A Guide to Guides
Guidesのガイド
Quartz読者のみなさん、おはようございます。世界はいま何に注目し、どう論じているのか。週末ニュースレターでは毎回、米国版Quartzが週ごとに公開している特集〈Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんに解題していただきます。今週は、リモートコミュニケーションによる働き方の変化をベースに、米大統領選討論会から、BLACKPINKまで。
──トランプ大統領が新型コロナに感染したことで、大騒ぎになっていますが、いかがですか?
うーん。どうなんでしょう。本日、土曜日の時点で、重篤の可能性があるとも報道されていますが、大統領選への影響は大きいんでしょうね。
──「国辱」と酷評された討論会の直後のことですし、討論会、どうなりますかね。
自分はトーク番組「レイト・ナイト」のホストのジミー・ファロンと「デイリーショー」のトレバー・ノアによるサマリーをYouTubeで観たほか、ソーシャルメディアに投稿されたニュース番組のハイライト映像を観たくらいなのですが、ふたりとも「CMがこんなに恋しかったことはない」と言っていまたし、映像を見る限り相当なものでしたね。ある英国のメディアは「今回の討論会の敗者はアメリカ国民だ」と評したそうですが、「政治討論会」というもの自体が、もはや意味をなさないんだなという感じは強くしましたね。
──討論会の結果が投票行動になんら変化をもたらすことはなさそうだ、という見解も新聞などでは多く見かけました。なんの意味があるんでしょうね。
理屈上は、さまざまな社会的イシューについて、それを改善するためのよりよい政策を戦わせることで、よりよい政策を提案した候補者に投票できるようにする、ということなんでしょうけれど、と言ってイシューごとに投票できる仕組みなわけでもなく、ものすごくざっくりしたところで選ばなくてはいけないことになりますから、候補者も相手との違いを際立てるためにエクストリームなことを言い募ることになりますよね。
トランプは、そうした対立軸をつくり出すことにかけては天才的にうまい人だと思いますが、コロナ対策における「マスク」が、そうした対立軸として有効だと見抜いた見立ては、言葉はあれですが、なんというか、感嘆してしまいますよね。
──不思議ですよね。なんでマスクをすることが「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」に抵触するのか、まるで謎です。
たしか『Fast Company』の記事だったかと思いますが、一定のアメリカ人がマスクを嫌う心理の奥底には、「イスラム嫌悪」や「科学嫌悪」といった要因が底流にあるのではないかと分析されていて、なるほどな、と思ったりもしました。
──へえ。
イスラム嫌悪ということについていえば、これはわかりやすい偏見だと思いますが、「顔を隠す」ことがイスラム教徒、特に女性が纏うブルカを想像させるようなところがあるんでしょうね、抑圧性の象徴だと感じることがあるようです。これはフランスをはじめ欧州で極右勢力が打ち出している「ブルカ禁止」の流れと通じ合う心性なのかもしれません。
とはいえ、こうした人たちが、トランプの言うように「法と秩序」を重視して、警察のミリタリー化を支持しているのは、なんだかよくわからないところもありまして、ミリタリー警察はもはや個々の顔なんかわからないように武装しているわけでして、それこそ、随分前にこの連載でもボブ・マーリーの「Burnin’ & Lootin’」という歌の歌詞を引用したこともありますが、そのなかでも「顔を見分けることができない」と警察のことを描写しているのですが、「抑圧」もしくは「画一化」というなら権力サイドの方が、よほど抑圧的なイメージを放っているはずです。
──その一方で、反社会的な勢力も「顔を隠す」じゃないですか。西部劇に出てくるような昔ながらの銀行強盗から、反体制ゲリラも、その正体がわからないように、顔を隠したりしますよね。
面白いですよね。顔というものが自己同一性、つまりIDのひとつの大きな根拠である以上、顔が発する情報性を隠すという行為は、たしかに政治的な意図をどうしたって発動することになるのかもしれません。映画「スター・ウォーズ」でも、帝国軍と反乱軍は、双方ともに顔を隠しますよね。ただ反乱軍は、個々人の個性を着るもので特定ができたりしますので、個々人の個性がより重視されている見え方にはなりますが、帝国側は、もうみんなが寸分違わぬユニフォームを身に纏っています。
