A Guide to Guides
Guidesのガイド
Quartz読者のみなさん、おはようございます。世界はいま何に注目し、どう論じているのか。週末ニュースレターでは、米国版Quartzの特集〈Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんに解題していただきます。
──こんにちは。だいぶ寒くなってきましたね。
そうですね。
──最近は何で忙しいんですか?
この連載の単行本化の準備を進めていまして、この数日、ひいひい言いながら、過去の原稿を整理していました。
──単行本になるんですね。
そのつもりで動いてます。年内には出したいです。
Consulting’s new challenges
コンサルの持続可能性
──いいですね。読み直してみていかがですか?
うーん。どうなんでしょう。面白いような気もしますが、よくわかりません。とにかく、雑に書き散らしているものなので、あとで読み直すと何を言っているのかわからないところもたくさんございまして。あまり手を加えないつもりでいたのですが、結局、だいぶ手を入れています。言いっ放しの感じをできるだけ残したいので、論旨は基本、そのままにしてあります。自分でも、つまらないこと書いているな、と思うところも多々ありますが、それはそれで、そのときに思いついたことなので、それでいいや、と思っています。
──そのときの考えのまま残すということですね。
同時代性というのは大事なんだと思うんです。原稿を整理しながら、話題にしている内容のコンテクストが、もう1〜2年もしたらつかめなくなるだろうと思われるような部分が結構ありまして、そういうところこそがむしろ大事なのかな、と思ったりします。
世の中の出来事って、最初はあまり情報がないところで体感するしかないもので、俯瞰して見ることができるようになるのは、むしろあとになってからしかできませんよね。かつ、後に起こることによって、前にあった出来事の意味も変わってもきますから、後になってからですと、そのときの状況は見えなくなったりしますよね。11月のアメリカ大統領選で、誰が当選するかによって、ここで書いてきたことの意味も変わってきてしまうわけですから、11月以降には、意味を失うような内容もあるのかもしれませんが、そういう内容の方が、むしろ面白いはずなんです。
──過去が、未来によって常に上書きされてしまう、ということですよね。
先日、Big Thiefというインディロックバンドの動画を観ていたら、ボーカリストのエイドリアン・レンカーが、アルバムというものについて、「アルバムというのは、そのとき、その場所で起きたことであって、それ以上の意味はない」といったことを言っておられて、面白いな、と思いました。曲の選定や、その並び順といったものは、別にこれがベストというものはなくて、ほかに膨大な選択肢があって、アルバムというかたちになって提出されたものは、そのときその場の選択でしかないと彼女は言うんです。
「そのあとライブで、それらの曲を演奏していくのは、アルバム制作時には見出せなかった選択肢を、新たに探すようなものだ」とも言っているのですが、これはどういうことかと言いますと、物事には完成というものがない、ということではないかと思うんですね。
──ほお。
つまり、わたしたちは、出来上がったプロダクトというものは、選択に選択を重ねていった結果選びとられた「ベスト」なもの、あるいは「完全」なものと認識してしまいがちですが、そこに普遍的に客観的な判断というものはなくて、どちらかといえば、決断のすべてが「そのとき/その場」の状況との応答でしかないということなのではないかと感じます。
──あらゆる選択が、その場限りのものだということですね。
そうなんです。ですから、別にその選択でなくても全然いいんですね。ある時間においてしっくりくるものを選びとっていくと、その次にまた別の選択が生まれて、そうやって次々とドアを開けていくみたいなことじゃないかと思います。で、そのドアの先に、こんどはどんな選択肢が待っているのかは、本人もわからないんです。完成品というのは、あくまでも、その結果として出てくるだけのものなので、他の選択肢と比べて、それが優れているどうかもわかりませんし、その比較自体も意味がないんですね。そのときにふさわしいと思えたことをやるだけですから。
──ふむ。
音楽の世界では、アルバムづくりというものが、どんどんそういうものに変わってきているように感じます。つくってみたらできた。そのプロセス全体を「経験」したドキュメンタリーとして、“作品”と呼ばれるものが残った、と、そんな感じにどんどんなってきているように思います。作品主義から、どんどん離れているんですよね。
出版物でも、そういう感じのものをつくってみたいんです。ミックステープをサウンドクラウドにあげるとか、Spotifyにプレイリストをつくるみたいな感じですかね。
──プレイリスト、好きですよね。
好きですね。やたらとつくります。昨日は、俳優や女優の名前がタイトルになっている曲ばかりでプレイリストをつくってみました。
──SZAの「Drew Barrymore」とかですかね。
ご名答。
──それ、なんの意味があるんですか?
