A Guide to Guides
週刊だえん問答
週末のニュースレター「だえん問答」では、世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題します。今週は「家をもっと快適にする」と題した特集について、2回に分けてお届けする前編です。
──こんにちは。いま、この対話をやっているのは2月6日の土曜日ですが、森喜朗元首相の騒動がまだ炎上中です。いかがご覧になっていますか。
そうですね。森元首相の失言といいますか放言につきましては、一定の世代よりも上の方にしてみると「またか」というものでして、ソーシャルメディアを見ていましたら「森元首相の失言で打順を組んでみた」というツイートがあって、それは非常に面白いものでしたが、これだけ数多くの失言を重ねても「余人をもって代えがたい」重鎮として、相変わらず重宝されていることに、ここにきて、改めて無力感といいますか、虚脱感を感じますよね。
──ほんとですね。ちなみに、その「打順」はどんなものだったのですか?
4番ファーストが「神の国」発言。今回の発言は8番キャッチャーで、9番ピッチャーが浅田真央さんについて語った「あの子、大事な時に必ず転ぶ」発言、でした。
──あはは。って、笑っている場合でもないですが。
もちろん、森さんの発言の呆れるほどの無神経さには、もう本当にいい加減にしてくれと思いますし、ああいう時代からズレた権力者の発言や態度に、勤め先などで実際に苦しめられている方もたくさんいらっしゃると思いますので、こうした炎上が、そうした方々に引導を渡すきっかけになってくれることを強く望みたいところではあります。とはいえ、結局謎なのは、いったいなんのためにそれを言っているのか、まったくよくわからないところなんですよね。あれだけオリンピックの開催に情熱を燃やしているとおっしゃるわりには、ただでさえ世論の支持を得るのに四苦八苦している状況をむしろ悪化させてしまう発言を平気でしてしまうのが、どういうモチベーションに基づくものなのか、本当に理解に苦しみます。
──「森喜朗は、自ら体を張って、五輪を中止に追い込もうとしているのだ」なんていう穿った意見も、半ば冗談として見かけますね。
これは菅総理のコロナ対策でもそうですが、「五輪をやる」と強弁されるのはいいのですが、その割には、「何としても五輪を実現する」ための対策になっているようには見えませんし、結局のところ、五輪をやりたいのか、それとも本当はやりたくないのか、よくわからないんですよね。
──たしかに。
長い目で、日本のスポーツ全体の利益を考えたら、もちろんいつまでも森さんをトップとして担いでいるのは害悪でしかないと思いますので、とっととその座を後継に明け渡したらいいとは思いますが、短期的にオリンピックだけを主題にして見てみますと、森さんを辞めさせることの実際の効果がどこにあるのか正直よくわかりませんし、わたしのようにハナから「そもそもオリンピックなんてやらんでいいだろう」と思っている人からすると、森さんが辞めて「さあ、問題あるトップも消えたので、ここからは一丸となってオリンピック開催に向けてやっていきましょう」となるのもまっぴらごめんなんですよね。逆に、開催大賛成という人にとっても、森さんの去就によって何がもたらされるのかよくわからないと思いますし、その結果、オリンピック開催の願いが果たされるのか、そうでないのか、判定は難しいですよね。
──森さんの発言に心を痛めている人は、オリンピック以前の問題として「辞任すべきだ」と考えていると思いますが。
それはその通りなんですが、とはいえ、JOC側からすると、辞任云々の判断は明確にオリンピック開催の現実性のレベルにおいてしか、もはや判断できないと思いますので、そこはおそらく議論がズレちゃうでしょうね。
──ふむ。
それこそ今日は、『東京スポーツ』に柔道の元世界チャンピオンの山口香さんのインタビューが掲載され、大変な勢いでバズっていましたが、山口さんの勇気に感銘を受けつつ、その皮肉の効いた諌め方のうまさに舌を巻きはしたのですが、一カ所、「森会長が自ら外れていただければ、五輪はかすかに希望が残る」と仰っているところが個人的には気になりまして、ここが具体的にはどういう意味なのかがよくわからないんですよね。
──はあ。
というのも、そもそも「五輪をめぐる状況」というものが、実際、この時点においてどういうものなのかが、わたしたちにはまったく見えていません。山口さんのご意見を語義通りに取るならば、五輪開催はすでにして「かすかな希望」すらない状況に陥っているということになりますが、そうだとするならば、何をもって、そういう状況になっていると言えるのか、また、なぜそんな状況になっているのか、説明が欲しいですよね。かつ、森さんが辞任することで、希望がかすかに残るのだとすれば、その希望となる活路がどういうものなのかを、知りたくもなります。というのも、基本、ずっと、五輪開催に向けてロクな対策をやっていないようにしか見えていないのが「開催反対8割」が表していることだと思いますので、森さんがお辞めになると、どんなふうにその状況が改善するのかが見えない限りは、賛成派にしろ反対派にしろ森さんの去就の是非を合理的に判断するのは困難ですよね。といって、森さんを擁護したいわけではないですし、森さん以外には五輪は誰も仕切れないと言いたいわけでもなく、そもそもこの時点で、開催に現実味があるのか、すでに現実味を失っているのかという現状感がわからないんですね。
──実際のところ、どうなのでしょうね。
つい先日、2月3日に、IOCとJOCとが共同で五輪開催のための「プレーブック」(=規則集)の第1弾が発表され、開催にあたってのルールが明かされたのですが、ご存知ですか?
──いや、気づかなかったです。
ですよね。参考までに『毎日新聞』の記事から、主だった条項を引用しておきますと、こんなことが「プレーブック」には記載されています。
【プレーブックの主な項目】
- 出国前14日間の健康状態チェック
- 出国前72時間以内に日本政府が承認した検査を受ける
- 日本到着後14日間の活動計画書を提出
- 接触確認アプリ「COCOA(ココア)」をダウンロード
- 許可なしで公共交通機関を使用しない
- 入国後14日間は観光地やレストラン、バーなどを訪問できない
- 選手とは2メートル、それ以外の人とも1メートル以上の距離を保つ
- 大会期間中、定期的に検査を受ける
- 体温37・5度を超える場合は会場への入場不可
(「重大違反、五輪参加取り消しも 競技スタッフ、新型コロナ感染対策規則集公表」毎日新聞、2021.2.4)
──ちゃんと機能していない状態が4カ月放置されてきた「COCOA」をダウンロード、とか泣けてきますね。
このプレーブックにつきましては、いくつかの海外メディアが分析をしていますが、開催まであと170日のところで、たった32ページの中身の恐ろしく薄い運営マニュアルしか出て来なかったことにかなりの警戒感を表しています。『The New York Times』の記事は、選手全員をチャーター機で移動させる厳重な体制で開催したにもかかわらず感染者が出て大きな問題となったテニスの全豪オープンの主催者のインタビューを行っていますが、その人物のことばは、東京五輪が置かれている困難を端的に表しているように思います。
──ほお。
「五輪開催に向けた努力のなかで、オリンピック関係者は、隔離期間を設けるためにトーナメント開催2週間前に1200人の選手やスタッフを飛行機で迎え入れるべく数百万ドル費やした全豪オープンの主催者、テニス・オーストラリアの助言を仰いでいる。
テニス・オーストラリアのチーフエグゼクティブのCrag Tileyは、全豪オープンのプロトコルは、オリンピック規模のイベントに適用できるようなスケーラブルなものではないと語っている。
『東京オリンピックの関係者からたくさんの問い合わせがあった』。Tileyは、全豪オープン開始前に行ったオンラインインタビューでそう語る。『何かアドバイスはないかと聞かれたが、「グッドラック」としか答えようがなかった』」(Motoko Rich, Andrew Keh and Matthew Futterman「Tokyo Olympics Playbook: Testing? Yes. Quarantines? No. Fans? Maybe.」The New York Times、2021.2.3)
──グッドラック、ですか(苦笑)。言うなれば、この状況下で五輪規模のイベントの実施は、もはや完全に未知の領域ということですよね。
ということなんだな、と自分も改めて思いました。
──感染者が減ったら余裕で実施できる、というものでもないということですね。
それこそNBAが実施したバブリングのような参考にすべき成功例はあったとしても、それを即オリンピックに適用できるのかというとそうではない、と少なくとも全豪オープンの方はおっしゃっているわけですね。だとすると、これはもはや前人未到のオペレーションということになるのでしょうから、森喜朗云々を抜きにして、そもそも、この国でそんな離れ業をやってのけることができるのか、と思ってしまいます。
──たしかに。選手たちに外食、公共交通の利用を一切禁止して完全隔離したとしても、16万個のコンドームが用意されると言われる場所ですから、ひとりでも感染者が出たら一気にクラスター化しそうですし、万一そうなったとしても感染していない選手を選手村の外にも出せないのだとすると、選手村がダイアモンドプリンセス号とは比較にならない巨大シャーレになってしまいそうですね。
そうなんですよね。NBAは安全衛生プロトコルを破った選手に対して5万ドルの罰金を課しているそうですが、オリンピックでそれができるとも思いませんし、じゃあどうやって選手たちにルールを遵守してもらうことができるのか、考えてみただけで頭が痛いですよね。
──警備にあたる人たちがツライことになりそうですね。
そうやってシロウトがさまざまなシナリオを思い描いてみただけでも、相当複雑で困難なオペレーションを要することが想像できますよね。にもかかわらず、日本の状況はといえば、病床も医療従事者の数が逼迫しているとされ、ワクチン接種は先進国きっての遅さ、感染追跡アプリの運用についても「ずさん」なんていうことばでは済まないほどのずさんさで、かつ、コロナ以前から問題とされてきた猛暑対策なども、何がどの程度進んでいるのかよくわかりませんから、本当に、これは歴史的惨事になりうるのではないかと改めて悪寒が走ります。
──こういう比較は大変失礼ですが「ファイアー・フェスティバル」以上の惨事になりうる感じですね。
ほんとですね。もっとも、こうした話は、本質的には、森元首相の発言とはある意味無関係ですから、森発言については、それはそれとして追求すべきとは思います。
──あの発言は、実際どこが問題だったと思いますか?
個人的に一番引っかかったのは、問題発言の冒頭にあった「女性理事を4割というのは文科省がうるさく言うんですね」というところなんですよね。
──変なところに引っかかりますね。
というのも、これってハナから、国の方針を公然とくさしているわけじゃないですか。こうやって、「政府、もしくは国としてはかたちとして男女平等とか言ってるけれど、現場レベルではいい迷惑なんだよね」という認識を是認して、男女比の是正というお題目が「ただの建前である」ことを、自分たちの同類であるような人たちに向けてメッセージを送っているところの隠微さが、いかにも日本的と言いますか、イヤなところだなと感じます。こうやって「建前」と「本音」を切り分けることで、理事会や、はたまた会議というもの全般を有名無実化・空疎化させていくわけですね。その一方で、「本音」の部分は密室化されたサロンと言いますかボーイズクラブで語られ、しかも、その「本音」に則って閉鎖空間のなかで意思決定が行われるわけです。
──まさに昭和スタイル。
これは、何もJOCに限ったことではなく国会議員や政権与党が率先してやっておられることで、「閣議決定」を乱発することで、国会の場であったり、記者会見の場であったりを有名無実化している流れと完全にシンクロしています。また、この間「会食」というものが問題化し多くの国民の不信感を集めているのも、「会食」が、まさに「密室化で交わされる本音」に基づいて意思決定が行われているような空間であるように見えているからだと思いますし、かつ「会食自粛」はあくまでも国民向けの建前で、自分たちは適用除外されているとする考えは、森元首相の発言と、まったく同じですよね。
──なあるほど。
今回の問題でのひとつの重要な根幹は、そうやって「意思決定のプロセスが男性に独占されている」という点にあるのだとは思いますが、とはいえ、森元首相に反発している女性の側が主張しているのは、「その密室のプロセスに女性も参加させろ」ということではないように思うんですね。むしろ、そこで主張されているのは「透明なかたちでやれ」ということなのではないかと思います。
──橋本聖子五輪相などは、その密室プロセスに入っていそうですが、みんながあれになりたいわけではないのですよね、きっと。
JOCの山下会長が2019年に理事会を非公開化する提案をした際に、それに公然と反旗を翻したのが、山口香さん、高橋尚子さん、小谷実可子さん、山崎浩子さんの4名だったとされていますが、いま起きている事態から、改めてこの出来事を振り返ってみると、やはりとても象徴的な気がします。