──ユニフォームというアイデア自体が権力っぽいんでしょうね。
とするなら、マスクにそうした権力性を嗅ぎ取って、反発したいと感じる気持ちはわからなくもないんです。で、そうした反発により貢献しているのは、そこにある「官僚制」の匂いみたいなことなんじゃないかと思うんです。官僚主義と科学主義は、明確に通じ合っているもので、組織や社会を官僚制度でもって動かしていこうという発想の背後には、科学的合理性や科学的客観性を重んじるという姿勢がありますから、「マスクをしろ」という政策の背後に、そうした官僚的な科学性の匂いを感じとって嫌悪を感じる人が少なからずいる、ということもわからなくはないところもあります。
──トランプの支持は、官僚組織も含めた職業政治屋への嫌悪・侮蔑を基盤にしているところがありますしね。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の(アンソニー・)ファウチさんあたりをことあるごとに目の敵にする姿勢に、そうした戦略はよく現れていますよね。
だって、実際イヤじゃないですか。よくわからない科学者が出てきて、さも頭よさげに科学的言辞を弄して、自分たちに「ああせえ、こうせえ」というわけですよ。しかもこっちは科学音痴だったりして、そんな専門的な話は聞いたところで、わからないわけですよね。なもんで、「どうせわかんねえだろうけど」と言われているようで、バカにされたような気がして余計腹が立つわけですね。
──ですよね。それはそれでわからなくはないんですが、とはいえ、そうした帝国軍的な官僚主義に抗するのであれば、反乱軍側に身を置いてもよさそうな話になりそうなもんですが、どうもより強固に「秩序」を求める方向に傾斜するのは、よくわからないですよね。
これは先日亡くなったデイヴィッド・グレーバーが『官僚制のユートピア』という本のなかで指摘していたことですが、アメリカ人は官僚制というものが好きだし、それを扱うのは得意なんだけれども、自分たちはそうは思っていないというんですね。
──ははあ。
アメリカ人って分業とかマニュアル化とか、そういうことがやたらと得意なんですよ。組織マネジメントへの突出したオブセッションなども、言ってみればアメリカのお家芸みたいなところがあるように見えますし、対比的に英国を見てみますと、仕事をプロ化して分業化させていくことよりも、実ははるかにアマチュアリズムの感覚が強いように見えるんですね。
──意外といえば意外ですが。
この辺、実は自己イメージと実際とがズレている可能性があって、自分の価値観の反対にあるものだと思って敵視していたら、敵は自分だったというようなことがあるのかもしれません。自分が否定していたものを、実は自分が一番強く求めているといったような。
「帝国軍、クソだ!」と思って、みんなが反乱軍を応援しながら観ていたはずの映画を、実は多くの人が帝国軍に惹かれながら観ていた、ということはあるのかもしれません。そういう矛盾を、官僚制というものは、非常に強く抱かせるものだとグレーバーは指摘していまして、これは非常に重要な話だと思います。
──新自由主義を奉じている人が、一番熱心に国家の強い支配を望むというねじれは、コロナ下ではたしかによく見かけましたね。
それこそ、つい数日前に日本学術会議への参加を政権の意向で拒否されたことで名前の上がった宇野重規先生が『民主主義のつくり方』という本の中でこう書かれています。
「身のまわりの個人と力を合わせることができない諸個人は、遠い国家権力に依存することになる。たしかに民主的社会の個人は、特定の個人に依存することを非常に嫌う。それがただちに不当な権力の現れとしてみえるからである。ところが、遠くにある一般的な形式をとる権力に依存するのは、意外なほど平気である。それが非人格的なものにみえるため、人々のプライドを傷つけないからである」
──ふむ。とはいえ、トランプへの依存は、非人格的に見えるんですかね。
そこは、たしかに、いまの社会の複雑なところですよね。トランプや、安倍首相もそうでしたが、人格的に見えますからね。ただ、それがここでいう「力を合わせること」のできる相手としての個人かというとそうではないですよね。実際、この人たちの「人格」というのは、それを探ろうとしても立ち現れてはこないもだったりしますから、人格性と非人格性の境界を曖昧化してしまうところに、こうした政治家のマジックがあるのかもしれないですよね。あるいは、それはソーシャルメディアのような新しいメディアがもたらした効能なのかもしれません。
The virtual, borderless team
グローバル経済の再設計
