100年後の未来には、新型コロナウイルスのことなど誰も覚えていなくなるでしょう。イベントではマスクの着用が義務付けられていた、検査を受けるために並ばなければならかったといったことも忘れ去られる一方で、メッセンジャーRNA(mRNA)の重要性は増しているはずです。
COVID-19のワクチンの驚異的な開発速度によって、mRNA関連の技術に大きな注目が集まりました。mRNAは細胞が機能するのに必要なタンパク質をつくるよう指示を出す役割を果たしています。mRNAはほとんどの生物がもっているものですが、研究室で人工的につくり出すことも可能で、この技術をワクチンに応用すると、身体が特定の病原体にさらされた場合にどうすればいいかを免疫システムに教えることができるのです。
これはウイルスのような病原体だけに限りません。mRNA技術が革新的なのは、例えば、がん患者向けにテーラーメイドの治療法を素早く提供したり、自己免疫疾患を引き起こす免疫機能の暴走を止めたりすることができるかもしれないという点にあります。つまり、人類があらゆる病気に対する”万能”ワクチンを手にする可能性が出てきたのです。
EXPLAIN IT LIKE I’M 5!
簡単に説明するなら
これまで200年以上にわたり、あらゆるワクチンは、毒性を弱めたウイルスもしくは細菌を溶媒に溶かすという基本的には同じ方法でつくられてきました。ワクチンを接種すると、免疫系はその病原体から攻撃を受けたときにどう対処すればいいかを学習して記憶します。
これに対し、mRNAワクチンでは、身体を病原体にさらさずに免疫反応を引き起こすのに必要なタンパク質(やそのタンパク質を構成する分子)をつくるように指示することができます。そして、このやり方では開発にかかる時間が大幅に短縮するのです。
WHAT COVID TAUGHT US
COVIDから学んだこと
mRNAは30年前から研究が続けられてきましたが、新型コロナウイルスのパンデミックが起きるまでは、この技術が人体でも機能するというエビデンスはありませんでした。mRNAの効果が証明されたいま、科学と医学の世界ではこの分野の研究に大規模な投資が行われるようになっています。
mRNAはワクチンの未来であり、薬理学全般が大きく進歩する可能性があると考える人もいます。一方で、世界全体でワクチンの接種が始まってから数カ月が経ち、明らかになったこともあります。mRNA技術を使えば確かに短時間で効果のあるワクチンをつくれますが、従来のワクチンと比べて深刻な副反応が報告されているのです。
このため、将来的には開発のスピードが重要な場合にはmRNA技術を利用し、その後のブースター接種では他の種類のワクチンを使うといったやり方がいいのかもしれません。こうした判断を下すには、時間的な余裕がある状況でmRNAワクチンと従来型ワクチンをきちんと比較しなければならないでしょう。
THE EVERYTHING VACCINE
万能ワクチン、到来?
新型コロナウイルスのワクチンが成功したことで、HIV、マラリア、ジカ熱、インフルエンザ、ライム病などの感染症についても、mRNAワクチンの開発を目指す動きが始まっています。
例えば、サイトメガロウイルス(cytomegalovirus)感染症とRSウイルス(respiratory syncytial virus)感染症のmRNAワクチンの後期臨床試験が行われており、数年で実用化されるかもしれません。前者はよくある感染症ですが妊婦がかかると胎児に影響が及ぶ恐れがあり、後者は乳幼児で重症化することが多い感染症です。いずれも、実用化されればmRNAワクチンの効果を評価するための試金石のひとつになるでしょう。
また、外部から侵入してくる病原体以外にも、多発性硬化症やがん患者を対象としたテーラーメイドの治療にmRNA技術を適用できないかを探る研究も進んでいます。モデルナ(Moderna)は20種類以上の感染症についてmRNAワクチンを開発中で、他にも少なくとも14件のmRNA関連の医薬品の研究を行っているそうです。また、ファイザー(Pfizer)とワクチンを共同開発したビオンテック(BioNTech)も、さまざまながんを対象とした5つのmRNA医薬品の製品化に取り組んでいます。
こうした新たな治療法が利用可能になるまでには長い時間と多額の投資が必要ですが、実現すれば、医療においてパラダイムシフトが起きるはずです。
HOW SOON IS SOON?