──なるほど。にしても、この4人の顔ぶれ、なんかいいですよね。ちょっと清々しい気持ちになります。
それは、もしかしたら、彼女たちの主張が、ただ一元的に「女性が差別されている」ということを言っているのではなく、むしろ多様な声を意思決定に反映させるための条件として、透明化、オープン化を実現しろ、ということを主張しているからなのかもしれません。というのは、いくら女性が増えたところで、結局どこかの別室で結論がくだされ、会議はあくまでシャンシャンと手打ちをする場である限り、女性が増えたところでなんの意味もないじゃないですか。会議という場の意味、意思決定のフェアネスをきちんと回復させるためには、透明性やオープンさはまず不可欠な条件なんですね。
──男性がどう、女性がどう、と、そういう対立ではないわけですね。
これはこの連載でも何度も語ってきたことですが、「インクルージョン」というお題目を真に受けて、それが実現するような社会をつくっていこうと思えば、女性がインクルードされたらそれでおしまい、とはならないわけですよね。社会の半分を占める女性をロクにインクルードできない社会が、意志決定のプロセスから排除されているその他のステークホルダーをインクルードできるわけもないと考えれば、女性のインクルージョンははじめの一歩でしかないとも言えますし、若者、障害のある方、外国の方、LGBTQの方等々までが幅広く参加していることがJOC理事会が本来的に目指すべき「インクルーシブ」な状態であるのだとすれば、まだまだ到達すべき先は長いわけですよね。
──なるほど。
ちなみに、これは余談ですが、「透明性」ということで言いますと、聞いた話では、ある地方銀行は行員全員に向けて取締役会をライヴ配信しているそうなんですが、そうやって透明性をつくっていくと、そこで行われた意思決定の合理性や公平性が詳らかになりますから、こそこそと腹芸で物事を進めていくことは困難になるはずです。
──いいですね。先進的じゃないですか。
みんなにとって住みやすい社会が、なにも「先進的な社会」である必要はないと思うので、よそと比べて「遅れている」からいって、それが即ダメだという話にもならない気はしますが、とはいえ、これだけグローバル化が進行してしまった世界で外の世界のスタンダードが見えなくなってしまうと、あらゆる領域でツラい状況にはなるでしょうね。なんにせよ、要はどういう状態を望むのかという意志の問題だと思いますが。
──ずいぶん前に「おっさんをどうにかしないとやばいよ」という趣旨の原稿を書かれていたと思うのですが、森さんはすでに爺さんですが、それにぶら下がっていそうな問題ありそうなおっさんたち、政治家や企業人から一般の方々まで、「やばい人たち」がたくさんいると思うのですが、そうした人たちの毒を解除しつつ、かつ、その人たちをどうやって社会に再インクルードするのかは、なかなかの難題ですよね。
つい昨日だと思いますが、俳優の高地東生さんのインタビュー記事がちょっとバズっていましたが、これは「『陰謀論を信じかけていたんだよ』俳優はなぜ、告白したのか?」というタイトルの素晴らしいインタビュー記事でして、高知さんがコロナ禍のなかYouTubeなどを見ていくなかで、徐々に陰謀論に傾倒していった顛末が赤裸々に語られているのですが、下手をすると多くのおっさんが陥りかねない隘路かもしれませんので、よくよくおっさん方に読んでいただきたいものだと思います。
──高知さん、本当に率直に語られていて、それ自体がある境地を表していましたよね。
そうなんですよね。依怙地なところがまったくなくて、素直に自分がどういうふうにラビットホールに落ちていったのかを語る、その語り口そのものを見習いたくなりますよね。高知さんはTwitterで「若者のネットリテラシーはよく話題になるけど、あれ大人が勝手に言ってるだけで、実はネットネイティブの若者より、俺たちおじさんのネットリテラシーの方が余程危険じゃないかな」と語っていますが、それをインタビューのなかでこんなふうに補足しています。
「僕らの世代は、まだガラケーを使っている人もいる。そんな中でTwitterのアカウントや依存症に関するチャンネルをYouTubeに持っているだけで、僕は今の時代に付いていくことができていると思っていたんです。でも、これはただの勘違いでした。実際は全然わかっていなかった」
「──YouTubeでは見ていた動画に近いものが関連動画に表示されるということは今回の出来事以前は知っていましたか?
