A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし解題する週末ニュースレター。「Social media’s next wave」と題したQuartzの原文(英語)と、原稿執筆の際に流していたプレイリストとあわせてお楽しみください。
Social media’s next wave
次世代SNSのヒップ
──こんにちは。今日は何のお話をしましょう。
前回アフロポップのお話をしたときに触れようと思って忘れてしまったのですが、そこで取り上げた南アフリカのダーバンを舞台にしたストリートダンスドラマがNetflixでちょうど配信されたんです。
──へえ。つい「全裸監督2」に気を取られてしまっていましたが。
まさに同じ日に配信開始された「ジャイバ!」という作品です。ダーバンのストリートダンスシーンが描かれていまして、人間ドラマ自体はありきたりなものですが、音楽はほぼ流れっぱなしで、5分に1回はダンスシーンがあるようなつくりですので飽きません。特に女性ダンサー陣のかっこよさに目を瞠ります。ビヨンセがやりたかったのはこれだったんだな、ということがよくわかります。
──いいですか。
ダンスは、ひたすらいいと思います。男子高校生と女子高校生が海辺でダンスバトルするシーンなんかがあるのですが、「ダンス」がひとつの価値軸として明確にある社会はいいものだなと改めて思ったりしました。スターダンサーがヒーローとしてドラマに出てきますが、それはスポーツ選手がスターになるのとは、似てはいますがちょっと違うものですね。
──そうですか。
ずいぶん昔に中南米を旅行したときに、それこそレストランとかに行っても生バンドがサルサやメレンゲなどを演奏していましたが、人気曲がかかると、それこそ小さな子どもからお年寄りまでが、フロアにどっと繰り出して踊り出すんですね。めいめいが好き好きに踊るので、上手い下手はさまざまだとは思うのですが、そこでまず大事なのは、上手い下手にかかわらずダンスの輪のなかに入ることですよね。
──そこがね、どうしてもハードルが高いですよね。
そうなんです。こちらは覚えたてのサルサのステップでフロアに行かないといけないので、端的にいうと恥ずかしいわけですね。でも、「いいなあ」と指を咥えて外から眺めているのも、しんどいはしんどいんですね。
──わかる気がします。
頭のなかでは、もちろんその恥ずかしさを取り払うことがダンスというものの第一歩であることはわかるのですが、やっぱりなんというか、そこで自由になるのは難しいわけです。加えてラテン音楽になりますと、リズムの取り方などを少しは練習しないと音楽にうまく乗れませんから、最低限の「技術」は必要で、そこがどうしても大きなハードルになるんですね。
──自由に踊ればいいというわけでもない。
とはいえ、まったく違うことをやっていたからといって誰かに咎められるわけでもありませんから、好きに踊ればいい、という前提は変わらないのだと思います。カリブでも、おそらくアフリカでもそうだと思いますが、先ほど「技術」と言った部分は、そのコミュニティに育った人であれば、ことばを身につけるのと同じようなことでしょうから、「技術」と認識されもしないものなのだと思います。であればこそ、「みんな好きに踊ればいいよ」ということになるのだと思いますが、外から見ると、そこには明確に「技術的なハードル」があるわけですね。というか、それを「技術」と認識すること自体が、外部者の視点だということなのかもしれません。
──ことばとの比較で言いますと、そうした知らずに身についている技術に対して、外部的な視点から測定可能な尺度を導入すると、「語学力」というものに変わるわけですよね。
そうですね。逆に言えば、それはそういうものとして客観的に指標化されないと「学習」することができないということでもありますので、それ自体が悪いということではないのですが、とはいえ、一方で「語学力ってなんのこと?」という問いは、やはりあるわけですよね。
──難しい単語をたくさん知っていれば語学力が高いのか、といったことですよね。
はい。単に即物的な語彙量だけでなく、「表現力」のようなものを問題にしたとしても、それが「64色の色鉛筆をもっていれば、16色の色鉛筆をもっているよりも表現力が高い」と言うに似たようなものであるなら、さして意味のないことですよね。
──表現したいことがつまらなければ、いくら色数が多くても、たいした表現にはならないでしょうしね。
そうなんですよね。そう考えると、「表現力」というものがあったとして、その価値は、実際は表現の手前で何を感じ取っているかという部分に大きく関わることになりますから、表現力の価値の少なくとも半分くらいは、むしろ受信するセンス=感覚に関わっていると言えそうです。特にダンスについて言えば、そこには音楽というものがあって、そのなかに入っていくことができなくては、表現というものも存在しえないでしょうから、音楽やそこに脈打っているビート、拍や律を捉える力が、問題になるはずなんですね。
