ウラジーミル・プーチンがウクライナに侵攻する決断を下したとき、世界は予想外の動きに不意を突かれました。しかし、欧米諸国が大胆な経済制裁を実行に移したことで、プーチンも同じくらいショックを受けたはずです。ロシアの外貨準備高は総額で数十億ドルに上りますが、その大半が実質的には凍結されました。
ロシアの大手金融機関や政治家、オリガルヒに対してもさまざまな制裁が科されており、主要産品の輸入や債権市場へのアクセスが不可能になっています。欧米社会は驚くべき結束力を見せており、国際的な金融決済網である国際銀行間通信協会(SWIFT)からロシアを締め出すという措置にまで踏み切りました。
つまり、過去に例を見ない規模の経済戦争が始まったのです。経済制裁は過去10年ほどの間に頻繁に行われるようになりましたが、大半は一部の個人や組織、特定の産業などに限られており、また実際に発動されるまでには時間がかかります。また国全体が対象になる場合でも、標的はイランのように経済規模の小さな国でした。
ロシアを対象にした一連の措置は、それが決まるまでのスピードと制裁の規模という意味で、経済における“電撃戦”だと言えるでしょう。これは革命的に思えるかもしれませんが、「経済兵器」とまで呼ばれる制裁の進化を考えれば当然の帰結なのです。新たな制裁が科されるたびに、それを逃れるための方法が編み出されています。
歴史を振り返れば、ドイツは第一次世界大戦中に行われた連合国による海上封鎖のために経済の自給自足を強く意識するようになり、これが1939年のヒトラーによるポーランド侵攻を後押ししました。同じように、2014年のクリミア併合以降、ロシアは経済制裁の影響を緩和するために外貨準備を大幅に増やしています。
今回の制裁でも、何らかの回避策が取られることには疑いの余地はありません。では、制裁によってプーチンの考えを変えさせることは可能なのでしょうか。懲罰措置などものともせずに好き放題を続ける政治指導者はたくさんいます。ベネズエラ大統領のニコラス・マドゥロ(Nicolás Maduro)がいい例でしょう。
また、世界経済におけるロシアの役割を考えれば、同国に対する厳しい措置は欧米諸国にも影響を及ぼすはずです。ベネズエラやイラン、シリアといった国とは違い、今後の波及効果は計り知れません。
さらに、ロシアは核兵器を保有しています。プーチンは制裁発動を受けて、核抑止部隊の警戒態勢を引き上げました。わたしたちは、経済的な戦争と実際の武力衝突を完全に分けて考えることはできないという厳しい現実を思い出さなければならないのです。
CHARTING THE RISE OF SANCTIONS
経済制裁は増えている
経済制裁の発動件数は、冷戦が終結した1990年以降、増加傾向にあります。経済学者のピーター・ファン・ベルクアイク(Peter A.G. van Bergeijk)はこれについて、経済制裁は武力紛争よりはましで、他の介入手段と比べても被害が少ないためだと考えています。
また、世界経済のつながりが強化されていることもあるでしょう。ソビエト連邦の崩壊後、どの国も経済がグローバル化して制裁が強い効果をもつようになり、結果として発動件数が増えているのです。
THE BACKSTORY
“速すぎた”制裁発動
政策決定のプロセスや外交といったことを考えれば、経済制裁の具体的な内容が決まるまでには通常は数カ月か、下手をすれば年単位の時間がかかります。しかし、今回の制裁はロシアがウクライナに侵攻してからわずか数日で実行に移されました。ロシアのような大国に対する制裁がこれほど迅速に行われたことは過去に例がありません。
これを可能にしたのは、ひとつには専門家たちが2014年からロシアの弱点を研究し、事前に周到な計画を練ってきたことがあります。経済学者で現在はバイデン政権のアドバイザーを務めるダリープ・シン(Daleep Singh)は2018年、外貨へのアクセス制限や国有企業を対象にした制裁、テクノロジー分野での貿易停止など、対ロシア制裁でどのような措置が可能かについて上院で証言しています。
また、ロシアの侵攻によって社会的な圧力が急速に高まったことも理由のひとつです。ウクライナ大統領ボロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelenskyy)や、武器を手にロシア軍に立ち向かおうとするウクライナの一般の人たちの姿が、欧米諸国の世論を動かしたのです。
地政学的な現実もあります。ウクライナは欧州の前哨基地であり、欧州諸国はミャンマーやスーダンとは違うやり方で同国を扱うことを選びました。米国も、例えばサウジアラビアとはビジネス上の友好関係を維持する一方で、プーチン政権とは対立を厭わない構えをみせています。
