力なツールだということで、冒頭でも言いましたように、これまでの欧米のデジタルビジネスは、そのポテンシャルを阻害するものとして発展してきたように思うのですが、その可能性をもう一回再生、回復させることが、実は「DX=デジタルトランスフォーメーション」と言われているものの本質だったりもするんですよね。

──そこともつながりますか。

つながってるどころか、思い切り同じ話だと思いますし、参加型民主主義みたいなお題においても本質的なテーマはおそらく同じですよ。先の岡部先生の本の紹介文には、こんなことが書かれています。

腐女子やコスプレイヤーといった人びとの「愉しみ」は、もちろんそれ自体としても重要です。ただしその愉しみは、単に快楽として消費されるだけのものではありません。(自覚的か無自覚的かにかかわらず、)時に全人格的変容としての学習、創造的交歓、デザインの民主化といった、「目の前の生活の濃度を高める活動」へと接続していきます。

彼女らは、本書の中で、学びと遊びを暗黒面から自らの手に取り戻す「民衆による自律的な探究行動」を柔軟かつ鮮やかに示してくれます。

──デザインの民衆化、自律的な探求行動、ですか。でかい話なんですね。

でかい話だと思います。デジタル社会のひとつの原理として理解すべきものであるということが、ようやく自分にもわかってきました。


若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも