A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。毎週更新している本連載のためのプレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。
How Propaganda Became Public Relations
「ロシアのプロパガンダ」のプロパガンダ・前編
回を増すごとに力の入る本連載ですが、今回も1万6,000字を超えるボリュームとなりました。1通のメールでお送りできる分量には限りがありますので、2通に分けてお届けします。後半は本メールに続けて、「Guides:#97 後編「ロシアのプロパガンダ」のプロパガンダ」のタイトルでお送りします。
──こんにちは。今週は「ゼレンスキー閣下」の国会演説というものがありましたが、いかがでしたか。
そこからいきますか。この連載でも、もうウクライナの話はいいやと言いながら毎回続けてしまっていて、さすがにちょっと少し後ろめたくなってきていますが。
──どうして後ろめたいのですか?
おそらく「突っ込んだ話」に興味ある人が、そんなにいないような気もするからでしょうか。というのも、なぜか自分は今回、ロシア/ウクライナの問題に自分でもよくわからないオブセッションをもって向き合っていますが、例えばシリアで内戦が起きていたときにどこまで興味をもっていたかというと、実際のところほぼ興味ゼロでした。今回に限って、「これは重要な問題だ!」と息巻くのもなんだか胡乱な話だな、とは自分でも思うんです。
──たしかに。
コソボのときお前は何をしていたのか、ルワンダのとき、ロヒンギャのとき、シリアのときは何をしていたのかと問われたら、もう「すみません」としか答えられませんし、人道的危機ということでいえば、実際にそれがこの世界から一瞬でもなくなった時間なんてどうもなさそうな気もします。「なぜ今回だけ」という問いは、やっぱり重たくのしかかってはくるんですよね。
──とはいえ、あまねく全てにきちんと目配せするなんてこともできませんしね。
ひとりでは到底無理ですよね。ですから、ある人が何かに注目し、別の人が別のことに注目するということは、言ってみれば「コレクティブに全体をカバーしていくこと」につながっていくかとは思いますので、個人としては、それぞれが興味のある事象に真摯に向き合っていくことは大事だと思います。ただ、その根底にあるどうしようもない恣意性というところは、どうしても引っかかってしまいます。
──恣意性ですか。
まあ、言うなれば依怙贔屓ですね。その問題は、とはいえ今回のロシア/ウクライナの問題にあっては重要な論点ではありまして、この間も相変わらずウクライナ関連のニュースや論評を掘っているのですが、リチャード・シーモアというアイルランドの左派アクティビスト/ジャーナリストが、まさに今回の紛争を覆っている恣意性を問題にしていました。
──相変わらず掘ってますね。
なぜ世界でゼレンスキー閣下がここまで贔屓にされているのかを問う論旨ですが、『New Left Review』というガチな左派メディアに掲載されたものです。彼はこう語っています。
欧米諸国がイランやイラクほどではないにせよ、ロシアに対して強力な制裁を加えるなか、いたるところで独自の取り組みも始まった。英国では、ロシアのウォッカを棚から外したスーパーがある。Netflixは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』をはじめとするロシア語ドラマの放映を中止した。ロシアの軍国主義に小さくも英雄的な風穴をあけたのは分子構造の学会誌『Journal of Molecular Structures』で、それはロシアの学術機関からの論文を禁止した。(中略)
ロシア侵攻の初日から、特に英国では、ロシアに関するあらゆるものに対するヒステリアがワープスピードで始まった。労働党のクリス・ブライアント議員は、現在は削除されているツイートで、「英国とロシアの二重国籍者は国籍の選択を迫られるべきだ」と要求し、その流れをつくった。保守党のトム・トゥゲンドハット議員は、「ロシア国民を全員追放すればいい」と提案した。彼は後に、ロシアの外交官とオリガルヒだけを意味していると主張したが、彼はそうは言わなかった。
一方、ウクライナの指導者たちは、「ヨーロッパ」の理想の前線基地として認識されるべく都合よく美化され、賞賛されている。ダニエル・ハナンは『Telegraph』に寄稿し、「彼らはわたしたちと同じように見える」と語った。「それこそが衝撃的なのだ」。ウクライナの首都からレポートしたCBSのチャーリー・ダガタも同じ認知的歪みに襲われた。「ここは、失礼ながら、イラクやアフガニスタンのように何十年も紛争が続いている場所ではない。ここは比較的文明化されたヨーロッパの都市なのです」。ITVニュースでは、あるジャーナリストが「ここは発展途上の第三世界の国ではない。ここはヨーロッパなのだ」と強調した。タブロイド紙のジャーナリスト、マシュー・ライトは、ITVの『This Morning』で、プーチンがウクライナでサーモバリック兵器を使用したことを嘆いたが、公平を期して言えば、米国はアフガニスタンでサーモバリックを使用したことがある。