必ず成功する制裁、などというものは存在せず、実際には多くの措置は期待したような効果は発揮しません。しかし、経済制裁が無法国家を罰するための数少ない手段のひとつであることに変わりはなく、この先も使われていくはずです。
政策立案者たちは今回の事例から多くを学ぶでしょう。例えば、大胆な情報開示によって世論を味方につけることや、長期にわたる経済の研究の利点といったことです。一方で、社会全体の疲労感や、制裁への反対論にもつながる副作用(ガス価格の上昇など)に備える必要があります。
WHAT THIS MEANS FOR CHINA
中国の立ち位置
中国は米国の「金融覇権」とドルの力による経済制裁を面白く思っていません。欧米諸国が足並みを揃えた今回の措置についても、「一方的な制裁は違法」であり逆効果だとして反発しています。
こうしたなか、中国当局者や研究者、専門家などはロシアと欧米諸国の経済戦争を注意深く見守っており、経済制裁への耐性を高めるためにはどうすればいいかが議論されています。
中国は世界経済とのつながりを強めるべきだ(リンク先は中国語)と主張する投資家もいます。「経済および投資によって各国とより深く広くつながるようになれば、いわゆる経済制裁は『中途半端』な効果しかもたらさなくなる」というのです。
一方、復旦大学教授で国際関係学を教える宋国友は、経済的な統合を追求するあまり「米国への過度な財政依存」というリスクを犯すべきではない(リンク先は中国語)と警告します。人民元の国際銀行間決済システム(CIPS)はまだSWIFTの電信ネットワークに頼っている状態で、中信証券(CITIC Securities)のあるアナリストは、中国はCIPSとデジタル人民元に注力しつつ「人民元の国際化を積極的に進めるべき」だと述べています。
🔮 PREDICTIONS
今後の見通し
ウクライナ情勢は流動的で見通しは不透明ですが、以下に専門家や市場の見方をまとめてみました(なお、引用した発言や数字は3月3日(木)時点のものです)。
🇺🇦 ウクライナ
ロシア軍のもたつきと停戦交渉の努力にもかかわらず、ネットの世論調査では40%から60%が「キエフは向こう2カ月以内に陥落する」と考えています。
🇷🇺 ロシア
シンクタンクのアトランティック・カウンシル(Atlantic Council)の上級研究員アンダース・アスランド(Anders Åslund)は、通貨ルーブルの下落は今後も続くとの見方を示しています。暗号通貨も役には立ちません。アトランティック・カウンシルのジュリア・フリーランダー(Julia Friedlander)は、「いまロシアからお金を持ち出そうとするなら、手段はマネーロンダリングでしょう。わたしならビットコインは使いません」と話します。
🇪🇺 欧州
保険大手アリアンツ(Allianz)のチーフエコノミストのルドビク・スブラン(Ludovic Subran)は、紛争と経済制裁の影響で今年の欧州の経済成長率は約0.5ポイント引き下げられると予想します。欧州はロシアへのガス依存から脱却するために、エネルギー自給に投資する可能性も高いでしょう。
🇺🇸 米国
ピーターソン国際経済研究所(Peterson Institute for International Economics)所長のアダム・ポーゼン(Adam Posen)は、「米国では(ウクライナ侵攻の)マクロ経済への影響は限定的」だと話します。また、ポーゼンは連邦準備制度理事会(FRB)は計画通り利上げを行うだろうと述べており、これは専門家および市場調査の予測と一致します。
ONE ⚔️ THING
ちなみに……
経済制裁は、言葉の応酬と武力衝突の中間に位置するものだと考えられています。しかし、かつては戦争と同じように死傷者の出る手段という理解が一般的でした。第一次世界大戦でドイツ封鎖に関わった英国の海軍士官ウィリアム・アーノルドフォスター(William Arnold-Forster)は、以下のように書いています。「わたしたちはドイツ人たちがそうしたように、敵が子どもをもつことを望まないようにしようとした。子どもが生まれたとしても、すでに死んだも同然であるというような困窮状態をつくり出そうとしたのだ」
コーネル大学助教授のニコラス・マルダー(Nicholas Mulder)が経済制裁に関する著作『The Economic Weapon』で指摘しているように、ドイツ封鎖では数十万人が餓死しました。以来、制裁を行う場合には対象を絞って危害を抑えるようにすることが一般化しましたが、それでも暴力性がなくなったということではありません。だからこそ、マルダーはこの経済兵器について考え直すよう呼びかけているのです。
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