──「聞く力」が大事、とよくおっしゃっていますが、それとつながる話ですね。
たびたびこの連載のなかでも言及していますが、パーラメントとファンカデリックという70年代のファンクミュージックを大胆に拡張したバンドがありまして、このふたつのバンドを主導したジョージ・クリントンという人は非常に賢いコンセプターでした。最近、彼がファンカデリックやパーラメントの歌詞のなかで何を歌っていたのかを検証していたのですが、面白いことを言っているんですね。
──趣味の自由研究(笑)。
はい。ジョージ・クリントンは、さまざまな名言やタグラインやキャッチコピーをつくった人ですが、例えば、彼は「Free your mind……and your ass will follow」ということばを70年代初頭に残しています。訳せば、「あたまを解放すれば尻がついてくる」ということになりますが、ここでは、あたまとお尻とが対置されていまして、これを図式的に解釈をしますと、人は普段、「お尻」の働きを理性が抑制している状態にあると理解されていることがわかります。
──はい(笑)。
ここで大事なのは「お尻」というものが一種の受信機、もしくはアンテナであるという点でして、ここでジョージ・クリントンが言っているのは、「尻が感じていることに従うことで、ファンクというものが感知できる」もしくは「尻でしかファンクは感知できない」ということなんです。
──この話、大丈夫ですか?(笑)
ファンカデリックに「Standing on the verge of getting it on」という名曲がございまして、タイトルを直訳しますと、「もうちょっとでヤレる寸前」という、だいぶ下品なものではあるのですが、ブラックミュージックにおいておそらく大事なのは、セックスに関する言及は、多くの場合「音楽」というもののメタファーであることなんです。この歌も、タイトルだけ見ればは下品かもしれませんが歌詞を読むと、セックスの心得のように読めて、明確に音楽の心得なんです。
──あはは(笑)。
って、笑ってますが、こんな歌詞なんです。
「頭で理解できないからといってきみに向いてないと思うなかれ/きみにぴったりかもしれない/いまはわからなくてもいつかきみをひっくりかえしてしまうかもしれない/そうなったらぶっ飛ぶぞ/抗ってはだめなんだ/音楽はきみを傷つけるようにはデザインされていないから」
──ほんとに音楽の話ですね(笑)。
「頭で理解できないからといって、拒絶しちゃダメなんだ」というのがこの歌のメッセージで、ジョージ・クリントンは、「自分たちはその抑圧を解除するためにいる」と歌っています。
──頭ではなく、お尻を信じろと(笑)。
世界的なヒットになった曲ですが、シャキーラに「Hips don’t lie」という曲がありまして、これなんかはまさに同じメッセージでした。これも歌詞は基本セクシャルな内容ではありますが、歌が歌として放っているメタメッセージは、音楽には理性とは異なる感覚器において受容される「真実」があるということなんですね。また、この曲でも冒頭から「No fighting」つまり、「抗うな・戦うな」という掛け声が放たれています。
──「尻は嘘をつかない」ってすごいですよね。それこそ2006年のサッカーのワールドカップでシャキーラが歌っていたのが印象に残っています。
シャキーラはコロンビア出身の世界的スターですが、昨年のアメリカのスーパーボウルでもジェニファー・ロペスとともに素晴らしいパフォーマンスを見せてくれました。彼女がこうしたグローバルイベントで重宝されるのは、ラテン世界を代表する存在であるだけでなく、彼女が中東の血を引いていることもおそらく重要で、彼女のシグニチャームーブであるベリーダンスは、父方のレバノンの文化伝統に属しているものなんですね。シャキーラという名前も、アラビア語で「感謝」を意味するそうです。
──へえ。なんで彼女がベリーダンスをしているのか、実は謎でした。単にそれがセクシーだからじゃないんですね。
面白いですよね。彼女のなかでは、おそらく中東のカルチャーとコロンビアのカルチャーとをつなぐ重要なリンクとして「尻=ヒップ」というものがあるのかもしれません。ちなみにスーパーボールのパフォーマンスでは、それをつなぐひとつの経由地としてレッド・ツェッペリンの「Kashimir」が置かれていたのも秀逸でした。
──異なる文化をつなぐものとしてのお尻というのは、いいですね。そういえば、「ヒップ」ということばは、「イケてる」の代名詞として使われることがありますが、これは「お尻」の「ヒップ」から来てるんですかね?