──「自分たちと同じ『文明人』が攻撃されている」というナラティブは、当初から批判を浴びましたね。イランやアフガニスタンといった国の人たちは、さも「文明人ではない」と言わんばかりじゃないか、という批判でした。
シーモアは、これを「ヒステリア(hysteria)」と呼んでいますが、この間の「ゼレンスキー閣下」の扱いを、このように批判しています。
包囲されたウクライナ人への共感を地方化し、普遍主義的共感のハードルを下げることで、それを「我々のような人間」に向けたナルシスティックな連帯へと還元していく。そして、ヨーロッパへの愛着は、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキーという人物を通してリビドー化され、チャーチル神話を援用しながらいたるところで「英雄」だと喧伝される。『The Times』のケイトリン・モランはゼレンスキーに「ときめき」を覚えたと告白し、『The New York Post』は、TikTok上で女性たちがこのウクライナの顔に「熱狂」していると報じている。『The Washington Post』ではキャスリーン・パーカーが、彼を現代の「戦士芸術家」として称揚している。
ゼレンスキーの指導者としての記録については、現実的な考察がほとんどなされていない。ウクライナの大統領に関する謎のひとつは、彼の資金源と選挙公約の間にある直感に反する関係である。彼の主要な資金提供者は、ゼレンスキーの人気コメディ番組「Servant of the People」を放送していた1+1 Media Groupのオーナーである残忍なオリガルヒのイゴール(イホ)・コロモイスキーだった。コロモイスキーはドンバスでロシアとの戦争を積極的に推進し、ネオナチのアゾフ大隊や戦争犯罪を犯した他の民兵を資金援助している。しかしゼレンスキーは、オリガルヒの腐敗に対抗し、ドンバスでの戦争を終わらせ、ロシアと平和を実現することを公約に掲げて当選したのだ。
──なるほど。一種の集団ヒステリアから距離をおいて、よく見てみようと言うわけですね。
実際、いまの状況を「新しいマッカーシズム」として批判するコメントなどもちらほら見かけるほどのヒステリアだと思いますが、言うまでもなくプーチン大統領が悪人だからといって、自動的にゼレンスキー大統領が善人になるわけではありませんよね。
──あたかも聖人かのように扱う向きすらありますが、さすがにやりすぎ感があります。
ゼレンスキー大統領は70%近い支持を得ていたと言いますが、今回の紛争直前には20%を割っていたと言われています。彼は、その時点で公約を何ひとつ果たさなかったということは、支持率を見ればウクライナ国民の総意に近いものだったと言えるのかもしれません。ところが、その支持率がロシアの侵攻を受けて急上昇するんですね。
そのことについて、陰謀論めいたことを言うつもりはありませんが、シーモアはこんなふうにゼレンスキーの政治活動を評価しています。
2019年以降、大統領はこの議題についてほとんど進展していない。彼は脱オリガルヒへのコミットメントを口にしたが、実際には、それはロシアとのつながりが疑われる人物を追求することを意味した。野党政治家のヴィクトル・メドヴェチュクのドンバスの分離主義者と金銭的つながりを告発し、制裁を課し、ロシアの「ディスインフォメーション」を放送したとして彼が保有するテレビ局3社を突然停止した。ゼレンスキーの前任者であるペトロ・ポロシェンコ前大統領は、ドネツクとルハンスクの分離主義反乱軍に資金を提供したという、いまだ証明されていない主張によって資産を押収された。そしてつい先週末、ゼレンスキーはロシア寄りの11政党の活動を禁止した。
──11の政党を活動禁止にしたのと、テレビ局を統一プラットフォームのなかにおくという決定をしていましたね。
ちなみに、ここで言及されているヴィクトル・メドヴェチェクというオリガルヒ/政治家は、プーチン大統領と個人的にも近い関係で、彼が一時率いていた政党Opposition Platform for Lifeは450人の議会で44議席を得ている第2野党です。
こうした政党を活動禁止にすることについて、「戦時下なんだから当然だろ」という意見もあるようですが、ウクライナ人の左派リサーチャーのヴォロドミル・イシチェンコは、こうした言説をナンセンスだと一蹴しています。