知りませんでした。そんなことも知らないのに、ネットの世界のことをわかっているつもりでいた。とんでもないですよね。何もわかっていませんでした。何十万回も再生されているという再生回数も信用度数のようにも感じてしまっていました。多ければ多いほど、この人の発信はすごいのかな。じゃあ信用もできるんだろうなと。でもね、再生回数は真実であるかどうかではない。どんなサムネイル画像で人の目を引きつけるかといったテクニックによって得られるもの、見てもらうための戦略であり仕組みですよね」(千葉雄登「『俺、陰謀論を信じかけていたんだよ』俳優はなぜ、告白したのか?」BuzzFeed、2021.2.5)
──レコメンデーション・アルゴリズムがもたらすフィルターバブルの問題は、これまで世の中でさんざん指摘されてきたように思いますが、それでもそうなるのか、と驚きましたが。
といって、高知さんを情弱と嗤う気にもなれないのは、自分も含め、誰しもが「僕は今の時代に付いていくことができている」と思っているはずだからなんですよね。しかも、高知さんが指摘している通り、YouTubeはとりわけ「この真実にたどり着いたのは俺だけだ」という感覚を強くもたらすもので、あくまでも比喩として言いますと、掘れば掘るだけ脳の「報酬系」が活性化するような感じがあるのだろうと思うんです。そこに、自分が、それなりに生きてきたという自負なりが重なってくると、これまた高知さんのことばを使わせていただくと「自分は特別だって感じ」が強まっていくことになってしまうんですね。
──うーん。しんどいですね。
怖いですよね。ぶっちゃけ自分だってもういい歳ですから、「今の時代に付いていく」ことが本当にできているのか、不安になることは多々ありまして、その不安こそがYouTubeからしてみると格好の餌食なわけですから、不安が昂じたからといって、情報を頑張って取りに行くのも藪蛇になりかねないわけですね。といって、いま起きている変化をあまり過小評価していると、本当にトンチンカンなことしか言えなくなるというのもまた事実ですから、本当に難しいですね。
──どうしたらいいのでしょうね?