これについてちょっと調べてみたところ、まずWikipediaに詳細に語られていまして、語源はいまだ不明とされています。西アフリカの言語にルーツがあるとする説がいっとき広まったそうですが、否定的な意見が提出されています。いずれにせよ、1900年くらいからアメリカの黒人たちの間で使われるようになり、特にジャズの世界で使われていたそうです。
──「クール」ということばが、ジャズ界の発祥であったことは、「いまどきのクール」とは何かを扱った第31話にもありましたが、似ていますね。
はい。もっとも「クール」の語同様、その定義を明確にするのは非常に困難でして、なぜなら、それは時代に連れて絶えず流動しているからです。
──ふむ。
特に第二次大戦後に「ヒップ」の語は、意識が高いの意味で「目覚めている・わかっている」というニュアンスが込められるようになるそうですが、この感覚を世に広めたのはジャック・ケルアックを始めとするビート世代の「ヒップスター」たちだったとされています。Wikipediaは、作家のノーマン・メイラーが、1959年に発表した「The hip and the square」というエッセイを紹介していますが、そのなかでメイラーは、「Hip」(イケてる)と「Square」(退屈)に対応する対義語をずらりと並べています。それを見ると「ヒップ」ということばに込められたニュアンスを理解することができるのかもしれませんので、ちょっと見てみましょうか。訳を当てるのが難しいのですが。
──ぜひお願いします。
- Hip – Square(イケてる/退屈)
- wild – practical(野生的/実際的)
- romantic – classic(ロマン派/古典派)
- instinct – logic(本能/論理)
- negro – white(黒人/白人)
- inductive – programmatic(帰納的/計画的)
- the relation – the name(関係性/名前)
- spontaneous – orderly(即興的/規則的)
- perverse – pious(へそ曲がり/敬虔)
- midnight – noon(真夜中/真昼)
- nihilistic – authoritarian(ニヒリスティック/権威主義的)
- associative – sequential(連想的/連結的)
- a question – an answer(問い/答え)
- obeying the form of the curve – living in the cell of the square(曲線に従う/直線でつくられた独房に暮らす)
- self – society(自分/社会)
- crooks – cops(落ちこぼれ/ポリ公)
- free will – determinism(自由意志/運命論)
──面白いですね。「関係性/名前」との対比とか、面白いです。
そうですね。これなどは、「わたし」や「あなた」が、それ自体の定義ではなく、むしろ「誰とつながっているのか」という関係性において測られるソーシャルメディア的な状況を端的に表しているかもしれません。
──ほんとですね。というところで、ようやく今回の〈Field Guides〉のお題である「ソーシャルメディアの次の波」(Social media’s next wave)につながるわけですね。
いまのリストにつきましては面白い後日譚がありまして、2006年にノーマン・メイラーの展覧会を開催したテキサス大学の「Harry Ransom Center」が、展覧会に寄せて来場者に「いまこのリストをアップデートするならどんな内容になる?」と聞いたところ、ウェブサイトに掲載されたようなリストとなったそうです。
──2006年に何が「ヒップ」で何が「スクエア」だったか、ということですね。