どういうプロセスでそれをやるかと言いますと、先日、Phoebe Bridgersの「Demi Moore」という曲を聴いていたらふと、「そういえば、俳優のフルネームがタイトルになった曲って、もしかして結構ある?」と思いたち、記憶をまさぐってみたら5曲くらい思い立ったので、プレイリストにしてみるかとなったわけです。そこから検索するわけですね。そうすると、知らない曲がいっぱい出てきまして、「へえ、面白い」と集めていくのですが、そうやっていままで知らなかったり、気にもとめていなかったアーティストの曲を聴くことになるのですが、そのプロセスのなかで、色々と考えたりするんですね。「なんでDanny Brownがモリー・リングウォルドの歌を歌っているのだろう」とか「アーネスト・ボーグナインについての歌って、どゆこと?」とか。
──謎だらけですね(笑)。
わけわからないんです。しかも、集めてみたところで、意味がないプレイリストにしかならないんです。ジャンルはまちまちですし、名曲揃いというわけでもありませんし。でも、それがかえって面白いんです。
プレイリストを編集する行為って、どこか合目的になるんですよね。「元気が出る!」とか「寝る前に!」とか。それって“機能”としてのゴールに、音楽を従属させることになりますよね。意味を制限してまうと言いますか。逆に「タイトルが人の名前」みたいなお題の設定は、面白いかたちでランダムなものになりますし、機能が発動しません。“意味”というものも、立ち上がってきそうでこないですし。そういうことを、“編集”という作業としてやるのは楽しいです。
──なんの話なんですかね、これ。今回のお題は「コンサルタント」なんですが(笑)。
なんの話なんでしょうね。
──いま、おっしゃったようなお話は、仕事には役に立っているんでしょうか?
わかりません。ただ、先ほどお話しした「作品主義」のようなものからの離脱という話は、自分の仕事に役に立つというよりは、仕事一般を考える上で、大事なことのような気がしなくもありません。
──そうですか。
作品主義というのは、完成品を最初に描き出して、それに向けてプロセスを構築していく作業だと思いますが、これからの時代は、実は、完成したモノの出来よりも、プロセス自体を重視していく方向に向かっていくのではないかと思います。それは、なぜかといえばとても簡単で、完成予想図というものをつくるのが、どんどん困難になっていくからです。
──予測不可能な時代、とよく言われます。
まさに、です。この困難は、例えば、不動産会社が手がける大型の開発などを見ているとかなり切実でして、2030年完成予定のプロジェクトの計画をつくる、というようなことを仕事としてやらないといけないんですね。
──それは厳しいですね。2030年を今想像したところ、なんの意味もなさそうです。
そうなんです。誰も2020年がこんな年になるなって思っていなかったわけですから。とはいえ、プロジェクトは動いていますし、手続き上の観点を考慮するなら、今から動かないとダメはダメなんです。
──苦しいですね。
そのときに、今までの“計画”をめぐるプロセスをやはり変えていかないと、思考も体もひたすらフリーズしてしまうことになってしまいます。完成予想図から逆算して「いま何をやるか」を考えるのではなく、「いまやれること」からスタートして、そこからはじまるプロセス自体を“開発”とみなしていくような、そういう思考の建て付けが必要になるような気がします。
──うーん。
「これからはモノ消費ではなくコト消費になっていく」といったフレーズを、この5〜10年、耳にタコができるほど聞かされてきたかと思いますが、要は、それと同じコトなのだと思います。ただし、これまでのビジネスは、そうは言いながらも、実際に「コト」を商売にすることは出来ていなかったように思うんです。
──と言いますと。