開発のスピード
COVID-19のワクチンは驚異的な速さで実用化されましたが、mRNA技術を使えばどんなワクチンでも同じように短期間で開発が進むという保証はあるわけではありません。
新型コロナウイルスのワクチンがまったくのゼロから1年足らずで接種まで漕ぎ着けた背景には、政府からの巨額の資金援助、世界中の科学者の協力、医薬品当局の緊急承認といったコロナならではの事情があったのです。パンデミック以外の状況では、こうした条件が揃う可能性は低いでしょう。
つまり、次のmRNA医薬品が完成するまでには何年も待たなければならないかもしれません。一方で、今後5年でmRNA技術を使ったワクチン以外の製品が登場し、10年以内に数十の製品が市場投入されるという楽観的な予想もあります。これと並行して、インフルエンザからマラリア、エボラ出血熱まで、人類がまだ根絶できていない感染症に対する従来型ワクチンの開発と展開は続けられていくのです。
SHOW ME THE MONEY
mRNA技術の経済学
モデルナとビオンテックは新型コロナウイルスのワクチンから巨額の利益を得ました。2021年1〜9月期の売上高は、モデルナが110億ドル(1兆2,693億円)、ビオンテックは130億ドル(1兆5,000億円)を超えています。また、ビオンテックのワクチンは1年間の医薬品売り上げ記録を更新しました。COVIDの感染拡大が続く限りワクチンは売れますが、ウイルスの脅威が弱まれば収益は縮小する可能性もあります。
いずれにしても、新型コロナウイルスのワクチン開発に成功したおかげで、両社はこの分野のトップに躍り出ました。mRNAを含むRNA全般を研究するバイオテクノロジー企業の数は数百社に上りますが、ワクチンから得た利益を新たな研究や競争相手の買収に投じることができるのは、モデルナとビオンテックの2社だけです。
つまり、小さなスタートアップが両社に挑戦するのは非常に難しくなるでしょう。有効な製品を開発することは可能だとしても、パンデミックのように特殊な事態に対応するべく資金などのリソースが大規模に動くことがなければ、モデルナやビオンテックと同じ規模の成功を収めることはほぼ不可能です。それでも、mRNA技術のポテンシャルは非常に高く、少なくとも中期的に見れば、大手だけでなく中小のプレイヤーにもチャンスはあります。
科学誌『Nature』は、向こう数年間はmRNA分野の大半は新型コロナウイルスのワクチンが占めると分析していますが、コロナのワクチンの必要性が低下すれば、新たな製品が登場するまでは市場規模は縮小することが見込まれます。しかし、その後の可能性は無限大なのです。
🔮 PREDICTION
未来予測
ワクチンと複雑な病気の治療だけでも十分にクールですが、将来的には免疫系では対処できないようなことにmRNA技術が使われるようになるかもしれません。例えば、体内で特定のタンパク質を生成できないために心臓に問題が生じている場合、身体にそのタンパク質をつくるように指示するmRNAを注射するのです。
mRNAのこのような利用はこれまでに研究されてきた手法とは大きく異なり、実用化からは程遠い状況ですが、実現すれば影響は計り知れないでしょう。
ONE 🇨🇳 THING
中国の事情
中国では新型コロナウイルスのmRNAワクチンはいまだに承認されていません。科興控股生物技術(シノバック、Sinovac Biotech)が開発したワクチンは、感染能力をなくしたウイルスを使った不活化ワクチンです。ファイザーのワクチンは上海に拠点を置く復星医薬集団(Fosun Pharma)が国内のライセンス契約を結んでいますが、当局の承認は得られていません。
一方、成功すれば初の国産mRNAワクチンとなる「ARCoVax」は、国内およびメキシコとインドネシアで治験が行われています。中国は外国製ではなく国産ワクチンにこだわっており、ARCoVaxが製品化されるまでは、欧米のmRNAワクチンは承認されないかもしれません。
今日のニュースレターは、シニアレポーターのAnnalisa Merelliがお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。
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