Guides:#97 後編「ロシアのプロパガンダ」のプロパガンダ

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週刊だえん問答

世界がいま何に注目しどう論じているのか、「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。「Guides:#97 前編「ロシアのプロパガンダ」のプロパガンダ」の続きです。

How Propaganda Became Public Relations

「ロシアのプロパガンダ」のプロパガンダ・後編

──こうした戦術的な動員によって、ウクライナでは外からはそう見えないようなかたちで、ナショナリズムへの傾斜が進行してきたわけですね。

はい。イシチェンコ氏は先の論文をこう締めくくっています。

モルドバもジョージアも、よく似た対立を国内に抱えているが、ウクライナのような急進化にはいたっていない。このことは、急進化の根源が主にウクライナの政治体制と市民社会、双方の構造に由来することを示唆している。マイダン革命以降のエリートたちにとって、ナショナリズムの急進化は、自らの権力基盤を固めつつ、一方で極右を飼い慣らし、リベラル派を分裂させるための道具となっている。と同時に、それは極右勢力に正当性を与える隠れ蓑となり、軍事的な資源と動員力をもってそれに応える(リベラル勢力の不在がそれに拍車をかける)。短期的には、2019年の、大統領選挙と国会議員選挙の前の政党競争によって、ナショナリストの急進化が加速されるだろう。長期的には、市民間やウクライナと近隣諸国との信頼関係、ウクライナの国家能力や民主主義に悪影響を与えるだろう。

──この2019年の大統領選挙というのが、まさにゼレンスキー大統領を生んだ選挙だったわけですね。

はい。冒頭で語ったように、ゼレンスキー大統領は、脱オリガルヒ、東部の紛争解決を公約に謳って大統領の座についたわけですが、大統領になってからというもの、左派のジャーナリストやリサーチャーから見ると、それとは真逆のことをずっとやってきたという評価になるわけです。

──なるほど。

そして、そこで採用されてきたタクティクスは、実際、今回の紛争においても使われているんですね。

──とにかく相手を「親ロシア」とレッテル貼りすることで相手を黙らせるという。

この間出た記事で非常に面白かったのは、『MintPress News』という左派メディアが提出した「ウクライナのプロパガンダ戦争:国際PR会社、DCロビイスト、CIAの切り取り」(Ukraine’s Propaganda War: International PR Firms, DC Lobbyists and CIA Cutouts)というものでして、ここではウクライナの戦争広報の詳細がレポートされています。

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──なんと。

ここではウクライナのプロパガンダ戦略は、世界150社のPR企業によって実行されているとしていまして、それを取り仕切っているのは以下のふたりの人物だとしています。

この国際的な取り組みは、広報会社PR Networkの共同設立者であるニッキー・レガツォーニと、英国政府と密接な関係を持つトップ広報コンサルタントであるフランシス・インガムが中心となって実行されている。インガムは、かつて英国保守党に勤務し、英国政府コミュニケーション・サービス戦略・評価評議会の委員、国際コミュニケーション・コンサルタント協会の最高責任者、英国地方自治体コミュニケーターの会員組織であるLG Commsのリーダーを務めてきた。

──プロが関わっているわけですね。

記事は、そのプロパガンダ攻勢を、こう説明しています。

ウクライナの軍事的士気を高めるために、キエフは西側諸国の国民の支持と公的支援をかきたてることを目的とした洗練されたプロパガンダを着実につくり出している。このキャンペーンには、用語ガイド、キーメッセージ、何百ものプロパガンダポスターが含まれ、中にはファシストのイメージやネオナチの指導者を賞賛するものまである。

ウクライナの広報活動の背後には、外国の政治戦略家、ワシントンDCのロビイスト、そして情報と結びついた報道機関のネットワークがある。

ウクライナのプロパガンダ戦略についてNATOの司令官は『The Washington Post』に対し、「彼らの戦略コミュニケーションは優れている。メディア、情報戦、心理戦も見事だ」と語った。西側政府関係者は、キエフ政府が発表する、戦況の変化について発信する情報の多くは、双方の死傷者数を含めて検証できていないが、それが極めて効果的な戦略コミュニケーションの一部であることは明らかだとしている。

──むむむ。

そして記事は、ウクライナ外務省が関係機関などに配布したとされる「PRキット」のフォルダへのリンクを紹介していますが、その中身は、まさに「用語ガイド、キーメッセージ、何百ものプロパガンダポスター」、さらにはすでにフェイクだと暴露されている動画なども含まれています。

