Forecast:あり? なし? 蚊のいない世界

Forecast:あり? なし? 蚊のいない世界
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ニュースレター「Forecast」では、グローバルビジネスの大きな変化を1つずつ解説しています(これまでに配信してきたニュースレターはこちらからまとめてお読みいただけます)。

蚊に悩まされる季節になりましたが、もしかしたら近いうちに、蚊がまったくいない世界が実現するかもしれません。

英国のバイオテック企業オキシテック(Oxitec)がカリフォルニア州とフロリダ州の一部地域で現在行っているのは、人工的に育てたオスのネッタイシマカを自然環境に放つという実証実験です。ただしこの数十億匹はただの蚊ではなく、遺伝子を組み換えた蚊なのです。

オキシテックのネッタイシマカは人間を刺しません(人間の血を吸うのは産卵前のメスだけです)。そして、遺伝子組み換えのオスが野生のメスと交配して生まれた幼虫は、メスは成虫にならずに死んでしまい、オスだけが生き残るようになっています。つまり時間が経つにつれてメスの個体数が減っていき、最終的にはすべての蚊がいなくなるという計算です。

遺伝子組み換えの蚊を使った実験はいくつか前例がありますが、今回のものは過去最大規模になります。蚊はマラリアやデング熱、ジカ熱といった感染症を媒介します。遺伝子組み替え技術によって、こうした伝染病が発生する地域で他の生物に害を及ぼす可能性のある殺虫剤を使わずに蚊を駆除できるようになることが期待されています。

遺伝子組み換えは人間の生命の保護や環境対策にまで応用できる可能性を秘めています。ただ、これを活用していくためには科学的に効果を証明するだけでなく規制当局や一般市民にも納得してもらう必要があるのです。


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遺伝子ドライブって何?

集団の全個体が特定の遺伝子をもつようにすることを「遺伝子ドライブ(gene drive)」と呼びます。

ある生物に対して、人間が望ましいとみなした形質を発現させるために、科学者が遺伝情報を書き換えたとしましょう。この変異は遺伝性が高く、50%以上の確率で次の世代に受け継がれます。つまり、時間が経つにつれ改変された遺伝情報をもつ個体の割合が拡大していくのです。最初の遺伝子の改変が行われてから数十世代も経てば、集団内のすべての個体が新たな形質を示すようになります。

遺伝子ドライブを巡っては、ミバエ類と呼ばれるハエでP因子という1950年以前には存在しなかった特定の遺伝子が発見されたことで、人間が手を加えなくても自然に起こることが証明されています。一方で、遺伝子ドライブを人為的に発生させられるようになったのは「CRISPR」というゲノム編集技術が実用化されてからで、ここ数年のことです。

さらに、遺伝子ドライブは対象となる集団の遺伝構成を不可逆的に変えてしまい、それを元に戻す方法はないと考えられています。


CASE STUDY

実験の結果……

オキシテックは4月、フロリダ州フロリダキーズ(Florida Keys)で行った7カ月間にわたる実験の結果を公表しました。

これは同社にとって米国で初となる自然環境での実証実験でしたが、科学誌『Nature』の記事によると、改変された新たな遺伝子をもつメスの幼虫はすべて成虫になる前に死亡したほか、遺伝子組み換えの蚊を放した地点から半径400メートル以内ではすべての蚊がこの遺伝子をもつようになったといいます。つまり望み通りの結果が得られたのです。なお、オキシテックは実験結果についてウェビナーで解説を行いましたが、査読を経た研究論文は公開されていません。

ただ、区域内の蚊の個体数は減ったのか、蚊が媒介する感染症の発生率はどうなったかといったことには触れられていません(フロリダキーズでは2010年以降、デング熱の流行が何回か起きています)。

オキシテックの米国事業を統括するラジーブ・ヴァイドヤナサン(Rajeev Vaidyanathan)はQuartzのメール取材に対し、今年中に実施予定のより規模の大きい実験では同様のデータに加え、「遺伝子を組み換えたオスの蚊を放出することがネッタイシマカの数にどのような影響を与えるかを調べるために、ベースラインとなる総個体数を調べる」と述べています。


⚖️ PROS AND CONS

いい点/悪い点

遺伝子ドライブによる蚊の駆除の支持者は、一定の規模で行えば以下のような結果が期待できると説明します。

  • 蚊が媒介する感染症の発生数が減る
  • 蚊は中枢種ではないため生態系への影響は限定的
  • 蚊に対して使われている殺虫剤の使用が減るため、地域内の動植物への影響が軽減される
  • 遺伝子組み換えの蚊は血を吸わないため安全で、迅速かつ効果的に遺伝子を広めるため、人間への影響はほぼ皆無