はい。全部は紹介できませんが、「ヒップ/退屈」の順で言いますと、「中国/ヨーロッパ」「ブルックリン/マンハッタン」「プラチナ/金」「匿名/有名」「スパイダーマン/スーパーマン」「No.2/No.1」と、非常に面白い答えが並んでいます。ただ、この時点で「iPod/Walkman」とする意見がある一方で、すでに「Walkman/iPod」が並んでいたりして、「何をヒップとするか」はその時点においてでも揺らいでいることがわかります。
──「iPod、イケてる!」ってなった瞬間に逆張りで「Walkman、イケてる!」の声が上がるということですね。
はい。なので、やはり「ヒップ」というのは難しいんですね。メイラーが指摘したように、定義というものを拒むのがその本質的な価値であるとすると、「これがヒップである」と固定した瞬間、それはヒップでなくなってしまうわけですから。
──たしかに。
今回の〈Field Guides〉は、TikTokやClubhouse以後のソーシャルメディアの行方をDiscord、Houseparty、Yubo、Poparazzi、Honkといった新規サービスを紹介しながら考察するものですが、ここで語られていることの前提として、まずやはり理解しておくべきは、もはやソーシャルメディアは、それ自体として新規なものではなく、すでにしてデフォルトの環境になりつつあるということです。
「来るべき巨大ソーシャルメディアプラットフォーム」(The next big social media platform)の記事は、こう書いています。
「あらゆるサービスがあらゆるサービスをコピーする。そしてすべてがソーシャルメディアになっていく」
──ふむ。
ここで記事が語っているのは、ソーシャルメディアはもはやそれ自体としてのサービスではなく、ゲームビジネスも、EC、つまり小売も、その基盤に「ソーシャル機能」をもつ方向に進んでいるということで、これはおそらくほかの業界、スポーツや音楽などのエンタメはもとより、いずれ金融や医療などにも敷衍されていく流れであるように思います。
──つまり、ソーシャルな機能がデフォルトで、あらゆるサービスの裏側に遍在するようになるということですね。
そうじゃないかと思います。今後目立って進行していくのは音楽やスポーツなどの視聴プラットフォームにおけるソーシャル機能の拡充と、そうしたソーシャル機能を通じたマイクロ決済機能の拡充ではないかと思います。
──なるほど。
そうしたなかTikTokやClubhouseなどのプレイヤーは、例えばTikTokであればミニ動画、Clubhouseであればライブ音声などを、ソーシャル化することで巨大化するわけですが、これもやがてFacebookやInstagramやTwitterといった既存の巨大プラットフォームに真似されていきますから、新興アプリは、ある意味、新しい機能開発の実験を全体のためにやっているような構図になっているように見えます。
──新しいものが過去にあったものを転覆させ、時代遅れなものにしてしまうというようなことが起きないということですね。
例えば、上記の記事には、Poparazziといういま若者の間で人気のソーシャルアプリが紹介されていますが、このアプリの最大の特徴は、自分が撮った写真を自分のページに投稿することができなくて、自分が撮った友だちの写真を、その友だちのページに投稿するという点にあります。
──ああ、なるほど。友だちをパパラッチするわけですね。
はい。まさにそうです。
──ややこしいサービスですね(笑)。
ややこしいですよね(笑)。それがなんの意味があるのかは、それを面白いと思って使う人がいるのであれば目くじらを立てることもないとは思うのですが、こうした機能が、これまでのソーシャルメディアになかった新しい面白さや、つながりの感覚をつくり出していて、かつそれを大勢の人が使う可能性があるのであれば、次に起きるのは、似たようなフィーチャーをほかのプラットフォーマーが自分たちのプラットフォームにその機能を実装することであるような気がします。
──Clubhouseの成功を受けて、Twitterが音声ライブ配信機能を追加しましたが、そうしたことが起きるということですね。
