A Guide to Guides
週刊だえん問答
週末のニュースレター「だえん問答」では、世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題します。今週は、ビッグビジネス化した「マッチングアプリ」について。本来、多様であいまいなはずの「出会い」を再考します。
──ご機嫌いかがですか?
なんだかとても忙しくて、結構しんどいです。
──仕事が忙しいのですか?
そうですね。
──何よりじゃないですか。
まあ、そうとも言えるのですが、どんどん注意力が散漫になっているような気もします。なんというか、色んなものの締め切りを、次から次へとやり過ごしている感じで。ゆっくり落ち着いて考えて、何かを提出する、という感じがないんですね。
──これまではそうしていた、ということですか?
えーっと……。まあ、そう言われると、以前とあんまり変わっていないような気もしますね(笑)。お尻に火がついてバタバタバタっと案件を終わらせていく、という感じではありましたので。
──じゃあ、あんまり変わらないじゃないですか。
たしかに(笑)。じっくり準備して、期日までに着実に仕事を積み上げていく、みたいなやり方は、どうもあんまり得意じゃないんですよね。そういえば、この間、どなたかが面白いことを言っていました。おそらく欧米のことを言っていたのだと思いますが、海外でのプロジェクトの進め方って、最初の20%のところを、まずはガーッと固めてからしばらくほったらかしにしておいて、期日が迫ってきたら、残り80%をドドドっと終わらせるというやり方が多いそうなんですが、一方の日本は、そういうメリハリはなく、全行程を均質にジリジリと進めていくと。それが果たして的確な指摘なのか、どうも自分にはよくわかりませんが、どうなんでしょうね。
The dating biz
デートアプリの黙示録
──うーん。よくわからないですね。まあ、なんのためにあるのかよくわからない「定例会議」もありそうですが。
おそらく、この「最初の20%」とは、プロジェクトの方向性やコンセプトを詰めるところなのだと思いますが、そこは大事で、かつ面白いところじゃないですか。ですから、そこはある程度頭を働かせますが、そこから実際にモノをつくっていく作業って、考えたり議論をしたりするところではなくて、実際に手を動かして検証していくことになると思うんですね。つまり、「こういうコンセプトでやろう!」っていうのを、個別具体に落としていくわけで、自分の仕事の場合で言えば、その個別具体の制作とは、具体的な「文言」をつくることだったりするわけですが、それって実際のところ、手を動かして、「ああでもない、こうでもない」といっぱい文言をつくってみないと、何が正解かわからなかったりするんですよね。
──ああ、そういうものなんですか。
コンセプトを構想している段階では、ぼんやりとしたイメージはあるんですが、いざ、例えばタイトルや、キャッチコピーみたいなものをつくってみたりすると、字面がいまひとつだったり、「なんか華やぎがないな」みたいなことは当然あって、想定通りには、いかないんですよね。
──へえ。
なので、基本、何かにことばを与えるような作業って本当に「作業」なんですよ。自分でどんどん選択肢を出していって、自分で正解をみつけるようなことなので、まずは手を動かさないとダメなんですね。
──面白いです。
特にことばのようなものは、自分の力でことばを捻り出すわけにはいかないわけですよね。
──というと?
「自分が感じているこの気持ちを表す単語をつくってきました」と言っても意味ないじゃないですか。
──たしかに。言われたところで、意味がわかりませんからね(笑)。
なので、基本的に「選択」の問題でしかないわけですし、ある意味、一個一個のことば、あるものや事象の近似値でしかないわけです。とはいえ、色鉛筆と一緒で、10色の色鉛筆と64色の色鉛筆では、描ける色相の幅はグッと広がるわけですから、まずは、たくさんの色の色鉛筆をもっておくことは必要でして、それだけで自動的に、選択肢は広がるわけですね。
──ははあ。
かつ、そこに色をうまく混ぜたりする技術をもっていれば、ある程度の色のバリエーションがあれば、かなり精細な表現も可能になります。で、それらをうまく使いこなすことで、何かを描写したり表現したりすることが可能になるわけですが、難しいのは、正解というものが、あらかじめ決定されているわけではなくて、あくまでも事後的にしか見出されないというところなんです。
──難しいな。
例えば、友だちとバンドを組むとしますよね。
──はい。
で、「バンドやろうやろう」となっていれば、すでに音楽的志向性は共通しているはずで、その時点で、「どういうバンドになりそうだ」とか「こういうバンドがいいよね」といった合意は、ふんわりとはあるはずです。で、いざ「バンド名を決めよう」となるわけです。
──なるほど。
となったときに、おそらくどのバンドもやることといえば、とりあえず候補をたくさん出してみるということになるわけですよね。
──たしかに。
ここでとても重大なことは、それ以外のやり方は存在しない、ということだったりするんです。
──というと?