「コト」を「モノ」のように扱っていただけのような気がするんですね。「コトが大事」というなかで、イベントやフェスなど体験型のサービスに傾斜していく流れはあったと思いますが、それはよくよく考えてみると、「体験型のモノ消費」でしかないような気もします。「コト」をビジネス化するというのは、ほんとうはもっとラジカルなことのように思えるのですが、そのときに重要なのは最終的なアウトプットに意味を与えないことだと思うんですね。
──難しい話ですね。
「プロセスが面白かったらいいじゃんか」というようなことなのですが。そのプロセスを作動させるために、完成品としてのサービスやプロダクトが策定されるだけで、そのサービスやプロダクトは起点ではあっても、ゴールでも、中心点でもない、と考えるということです。
──どうしても、“ゴールがゴール”という考えに縛られてしまいそうになります。
コト消費という考え方のキモのひとつは、ゴールとされるものが、そこでつくられる「モノ」ではなく、むしろ、その「モノ」を通じて人に起きる「変化」だというところだと思います。これは、「アウトプット」と「アウトカム」の語の意味の違いとしてよく語られる対比なのですが、前者は、あくまでもあるプロジェクトを通じてつくられた「モノ」ですが、後者は「それを通じて起きる変化」を指していまして、まだビジネスセクターにまで深く入りこんでいる考え方ではないとは思いますが、公共セクター、もしくはソーシャルセクターでは、一般化している考え方です。
──ふむ。
ゴールはあくまでも、それを通じて起きるであろう「変化」ですから、「アウトプット」は望む変化が最も効果的に起きるなら基本的になんでもよく、それが最も効果的に起きる「アウトプット」が正しい選択という考え方になりますので、少なくとも、つくられる「モノ」の重みづけは、かなり相対化されます。
──最近、投資の世界では「インパクト」ということばがよく使われますが、今仰った「変化」というものと、これは対応していますね。
まさにそうです。SDGsやESGといった文脈で、広い意味でわたしたちの生きている環境の改善に寄与する取り組みに対して行われる投資を、インパクト投資と言いますが、現在ビジネスセクターで起きているのは、資金の流れが、どんどんそうした方向に向かっているということです。という意味で言えば、「変化」に寄与しない事業は、今後、どんどん資金が干上がっていくことにもなりかねません。
──モノからコトへ、というのは、そういう意味で理解すべきなんですね。
無理やりつなげるとそういうことになるのだと思いますが、少なくとも、インパクト投資という文脈においては、ビジネスセクターも「変化」にコミットせざるを得なくなりますので、「売れるプロダクトをつくればいい」という意味で、「アウトプット」にひたすらコミットしてきたマインドセットは、変更を余儀なくされるのではないでしょうか。
──今回の特集の内容に、だんだん近づいてきているようにも思えます。
どうでしょう。今回の〈Guides〉は、コンサルティングビジネスが、パンデミックによって打撃を受けている状況と、今後のビジネスの見通しを語っています。
「COVID-19下においてエッセンシャルなコンサルであるために」(How consulting is casting itself as essential during Covid-19)という記事には、こう書かれています。
「企業がコンサルを雇うのは、すべてを自分たちでカバーする知識も余力もないからだ。その欠如は常にある。であればこそ、コンサル業界は、パンデミックが終わったら(それが何を意味するのかにせよ)ビジネスは、すぐに上向きになると楽観視している」
──そうなんですね。
もちろん、COVID-19下の非常事態において、まずコンサルにかけていたコストをバッサリと落とした企業は少なくありません。デルタ航空やウェルズ・ファーゴなどが、コンサルタントにかけていた費用を大幅に削減するとされています。その一方で、自分たちのキャパシティを超える事態であればこそ新たな需要が持ち上がってもいて、資金繰りから社員のリモート対応まで、コンサルが求められる局面は多々あるとされています。記事でも指摘されていますが、現在のコンサルタントの仕事は、マネジメントや戦略に関わるものは当然ありますが、テクノロジーに関わる仕事も大きな割合を占めるとされています。