うーん。ひとつ、最近思うのは、奇しくも高知さんがおっしゃったリテラシーということばがもたらす弊害でして、『週刊だえん問答 コロナの迷宮』の巻末に収録したインタビューのなかでオードリー・タンさんは、「リテラシー」ということばを使うことを慎んで、代わりに「コンピテンシー」ということばを用いることを推奨しています。
──ええっと。ここですね。「私たちは『リテラシー』という言い方をせず『デジタルコンピテンス』および『メディアコンピテンス』と呼んでいます。『リテラシー』という言い方は、ユーザーが読者や視聴者といった受け手であることを前提としているからです。コンピテンシーは『能力』や『適性』という意味ですが、『あなたがつくり手である』ということを意味しています」。
そうなんです。ここはインタビューしていたときはしれっと受け流してしまったのですが、改めてとても大事なところでして、デジタルテクノロジーの重要な価値は、まさに人のリテラシーを高めるところではなく、人のさまざまなコンピテンシー、つまり能力を拡張してくれるところなんだと思うんですね。かつてであればテレビ局にしか「テレビ番組をつくること」はできなかったのが、いまは誰もがつくることができるわけで、それによって情報空間がカオスになっていくことが起きたりするわけですが、一方で、それによってもたらされている価値は、非常に些細なことではありますが、実際多くの人が動画の撮影・編集から配信のスキルを向上させているということでして、例えばK-POPのファンコミュニティでは、みんながただ与えられた動画を摂取しているだけでなく、自分たちで新たなテーマや切り口から編集を加えて解説動画を作成してみたり、字幕や翻訳をつけたりして、個々人でそれぞれのコンピテンシーを発動することでファンコミュニティに個々人のやり方で貢献しているわけですね。
──たしかに。ヒマなヤツがいるなあ、と思いながら、面白いファン動画はありがたく観ちゃったりしますが、たしかにそうした空間のなかで、きっとみんなのスキルが向上しているのは間違いないですよね。
分散して個々人が保有するコンピテンシーがコミュニティのなかで集約され、コレクティブとして価値をうんでいくというのは、やはり面白いところで、そうやって自分なりのコンピテンシーをどう生かしていくかを考えていく方が、おそらく、リテラシーという観点から一生懸命「受け手」としての自分を向上させていくかを考えるよりも精神衛生上いいのではないかと思えたりします。
Finding happiness at home
ホームリノベの効能
──ふむ。なるほど。って、結局、今回、一向に〈Field Guide〉のお題であるところの「家をもっと快適にする」(Finding Happiness at home)に辿りつけていませんが、どうしましょう(苦笑)。
すみません(苦笑)。今回の〈Field Guides〉は、ロックダウンの影響から、家をもっと過ごしやすい空間へとつくりかえようとする人が増えている、という状況を受けての特集ですが、「ロックダウン生活の課題をDIYで解決するデザインチャレンジ」(A design challenge helps DIYers solve the problems of lockdown life)という記事で指摘されているのは、ロックダウンによっていわゆるホームセンターの売り上げが急増していることからも見られるように、「DIY」で自分の状況や環境を改善しようとする動きが活発化しているということでして、言われてみると、自分でマスクをつくったりといったことから、見よう見まねでYouTubeで映像配信をやってみようといったことまで、ここ日本でも、コロナによる制限のなかで、これまで普段やってこなかったことにチャレンジする機会は増えているはずなんですね。
──たしかに。
それは、おそらく世の中全体が、これまでとは異なるコンピテンスを身につけ始めているということだと思いますので、それをポジティブな動きとして社会のなかに定位することは大事なのではないかと思うんです。
──よくわかりませんが、そうした新しい能力を身につけていく作業が、これからの新しい社会を生きていく上での練習になっているような、そんな感じがちょっとしますよね。
ああ、たしかにそうですね。これまでの仕組みがとことんダメになっているのだとしても、「はい、今日から新しい社会です」というふうには人も社会も変われはしないわけですよね。昨日までサッカーをやっていたのが、今日からバスケになります、となったら、それにはそれなりの準備や訓練が必要になりますよね。
──きっと長い練習期間になるんでしょうね。
特に自分みたいなズボラなおっさんにはツラいですよ。正直。でも、まあ、どうせ長い道のりだから、時間がかかってもいいということなら、重い腰を少しずつあげられるかもしれないですね。
──ひどく弱気な(笑)。
いや、だって、自分を変えるって、言うほど簡単じゃないですよ。
──そらそうですね。ひとまず今回はここまでにして、次回に「家をもっと快適にする」の続きやっていいですか。
はい。そうしましょう。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子さんとともホストを務める「こんにちは未来」をはじめさまざまなポッドキャストもプロデュース。これまでの本連載を1冊にまとめた『だえん問答』も好評発売中。
🎧 月2回配信のPodcast。最新回では、編集部の2人がいま話題の音声SNS「Clubhouse」などについて雑談しています。Apple|Spotify
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