一方、反対者は以下のような懸念を指摘します。

  • 蚊は中枢種ではないが、蚊を捕食する生物はいるため、個体数が減れば生態系に何らかの影響を与える可能性はある
  • 意図しない交配種の誕生や、蚊に代わって別の生物がより致死性の高い感染症を媒介するといった不測の事態が生じる恐れ
  • 安全性と有効性を確かめるには費用のかかる大規模な実験が必要になる

SURVEY SAYS

なんか不安じゃない?

これまでのところ、米国では遺伝子ドライブに否定的な見方が大勢を占めているようです。2016年に行われた郵送による世論調査では、回答者の過半数が蚊の駆除方法として遺伝子組み替えを支持しないことが明らかになっています。これは「人間や動物が遺伝子組み換え蚊から受ける影響や、生態系に悪影響を及ぼす可能性があるという環境面での懸念」によるものです。

また、食品医薬局(FDA)はこの年にフロリダでの実証実験についてパブリックコメントを行いましたが、80%は反対意見だったといいます。

カリフォルニア大学アーバイン校教授で生物学と分子生物学を教えるアンソニー・ジェームス(Anthony A. James)は、「この調査は米国で行われたものですが、他の国では否定的な反応はありません」と指摘します。例えば、ブルキナファソでは遺伝子組み換えの蚊に対する人びとの見方を知り、同時にこの技術への理解を深めてもらうために、現地語に堪能な人と協力した取り組みが行われています。しかし、米国ではこうした啓蒙活動はそれほど進んでいません。

では、反対者を説得するにはどうすればいいのでしょう。ジェームスは「デング熱やチクングニア熱、ジカ熱にかかるとどうなるかを思い出してください。感染症問題が深刻化するまで対策を待つべきなのでしょうか」と言います。

オキシテックがフロリダキーズで活動を始めてから10年が経ちますが、同社はこの間、スタッフがテレビやラジオに出演したり、ソーシャルメディアや郵便などの手段を活用し、「現地の人たちにプロジェクトに協力してもらうためにさまざまなことをしてきた」と、広報担当の責任者メレディス・フェンソム(Meredith Fensom)は話します。

こうした努力は身を結んでいるようで、2016年に行われた住民投票では、モンロー郡に属する33の自治体のうちキーウェストを含む31の自治体が、オキシテックのプロジェクトを支持しました。フェンソムは「モスキートトラップの設置希望者の待機リストが長いことからも、こうしたサポートはいまでも続いていることがわかる」と述べています。


🔮 FUTURE USES

今後の見通し

現時点では、遺伝子ドライブの活用は蚊の駆除が中心となっています。カリフォルニア大学アーバイン校のジェームスは、「わたしの最大の関心事は感染症をなくすことで、なかでもマラリアが主なターゲットです。マラリアは蚊が媒介する感染症でもっとも深刻なものです」と話します。

一方で、ライム病を引き起こす細菌の保菌動物であるノネズミや、この菌を媒介するマダニなど、やはり感染症を運ぶ生物を対象とした研究も始まっています。さらに、在来種に病気への免疫をつけたり、気候変動による生存条件の変化に耐性を持たせるような遺伝子の改変を施すことで種の保全を試みるといったアプローチが可能だと考える人たちもいます。

このテクノロジーの支持者たちは、化学物質ではなく遺伝子ドライブによって害虫を駆除することが可能になれば、食品価格が下がり環境への影響も低減できると説明します。しかし、遺伝子ドライブの実用化には科学的な実証性だけでなく、規制の整備や一般市民からの信頼を得るための努力が必要になるのです。


今日のニュースレターはメンバーシップエディターのAlexandra Ossolaがお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。


ONE 🧬 THING

ちなみに……

ハリウッドでは遺伝子ドライブを扱った作品はまだ製作されていませんが、遺伝子操作はおなじみのテーマです。『ジュラシック・パーク』や『ガタカ』、『ランペイジ 巨獣大乱闘』、『ルーク・ケイジ』などを観ればすぐにわかると思いますが、起こり得る大惨事を簡単に想像できるからでしょう。遺伝子操作の大失敗を取り上げた作品については、こちらの記事でもご紹介しています。


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