日本でも、政府主導で本格的に「DX」が進めば、企業も対応せざる得なくなりますから、コンサル需要は、一層高まることになるのではないでしょうか。
──間違いないですね。
世の中が、これだけスピーディに動いていきますと、企業はキャッチアップするだけであっぷあっぷになりそうですが、「DX」をすればことが済むのかといえば、そうもいかないと思います。というのも、この1年でクローズアップされた問題は、今後の企業のあり方を確実に変えていくようにも思うからです。
──と、言いますと。
Black Lives Matterの運動でクローズアップされた不平等や差別の問題は、今後の企業のガバナンスにおいて不可避の論点になるでしょうし、パンデミックによって進行したエネルギーシフトへの対応も同様に思います。ステークホルダーキャピタリズムといった論点も、おそらくデフォルトになっていくことになると思いますので、企業は、相当ドラスティックな転換を、DXと並行して行う必要が出てくるように思いますね。
──先ほど話題に出た「変化にコミットする」ということをより意識的に行わなくてはいけない、ということですね。
はい。先日、とあるIT企業の「サステナビリティ部」の方とお話をする機会があったのですが、その部門の仕事は何なんですかとお尋ねしたら、非常に秀逸な答えが返ってきまして、その方が言うには、「財務以外の企業のパフォーマンスを測定することですね」ということだそうです。
──って、それってめちゃ広くないですか。
広いんですよね。財務以外のところで、例えばエネルギー効率やプラスチックの使用や、社員の働き方、取引先との関係性の健全さと、膨大な領域をカバーしなくてはならず、そこにさらに機関投資家との対応などを、それこそESGといった文脈で相対する必要も出てきます。
──大変じゃないですか。
そうなんです。逆に言いますと、その領域は、おそらくほとんどの企業が、完全にガラ空きの状態になっているともいえます。
──ヤバくないですか?
聞くところによりますと、これまで、こうした領域をカバーしていたのは、いわゆるCSRと呼ばれる部門だったそうで、こうした部門は、ことばは悪いですが、本業に対する余技のような位置付けのなかで、窓際に近い扱いをされてきましたが、企業のパフォーマンスが財務一本だったところから、より包括的に360°から測られるようになってきますと、「非財務におけるパフォーマンス」を測定する部門は、財務と並ぶ基幹部門になっていく必要が出てくるように思います。
──そこまで行きますか。
例えば、BLMのような運動に対してどのようなスタンスを取るかは、すでにして、単なるコミュニケーション戦略を超えて、経営戦略そのものに大きく関わってくるようになっています。これは、第22回「テレビ広告の進路」でお話したことですが、人種問題に絡んで、いわゆる美白化粧品が槍玉に上がった際に、ジョンソン&ジョンソンが、問題になった化粧品を廃止したのに対し、ユニリーバは「リブランディング」という対応を取ったことで猛烈に批判を浴び、明暗を分けました。
──ジョンソン&ジョンソンをそれを根本的な経営戦略で捉えていたのに対し、ユニリーバはそれを、コミュニケーション/ブランディング戦略で収めようとした、という違いでしょうかね。
そう思います。ユニリーバにしては珍しい失策のように思いますが、イシューの重大性を見誤ったんでしょうね。これまで、こうした問題への対応は、各部門に任されていたのかもしれませんが、そうした対応が商品ラインナップの変更にまで及ぶのだとすれば、経営になるべき近いところに置かれる必要が出てくるのかもしれません。
──とはいえ、日本にそんな部門を取り仕切れる人っているんでしょうか?