皮肉なことに、これらの政党の活動停止はウクライナの安全保障にとってまったく無意味なのだ。たしかに「進歩的社会主義者」のように停止された政党の中には長年にわたって強く純粋な親ロシア派であったものがある。しかし、ウクライナで実質的な影響力をもつこれらの政党の指導者や後援者は、実質的にすべてロシアの侵攻を非難し、現在はウクライナの防衛に貢献しているのだ。(中略)
ウクライナ政府が左翼政党や野党を停止するという決定は、戦時の安全保障上の必要性とはほとんど関係がなく、ユーロマイダン革命以降に起きたウクライナ政治の分極化とウクライナ人のアイデンティティの再定義が、ウクライナの言論空間を多様な反対意見を許容できるものでなくしてきたことと大きく関係している。と同時に、ゼレンスキーがロシア侵攻のはるか以前から政治的権力を独占しようと試みていたこととも関わっている。
──ふむ。この指摘によれば、2014年の「革命」以降、ウクライナの政治・言論空間は、かなり歪なものになっていたということになりますね。
ゼレンスキー閣下は、政党の活動禁止の対象が「親ロシア」の政党であると語っていますが、イシチェンコは、この「親ロシア」というマジックワードが問題なのだと語っています。
活動停止された政党の大半は小さく、なかにはまるで重要性のないものもあったが、そのなかのひとつであるOpposition Platform for Lifeは直近の選挙で2位になり現在450議席で44議席を占めている。これらの政党がウクライナ人の多くから「親ロシア」と認識されているのは事実だ。しかし、現在のウクライナで「親ロシア」が何を意味するのかを理解しなくてはならない。
2014年以前のウクライナ政治には、欧州・大西洋圏の国際機関に参加するのではなく、ロシア主導の国際機関との緊密な統合を求める、あるいはロシア、ベラルーシと連合国家となることを求める大きな陣営が存在した。しかし、2014年のマイダン革命やクリミア、ドンバスにおけるロシアの敵対的行動によって、親ロシア派は周縁化された。同時に「親ロシア」というレッテルがインフレーションを起こし始め、やがてそれは「ウクライナの中立」を求める者をすら指す言葉として使われるようになった。さらに、主権主義、国家開発主義、反欧米、反自由主義、ポピュリスト、左翼、その他の多様な言説を貶め、黙らせるために、そのレッテルは使われるようになった。
多種多様な政治的見解や立場がひとつのレッテルのもと貶められてきたのは、彼らが、2014年以降のウクライナ政治を支配してきた「親欧米」「新自由主義」「ナショナリズム」を批判してきたからだが、実際「親欧米」「新自由主義」「ナショナリズム」に依拠した2014年以降の政権の言説は、ウクライナ社会の多様性を反映しているわけではない。
ウクライナで「親ロシア」の烙印を押され、ゼレンスキー政権から活動禁止処分を受けた政党や政治家であっても、ロシアとの関係はそれぞれまったく異なっている。なかには、ロシアのソフトパワーの取り組みに関係する者もいるであろうが、その関係性がきちんと調査・証明されることはほとんどなく、なかにはロシアの制裁下に置かれている「親ロシア派」さえいる。
──ウクライナにも色んな立場の人たちがいる、と。そりゃそうですよね。
ところが、「親ロシア」というパワーワードを使って、敵対する陣営を誰かれなく貶めるやり口が、2014年以降横行することになってきたとイシチェンコは批判をするのですが、こうした流れのなかで、ウクライナの左派勢力は完全に封殺されたと彼は書いています。
活動禁止された政党のなかには社会党や進歩的社会主義政党のように、1990〜2000年代にかけてウクライナの政治で重要な役割を果たしたものもあるが、いまではすっかり周縁化されている。実際、現在のウクライナには「Left」や「Socialsit」を名前に冠した政党で有力なものは存在しない。ウクライナは2015年に「脱共産化」法に基づいて国内のすべての共産主義政党の活動を禁止しており、これはベニス委員会(法による民主主義のための欧州委員会)から強い非難を浴びた。
──法的なレベルでの政治統制が行われてきた、と。
とはいえ、ウクライナが、なぜロシアやベラルーシのような独裁国家に外からは見えないのかという点について、同じイシチェンコ氏は2018年に詳細に分析したレポートを書いています。
彼の説明によれば、ウクライナの政治空間は、ロシアやベラルーシのように強力なワントップの下にオリガルヒたちが紐づいているかたちの統一された政治ピラミッドが存在せず、オリガルヒの陣営が複数ありそれが政治空間を奪いあうようなかたちを取っているからだと言います。
──先のメドヴェチュクのようにプーチンに近いオリガルヒもいれば、ゼレンスキーの後ろ盾とされているコロモイスキーのように、それと敵対しているオリガルヒもいるわけですね。