つまり、コンセプトから演繹的に具体名を導き出すことって、不可能なんですよ。もちろん一定の方向性は決められるんですが、論理的にこれという「正解」を導き出すことはできないんですね。
──そういうものですか。
このことは、倫理学・哲学を専門とされている古田徹也先生が『言葉の魂の哲学』という御本のなかで説明されていることなのですが、先生は、100年前のオーストリアの風刺家・論争家カール・クラウスの言語論を考察するなかでこう書かれています。
「クラウスが言葉の力として着目するのはまさにこの点、すなわち、ある言葉によって、それが生まれる以前のものの見方や感じ方などが明らかになる、というある種パラドキシカルな構造である。繰り返すなら、その言葉で表現されなければならなかったものとして、その言葉の創造において初めて『自分が思っていたこと(感じていたこと、見ていたこと等)』が遡及的に浮き彫りになるというところに、言語の必然的創造性と言われる所以があるのだ」(古田徹也『言葉の魂の哲学』講談社、2018)
──なるほど。言葉が提出されることで、初めてふんわりしていた何かの正体がわかってくる、ということですね。
ですから、とりあえず色んなバンド名を出してみて、そのなかから選ぶことを通してしか「正解」は見つからないということなんです。間違ってはいけないのは、正解というもの自体、ことばが出てきて初めて見出されるということで、初めから自分のなかに存在していたわけではないというところです。
──でも、自分のなかにないなら、どうやって「正解」を特定できるのでしょうか。
そこが面白いところで、正解を導き出すのは「しっくりくる」という感覚だ、と哲学者のヴィトゲンシュタインのことばを古田先生は引いています。
「彼(ヴィトゲンシュタイン)が強調していたのは、最終的にしっくりくる言葉が見出されるまで導きとなるのはしばしば、しっくりこないという感覚以外の何ものでもない、ということである」
──しっくりこない、という感覚を頼りにしっくりくることばを探し続ける、ということですか。
そうなんです。面白いですよね。こういうことです。
「『これらの言葉がなぜしっくりこないのか、常に判断したり説明したりする必要はない。それは単にしっくりこないという以外の何ものでもない』。そして、にもかかわらず、しっくりくる言葉がいったん出てきたならば、喉まで出かかりながらもなかなか出てこなかった言葉はまさにこの言葉なのだと人は受けとめるのである」
──面白いものですね。
ことばというものをめぐるこうしたパラドクスっていうのは面白いものなんですね。かつ、これは、自分が行う選択というものについて、面白い視座を投げかけてくれるものでもあると思うんです。
──あれ? もしかして、今回のお題である「デーティングアプリ」の話を、もしかしたらずっとされていましたか?
特にそういうわけでもないのですが、ある部分では近いところもあるかもしれませんね。パートナーが欲しいと思ったときに、空想している段階では、さまざまな要件・条件を設定するわけですが、とはいえ、そこからそれに見合った具体が現れ出てくるわけではありませんよね。結局は、提示された個別具体のなかからの選択ということになるわけでしょうし、そのなかから「しっくりくる」誰かを選ぶというのは、言われてみれば、バンド名を決める作業に似てはいるのかもしれません。
──デーティングアプリ、使います? 日本では「マッチングアプリ」と言われるのが一般的なようですが。
最近やたらとソーシャルメディアにそうした広告が流れてきますが、よほどパートナーがいなさそうな視聴動態だからなのか、それとも、デートアプリ事業者が莫大な予算を投下して物量作戦に出ているからなのか、ちょっとわかりませんが、残念ながら、使ったことはないんですね。
──どうしてですか?