先のIT企業の人は、「自分しかいないですね」と冗談でおっしゃっていましたが、半分は冗談でもなさそうでした。聞けば海外ですと、国際NGOのトップなどが、大手民間企業のチーフ・サスティナブル・オフィサーとして呼ばれるようなことが起きているようですが、財務から環境、人権といった領域をカバーできる人材は、きっとすぐには見つからないでしょうね。
──とすれば、そこもまたコンサルの出番ですね。
そうですね。ただ、今お話したような、労務管理まで含めた広義の意味での経営のサスティナビリティに向けたトランスフォーメーションを担える人は、コンサル業界にもそんなにはいないのではないかと思いますが、そこを強化できたら、きっと儲かるようにも思います。そのときはおそらく、コンサル業界も「変化に向けたコミット」を強いられることにもなるはずですから、まずは、そうした未来に向けてコンサル業界自身が変わっていく必要があるのかもしれません。
──コンサル業界自体のESG対応が必要ということですよね。
少なくとも、クライアント企業にそれを促すなら、まずは自分たちから、ということになりのではないでしょうか。
──コンサルタントにも当事者性が求められるということですよね。
そうでしょうね。これからの社会は、非当事者という抽象的な立場から、何かを言うのは、もう本当に難しくなってくると思います。
ちなみに、今回の特集では、経営者のストレスマネージメントなどを行う、いわゆる「コーチング」の専門家6人のインタビューを掲載した「6人のエグゼクティブコーチ(とそのクライアント)のパンデミック対応」(How 6 executive coaches (and their clients) are handling the pandemic)」が面白かったのですが、上役に対するコーチングのようなことが、ここに来てますます重視されてきているのは、前提として、今言ったように、「企業を変えていくなら、まずは人が変わっていかなくてはならない」という考え方があるからだと思います。社内の不平等などが問題になっている状況下にあっては、特に上役の一挙手一投足が地雷になる可能性がありますので、あらゆるハラスメントを組織内から除去していくためには、まずは経営陣に向けた指導が必須事項にならざるを得ませんよね。って、自分のようなパワハラ気質の人間が言うのもなんですが。
──コーチングとか、受けようとか思います?
それこそ先日、友人と会食していてある発言をしたところ、それは「女性差別でパワハラ」だと厳しく詰められまして、それにまた自分が、ムキになって反論したので余計みっともないことになってしまったのですが、おそらく、こうした状況は、自分だけでなく、世のおじさんのすべてが、あらゆる空間で頻繁に出くわすことになるかと思いますので、少なくとも、そうしたときの対処を身につけておく必要があるようには感じました。
──そうですか。
といって、別に殺伐としたわけでもないのですが、相手の女性が言うには、彼女も「ダイバーシティ」に関してコーチングを受けたそうで、面白かったそうなんです。彼女は、それは言ってみれば一種の振る舞いのレッスンであって、さまざまな局面における、振る舞いの引き出しをもつことはためになるというんです。
──そうなんですね。
最初の方でお話した、「コト」が中心になっていく世界像というのは、決まった人たちと決まった暗黙の了解のなかで「モノ」をつくっていくのではなく、ハプニング的に自分の知らない人や対象と向き合うなかで体験を共有していくことが真ん中に置かれる世界なのだろうと思います。仕事というものも、どんどんそういった方向に動いていくのだとすれば、そうした環境における、振る舞い方は、スキルとして重要なものになっていくのは、間違いないだろうなとは思います。
──他者とコラボレーションするためのスキルみたいなことですよね。
「相手の言ったことを決して否定しない」といった簡単なルールでも、なかなかうまく実行できなかったりしますよね。そういったことを、自然にできるようになるためには、それなりの訓練と習慣化が必要なのだろうな、と最近は思い始めたりしています。
──意外ですね。
それこそ前回の「データの洪水」で、これからの時代は「属性データ」ではなく「行動データ」が重視されると書きましたが、「属性」という考え方は、言ってみれば、その人の「モノ」としての定義ということじゃないですか。一方で、行動は「コト」のなかに自分を置くということで、それは周りとの関係性をめぐる動きですよね。おそらく、そっちの方向に、自分の興味が傾斜しているということなんでしょうね。
──面白いですね。
コロナのさなかに自分が仕事として始めたプロジェクトは、どれもがそういうものなんです。行動そのものに意味があって、そこから生まれるアウトプットは、どちらかというと二義的なものだったりします。「これ、なんのためにやってるんだっけ」と、ずっと思いながらやっているんですが、それをずっと考えるためにやっているようなものです。この連載も、実際、そんなものなんですよね。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともホストを務めるポッドキャスト「こんにちは未来」のエピソードをまとめた書籍が発売中。
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