Special Feature
だえん問答・番外編
Quartz Japan読者の皆さん、こんばんは。今週のPMメール「Deep Dive」は、いつものように曜日ごとに決まったテーマではなく、1週通して「特集」というかたちでお届けしています。先日開催して好評だった若林恵さんとのオンラインイベント【延長戦】の申込みは、本ニュースレターの末尾にて案内しています。
今週は…[だえん問答・番外編]
毎週日曜にお送りしている「だえん問答」は、Quartzの特集「Field Guides」が扱う週替わりの論点を編集者の若林恵さんが解題する人気連載。2020年12月から21年6月までの掲載分をまとめた書籍版(第2集)もついに発売となりました。今週(26〜30日)お届けするニュースレター特集「だえん問答・番外編」では、ネタ元となったField Guidesの内容の一部を翻訳し、論点をより深掘りします。第4回となる今日は、NY在住のライター・Stacey Andersonの寄稿記事、あるTikTokスターの誕生ストーリーをお送りします。
今日「あわせて読みたい」だえん問答:##44 ティックトックの訓戒(3/14配信)
Then TikTok made people listen
TikTokからはじまった
2020年5月、ロサンゼルス在住のタイ・ヴェルデス(Tai Verdes)の人生にはいくつかの出来事がありました。
まず、オーディション番組「アメリカン・アイドル」と「ザ・ヴォイス」のオーディションに落ちたこと。当時、ベライゾンのキャリアショップでスマートフォンの販売員の仕事をしていたこと。毎晩1時間半、駐車場の決まった場所に駐車したクルマの中で歌の練習をしていたこと──。
いくつかの出来事のなかでも重要なのは、「セフレ」という関係についてキャッチーなポップソングをつくったことです。ヴェルデスはある夜、ふと思いついて、運転席でこの曲の一部を口ずさんでいる短い動画を「TikTok」に投稿してみたのでした。
結果、8月までには複数の大手レコード会社からオファーが殺到。彼は一躍時の人となりました。その曲「Stuck in the Middle」の再生回数は450万回近くに達し、Spotifyのバイラルチャートでも首位を獲得。TikTokにはヴェルデスの曲を使ったファン動画が何千本も投稿されました。
ヴェルデスはこの人気に乗り、アリスタ・レコードとの間に有名ミュージシャンも羨むような内容の契約を結んでいます。
25歳の彼は、すべてはTikTokのおかげだと言います。「既存の音楽ビジネスからはまったく相手にされなかった。自分で何かをしているだけで、誰も興味なんかもってくれない。それがTikTokのおかげで曲が聴いてもらえるようになったんだ」
“old music industry”
これまでにない契約
TikTokを巡っては、ヴェルデスのような物語がたくさんあります。野心的な若手アーティストが、このプラットフォームを足がかりに音楽業界のメインストリームに躍り出ているのです。TikTok発のスターとしてはおそらく最も有名なラッパーのリル・ナズ・Xは、「Old Town Road」の大ヒットをきっかけにコロムビア・レコードと契約。グラミー賞で2部門を受賞したほか、スーパーボウルで流れたCMにまで出演しています。
オンラインで有名になってメジャーレーベルとの契約を獲得するというのは、別に新しいことではありません(YouTubeやVine、Instagramでチャンスをつかんだアーティストはたくさんいます)。ただ、TikTokで成功を手に入れたアーティストの数は傑出しており、メジャーレーベルと契約したミュージシャンは2020年だけで70人を超えました。
ただそれらを考慮しても、ヴェルデスとアリスタ・レコードの契約は突出しています。「既存の音楽ビジネス」への反動をさらに推し進めた内容で、ネットで人気の出た若手アーティストがどうすればよくある落とし穴を避けられるかを示したものになっています。
かつて、新人ミュージシャンのゴールは大手レーベルと複数のアルバムの契約を結ぶことでした。しかし、ヴェルデスは短期契約を選びました。アリスタからリリースするのはEP1枚だけで、長期的に楽曲の権利を完全に維持できるようにしたのです。
彼は新作のEPに限っては売り上げの一定割合を受け取りますが、EPを出してしまえばアリスタと再契約するもよし、他のレーベルに移籍するもよし。レコード会社が原盤権を握るのではなく基本的には著作権の委託契約であり、アーティスト側がここまで楽曲を管理できるのはまれだと言っていいでしょう(原盤権を掌握している数少ないアーティストには、リアーナやU2、ジェイ・Zなどがいます。ヴェルデスのヒーローであるフランク・オーシャンもそのひとりですが、彼はガース・ブルックスやシアラと同じように、メジャーレーベルから楽曲をリリースすることを止めています)。
creative freedom
つくり手の自由
ヴェルデスがこれまでは当たり前だった長期契約を避けたのには理由があります。大手レコード会社は昔から、アーティストを経済的に搾取し、彼らの創作的自由を厳しく制限するような不当な契約を押し付けようとすることで知られているのです。例えば、モータウン・レコードは60年代から70年代にかけてレコード販売や放送使用料から莫大な収入を得ていたにもかかわらず、ミュージシャンの創作活動を縛り、十分な報酬を支払っていませんでした。
