ニュースレター「Forecast」では、グローバルビジネスの大きな変化を1つずつ解説しています(これまでに配信してきたニュースレターはこちらからまとめてお読みいただけます)。
米国では有鉛ガソリンは40年程前に禁止されました。ただこれは自動車に限った話で、小型航空機はいまだに添加剤として鉛を加えたガソリン燃料で空を飛び回っています。レシプロエンジン(ピストンエンジン)を搭載した航空機の数は全米で17万機に上り、年間1億9,200万ガロン(7億2,680万リットル)の有鉛ガソリンが使われているのです。
自動車用の有鉛ガソリンの廃止は、20世紀の公衆衛生における大きな成功のひとつです。1970年代には精錬所や焼却炉、自動車の排ガスなどから推定で年間20万トンの鉛が排出されていましたが、当時と比べて米国の1〜5歳児の血中鉛濃度は96%以上低下しています。
しかし、水道管や土壌、古い塗料などには鉛が残留しており、汚染は消滅しませんでした。一部のガソリンスタンドでは、いまだにレーシングカーやボート向けに有鉛ガソリンが販売されています。現在でも世界の子どもの3人に1人に相当する8億人以上が、日常的に身体に有害な量の鉛に触れているのです。
米国では大気中に放出される鉛の最大の原因は小型航空機で、排ガスに含まれる鉛の量は年間468トンに上ります。これが空港周辺の大気を汚染しているわけですが、空港から半径1キロメートル以内に住む子どもの数は300万人を超えます。鉛は脳や神経に重大な影響を及ぼし、知能指数(IQ)の低下や注意欠陥多動性障害(ADHD)といった将来まで後を引く問題を引き起こすことが、さまざまな研究によって証明されてきました。
コロラド州立大学で公衆衛生の研究を行う経済学者のサミー・ザーラン(Sammy Zahran)は、航空機の排ガスに含まれる鉛によって、ミシガン州フリント(Flint)の水道水汚染(*)に匹敵する公害が起きる恐れがあると警告します。フリントでは水道水から高濃度の鉛が検出されて大きな問題となりましたが、航空機からの鉛の排出は一地域の問題ではなく、地方空港のある何千もの都市で年間を通じて続いています。なお、鉛はエンジンの異常燃焼(ノッキング)を防ぐために添加されており、ピストンのないジェットエンジンに使用するジェット燃料は無鉛です。
*:ミシガン州フリントで、水道水の水源を近隣のフリント川に切り替えた2014年以降、水道管の腐食とそれによる鉛の流出が進行、住民に深刻な健康被害が発生した。事態は全米を巻き込み、いまも行政の責任を追及する訴訟が続いている。
Quartzでは今月、航空機向けの有鉛ガソリン燃料が米国民の健康にどのような被害を及ぼしてきたかを追った特別記事を掲載しました。石油会社や航空機メーカーだけでなく当局までが、何十年にもわたり有鉛ガソリンの全面禁止に抵抗してきましたが、6カ月にわたる調査に基づいたこの特別記事では、オクラホマ州エイダ(Ada)に拠点を置くある企業の格納庫に解決策が存在するかもしれないことを紹介しています。
それでは、航空機向けの有鉛ガソリンを廃止するにはどうすればいいのか考えていきましょう。
THE BACKSTORY
有鉛ガソリン小史
米国でガソリンに鉛が添加されるようになったのは1923年のことです。当時、エンジンのノッキングを防ぐための添加剤として使われていたテトラエチル鉛は非常に毒性が強く、飛沫が皮膚に少し触れただけで中毒を起こし、最悪の場合は死亡する可能性もあるような代物でしたが、自動車のエンジンには有用だったのです。
それから数年で、多くの人の体内に、大気中に放出された大量の鉛が取り込まれることになります。鉛は肺から血液を通じて脳や筋肉、心臓、肝臓、腎臓、脾臓などの臓器に運ばれ、体内に蓄積します。鉛中毒の被害は甚大で、当時は“安全”とされた量でも、子どもたちはIQの低下や多動、認知障害、行動障害などの問題に苦しみました。
政府は1973年に自動車用の有鉛ガソリンを段階的に廃止することを決めましたが、航空機には鉛のアンチノック効果が必要だとして、鉛の添加剤の禁止には至りませんでした。その後は、石油会社と航空機メーカー、さらには当局までが航空機向けの有鉛ガソリンの禁止を妨害し、遅らせてきたのです。
連邦航空局(FAA)は現在、2030年までに無鉛の航空燃料を承認する方針を示していますが、それまで待つのを拒否する人たちもいます。カリフォルニア州サンタクララ郡の自治体は今年1月、サンノゼ(San Jose)のリードヒルビュー空港(Reid-Hillview Airport)で有鉛ガソリンの給油を禁止しました。FAAとパイロットからの反対を押し切ったかたちで、こうした動きが起きたのは全米で初めてのことです。
A CONNECTION MADE
健康被害との関係
デューク大学のマリー・リン・ミランダ(Marie Lynn Miranda)がノースカロライナ州で行った調査では、航空機の排ガスと体内の鉛の量に驚くべき関係があることが明らかになりました。2011年に発表された論文によれば、小規模な空港の側に住む子どもほど、鉛の血中濃度が高いことがわかったのです。一方で、航空機の排ガス以外の要因がある可能性を完全に排除することはできませんでした。