──今回の〈Guides〉は、いまの論点にちょっとつながるところがあるかもしれないものでして、「バーチャル・ボーダーレス・チーム」というお題で、コロナがもたらしたリモート世界が、人びとの働き方や人との関係性をどう変えていくか、というテーマになっています。
はい。今回の〈Guides〉は、コロナによって人の移動がかつてほどできなくなっていくなかで、場所も、国籍も、文化も、技術的環境も異なる人びとがチームとしてあるプロジェクトを推進していく際に、必要なスキルや考え方どういったものかを考察した特集ですが、いわゆるトップダウン型の官僚モデルによるチーム運営が、コロナ後のグローバルビジネスにおいて困難になっているなか、何が今後のビジネスに置いて重視されているかといえば、先の宇野先生の引用にあったように、「身のまわりの個人と力を合わせる」ということなのだろうと思うんです。
──ふむ。
もちろん、コロナ後の環境において「身のまわりの個人」というのは必ずしも物理的に身のまわりにいる人ではなく、共にプロジェクトを推進していくチームメンバーということになりますが、この特集で語られることは、今後のビジネスのみならず、もしかしたら民主主義というものを考えていく上でも有用なものなのかもしれません。
──話が大きいですね。
というのも、この特集で何よりも重要視されているのは「信頼=Trust」というもので、これは、この連載でも何度か指摘したことありますが、国家におけるリーダーシップのあり方といった議論でも重視されているものです。
──「トラスト」、大事ですよね。
ここまで指摘した官僚的システムって、実は本来的には非常に「トラスト」の高い仕組みだったはずなんです。それは、人というものの「あてにならなさ」をできるだけ排除して、例えば誰かが突然いなくなったとしてもつつがなく仕事が遂行されるように設計された機械的なシステムだったわけです。
それはそれで相変わらず意味をもつ場合もあるはずですが、個々のワーカーを歯車として非常に細かく管理する必要がありますし、それが細かくなればなるほど、不測の事態への対応が効かない仕組みになっていってしまうというキライがあります。
──コロナによって起きたのはまさにそういう事態でした。
はい。個々のワーカーの管理がこれまでのやり方では行き届かず、かつ、家での仕事は絶えず家のなかでの出来事が仕事に介入してきますから、オフィスという仕事に特化した、ある種の無菌空間でワーカーが仕事に没頭するという状況が解体するわけですね。
実際に会ったこともない人たちと、情報の極めて少ない環境で、仕事を前進させなくてはならないわけですから、これは、どういう状況かといえば、「仕事」を「仕事」としてフレーミングしていた枠組みが溶け出しているということですから、大変な問題です。企業や組織がデジタルツールをより強固な管理ツールとして使ったところで、どうにもならない事態が起きるわけです。そうしたなかで、「信頼」が再設計されなくてはならないというのが、今回の特集の前提となっています。
──加えて、それが国境を跨いだグローバルチームとなれば、そこに時差、文化、技術環境の違いなどが関与してきますから、問題はより複雑ですね。
「グローバルチームはいかに素早く信頼を構築するか」(How global teams build trust quickly)という記事は、INSEADという組織で組織行動を専門に研究しているマーク・モーテンセンという研究者のことばを紹介しています。特集内において、これは最も印象的な言葉だと思いますが、彼は信頼をこう定義しています。
「信頼とは自分をどれだけリスクに身を晒す意欲があるかである」
──おお。いいですね。これまでの「信頼」って、主にリスクを減らすところに焦点があったように思うのですが、これはちょっと違った観点ですね。むしろ進んでリスクに身を晒すことだ、と。
これが実はそんなに難しい話ではないように思うのは、友だちができるときって、こういうものだったりしますよね。なんか困ったことがあったときに助けてくれそうだな、とか、助けてあげたいなと思ったりする人と友だちになるわけですし、友だちにならなくても、仕事で信頼できる人とそうでない人は、そういうところで分かれますよね。
──そうですね。
重要なのは、これまでのシステムが、そうした身のまわりの人との関係性に、できるだけ依存せずに済む仕組みを構想してきたのに対して、これからの働き方は、そうした人との関係性が中心に置かれることになってくることなのかもしれません。
──と言って、それ、どうやって実現するんでしょう?
