Company:インド国営生保、大型IPOのゆくえ

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インドではここ数カ月、ある企業の新規株式公開(IPO)が銀行や政府関係者を悩ませてきました。それはEコマースサイトでもフィンテック企業でも、はたまた食品配達のプラットフォームでもありません。スタートアップですらなく、実はインド人の多くにとって「人生で初めて購入する金融商品」となるものを提供する大企業なのです。

インドでは約2億8,000万人が国営のインド生命保険公社(Life Insurance Corporation of India、LIC)の保険に加入しています。創業65年のLICはこれまで、同国の生命保険市場を支配してきました。

インド政府は拡大する財政赤字の削減に向けて巨大国営企業の民営化を進めており、LICの上場もその一環です。2019年には国内で従業員数がもっとも多いインド鉄道ケータリング観光公社(IRCTC)のIPOを行ったほか、2021年にはフラッグキャリアのエア・インディア(Air India)の全株式を財閥のタタ・グループ(Tata Group)に売却しています。

LICについては、2月13日に規制当局に提出された目論見書によれば、政府は株式5%の売却80億ドル(9,522億円)超を調達する計画です。ただ、LICの企業規模と特殊な事情のために、同社の民営化は他の国営企業とは違って難しいものになると見られています。

まず、LICは1956年に制定された特別法に従って運営されており、一般の企業法は適用されません。これだけでも上場のリスクは拡大しますが、さらに外国の投資家がIPOに参加できるように投資関連法を改訂する必要がありました。

また、タイミングという問題もあります。政府は年度末となる3月までに上場を終わらせたい考えでしたが、ここ数カ月は外国資本がインド市場から撤退する動きが続いており、ロシアがウクライナに侵攻した2月24日以降はこれがさらに加速しています。また、原油価格の高騰も景気回復にとってはマイナス材料で、投資家心理に影響を及ぼすでしょう。

2019年にはサウジアラビアが国営石油会社サウジアラムコ(Saudi Aramco)の株式1.5%を売却して294億ドル(3兆4,992億円)を調達しましたが、LICの上場はインドの資本市場の懐の深さと、世界の投資家が同社にどれだけ注目しているかが試される機会となります。インド政府はさまざまな障壁を考慮して2年前から準備を続けてきました。そして、この重要な仕事を終えるまでにはもう少し時間がかかるかもしれません。


BY THE DIGITS

数字でみる

  • 64%:インドでのLICの市場シェア
  • 130万店:販売代理店の数
  • 2億8,200万件:保有契約件数(PDFファイルの193ページ目)
  • 21億4,000万ドル(2,547億円):2021年12月までの9カ月の純利益
  • 5,260億ドル(62兆6,053億円):2021年9月時点での運用資産
  • 340億ドル(4兆467億円):2021年3月期の投資収益
  • 24億ドル(2,857億円):決済サービス「Paytm」を運営するワン97コミュニケーションズ(One97 Communications)のIPOの規模。インドの株式市場では過去最大のIPOとなった

A BRIEF HISTORY

インドの生命保険の歴史

A woman walks past a bus stop with Life Insurance Corporation of India (LIC) advertisement in Mumbai
Image: REUTERS/Francis Mascarenhas

インドが英国の支配下にあった1818年、当時の政治の中心地だったカルカッタ(現在のコルカタ)に住む欧州出身の白人に保険を提供するために、オリエンタル生命保険会社(Oriental Life Insurance Company)が設立されました。

こうした外資の保険会社は他にもたくさんありましたが、いずれも保険に加入できるのは外国人だけで、インド人は相手にされませんでした。インド人も保険商品を購入できるようになったのは、「カルカッタのロスチャイルド」として知られる地元の大富豪マティ・ラル・シール(Mutty Lal Seal)の尽力のおかげです。

しかし保険会社を規制する法律がなかったためにインド人は差別され、白人より高い保険料を請求されることがよくありました。こうしたなか、1870年インド初の国産生命保険会社となるボンベイ相互生命保険協会(Bombay Mutual Life Assurance Society)が誕生し、インド人も常識的な料金で保険に加入できるようになったのです。

その後、生命保険そのものを国有化しようという動きがあり、1912年にはインド生命保険会社法(Indian Life Assurance Companies Act)が制定されます。これにより、アクチュアリー(保険数理士)が保険料率が適正かを確認することと、保険会社の定期的な監査が義務付けられました。そしてインド独立から9年後の1956年には関連法が議会を通過し、地場の生命保険会社154社、外資の保険会社16社、共済会社75社が統合して、LICが生まれたのです。


HOW TO VALUE LIC

適切な評価??