そこで、コロラド州立大学のザーランがミシガン州の子ども100万人を対象に、やはり血中鉛濃度を調べたところ、空港に近い場所に住む子どもほど体内の鉛の量が多かっただけでなく、鉛の濃度は航空機の発着数の増減と完全な相関関係を描いたのです。
これは航空機向けガソリン燃料と体内の鉛に関係があることの非常に強力な証拠で、リードヒルビュー空港の周辺で行われた他の研究の結果を裏付けるものでした。
THE TOLL LEAD TAKES ON HEALTH
鉛が身体に及ぼす影響
鉛は細胞のメカニズムを混乱させます。細胞が再生するときに鉛を取り込んで機能不全を起こすのです。遺伝情報が破壊されるほか、通常はカルシウムによって伝達されるニューロンからの電気信号が鉛によって遮断されます。神経細胞同士のつながりが切断されると脳の働きが弱まるだけでなく、最悪の場合は脳が萎縮することもあり、なかでも重要な判断や衝動性、気分をつかさどる領域に影響が生じることがわかっています。
米環境保護庁(EPA)によれば、1990年代以降、鉛が健康に及ぼす影響について6,000本を超える研究論文が発表されました。そのすべてが、「人生の早期の段階で低レベルの鉛に暴露することと、IQ、学習、記憶、行動への影響との間には関連性がある」と結論付けています。こうした影響は永続的なもので、治療は不可能です。
2006年に発表されたある論文によれば、血液1デシリットルあたり1マイクログラムという低濃度でも、子どもがADHDを発症する確率が2倍になります。1デシリットルあたり1マイクログラムとは、裏庭のプールにごく微量の鉛を加えた程度の濃度です。デューク大学の博士課程で臨床心理学を勉強するアーロン・ルーベンは、「この数字を考えると眠れなくなります」と言います。「これは実質的には、鉛に安全な摂取量などないという意味だからです」
🔮 PREDICTIONS
今後の見通し
オクラホマ州エイダに拠点を置くゼネラル・アビエーション・モディフィケーションズ(General Aviation Modifications、)の共同創業者ジョージ・ブレイリー(George Braly)は、10年以上にわたって有鉛ガソリンの代替となる航空燃料の開発を進めてきました。有鉛ガソリンは収益性が高いため石油会社は代替品に反対していますが、間もなく販売が開始できる見通しだといいます。
今年1月にはFAAの認証部門からゴーサインが出ており、最終的な承認が下りれば、ついに民間の航空業界全体が無鉛化する可能性もあります。しかし奇妙なことに、ここにきてFAAの本部から待ったがかかり、追加データと報告書の提出を求められているそうです。
米国で有鉛ガソリンが完全に禁止されるのがいつになるかはわかりません。ただ、リードヒルビュー空港で飛行訓練施設を運営するウォルター・ガイガー(Walter Gyger)は、都市部に近い空港の閉鎖を求める声が高まるにつれ、無鉛ガソリンへの切り替えは避けられないだろうと指摘します。ガイガーは「反対派に『上空から子どもの頭に鉛を振りかけているのと同じだ』と言われたら、有鉛ガソリンの使用を弁護するのは難しいでしょう」と話します。「パイロットたちは無鉛燃料を望んでいます。無鉛化のプロセスはどのようなものでもいいと思いますが、製品が必要なのです」
WHAT YOU CAN DO
🇺🇸 できること
最初の動きは地方レベルで起きていくはずです。空港には私有のものもありますが、サンタクララ郡の当局者には、他の地域の自治体から有鉛ガソリンの給油禁止措置について参考にしたいという問い合わせが来ています。
国政レベルでは、EPAが2023年までに航空機向け有鉛ガソリンは健康被害を引き起こしているとの公式見解を出す方針を明らかにしているほか、FAAは2030年までに鉛を添加していない燃料を承認する見通しです。これまでは具体的な期限は示されてきませんでした。
有権者からの圧力も強まっているほか、フレンズ・オブ・アース(Friends of Earth)やアース・ジャスティス(Earth Justice)といった権利擁護団体が訴訟を起こしています。こうした動きは、当局が約束した期限を守ることを後押しするはずです。
一方、自分の子どもが鉛に暴露しているのではないか不安な場合は、地元の保健当局や医療機関で簡単な検査を受けられます。費用は加入している保険もしくはメディケイドのカバーの対象になります。また、2歳児は定期検診で体内の鉛の量を調べることが推奨されています。子どもの場合、鉛の安全な暴露量というものはありませんが、疾病予防管理センター(CDC)は家庭や学校での鉛の摂取を少しでも減らすためにできることを公開しています。
今日のニュースレターはMichael Corenがお届けしました。日本版の翻訳は岡千尋、編集は年吉聡太が担当しています。
🎧 Quartz Japanでは平日毎朝のニュースレター「Daily Brief」のトップニュースを声でお届けするPodcastも配信しています。
👀 Twitter、Facebookでも最新ニュースをお届け。
👇 このニュースレターはTwitter、Facebookでシェアできます。転送も、どうぞご自由に(転送された方へ! 登録はこちらから)。