あ、これは、アイデアとしてデカい割に、やることはそんなに大したことじゃないんです。要は個々のチームメンバーのことをちゃんと理解しよう、という話で、まずはそれぞれのワーキングスタイルやパーソナリティや、技術的な得意不得意をちゃんと知ろう、ということだったりします。先のモーテンセンさんが推奨しているアイスブレイクの方法は、各人が自分のホームオフィスをツアーすることで、本棚やレコードのコレクションや家事の痕跡などを見せることだったりします。
──ちゃんと腹を割ろう、みたいな話なんですかね。
だと思います。もちろんそれだけではないのですが、こうやって人となりを知ることで「相手の事情」を慮ることができるようになることが大事だとしています。「オレはこんなにやってるのに、アイツはサボってるんじゃないか」といった疑心暗鬼に陥ることは、リモートチームを崩壊させる大きな要因になりうるそうです。
──あるあるですね。といって、じゃあ、みんなを同じように管理しろ、というのも違うわけですよね。
「グローバルチームのリーダーたちによるリモートマネジメントのレッスン」(Lessons in remote management from the leaders of global teams)という記事では、仕事の環境をきちんと構造化する必要が論じられています。特にコミュニケーションにおいてはそうで、構造化・明文化されていないコミュニケーション空間は、見えないヒエラルキーによって支配されることになりがちだとしています。より平等で人が入りやすいコミュニケーション環境をつくるためには、役割、責任範囲、締め切り、規範、ワークフローなどが「ガードレール」として設定されることが必要だと、先のモーテンセンさんも語っています。
──やるべきことを明確化するということですよね。
ただし、そうしたガードレールはあくまでも透明なものでなくてはならず、また、柔軟に変更しうるものであるのが望ましいと語っています。「わたしたちはボーダレスなグローバルチームの黄金時代に入った」(We are entering a golden age for borderless, global teams)という記事は、ThoughtWorkという世界14カ国に7,000人の従業員を抱えるソフトウェアコンサルタント企業の北米CEOのことばを紹介しています。
「バーチャルなグローバルチームを抱えるということは、あらゆる業務に対して意識的になることを意味しています。どのようなデザインが必要かを考慮し、時差や言語を考慮し、ワーカーたちの仕事の前の時間、仕事のあとの時間についても考慮します」
──なかなか大変ですね。
リーダーやマネジャーたちが考慮すべき内容が突然増えて、それはそれで非常に大変だとは思うのですが、それはいままでに発生していなかった仕事が増えているように見えて実はそうではなく、実際は、表に見えず、暗黙化されていた規範や行動様式などが、全面的なリモート化によって表面化し、再考を迫られているだけと言って言えないこともないかと思います。
というのも、これまでにはない柔軟な働き方を個々人のワーカーに対して尊重し、より多様性のあるチームで仕事を遂行しようと、多くの企業が口では言っているもののなかなか実現できていない「働き方」を実装していたら、遅かれ早かれ、こうした「考慮」は必要になっていたはずだからです。
──多様性のあるチームであればあるほど、よりクリエイティブなアイデアが生まれる、といったことはよく言われますが、現実には、なかなか実現していませんよね。
女性や外国人が大半を占めるといった会議には、ほとんど出くわしませんしね。ただリモートによって海外の人たちとの接続性は上がっているはずですので、これを機にもっと多様なチームや会議が増えていくといいと思うんですけどね。「リモートワークがグローバリゼーションの新しい波をもたらす」(The next wave of globalization will be made possible by remote work)という記事は、こうした状況がもたらす楽観的な未来を、真の「グローバルビレッジの実現」という言い方で語っています。
もちろん、そうした状況を最大限活用できる企業や国、ワーカーにとっては、それはたしかに明るい未来かもしれませんが、そこからこぼれ落ちる国や人びとも出てくる可能性にも注意は必要で、実際IMFのリサーチによれば、テレワークによって収入格差が広がっているそうで、そうした問題に目を向けることの重要性を記事は強く説いてもいます。
──デジタルテクノロジーがもたらす効果が、逆に組織や国家を内向させるという方向に進むというわけですね。
「みんながグローバルなゲームに参加できるわけではない」という認識が、国家をナショナリズムに傾斜させている、という危惧が記事でも指摘されていますが、こうした内向化が、どんどん先進化していく国や組織との差をさらに大きくしていくのだとすれば非常に危険ですよね。
もっとも実際のところ、テレワークによってもたらされているだろうポジティブな効果は、まだ現れてはいないと上記の記事は書いていまして、ノースキャロライナ大学で国際ビジネスを研究しているヴァシル・タラス准教授のこんなことばを紹介しています。
「わたしたちはテクノロジーによってもたらされた新しいコネクティビティを有用化しているというには程遠く、相変わらず自分の朝食をFacebookに投稿することに使っている。だが、効果はやがて現れるはずだ。それは、やがて電気の発明に匹敵する効果をもたらすだろう」
──どうでしょうね。