イゴール・コロモイスキーという人物は、非常に問題ある人物で資金洗浄の常習犯とされており、米国は彼の入国を禁止しています。ウクライナ最大の銀行PrivatBankの所有者のひとりでもありますが、彼は巨額の金をネコババしつつ、その銀行自体を国に売りつけたとされていますし、これ以外にもゼレンスキー閣下を有名にした番組を放映していたテレビ局を保有するほか、石油やガス会社を複数もっていると言われています。さらに彼は、いくつかの極右ミリシアの創設者兼パトロンとされており、のちに国防軍に編入したアゾフ大隊のパトロンも彼だと言われています。
──映画に出てくるみたいな悪人ですね(苦笑)。
この人たちがなぜ極右の民兵集団を私費で飼っているかと言いますと、そこには特に政治的アジェンダはなく、単に自分の財産を守るためなんです。
『Vox』は、2015年にある事件を報じていますが、ウクライナにおけるオリガルヒと極右組織の関係性がよくわかる記事なので、紹介しておきます。「オリガルヒが支援する私兵がウクライナにもたらすカオスの一端が見えてきた」(We just got a glimpse of how oligarch-funded militias could bring chaos to Ukraine)という記事です。
オリガルヒが武装した戦闘員を送り込み、国有石油会社を占拠することは、法の支配にとってよいニュースとはいえない。ウクライナでは億万長者のオリガルヒ、イゴール・コロモイスキーが先週、石油会社UkrTransNaftaに私兵を送り込みオフィスを一時的に占拠し、同社における自分の経済的利益を守ろうとしたと見られている。この状況は、想像以上に恐ろしい。
コロモイスキーは、ウクライナ東部で親ロシア派の分離主義者と戦うキエフ政府を支援してきた大規模な民間民兵組織に資金を提供し、その指揮を執っている。このような民兵組織(数十ある)は、ウクライナの長期的な安定を脅かすものとしてアナリストたちの深い懸念の種となっている。(中略)
ウクライナのドニプロペトロフスク州知事でもあるオリガルヒのコロモイスキーは、同国東部で戦う親キエフ派民兵の重要な支援者である。『Wall Street Journal』によると、彼はドニプロ大隊という私兵組織に資金を提供し、2,000人の戦闘可能な兵士と2万人の予備軍を擁しているという。『Newsweek』によれば、コロモイスキーは他の民兵組織にも資金を提供しているという。(中略)
先週のコロモイスキーによる石油会社襲撃で問題なのは、自分の利益を守ろうという目論見が部分的に功を奏したと思われることだ。コロモイスキーは自分の盟友を同社の会長職に留めることはできなかったが、UkrTransNaftaに臨時会長を置くことでウクライナ大統領と合意したと報じられており、その会長は「財務に関するいかなる調査も実施しない」と述べている。コロモイスキーはこの石油会社に巨大な利権を持っている。いま彼は私兵を使って、法的あるいは財政的監査から自分のビジネス取引を守ることができるようになったのだ。
──すごいですね。国営企業を私兵に占拠させて、自分の傀儡を会長に据えるよう大統領を脅して、法執行機関が手出しできないようにするということですよね。めちゃくちゃじゃないですか。
NATOのシンクタンクAtlantic Councilの研究員は、このような状況をこう説明しています。「こうした私兵の存在は、政治家や政府が政治腐敗と戦いに背を向けてしまうという危機をもたらします」。さらにこの研究員は、ウクライナは国内の紛争解決において、こうした私兵を使うのをやめて正式な軍隊を用いるべきだと進言していますが、記事は以下のような懸念を表明しています。
重要なのは、コロモイスキーなどのオリガルヒが民兵との関係や民兵がもたらす権力を手放すかどうか、そしてウクライナ政府が民兵の解散に踏み切った場合、どのような対応を取るかだ。
民兵組織自体も黙ってはいないだろう。ポロシェンコ大統領がアイダー大隊の解散を検討していると噂された2月初旬、アイダー大隊はキエフに進軍した。ポロシェンコ大統領が引き下がるまで大隊の戦闘員たちは国防省の出入り口を封鎖し、門の外でタイヤを燃やした。2014年9月、『The Guardian』のショーン・ウォーカーはマリウポルのアゾフ大隊に潜入した際、「ほぼ全員が、東部での戦争が終わったら『キエフに戦いを挑む』つもりだ」と報じた。
──なるほど。この問題は、やたらと民兵や海外からの傭兵を頼みにしている、現在のウクライナ軍にも引き継がれているようにも見えますね。
ここで言及されている私兵は、ことごとく極右・ネオナチのミリシアなのですが、注目すべきはコロモイスキーというオリガルヒはユダヤ人だということなんですね。
この間「ゼレンスキーはユダヤ人なのだからネオナチと共闘しているなんてありえない」という言説をかなり見かけたかと思うのですが、コロモイスキーのようなオリガルヒが実際、平気でネオナチ組織を飼ってきたのは事実のようでして、となると一体なぜこんな奇妙なことが起きているのかという話にもなってくるわけです。
──そのことに関する説明は何かあるんですか?