はい。もしくは、Facebookがこの間ずっとそうやってきたように、一定のサイズを確保したプラットフォームを買収するというやり方もあるかと思います。いずれにせよ、ソーシャル機能は、それ自体が独立したものではなく、あらゆるサービスの背後に走るインフラのようなものになっていくのだと思います。もちろん、その機能性は、どんどんアップデートされていくのだと思いますが、とはいえ、先ほどもありましたように、古い機能が廃れて新しいものに変わっていくというよりは、機能がどんどん横に広がり続けて、使い手が使いたい機能やメディア──動画なのかテキストなのか音声なのか──などに合わせて選び取っていくような格好になるのではないかと思います。
──横広がりに拡張していくスーパーアプリのようなイメージですかね。
ではないかと思います。
──ユーザーがやりたいと思うことをできるように機能が拡張していくということですね。
おそらくそうではないかと思います。
──そう考えると、まずもってソーシャルメディアというものが「ヒップ」であるということが、今後なくなっていくということもなりそうですよね。
それがインフラとして遍在するようになれば、インフラそのものを「ヒップ」とみなすことは難しくなっていきますよね。ただ、最近では電気などは、どの会社のものを使うかを選べるようになったことで「ヒップさ」が介入する余地が、あったりもしますよね。インフラとしての道路そのものをヒップだとは思わなくても、自分なり歩いたり運転したりして好きな道路はあるでしょうから、そういった選好は出てくるのだろうと思います。
──その辺はちょっと面白いところですね。
ここでやはり興味深いなと思うのは、毎度のことで恐縮ですが、やはりK-POPにおける動きでして、特にBTSを擁するHYBEの動きは注目すべきではないかと思います。
──またですか(笑)。
すみません。今年の5月に韓国発のライブ動画配信プラットフォームのV Liveを、HYBE傘下のWeVerseが買収することが発表されましたが、2大動画配信プラットフォームが合併することは独禁法違反に当たるのではないかと韓国の公正取引委員会の審査が入ったりもしたそうですが、ここで注目すべきは、テックプラットフォームをコンテンツメーカーが有しているという点でして、これはアメリカでもほとんど例がないものと言えるかと思います。
──Disney+はそれに近いような気もしますが。
DIsney+は原則自社コンテンツのみを配信する独占チャンネルですから、おそらくプラットフォームとは呼べないと思うんですね。
──そうか。
V Liveというプラットフォームは、ブラックピンクを擁するYGエンタテインメントの社長がNaverに掛け合ってつくらせたものだと言われていますが、ここからもわかるように、ある時期から韓国においては、コンテンツが先に走って、それを追うかたちでテックプラットフォームが発展するという流れがかなり強くあるそうなんですね。
──先にコンテンツとファンがいて、そこに向けて新しいプラットフォームを投下するという感じでしょうか。
そうですね。V Liveは韓国国外のユーザーがかなりの比率を占めていると言われていますが、そりゃそうなりますよね。見たいアイドルのコンテンツがそこで配信されるなら、ファンは必ずそのアプリはダウンロードしますよね。
──そりゃそうですね。BTSのようなグローバルアイドルをコンテンツとしてもっている企業なら、どんなアプリでもサービスでもファンに使わせることができそうです(笑)。
そうした状況をつくれてしまうことの危険性を、おそらく公取委も気にしていたのでしょうし、ライバルのアイドルをプラットフォームから排除するようなことができてしまうと、産業全体の競争力を削いでしまいます。公取委が合併を承認したということは、そうした懸念がないとみなしたということだと思いますが、いずれにせよ、ここで確認しておきたいのは、コンテンツはやはり強いということです。
──「コンテンツ・イズ・キング」という名言がありました。ビル・ゲイツのことばでしたっけ?