そもそも人見知りなので、知らない人に声をかけるなんてできないんです。恋愛でも基本かなりの奥手なものですから。かつ、ソーシャルメディアを含めオンラインコミュニケーションは滅法苦手です。
──そうなんですね。ナンパとかもしないんですか?
できないですね。
──どうしてなんですか?
うーん。たぶん、変に自意識過剰だからなんだろうとは思います。なんかしくじるとイヤだな、という気持ちが強いので、よほど安全が確保された関係にならない限り、のびのびと振る舞えないんですよね。
──そうですか。つまらないですね(笑)。
つまらないんですよ。とはいえ、今回の記事をつくるにあたって、日本のデートアプリの現状がどうなっているのかを少しばかり検索してみていわゆるデートアプリ事情、といった記事を読んでみたのですが、例えば「3つのマッチングアプリを駆使して結婚した26歳OLが語る、『ヤバい男』に共通する“プロフィールの特徴”」なんていう記事には、こんなことが書かれていました。
「3つのアプリで、いろいろな人に会いました。たとえば、最初からめちゃくちゃ押しが強すぎる消防士、会ってみたら超見栄っ張りだった京大卒の男性、控えめすぎる獣医の男性など……。何度かデートをした人もいますが、どの方にも結婚するイメージは湧きませんでした。
獣医の男性はメッセージのやりとりの段階で『会ったらがっかりさせるかもしれない、ごめんね』と言ってきて……。なんだかそういわれるとデートが楽しみじゃなくなるし、かえってマイナスな印象でしかなくって。本人は優しさの気持ちで、良かれと思って言ってきたのかもしれないけど……。がっかりするかどうかはあくまでこっちの問題であって、事前に自己申告しないでほしかったな」(3つのマッチングアプリを駆使して結婚した26歳OLが語る、「ヤバい男」に共通する“プロフィールの特徴”(with online)、Yahoo!ニュース、2021/2/17)
──あはは。そんなこと言うのは、そりゃダメですよね。
自分は、この獣医さんにちょっと共感しちゃいましたけどね。自分にとりわけ自信があるわけでもないので、そう言いたくなる気持ちはわからなくないですよ。
──えー。端からはまったくそうは見えてませんけど(笑)。
人の内実は、外からはやっぱりわからないものなんですよ。
──あはは、たしかに。なんにせよ、今回の〈Field Guides〉は、コロナ禍のなかデートアプリが非常に好調であるという状況を受けての企画ですが、一方で、これはコロナ以前から問題になっていたそうですが、「デートアプリ疲れ」という現象が数年前から問題にもなっていまして、ユーザー側の心理的な疲弊と、そうした人たちをどうしても繋げとめておきたいアプリ事業者側の攻防が、ひとつの論点になっています。
そうですね。今回のメイン記事とも言える、「オンラインデート産業のすべて」(The complete guide to the online dating industry)では、かつてソーシャルメディアについて言われた「あなたはユーザーなのではなくて、プロダクトなのだ」という箴言が、改めて語られています。「デーティングコーチ」という肩書きをもつエリック・レズニックという方のことばの引用です。
「『どのアプリであろうと、あなたはプロダクトなのです』とレズニックは語る。『アプリを眺めているとき、あなたは消費者ですが、一方で、みんなに見られているとき、あなたは商品なのです』」
──前回も似たような話があったと思いますが、双方向であるデジタルメディアは、つねにそういうものとして作用するわけですよね。発信者であると同時に受信者であり、生産者であると同時に消費者でもある、と。
当然そこにはポジティブな面とネガティブな面がありますから、基本その前提で付き合う必要があるのだと思いますが、にしても、デーティングアプリの話になってきますと、「あなたは商品である」ということばは、やはりそれなりに生々しいですよね。
──ですね。
デーティングアプリを社会問題として扱った嚆矢とされるのは、2016年に『Vanity Fair』に掲載された「Tinderと”デートの黙示録”の夜明け」(Tinder and the Dawn of the “Dating Apocalypse”)という記事だそうで、さすが大人向けのハイエンドメディアだけに、ウォールストリートのナンパ師の体験談が赤裸々に綴られていて非常に面白いのですが、ここで筆者であるナンシー・ジョー・セイルズは、ある投資銀行の男性のこんなことばを引いています。