このGoogle Drive上のフォルダへのリンクは、金曜日の時点ではアクセスできたのですが、土曜日の時点でロックがかけられたみたいで見られなくなってしまっていますが、記事内にそこに含まれていたポスターなどが掲載されていますので、ぜひ見てみてください。

──いやあ、すごいですね。

また「キーメッセージ」を記載したファイルには、「ウクライナの情勢を解説する際には必ずロシアを侵略者として語ること」といったインストラクションがあり、「ヨーロッパ最大の原発であるザポリージャ原子力発電所をロシア軍が砲撃し、ヨーロッパ全体が核災害の瀬戸際に立たされた」といった、西側メディアがそのまま流布して、のちに信憑性がないと判断された情報が記載されています。

──メディアがそのまま流してしまっているわけですね。

もちろんロシアはロシアで大量のプロパガンダを投下していると思いますので、ウクライナだけが悪いという話にはならないのですが、敵対陣営の情報のすべてを「ロシアのプロパガンダ」と一蹴するやり方が、実際は自分たちのプロパガンダを正当化するための戦術となっているということは、やはり留意しておいたほうがいいとは思うんですね。

──ほんとですね。

ちなみにこの記事は、例えば米国議会でゼレンスキー閣下が演説した際のスピーチライターなども特定しています。

ウクライナ最大の石油・ガス産業雇用者連盟の登録外国代理人兼ロビイストであるダニエル・バジディッチは、ヴォロディミル・ゼレンスキーに代わって、ウクライナへの武器輸送をさらに承認するよう国会議員に働きかけている。現在はYorktown Solutionsの代表で、以前はTed CruzとScott Walkerのキャンペーンに助言し、Atlantic Councilの非常勤シニアフェローを務めている。(中略)彼は、ゼレンスキーの3月16日の米国議会での演説も書いており、この演説ではキング牧師の「I Have a Dream」演説を引用して、ウクライナ上空での飛行禁止区域を求めた。(中略)

またウクライナ政府や企業の利益を促進する登録ロビイストのなかで最も目立つのは、ゼレンスキーの議会演説の執筆にも貢献したアンドリュー・マックだ。マックは2019年にゼレンスキーのロビイストとして登録され、ウクライナの法律事務所Asters LawのワシントンDC事務所を経営している。

──日本の演説の際にもスピーチライターが優秀という感想がありましたが、こういう人たちがやっているんですね。

『MintPress News』を信じるのであれば、実際これはなかなかに巨大なオペレーションでして、これをヨーロッパで最も貧しい国のひとつであるウクライナが実行していること自体が驚きなのですが、当然こうしたことも西側諸国がサポートしているわけですね。

──そりゃそうですね。

このことに関して、今週米国の右派の間で話題になっていたのは、バイデン大統領の息子のハンター・バイデンに関わるニュースなんです。

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──なんですか、それ。

2020年の大統領選挙の直前に、『The New York Post』という右派メディアが、ハンター・バイデンとウクライナの石油会社やロシア、中国とのオリガルヒとの不適切な関係の証拠が詰まったラップトップの存在をすっぱ抜いたことがありました。

このラップトップは、オバマ政権下で副大統領を務めていた父バイデンの名前を使って、息子ハンターがウクライナの石油会社の役員になって月額500万円以上の報酬を得ていたことを明かす証拠と目されたものだったのですが、父バイデンも、米国のメインストリームメディア(MSM)もこれを「ロシアのプロパガンダ」として全面否定したんです。FacebookとTwitterは、これをディスインフォメーションだとして『The New York Post』のアカウントを一時凍結したりもしました。

──そんなラップトップは存在しない、と言ったわけですね。

ところが、『The New York Times』が、しれっとそのラップトップが真実であることをハンターの脱税疑惑を追求した3月16日付けの記事のなかで認めちゃったんですね。該当箇所は以下です。

捜査に詳しい関係者によると、検察はバイデンとアーチャーの間で交わされた、ウクライナのガス会社Burismaやその他の海外事業活動に関する電子メールを調べたという。これらの電子メールは、バイデンがデラウェア州の修理工場に放置したノートパソコンから出たと思われるファイルのキャッシュから『The New York Times』が入手したものだ。この電子メールとキャッシュ内の他の電子メールは、それらと調査に精通した人びとによってその真実性が認証された。

