世界経済は水素に貪欲な投資を続けています。こうしたなか、率直な物言いで知られるオーストラリアの富豪アンドリュー・フォレスト(Andrew Forrest)が、このチャンスを利用してまた一儲けしようと考えているようです。
水素は化学肥料の製造、石油の精製過程、食品加工などで使われていますが、低炭素社会の実現に向けた利用拡大が期待されています。鉄鋼業をはじめとする工業や物流分野で、化石燃料の代わりに水素の活用が進められているのです。
国際エネルギー機関(IEA)によれば、水素需要は2050年までに現在の水準から6倍に拡大し、世界のエネルギー消費の10%を賄う見通しです。こうした変化が気候変動にとってプラスに働くかは、水素の生産方法によって変わってきます。現在、水素はほとんどが製造過程で天然ガスか石油が使われており、最終的には化石燃料より炭素排出量が多くなってしまいます。
「グリーン水素」は再生可能エネルギーを使ってつくられる水素で、製造過程で発生する余剰物は水蒸気のみです。ただし、グリーン水素は、現段階ではごくわずかしか生産されていません。問題はコストで、グリーン水素は太陽光発電や風力発電による電力および専用の電解装置などの設備が高額なため、従来の「グレー水素」と比べて最大で3倍の費用がかかります。しかしコストは低下しており、また、炭素排出量が多い産業に対する規制が強化されるなかで、グリーン水素の需要が高まりつつあるのです。
そこで登場するのが、オーストラリアの鉄鉱石大手フォーテスキュー・メタルズ・グループ(Fortescue Metals Group、FMG)が立ち上げたフォーテスキュー・フューチャー・インダストリーズ(Fortescue Future Industries、FFI)です。FFIはグリーン水素を「世界で海運取引量が最も多いエネルギー商品」にすること、つまりこの分野で世界最大手になることを目指しています。
FMGは2010年代に起きた中国の鉄鋼需要の急速な高まりを背景に、短期間で大きな成功を収めました。FMGの創業者兼会長で「ツイッギー(Twiggy)」のあだ名で知られるフォレストは、水素でも同じことを狙っているのです。水素は鉄鉱石よりも輸出を軌道に乗せるのが難しく、また大規模な市場が形成されるまでには数十年かかる可能性もあります。
それでも、FFIはすでに独自の水素電解装置を開発したほか、地元のオーストラリアでは電解装置の大規模な製造工場に着工しました。また、アルゼンチンのプロジェクトへの投資、将来的なグリーン水素の供給契約の締結、この分野での企業買収も進めています。これらの資金はすべて、鉄鉱石の販売から得られた利益で賄われているのです。
エネルギー分野のコンサル会社ウッドマッケンジー(Wood Mackenzie)の副社長ロビン・グリフィン(Robin Griffin)は、「グリーン水素の市場が本格的に確立されれば、FFIのような企業は大きな成功を収めるはずです」と述べています。
HYDROGEN-HUNGRY FACTORIES
水素需要は拡大傾向
各国で水素を燃料とする産業設備の建設が進められており、水素需要の拡大が見込まれます。
BY THE DIGITS
数字でみる
- 最大5億トン:2050年までの世界の水素需要の見通し。現在は9,000万トン
- 1,500万トン:2030年までにFFIが目指すグリーン水素の年産能力
- 10%:IEAが打ち出したネットゼロ排出に向けて必要なグリーン水素の生産能力に対して、2030年までに稼働が計画されている設備の総生産量の割合
- 22カ国:米国、ブラジル、中国など、年内に水素戦略を公表する予定の国の数
- 23カ国:FFIが水素関連のプロジェクト実施を検討する国の数
- 178億ドル(2兆569億円):アンドリュー・フォレストの純資産額
- 10兆ドル(1,156兆円):2050年までのグリーン水素の世界的な市場規模。ゴールドマンサックスの試算による
FORTESCUE’S FUTURE FORTUNES
強みと弱み
強み
- ☀️ 再生可能エネルギーは安価。グリーン水素の生産では、風力および太陽光発電による電力が安いことがコスト抑制の鍵となります。オーストラリアの再生可能エネルギーの発電量は世界でも最大規模です。
- 🇨🇳 アジアに近いという地理的利点。将来的に中国、韓国、日本が主要な水素輸入国となる見通しで、距離的に近いオーストラリアがその供給元になる可能性はあります
- 🔩 鉄鋼メーカーとのつながり。FMGは中国の鉄鋼各社と取引実績があり、経験も豊富です。同国の鉄鋼業界はグリーン水素のビジネスでも重要な顧客となる見通しです。
- 🚜 グループ内需要も見込める。FFIの最初の顧客は自分自身になるでしょう。同社は鉱山向けの水素燃料電池トラックの開発に取り組んでおり、2030年までにグループの鉄鉱山で使われている車両はすべて水素燃料で走るクルマに置き換えられる計画です。
弱み
- 🚢 海上輸送のコストは高い。水素を液化して海上輸送するには特別な冷却タンクが必要で、パイプライン経由よりも輸送コストが高くなります。特に、南半球のオーストラリアから主要国に船で運ぶ場合、費用はさらに拡大するでしょう。FFIはこの問題を解決するため、アルゼンチンのように再生可能エネルギーが安い国に生産設備を建設する計画を進めています。
- 🧐 不確実性がつきまとう。グリーン水素の市場というものは現時点では実質的には存在しません。FFIは向こう数十年でエネルギーシステムの大転換が起こるという予想に基づいて設立されましたが、これが実際に起こる保証はないのです。つまり、FFIの成功は各国が気候変動目標の達成に向けた規制を導入するか、そして電解装置などの設備と再生可能エネルギーのコストがどれだけ安くなるかにかかっています。