「『Seamlessみたいなものだよ』。投資銀行に勤めるダンは、オンラインフードデリバリーサービスを引き合いに出す。『オーダーしてるのは人なんだけどね』。オンラインショッピングとの比較は的を射ている。デーティングアプリはセックスに自由市場経済をもたらした」(Nancy Jo Sales, Tinder and the Dawn of the “Dating Apocalypse”, Vanity Fair, 2015/8/6)
──ふむ。
さらにテキサス大学の心理学教授のこんなことばが引かれています。
「TinderやOkCupidのようなアプリは、恋人候補がこの世には何千、何百万もいるという印象を与えます。これは、男性の心理に大きな影響を与えます。女性が余っている、もしくは余っているように男性が思うことで、マッチングシステムを通して起きるデートはどんどん短期的なものになっていきます。結婚は不安定化し、離婚も増えます。男性はひとりの女性にコミットしなくなり、ますます短期的なデート戦略を採用します。男性側のそうしたシフトに、女性は引きずられることになります。そうでないとデートそのものができなくなるからです」
──「真面目な」ということばが妥当なのかどうかはわかりませんが、長く付き合えるような恋人を見つけることが、どんどん困難になっていく、ということですよね。
はい。この『Vanity Fair』の記事は、かなり強硬にそうした傾向に警鐘を鳴らすもので、ある意味、#Metooに代表されるジェンダーをめぐる潮流に沿ったものとも言えますが、興味深いのは、そうした運動が、一方で、デーティングアプリの伸長を後押ししている面もあるということなんですね。
──そうなんですか?
例えば2018年に行われた「社内恋愛」に関する調査によれば、男性によるセクシャルハラスメントに対する社会的な糾弾は、女性よりも男性のオフィスワーカーに大きな影響を与えていて、この時点で、3割の男性が、社内でのロマンスは「ありえない」と考えるようになっているのだそうです。
──なるほど。
調査対象が寄せたコメントには「自分から絶対声かけたりしない」といったものから、「女性と一緒の部屋にいることを避けるようにしている」というようなものまであります。
──職場が「人と出会う」空間としてシャットダウンされてしまう、ということですね。
実際、過去の「不適切な行為」を理由にキャリアそのものが潰えてしまうような事例を見ていれば、うかつな「出来心」は、これまでにないほどのリスクになるわけですよね。もちろん、そうしたハラスメントがまかり通っていた世間に問題があったのはその通りだとしても、にわかに「出来心」が消えるわけでもないでしょうから、そうした「出来心」のはけ口はオンラインのデーティングアプリに見出されていくことになります。一方で、あからさまにセックス目当てというわけではなく、それも含めた上で長く付き合えるパートナーを探したいと思っている人にとっても、職場が「潜在的出会いの場」でなくなることは、大きな痛手になります。
──そこにコロナによる文字通りのシャットダウンが起きてリモートワークともなれば、現実問題として、新しい誰かと出会うチャンスは激減しますよね。
その結果としての、デーティングアプリのここに来ての伸長もあるわけですが、『Vanity Fair』の記事で指摘されていた「デートの短期戦略化」というのは、一方で、そもそもマッチングビジネスのビジネスモデルとも関わる部分でもあるんですよね。
──と言いますと。
事業の持続性を考えたら、みながじっくりと相手を選んで、その結果、みんながそこで見つけたパートナーと幸せに暮らしていけてしまったら、商売上がったりじゃないですか。事業者が必ずしもそう思ってビジネスをしているとは思いませんが、事業構造的には、ユーザーが短期でくるくる相手を変えて、その都度そのアプリに戻ってきてもらう方がいいわけですよね。
──あ、そうか。
かつ、最近では、課金して気に入った相手にバーチャルなバラの花を贈るなどの「中課金」の仕組みもどんどん拡充されて、ゲーム性も高まっているそうです。そうした傾向は、長期戦よりも短期戦を採用するインセンティブになるとも思いますので、とにかく早めに「結果」を出す方向に、サービスが設計されるわけですよね。
──なかなか相手が見つからないアプリだと顧客満足度も上がらないでしょうしね。
はい。とにかく相手が素早く効率的にみつかることがサービス事業者にとっては大事ですし、もちろんおっしゃる通り、ユーザーの側も、たとえ長く付き合えるパートナーを探したいと思っている人であっても、当然早く「結果」は出て欲しいわけですよね。
──次第に「数打ちゃ当たる」って感じにもなってきそうです。