難しいところですね。リモートワークの一般化は、仕事をより柔軟に、よりパワフルにしてくれるものである一方で、それは、「そこにいればお金がもらえる」という官僚的な仕事にくらべて非常に負荷の高いものとなっていきますので、そこに全員を参画させるというまでには、非常に多くの困難があるだろうことは予測されるだろうと思います。
ただ、ここで、もう一度、先の宇野先生のことばを思い出すのは大事だと思うのですが、今回の〈Guides〉で語られているのは、新しい弱肉強食の世界の到来ということではなく、むしろ、「身のまわりの個人と力を合わせることができない諸個人」が、「身のまわりの個人と力を合わせること」を回復していく運動だと、少なくとも自分は理解していまして、そこでいう「身のまわりの個人」は、もちろん、今回の〈Guides〉で見てきたように外国人でもいいのですが、それは物理的に身のまわりの人でもいいわけですから、小さいエリアのなかで運用するものでもいいと思うんです。
──言ってみれば、これまでの公助頼みの考えから、共助の仕組みをもっと有用化しよう、ということとも取れます。
そうですね。会社がトップダウンでもってワーカーたちの関係性を調停するのではなく、ワーカー同士の力でさまざまな問題をワークグループ内で調停していくような仕組みなのかな、と思います。大きな「秩序」をあてにするのではなく、小グループのなかで、個々人の事情や環境に見合った秩序を探る実験をしつづけるという考え方は、それこそ宇野先生の本でも、「実験としての民主主義モデル」という言い方で説明されていた内容にも合致するところがあるように思います。
──「自助・共助・公助」なんてことを言い出しちゃった政権なのに、なんで宇野先生を排除しちゃったんでしょうかね。
よくわかりませんね。ところで、ここから余談になるんですが、この金曜日に、ブラックピンクという韓国の女性グループが初めてのアルバムをリリースしたんですよ。
──はあ。いきなりですね。
このアルバムを聴きながら今回の記事を読んでいたのですが、わたしたちはとかく、アメリカ中心のポピュラー音楽世界というものを自明のこととして想定して、韓国のグループが、そのバリアをブレークスルーしたという見方をしがちだと思うんですが、今回の記事を読んで、本当はもっと違う見方もできるのかなと思ったりもしたんです。
──グローバルチーム、ということですか?
そうですそうです。ブラックピンクはYGエンターテインメントという韓国の大手レーベル/事務所の所属アーティストでして、Teddy Parkというラッパー/サウンドクリエイターを中心にして音づくりがされているのですが、彼を中心として制作にアリアナ・グランデやオススメのR&B歌手であるヴィクトリア・モネをはじめ、ゲストにセリーナ・ゴメスとCardi Bが参加して、と、それこそさまざまなバックグラウンドの人が入っていまして、もちろんいまどきのプロダクションシステムは、とっくにそうやって細かく分業化されたハリウッドシステムのようなものになってはいるのですが、なんか今回のアルバムを聴いていると、ちょっとそういう機械的なグローバルマニファクチャリングとは違うのかもな、と思うところもあったりしまして。なんというか、ゲストの参加の仕方とかも、もうちょっとちゃんと「トラスト」があって参加しているという感じがしなくもないんですよね。
──そうですか。
単なる贔屓目なのかもしれませんが、そもそも韓国語のアルバムですし、純粋に英米圏がターゲットというよりは、もっと意識的に「グローバルポップ」であるような感覚があるのかな、と思ったりしたんですね。ということを意識した上でのグローバルチームの編成なのだとすると、そこにはもしかしたら単に「アメリカ市場を制圧」という以上にポジティブな価値があるのかもしれません。
──BTSの人気ももしかしたらそういうところにあるのかもしれませんね。
「精緻なマーケティングをやって、お金をかけて世界のトッププロデューサーを使えば、ヒットソングをつくるのは簡単だ」という批判的な言い方もありうるとは思うのですが、それだけでヒットソングが生まれるなら日本人にだってできると思うのですが、それができていないところを見ると、それがそんなに簡単なのかとも思いますよね。
──ですよね。
そういえば、BTSが「BLM」を支持するといって1億円相当をぽんと寄付したことが数カ月前に話題になりましたが、その行動がなぜ好意的に支持されたのか、っていうことが実はこの間とても気になっていまして、要は、なぜ韓国人の彼らが語る「連帯」がグローバルな世界でレレバンスをもつのか、ということなんですが。
──単に時流に乗ったように見えなかったのはなぜかということですよね。
そうなんです。それと一緒で、ブラックピンクが、それこそレディ・ガガやデュア・リパ、そしてセリーナ・ゴメスやカーディBと共演することにさほど取ってつけた感がないのはなぜなのかは気になるんですよね。今回の〈Guides〉で見た「グローバルチームの黄金時代」という観点から、彼女らとその周辺の人たちのマインドセットや考え方を検討し直してみると、ただのグローバル商業主義とはまた違った見え方がするのかなと思っただけなんですが。
──面白いですね。気にしてみます。ちなみに今月の14日にはNetflixでドキュメンタリーも配信されるみたいですね。
その辺は、さすが、ビジネスとしても本当に周到ですよね。めちゃ楽しみにしてます。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともホストを務めるポッドキャスト「こんにちは未来」のエピソードをまとめた書籍が発売中。
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