- ⏰ 「タイミング」が難しい。グリーン水素の需要は2020年代後半に拡大することが見込まれており、企業はこれに対応するために、グリーン水素の価格競争力が十分でない現在の段階で、多額の設備投資決定を下す必要があります。FFIの最高経営責任者(CEO)のジュリー・シャトルワース(Julie Shuttleworth)はこれについて、以下のように述べています。「グリーン水素が生産されていないのは誰もそれを買わないからで、誰も買わないのは生産量が十分ではないからです。わたしたちは、いま生産を始めることができます。そうすれば、需要が生まれたときに供給する準備ができているのです」
A BRIEF HISTORY
富豪の野望と展望
1993年:フォレストがオーストラリアの資源大手アナコンダ・ニッケル(Anaconda Nickel)のCEOに就任
2001年:アナコンダが破綻寸前になったためにCEOを解任される
2003年:フォレストはアライド(Allied)という鉱山会社を買収し、社名をフォーテスキュー・メタルズ・グループ(FMG)に変更
2008年:FMGが商業規模での鉄鉱石輸出を開始
2017年:鉄鉱石で世界4位に浮上。現在もこの地位を保っている
2020年:フォーテスキュー・フューチャー・インダストリーズ(FFI)を設立
2022年1月:世界初となる液体水素の運搬船がオーストラリアから日本に向けて出港
2027年:オーストラリアでグリーン水素がグレー水素と同程度の価格競争力を獲得。ブルームバーグの試算に基づく
2030年:FFIのグリーン水素の年産能力が1,500万トンとなる
BATTLE OF THE BILLIONAIRES
2人の富豪のバトル
グリーン水素に注目する億万長者はフォレストだけではありません。インドの実業家ムケシュ・アンバニ(Mukesh Ambani)は、フォレストと同じようにコモディティ(アンバニの場合は石油化学でした)で財を築いたアジア最大の富豪のひとりです。アンバニは今年1月、インドで再生可能エネルギー分野に750億ドル(8兆6,659億円)を投資すると明らかにしました。なかでもグリーン水素に注力する方針を示しています。
オーストラリア在住でエネルギー専門のエコノミストのティム・バックリー(Tim Buckley)は、「インドとオーストラリアで最も積極的かつ野心的で先見の明もある起業家2人が、同じアイデアを思いついたわけです」と言います。「2人とも同じ種類のクールエイドを飲んでしまった(訳注:無謀な選択をする)のでしょう」
フォレストと同じように、アンバニもグリーン水素については、販売するだけでなく自らのビジネス帝国を脱炭素化するための手段として捉えているようです。彼が会長を務めるリライアンス・インダストリーズ(Reliance Industries)は、石油精製や肥料生産事業を展開しています。
アンバニはまた、既存のガス化設備を「ブルー水素」の生産設備に転用していく方針で、インド政府はこれを支援するでしょう。インドは化学肥料の原料の輸入に数十億ドルの補助金を出しており、政府はこの状況を何とかしたいと考えているからです。
フォレストの長期的な戦略はアンバニと比べるとよりグローバルですが、すべてが計画通りに進めば、将来的には2人で分け合っても十分な規模の市場が形成されるはずです。バックリーは「フォレストは誰もが不可能だと思っていることに挑戦してきた起業家です」と指摘します。「彼はそれを驚くほど野心的な規模でやってのけたのです」
今日の「The Company」ニュースレターは、Tim McDonnellがお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。
ONE ❄️ THING
ちなみに……
水素は天然ガスと同じように、海上輸送のためには液化する必要があります。天然ガスの液化温度はマイナス160℃ですが、水素を液体にするにはマイナス252.87℃まで冷やさなければなりません。原子の運動が完全に止まる「絶対零度」はマイナス273.15℃ですが、これとほとんど変わらない温度にまで下げなければいけないのです。
1月に日本の川崎重工の液体水素運搬船が初の国際航海を行ったことで証明されたように、液体水素の海上輸送は可能です。しかし、FFIが期待するように、大型タンカーと専用ターミナルで液体水素の大規模な輸送ネットワークを築くには多額のコストがかかるほか、輸送や貯蔵の過程で漏洩や蒸発による損失も生じます。
オーストラリア産のグリーン水素は、長距離の海上輸送コストのために価格が倍になる可能性もあります。FFIはこの問題に対して、生産設備を世界に分散させ、輸出先に近い場所で水素をつくるという方法を打ち出しました。また、エネルギーキャリアとしてアンモニアの利用も検討されています。アンモニアは液化温度がマイナス33℃と比較的高いため、水素をアンモニアに変換して輸送するのです。
ただ、顧客が肥料メーカーなどでアンモニアを必要としていればまだしも、そうでない場合は水素をアンモニアにして運び、輸送先で再び水素に戻すことの費用対効果がどれだけのものなのかは難しいところでしょう。それでも、FFIはいずれの方法でも競合より安価なグリーン水素を供給できると自信を示しています。
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