先に紹介したイシチェンコ氏は、「マイダン革命以降のウクライナにおけるナショナリストの過激化のトレンド」(Nationalist Radicalization Trends in Post-Euromaidan Ukraine)という論考で踏み込んでいます。彼の説明は非常に詳細なもので、ここですべては紹介しきれませんが、簡単に説明しますと、2014年以降のウクライナにおいては、2014年のマイダン革命において、ふたつのナラティブが存在した、というのが分析の前提となります。
──ふむ。
そのひとつは、2014年から現在にまでいたる「マイダン派」の政権が「ファシスト軍閥」だとするもので、これはロシアおよび東側で喧伝されてきたナラティブです。その一方で、マイダン政権を「市民国家」の顕現とみなすというナラティブがあったそうで、それはウクライナを多様な文化、言語、宗教、民族を抱合した、ウクライナの新しいアイデンティティが生まれつつあるのだとするものだった、とイシチェンコは語ります。
──ざっくりいえば、前者が親ロシア、後者が親欧米、という感じですね。
はい。ただ、マイダン政権派には、いわば市民派リベラルと極右のふたつの大きな支柱があったというのがややこしいところなんです。とはいえ、イシチェンコは、ウクライナの政治エリートの大半は、新欧米リベラルであって急進的なナショナリストではないと語っています。
──つまり、基本は新欧米リベラルが主軸だ、と。
これはこの論考が書かれた2018年まで変化していないとイシチェンコは書いています。ところが、市民派リベラルの観点から政治を推進しようとしますと、政治における腐敗を排除する施策が非常に重要な意味をもってくることになるわけですが、これがなかなかうまく進まないんですね。
──オリガルヒを排除しようという動きが、先の『Vox』の記事で見たようにオリガルヒによって妨害されると。
はい。イシチェンコはそのあたりの経緯をこう分析しています。
期待された改革が実現しなかったことを主な理由としては、改革が進まないことに対する社会的失望が増大するなか、オリガルヒたちが、自分たちの利益を脅かすリベラル陣営の反腐敗プログラムよりもナショナリストのアジェンダを採用するほうがはるかに楽だと考えるようになったことがあげられる。ナショナリスト的な政策は、長期的には政権を不安定にしたとしても、短期的には彼らに政治的利益をもたらす。一方のリベラル派の支持者たちは「政情不安はロシアに利することになる」という恫喝によって混乱させられ、分裂させられていく。これは、まさにミヘイル・サーカシヴィリが率いる抗議デモに対して使われた手口だ。ウクライナの政治は、ロシアやベラルーシのようにひとつのピラミッドに支配されているのではなく、複数の競合するピラミッドによって支配されているため、たやすく急進化が進行するダイナミクスを抱えている。ポロシェンコ大統領がナショナリストのアジェンダに背くような提案をすれば、すぐさま右寄りの政党やコロモイスキーのような勢力が、それを不利に利用することとなる。
──マイダン革命によって新しい市民社会ができると期待した人たちの失望を、ナショナリスティックな言説に回収していく流れが起きたということですね。
こうした流れがなぜ加速していったかを、イシチェンコはさらに別の角度から、こうも説明しています。
親マイダン革命派の市民団体の資源、動員力、組織構造の弱さは、ウクライナを支配するオリガルヒたちがなぜナショナリストたちと共闘することを選んだかの理由ともなっている。ウクライナの政治体制はマイダン革命以前から貧弱だったが、その後内外の制約によりさらに弱体化した。2014年、ロシアが支援する分離主義者たちの蜂起と戦うために、政府は軍隊(資金不足で戦闘に対応できない)やドンバスの法執行機関をあてにすることができず、ボランティアで構成される私兵大隊と暴力の独占権を共有せざるを得なくなった。(中略)
リベラル勢力の影響力は極めて貧弱で、リベラルNGOの大半はシンクタンク、メディア、アドボカシー組織が主体でコミュニティを動員できない。リベラル派の組織は、エリートの意思決定者、評論家や広く大衆に働きかけることはできるが直接的な動員ができない。