これまでも、チャック・ベリーやローリング・ストーンズ、TLCなど名だたるアーティストたちが、作品がヒットしたのにそれに見合うだけのロイヤルティーを受け取っていないとして、自らの所属するレーベルを公に非難してきました。プリンスが生前、原盤権や創作活動への制限を巡ってワーナー・レコードと長年にわたる対立を繰り広げたことはよく知られています。彼は抗議のために頬に「奴隷」と書いたり、名前を発音のできない記号に変えたりしました。また、「マスターテープを所有していないなら、自分が所有物になってしまう」とも発言しています。
最近では、テイラー・スイフトがやはり原盤権を巡ってレーベルと対立し、過去のアルバムを丸ごと再録音してリリースするというニュースがありました。
ヴェルデスと彼のマネジメントチームがこれまでとは異なる契約を求めたのは重要ですが、偶然ではありません。交渉をする上で彼の切り札となったのは、独自に獲得してきたオンラインのファンベースでした。
ヴェルデスは「TikTokはアーティストとしての影響力を与えてくれる。以前のアーティストにはこれがなかった」と述べています。「気がついたら、自分の曲が5,000万回再生されていただけじゃない。このおかげで、アルバムを最低4枚はつくるみたいな古くさい契約を結ばなくてもよくなった。(前金として)200万ドル(約2億2,000万円)をもらえるかもしれないけど、これはいつかは返さなければならないだろう。自分が力をもてるように著作権は維持したかったし、短期契約がいいと思っていたんだ」
長期契約に縛られないことはもちろん、高額な契約金よりも創作的自由を優先するTikTok発のスターは、ヴェルデスだけではありません。2020年に「Stunnin」で有名になったカーティス・ウォーターズは、すぐに複数の大手レーベルからオファーを受けました。
ウォーターズは『ローリング・ストーン』誌のインタビューで、「これまではインディとしてやってきた。メジャーレーベルがアーティストが本当に必要としているものを与えてくれるかはわからない」と述べています。彼はその後、楽曲の販売利益は6対4で分け、原盤はアーティストが管理するというヴェルデスと同じような内容の契約をBMGと結びました。
TikTok出身のアーティストたちはまた、EPやアルバムを出すよりもそれぞれの楽曲を個別にリリースし、広告主やメディアと個別にライセンス契約をするという独立性の高いやり方を選択する傾向があります。ブランドと組んでスポンサー付きのコンテンツを制作するクリエイターもたくさんいます(インフルエンサーマーケティングではInstagramが有名ですが、TikTokも着実に追い上げています)。
part of the trend himself
ファンベースを築く
ヴェルデスが力を手にするためにもうひとつ重要だったのは、オンラインのファンベース拡大に向けた戦略でした。「Stuck in the Middle」がSpotifyで繰り返し再生され、TikTokではこの曲を使った二次創作が増えていくなか、ヴェルデスはベライゾンのキャリアショップの店内の様子や自宅のベッドルームを紹介したり、アニメ風のおかしなダンスや変な歩き方を撮影した短い動画をほぼ毎日アップロードし続けました。彼は楽曲だけでなく自分自身を全面に押し出したのです。
一方、こうした親密な雰囲気の動画と並行して的確なマーケティングも行っています。Spotifyで「Stuck in the Middle」を聴いているユーザーの87%が男性であることがわかったとき、ヴェルデスは男性ファンに向かって女性のためにこの曲を流して欲しいと頼む動画を投稿しました。その後すぐに、曲を聴いたユーザーに占める女性の割合は33%に上昇しています。
ヴェルデスのマネジャーのひとりであるブランドン・エプスタイン(Brandon Epstein)は、「楽曲が拡散するのはそれがトレンドになっているからですが、タイは彼自身がコンテンツとしてバズったのです。タイはダンスブームに乗ったのではなく、自分の歌について話していました」と言います。「誰もがそんなものを見るのは初めてでした」
ヴェルデスはいまも定期的にTikTokに動画をアップロードしています。彼と同じように成功したいと考えているアーティストたちを励ます内容のある動画では、次のようなアドバイスをしていました。
ヴェルデスは未来のスターに向かって、「何らかの権利が保証されていなかったら、絶対に契約にサインしたらダメだ。特にTikTokだったらちょっとバズっただけでも2万回は再生される」と語りかけます。「TikTokのおかげで有名になるまでの時間が短くなった。だから、もう少しねばってみて欲しい。それでもだめなら、それは曲がよくないんじゃないかな。もしうまくいったら、どうなると思う? 曲がよければレースに参加できるんだ」
(翻訳:岡千尋・編集:年吉聡太)
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at this time tomorrow…
本日から30日(金)まで5日間にわたってお届けするニュースレター特集「だえん問答・番外編」。明日29日の17時ごろにお届けする最終回では、ビジネスとしてのスポーツについての論考(米版Field Guide、だえん問答)をお届けします。ご感想をTwitterのほか、このメールに返信するかたちでも、どうぞお寄せください。
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