そうですね。1996年に書かれたエッセイに登場することばですが、せっかくなのでエッセイの冒頭の部分だけ振り返ってみましょうか。
「インターネットで真にお金を生むのは、放送においてそうであったように、コンテンツだと思います。半世紀前にテレビがもたらした革命は、テレビの製造を含む数多くの新たな産業を生み出しましたが、長期的な勝者は、そのメディアを用いて情報や娯楽を提供した人たちでした。インターネットのようなインタラクティブなネットワークにおいて『コンテンツ』の語義はとても広範です。例えばコンピュタソフトウェアは極めて重要なコンテンツの一種で、マイクロソフトにとってはずっとそうあり続けます。とはいえ、多くの企業にとって大きなチャンスは、情報や娯楽の提供に関わる領域にあります。どんな企業も、そこにおいては小さすぎることはありません」
──面白いですね。
ソフトウェアはコンテンツだという指摘は、たしかにその通りなのですが、その分野が必ずしも多くの企業に開かれたチャンスの宝庫ではない、としているのは、なるほどと改めて思いますね。というのも、アプリなどもそうですが、多くのプラットフォームが提供しているのは、実は機能であって、たしかに新規な機能というのは、それ自体が「コンテンツ」として面白がられる時間はあって、現状においてであれば、その時間の内にいかにユーザーを獲得できるかが勝負になってきますが、ところが新規な技術や機能が「コンテンツ」でありうる時間は、実際どんどん短くなっているんですね。これは日本の名だたるテッククリエイターの方がおっしゃっていたことですが、そもありなんという気はしますよね。
──たしかに。
これは何度もこの連載で指摘してきたことでもあるように思いますが、機能価値と、それがもたらすコミュニケーション価値、コンテンツ価値というのは、それぞれ関連しあいながらも別個にあるものだと考えておくべきものだと思います。特にソーシャルメディアにおいてはそれが錯綜しますので、ややこしくなりそうです。
──使う方も、そこをちゃんと理解したうえで使わないと混乱をきたしますね。
とはいえ、コンテンツとは何であるかを定義することも、コンテンツとコミュニケーションとを切り離すのも実際はとても難しいもので、冒頭の話に戻るなら、表現することと受信することとは実は一体化した行為だったりするからなんですね。
──ああ、なるほど。
というようなことを考えていくとソーシャル空間に理想形のようなものがありうるのなら、それはダンスフロアのようなものなのかもしれませんね。
──ダンスするように人が動くわけですね。
よくわかりませんが、人と人とのソーシャルな関係性というものを考えるときに、「ダンス」という観点が抜け落ちるのは、なんだかものごとの理解において重要な欠落を生じさせるんじゃないかという気がしたまでなのですが、どうなんでしょうね。ダンスと音楽の関係、そしてそこに集った人同士の関係というのは、面白い内実を含んでいるような気がするんです。
──しかもそこを統御しているのは理性ではなく、グルーヴやファンクネス、つまりはヒップなわけですもんね。
今日は、この原稿を書きながら、ずっとプエルトリコ出身のラテンポップのスターRauw Alejandroの新譜『VICE VERSA』を文字通りノンストップでかけていたのですが、そのせいでやたらと踊りにいきたい気持ちになっていまして、変な内容になってしまいました。
──カリブや南米のレゲトン、いいですよね。
自分はそこまでダンスミュージックに思い入れがあるわけではないのですが、その言い方それ自体が、ダンスミュージックが趣味志向のオプションとしてしか存在しないことの表れであるのだとすれば、社会として何かが大きく欠落している感じはしなくもありません。レゲトンを聴くと、音楽自体というよりも、それが成り立っている文化の強固さを感じて、そこにえも言われぬ安らぎを感じるんですよね。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。6月29日発売の『働くことの人類学【活字版】』がAmazonで予約受付中です。
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