ちなみにこれは「タップル」という日本のマッチングアプリが公表したデータで、「告白が成功したタイミング」を調査したものなのですが、「告白が成功したタイミングは、マッチングアプリで出会ってどのぐらいの期間が経過していましたか?」という問いに対する答えは、「マッチングアプリで出会った場合、告白の成功率が最も高いのは1カ月以内で49%。マッチングアプリ以外で出会った場合は半年以上が最も高いという結果」なのだそうです。また「マッチングアプリで出会って、デートにお誘いしたタイミングはいつ?」という問いに対しては、「マッチングアプリでデートに誘う人は1カ月以内が約9割」ともなっています。
──まさに短期戦。
タップルのようなサービス事業者は、こうしたデータを公開することで、「短期で素早く相手をみつけて、素早く動けばデートもできるし、告白も成功する」というメッセージを送っていることにもなりますから、人びとはみな、短期戦により誘引されることになりますよね。
──そうですね。
デーティングアプリに関する記事は、筆者本人が、自分の体験を綴ったものがかなり多く、そうしたなかで、『The Atlantic』というメディアに掲載された記事が面白かったのですが、この筆者は、2014年からアプリを使い始めて、誰かと付き合い始めては別れてを何度も繰り返し、その都度アプリに戻っていったそうなんですが、すでに2016年の時点で疲れ始めて、モチベーションが湧かなくなっていったと語っています。そのときに、ある友人から言われたことばが、なかなか怖いんです。
「気が滅入る可能性を教えてあげようか。幸せな相手をみつけられる人は、すでにみんなみつけてしまっている可能性ってないかな。もしかしたらいまTinderに残っている人って、家まで送ってくれる人をみつけられずにパーティの最後まで残ってる人ばっかりだったりしないのかな?」(Julie Beck, The Rise of Dating-App Fatigue, The Atlantic, 2016/10/25)
──めちゃイヤなこと言う友だちですね。
ほんとですよね。そんなふうに考えてしまったら、すでにして取り残された人たちのなかで、さらに取り残される焦燥感を味わうことになって、心理的にも追い詰められますよね。それでも、多くの人は、アプリのなかに眠っているはずの膨大な可能性、選択肢のなかに、自分が探している相手がみつかる、と思ってアプリから離れられずにいるのだと記事は書いています。
──それは、あまりよろしくない負のループですね。
実際、事は結構深刻ではありまして、「Journal of Social and Personal Relationships」は、デーティングアプリが、孤独をより深めることになるという調査を明らかにしてもいます。かつ、無限に近い可能性のなかから自分が主体的に何かを選び取ることができるのだ、幸福とはそうやって自分で掴み取るのだというような観念は、それが果たされないときには、人を苦しめますよね。これは恋愛に限らず、就職などについてもそうだと思いますが、相手のある話である限り、自分の主体性が及ぶ範囲なんて限られているわけで、にもかかわらずこうした考えが、半ば信仰のようにはびこっているのだとしたら深刻ですよね。これはいわゆる自己責任論にも通じる話だと思いますが。
──そう言われると、先ほどおっしゃった「自分が探している相手」ということばにも、言い知れぬ危なっかしさがありますね。「自分で決めなくては」という圧がありますよね。
今回の〈Field Guides〉全体が、どこかぼんやりした印象になってしまっているのは、どうもその辺に理由がありそうでして、というのも、デーティングアプリに人が「何を求めているか」というところが、結局のところ、一部の完全にセックス目的の人を除くと、おそらくとても曖昧なんですよね。
──たしかに。
一夜を共にするだけの相手を探すのであれば、話は早いですし、それが目的の人しかいないのであれば、もっと即物的なマッチングもできそうですが、難しいのは、非常に細かな動機やゴールの濃淡が人それぞれにあることで、それこそ結婚相手を探している人から、ただ話し相手を探しているだけという人だってなかにはいるわけですよね。そうした個々人のモチベーションや欲求が非常に不定形なところでマッチングが行われていけば、欲求の行き違いがハラスメントへとエスカレートするようなことも起きますし、なかにはレイプ目的でサービスに加入するような男性がいたりもしますから、非常に危険な空間にもなるわけです。
──そういう事例は結構あるんですか?