──なんだよ、あったのかよ、となりますよね。

そうなんです。いまのところ、『NYT』がその存在を認めたことで、この問題について報じているのはプロパガンダだと一蹴された当事者の『The New York Post』や『FOX』といった右派メディア、あるいは『The Wall Street Journal』は編集局がオプエドを掲載しているくらいです。『WSJ』は、こう書いています

(このラップトップに残されていた)メールは、ハンターがウクライナのガス会社Burismaの役員を務めるなど、バイデンの名前を利用して金銭を得ていたことを明らかにしている。(当時副大統領であった父親の)影響力の行使はバイデンの政治的責任を問うものでもある。であればこそ選挙前にこの事実が公表される価値があったのだ。そして、この事実は、特に米中関係が不安定な現在でも重要性を失っていない。

『The New York Times』は、ロシアとの共謀説を推し進めたことでピュリッツァー賞を受賞したが、その中身は大したものではなかった。『The New York Post』の記事は本来であればピュリッツァー賞に値するものだが、その正当性はいずれ証明されことになるだろう。

──となると、今度はあれですよね、バイデンがウクライナ政府と共謀して選挙妨害をしているという言説が、あながち頓珍漢な陰謀論でもなかったということにもなってきますね。

困ってしまうのは、まさにそこなんですね。トランプは大統領時代にゼレンスキー大統領の前で、ウクライナがいかに腐敗した国であるかを滔々と述べて顰蹙を買ったことがありましたが、こうやって見てくると、たしかにそれがあながち間違っていないように見えてきます。

さらに厄介なのは、ハンター・バイデンが役員を務めていた会社というのが、先ほど解説しましたコロモイスキーの息がかかった会社だということなんですね。つまり、トランプが主張していたのは、ウクライナの腐敗の中心にはコロモイスキーのようなオリガルヒがいて、それを支援することで民主党の特定の人たちが利益供与を受けているということだったわけです。で、米国の右派は、そのナラティブを強く信じていたりするわけです。

──バイデン大統領とウクライナの問題は、かなり根深く米国の政治に影を落としているんですね。

はい。バイデン/ゼレンスキー/コロモイスキーの関係がどういうものなのか、その真偽のほどはわたしにはまるでわかりませんが、ここで重要なのは、「なんか怪しいんじゃないか」という異議申し立てを、バイデンも民主党も、ほとんどのメディアも「ロシアのプロパガンダ」だと一蹴したところだと思うんです。加えて「トランプ憎し」の感情が先に立つような人たちも、そうであるがゆえに、それをおバカなトランプの陰謀論として一蹴してしまう土壌があったわけですね。

──多くのリベラル派は、「親ロシア=親トランプ」とみなされるのもイヤでしょうしね。

そうなんですよね。ですから結果として「ロシアのプロパガンダ」の一言をもって、トランプのいうところの「地獄から来たラップトップ」(“Laptop from Hell”)はお笑いネタか都市伝説のようなものとされてきてしまったわけですが、ここにきて、『NYT』がそれを真正と認めてしまったことは、今後、政治家、メディア等に対する不信をさらに深めることになるだろうと思います。

──「悪いのは全部ロシア」という言説が、結局のところ何かを隠したり封殺したりするために使われたという点でいえば、いま起きている紛争とハンターのラップトップ問題は、なんというか見事に相似形を描いている感じがしますね。

実際そうやってナショナリズムのナラティブがウクライナに蔓延っていったのだとすると、そのやり口はやっぱり非常に危険なものだと思いますし、実際こうした潮流から自由な国はないと思うんですね。そういう意味でウクライナのナショナリズムの過激化の道筋は他山の石とすべきものなのかもしれません。

──ウクライナにおけるリベラリズムの停滞は、そっくりそのまま日本の状況を思い起こさせますしね。

今週読んだ一番の名言は「戦争における最初の犠牲者は真実である」というものでしたが、そうであるなら、戦争というのは不都合を隠すには最もよい戦術だということにもなります。これはウクライナにも、ロシアにも、あるいは米国にも当てはまる話なのかもしれません。

──なんだかな、やりきれなくなってきますね。

いずれにせよひとつだけ明らかなことはありまして、ゼレンスキー閣下の日本での演説で明確になったのは、いつかこの紛争が終わった暁には、焦土と化したウクライナの復興支援の資金は日本が出すはめになる、ということですよね。

──なんだかな。

やりきれない、ですよね。


若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。


꩜ 「だえん問答」は毎週日曜配信。次回は2022年4月3日(日)配信予定です。本連載のアーカイブはすべてこちらからお読みいただけます(要ログイン)。