一方の極右勢力は、イデオロギーにコミットした活動家たちを求心力をもって動員しうる全国的なネットワークの構築に努めてきた。彼らの動員力は、支持者の数だけでなく、信奉者がどれほど積極的かつ熱烈に政治行動に参加する準備ができているかでみると、リベラルNGOや野党の集票マシーンと比べて極めて強力だ。
──人を動員するパワーが極右はケタ違いだというわけですね。
そうですね。英国の過激派調査シンクタンクでリサーチャーを務めているユリア・エブナーという非常に面白い方がいまして、彼女は5カ国語を駆使しながら、極右なども含めた過激派組織のネットワークに潜りこみ、その勧誘の方法、過激化教育のプロセス、広報戦略などを実地で体験するのですが、彼女は、極右の動員ストラテジーの巧みさとその現代性を『TIME』のインタビューでこう説明しています。「5つのアイデンティティを駆使して極右やイスラム原理主義組織に潜入したリサーチャーは何を見たか」(This Researcher Juggled Five Different Identities to Go Undercover With Far-Right and Islamist Extremists. Here’s What She Found)という記事です。
ヨーロッパの極右のような 白人至上主義ネットワークは 「リクルート戦略」と呼ばれる確固たる急進化マニュアルをもっている。例えば「Tradwife」の運動は自分たちを自助グループだと思わせることで、異なる思想的背景をもつ女性から伝統的な性別の役割に従わない人たちをも引き付けることに成功した。
あるいは「European Trolling Army」のように、緊密に組織化された階層構造をもつグループもある。ネオナチグループはしばしば軍隊のような構造をもち、グループ内の役職は軍隊の階級にちなんで名づけられ、政敵に対する憎悪キャンペーンを行うことで昇進していく。(中略)
彼らは、キャンペーンやメディア戦略においては独自の語彙や内部の人間しかわからない符牒を使う。映画『マトリックス』、日本のアニメからテイラースウィフトまで、インターネットカルチャーがここでは参照される。(中略)
さらに極右団体は、従来のネオナチがもっていた思想を再ブランド化し、再構築している。「人種隔離」や「アパルトヘイト」といった用語の代わりに「民族多元主義」などの婉曲表現を使い、ビデオゲーム用語と人種差別を組み合わせて、独自の風刺的言語をつくり出しているのだ。
過激派グループは、風刺的なミームの背後にある真のイデオロギーを広めるのに長けているだけでなく、政治家たちによってプラットフォームを与えられてもいる。「グレート・リプレイスメント」といった陰謀論者が使用することばが、政治家によってリツイートされたキャンペーンで繰り返されているからだ。(中略)また、欧州の極右は、米国のオルトライトが用いるゲーミフィケーションやプロパガンダの戦略の一部を取り入れている。
──めちゃくちゃ「いま」っぽいんですね。
エブナーの潜入ルポは日本でも『ゴーイング・ダーク 12の過激主義組織潜入』というタイトルで左右社から翻訳が出ていますので、興味ある方はぜひ読んでいただくといいかと思います。こうした過激派組織が、ソーシャルメディアなどを駆使しながら、現代においておそらく最もソフィスティケートされた戦略・戦術をもっていることに驚くことになるかと思います。本書を読んだ弊社スタッフは「BTSアーミー並み」の動員力だと、驚いていました。
──恐るべしですね。
また、この間ウクライナの極右のことばかり書いていましたら、色々と情報を寄せてくれる方もいまして、こんなものがありますよ、とウクライナで開催されている「ネオナチ・デスメタ・フェス」なるものを教えてもらいました。
──音楽やカルチャーの動員も行われている、と。
はい。音楽フェスですが格闘技なども観られたりするようですし、マーチも充実していて、褒めるつもりはありませんが、360°ビジネスのお手本といってもいいような周到さではあります。
この後同じメールアドレスにお送りするニュースレター後編に続きます。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。
꩜ 「だえん問答」は毎週日曜配信。次回は2022年4月3日(日)配信予定です。本連載のアーカイブはすべてこちらからお読みいただけます(要ログイン)。