実際にレイプされた女性を取材しつつ、彼女らの訴えに耳を傾けてこなかったTinderを告発した、オーストラリアのテレビ局「ABC」による2020年の調査報道がありまして、これは記事のつくりも非常に凝ったデザイン面からも優れた傑作ですので、ぜひ見ていただけたらと思いますが、こうした問題が出てきますと、やはりサービス側も、いったい自分たちが何を提供しているのか、を顧みなくてはならないようにはなってきます。
──そうですか。
あらゆるデーティングアプリは露骨に「セックスのお供がみつかる」とは謳わないわけですよね。むしろ「あなたにぴったりのいい人がみつかる」「大切な人がみつかる」といった方向で、集客を行なってきたはずです。もちろん、そのふたつは明確に分かれているわけではないですし、セックスのお供かと思っていた相手が生涯の伴侶になるようなことだってあるわけですから、切っては切り離せないにしても、おそらく多くの人は、もっとふんわりと「パートナーが欲しい」と思っているはずで、それは、要は「自分と趣味や価値観が近い人と、できれば長く共に過ごしたいという」ことだと思うんですね。おそらく日本でもそうだと思うんですが、サービスの提供価値については、基本的にそういう線でコミュニケーションがなされているはずなんです。
──まあ、そうですよね。広告とかの見せ方としては、少なくとも表向きには「健全なお付き合い」っていう線ですよね。
はい。アメリカの場合は、もう少し踏み込んで、魂と魂が触れ合うような「ソウルメイト」という感覚があるようですが、ところが、『The Washington Post』の2018年の記事「TInderとOkCupidはあなたのソウルメイトを探すことはやめたらしい。広告がそう認めている」(Tinder and OkCupid have given up on finding you a soul mate. Their ads even admit it)によれば、TinderやOkCupidといった大手アプリが、ある時期から、急に「愛」や「パートナーシップ」を語ることをやめたと言うんですね。
──へえ。
その記事によると、Tinderの広告が、それまでの「長く深くコミットしあうふたり」と言う線から、突如「独身万歳!」「ひとりって最高!」というものに変わったとしていまして、特に若い世代に向けて、よりカジュアルでライトなリレーションシップを後押しするものになったそうです。
──ほお。
それに対して記事は批判的なトーンではあるのですが、とはいえ、Tinderの広報の方によれば、そこには、特に男女関係における女性の不自由を解放するというメッセージもあったそうですし、加えて、若い世代になればなるほど「深いコミットメント」といったものへのリアリティを抱きづらくなっているという背景があるのだとすれば、「独身楽しい!」みたいな方向性が、必ずしも、それだけをもってして「セックスの新自由主義化」みたいなことにもならないところもあるのだと思います。
──なるほど。事業者側としても、その辺は、なかなかハンドリングが難しそうですね。「結婚」というゴールがはっきりしている「婚活アプリ」であれば、ユーザーのモチベーションも明確ですし、動機の部分においては大きな齟齬は出てこないのでしょうけれど、そこに特化せず、ふわっと「デート」に焦点が置かれたサービスは、ユーザーがみんなそれぞれに異なる動機とゴールをもっちゃっているわけですもんね。
それこそ、Tinderの「Passport」という機能に焦点をあてた「ボーダーレス・デートの勃興」(The rise of borderless dating)という記事では、フィジカルなデートが不可能な遠隔地にいる相手と、オンラインでバーチャルデートを楽しむ人たちが増えている状況が明かされていますが、そうなってくると、もはや、何をもって「付き合っている」「恋人」と言えるのかすら曖昧になってきてしまうわけですよね。特にコロナ以降、フィジカルコンタクトが制限されているなかでは、なおさらその傾向は加速します。
──はあ。なるほど。いわば「ゴール」という考え自体が無効化している感じ、ありますね。
実際、そんな明確なゴールなんてないようにも思うんですよね。出会った人がどういう人かによって、目指したい先なんて変わるでしょうし。ですから、そもそも合目的的な「お見合い」は、結婚というかなり明確なゴールがない限り、難しいように思うんです。そうしたなか、一方で、「meet me」のようなコミュニティアプリが「出会いの場」として注目されてきていたり、Bumbleのような女性主導のデーティングアプリに、ビジネス上でのつながりを促進するような「Bumble Bizz」というフィーチャーが追加されたりと、コミュニティビルディングに力を入れるような動きが出てきています。