LICの上場が成功するかを左右するのが売出価格です。売出価格が低すぎれば国家資産を安売りしたとの批判が高まりますし、逆に高すぎれば投資家はLIC株を買わないでしょう。

Paytmの運営元であるワン97コミュニケーションズは昨年11月にIPOを行いましたが、投資家は黒字化できていないビジネスに対して売値が高すぎると考えたようで、株価は公開直後に急落しました。

一方、LICは総収入で世界5位の保険会社です。保険数理分野のコンサルティング会社ミリマン(Milliman)によれば、同社のエンベディッド・バリュー(EV)は720億ドル(8兆5,833億円)に上ります。なお、EVは生命保険会社の企業価値を測る指標のひとつで、既存の契約から見込まれる将来定期な利益と純資産の合計から算出します。

インドでは民間の生命保険会社の評価額はEVの3〜6倍程度で、これがLICにも当てはまるのであれば、同社の市場価値は巨大な額になります。しかし、LICは巨大な販売店網を保有しており、これにかかるコストや他の国営会社などへの出資、民間御保険会社と比べた商品構成の違いといったことを考慮すれば、同社の評価額はこれよりかなり低くなると指摘するアナリストもいます。

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TIMING THE MARKET

時期を逃したかも…

2021年に中国当局がテック企業への取り締まりを強化したことで投資家の警戒感が強まり、同国から資金が流出しました。このために海外の投資家がインド市場に注目するようになり、これに乗じてスタートアップのIPOが相次いだのです。インド政府はLICも歴史的な額を調達できると考えていますが、すでにタイミングを逃した可能性もあります。

  • 📉 昨年10月以降、外国人投資家はインドでのポートフォリオを縮小しています。これは米国での金利上昇やロシアのウクライナ侵攻のためで、当局のデータによれば、外国の投資ファンドは今年に入ってからだけで総額148億ドル(1兆7,615億円)のインド株を売却しています。
  • 💰 LICは潤沢な資金を使って他の国営企業を”救済”してきた歴史があり、外国人投資家はこれを懸念材料と捉える可能性があります。LICが株式を保有する280社のうち50社は国営企業で、これには石油天然ガス公社(Oil and Natural Gas Corporation、ONGC)やインド石油会社(Indian Oil Corporation)といった優良企業だけでなく、通信MTNLやIDB銀行(IDBI Bank)のように負債の多い企業も含まれています。
  • 🤑 こうした状況を考えれば、IPOの成功はパンデミックの期間中から株式投資をしていた個人投資家頼みになるかもしれません。今回はLICの保険に加入していれば割引価格で株式を割引価格で購入できるという特典が用意されており、LICは個人投資家750万人以上が同社の株式を購入するとの見方を示しています。そうなれば個人投資家の参加数でインドのIPOの歴史を塗り替えることになるでしょう。投資会社ジオジット・フィナンシャル・サービス(Geojit Financial Services)のビノード・ナイール(Vinod Nair)は、「政府が求める評価額と個人投資家に提供される割引が、IPOの成功と株価の行方を左右するのです」と話しています。

ONE 😋 THING

ちなみに…

LICは創業から65年間、あらゆる階層や年齢の保険外交員を雇ってきました。なかにはボリウッドの大スターも含まれており、アビシェーク・バッチャン(Abhishek Bachchan)やアムリーシュ・プリー(Amrish Puri)は映画の世界に飛び込む前にLICの外交員として働いていたことがあるそうです。なお、2005年に亡くなったプリーは1932年生まれですが、1976年生まれのバッチャンとの歳の差は実に43歳に上ります。


今日の「The Company」ニュースレターは、Quartz IndiaのMimansa Vermaがお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。


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