──1対1ではなく、もう少しふんわりした集団の中で、人と人が出会うチャンスをつくっていくということですね。「デート」ではなく、広義の「出会い」に焦点がいくわけですね。
Matchという、マッチングサイトの古参の大手が、最近、韓国で「ソーシャルディスカバリー」アプリを提供しているHyperconnectを買収したのも、こうした流れにおいて理解されているようです。このHyperconnectは、ライブストリーミングアプリのほか、リアルタイム翻訳機能のついたビデオ/オーディオチャットアプリなどももっているそうで、おそらくMatchは、こうした機能をマッチングサイトに加えていくことになるのだと見られています。
──まあ、でもよくよく考えてみたら、いきなり出会い頭に「この人いいな」ってなることもないわけではないにせよ、例えば会社だったり学校だったりで、人を好きになったりするのって、どちらかというと、自分ではない誰かと、その人がどう振舞っているのかを見たりすることを通してだったりしますよね。言ってみれば、お互いの社会性を見ているというか。それが情報としてまるでないところで、いきなり「ソウルメイト」とか言われても、なんだかおまじないのような感じもしちゃいますよね。
今回の特集を読んでいて思ったのは、人は、人と人とのリレーションシップにおいて、必ずしも自分が何を求めているのか、多くの場合明確にわかっているわけではないということなんですよね。つまり、それは、個別具体の誰かがいて初めて「事後的に」、あるいは「遡及的に」見出されるものであるということなんだと思うんです。
──あ! 最初の話につながった!(笑)。つまり、「自分が探している相手」が曖昧なのは、そもそもの話として、それがあくまでも事後的にしか見出されないからだ、ということですよね。恋に落ちて初めて恋だとわかる、みたいな(笑)。
最初に「しっくりくる」という話をしましたが、「しっくりくる」ことにおいて大事なのは、あらかじめ「しっくりくる」ための条件が存在しているわけではない、というところなんです。なので、「しっくりくるもの」がみつかる前においては、人にわかるのは「しっくりこないものはしっくりこない」という感覚だけです。で、あるものを見て「しっくりきた!」となった時点で、初めて「しっくりくるもの」の要件が立ち現れるという順序なんです。というのが、少なくとも、「ことばの選択」についてヴィトゲンシュタインが語ったことなのだそうですが、これが果たして恋愛についても適用できることかどうかはわかりません。
──面白いですね。ある人が現れることで、自分の知らなかったなにが作動する、みたいなことが起きるわけですよね。
でも、それがしっくりくると感じられるのは、それが自分のなかにずっとあったものであるように感じられるからですよね。であればこそ、そこには必然性が感じられるわけで。
──恋愛論ですよ、それ。
どうなんでしょう。少なくとも、誰かと友だちになるみたいなことは、そうしたメカニズムが大いに作動している可能性はありそうだという気はします。友だちについては、おそらくほとんどの場合、「こういう友だち欲しいな」などとは思うことなく、たまたま誰かと出会って「なんかしっくりくるな」という感じで付き合いが始まるわけですよね。友だちは、あくまでも、その人が存在して初めて、事後的に、それが必然的な選択であったように思えるもので、そこに選択があったかどうかすら意識しないものですよね。でも、恋愛は、そこからはみ出していく部分がありそうな気もしますから、よくわからないですね。もうちょっと危険な要素が含まれているような気もしなくはありません。
──あはは。めちゃ意味深ですね。そこ、もう少しお伺いしたいところですが。
だいぶ長くなってしまったことですし、今日はこの辺でやめておくとしましょう。
──ちぇ。残念。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子さんとともホストを務める「こんにちは未来」をはじめさまざまなポッドキャストもプロデュース。2020年に配信した本連載を1冊にまとめた『だえん問答』も好評発売中。
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