A Guide to Guides
週刊だえん問答
世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzが取り上げている「世界の論点」を1つピックアップし、編集者・若林恵さんが「架空対談」形式で解題する週末ニュースレター。プレイリスト(Apple Music)もご一緒にどうぞ。
Built for small business
スモールビジネスの任務
──こんにちは。だいぶ秋めいてきましたね。
空が高くなってきた感じしますね。
──秋晴れというのは気持ちいいものですね。
自分が秋の生まれだからなのか、秋は好きですね。
──だいぶ機嫌もよくなってきたそうじゃないですか。
そうですね。地下にずっとこもって音楽ばかり聴いていたおかげで、気分的にはだいぶ楽しくなってきました。
──いいことありました?
いや、特にないですが。
──でも、前向きな気分にはなってきた、と。
そうですね。これから何やろうかな、とぼんやり考えている感じです。
──何やるんですか?
レコード屋さんやりたいですね。
──アナログ盤ばっかり聴いてると言っていたのが、そういう話になるんですね。わかりやすいといえばわかりやすい。
それもあるはあるんですが、一昨年くらいに代官山蔦屋さんのご厚意で「五〇〇書店」という謎のポップアップストアのシリーズを3回くらいやらせていただいて、それは「500タイトルしかおかない本屋さん」というコンセプトだったのですが、これ、ほんとうはレコード屋さんでもやりたかったんです。
──「五〇〇書店」ならぬ「500レコード」。楽しそうですね。でも、なんで「500」なんですか?
500タイトルくらいあると、まあ、だいたいどんな人でも「これは自分に関係ありそうだな」と思えるものがひとつやふたつは見つかるかな、ということなんですね。特にエビデンスがあるわけでもないのですが、書店のキャンペーンで、ある特定のテーマで10冊とか20冊とか、50冊を選ぶといった感じのものは多いと思うのですが、それはそれで面白いのですが、あくまでも参考文献集って感じになっちゃって狭い感じがしますし、といって数千点ともなるとつかみどころがなってしまいますし。といったあたりで、500っていい分量かな、と。
──なるほど。
あと、これは五〇〇書店でもそうだったんですが、基本、近刊のものにしたかったんですね。レコード屋の場合も同様で、コンセプトとしては原則新譜のみとしたいんです。
──それはなんでなんですか?
いまは情報がとにかく膨大なので「キュレーションやセレクションが大事」といったことはことさら言われるわけですが、そこで言われる「キュレーション」ってものが、実はあんまり好きじゃないんですね。
──あ、そうなんですか。編集の仕事ってのは、ある意味キュレーションだと思っている人も多いかと思いますけど。
ある価値軸にのっとってソリッドにセレクトされたものって、あんまり好きじゃないんですよ。もうちょっとニュートラリティがあって欲しいという感覚が、客としてはあるんですよね。つまり、「店主が考える名盤500枚しか置いてない店」って、それはそれでなんかイヤじゃないですか。もちろんある特定のジャンルの内部において、「これは価値である」とされるものが総覧できるのは、勉強にはなるのですが、本屋もレコード屋も、勉強するだけのための場所ではないですから。
──なんとなくわかります。ソリッドにセレクトされたものって、まあ、なんというか、ある種のおもたさはありますよね。
もちろん、ものすごい目利きの人が、ものすごいセレクトをすることのものすごさについては、リスペクトはありますし尊敬しかないのですが、自分はそういう意味では目利きではないですし、音楽についていえば、特に90年代以降、音楽が骨董的な意味での「目利き」の対象になったことには、少なからず反感というか反発もあったりしまして、なんかそうではないものがあるといいなと思うんですよね。
──それはなんとなくわかります。
逆に言うと、そうした目利きビジネスは、日本はジャンル問わず結構強い領域ではあって、そういうものは案外たくさんあるような気もするんです。どんなジャンルにもマニアと呼ばれる人たちがいて、そこで小さいながらも安定したビジネスができるのは、大きい話をしてしまうと、日本経済の底力でもあって、もっともっとそういうものが増えるといいと思いこそすれ、自分みたいな人間がそこに貢献できることはあまりないな、とは感じるんです。自分は、あるジャンルなりをどっぷりと深く探究するようなタイプではないからなおさらそうなんですね。
──なるほど。
そういう人間からすると、いまの日本の情報環境に足りないのは、「いま何が起きているのか」について、ざっくりとした見取り図を得ることのできる場所だという感じがするんです。
──だから、新譜だ、と。
そうですね。この5年くらい、ジャンルをあまり気にすることなく、毎週プレイリストを公開したり、毎日新譜を紹介したりしてきたのですが、そういうことを日々やっていると、こういう傾向のところにいいミュージシャンがいるな、とか、この界隈が面白いなとか、こういう価値観がこういうコンテクストにおいて話題になったり評価されているんだな、といったことが時代の動きに合わせて常に動いているのが、おぼろげには見えてくるんですね。つまり、そういうふうに音楽と付き合っていくと、それ自体が、いわゆる活字のニュースを追ったり、SNSで社会の情報を追うのとはちがったかたちで、社会を見るための「窓」になるという感覚があるんです。
──新譜を500点並べてみると、そこからぼんやりと社会が見える、と。
特に明確なかたちでは見えないんですよ。だし、すぐに言語化できるようなかたちで社会の姿が立ち上がってくるわけでもないんですが、でも、社会って本来はそういうものだとも思うんですよね。ゆらゆらと動いているようなもので。そういう意味では、書店やレコード屋さんというのはメディアなんだと思いますし、自分は、どちらかというと、そのメディア性において興味があるということだけなんですけどね。だから、おそらく儲かりはしないと思います。
──だろうとは思いました(笑)。
ええ。
──そういうアイデアを考えるうえで、参考になっているお店とかあります?
そうですね。ロンドンのRough Tradeはやっぱりよかったですね。もうちょっとマニアックないいお店もロンドンはたくさんありますが、自分は先ほどからも言ってますように、何かを深くディグするというよりは、同時代の空気を吸い込む場所としてレコード屋やCD屋さんを楽しんできたという認識でいますので、ある価値軸ではなくて、メジャーなものからそうでないものまでをバランスよくセレクトして、「だいたいいまはこんな感じ」というのを棚として表現してくれていたのはよかったですね。商品数も多すぎず少なすぎず、ちょうどいいな、と。ニューヨーク・ブルックリンのRough Tradeも楽しかったですね。と、Rough Tradeは、ロンドンのお店もニューヨークのお店も、すべての商品に簡単な解説がついてるのは、すごいと思いました。
──いいですね。
ほかに思い出すところで言いますと、オースティンのWaterloo Recordsの新譜の棚は好きでしたし、あと、グラスゴーのMonorail Recordsは、おすすめの新譜が黒板に手書きで板書されていて、あれはかっこよかったな、といまも鮮明に思い出します。そこでおすすめされてるものは全部買っちゃいましたもんね。
──レストランみたいですね。
そういえば、先日、非常に面白いレストランに行きまして、シェフが天才的な腕前なのでとにかく味は見事だったのですが、面白かったのは、そのシェフの方が、契約している農家さんに特に食材の指定はせず、あるものを適当に送ってもらうようにしていると語っておられたことで、箱を開けてからメニューを考えるそうなんですね。
──すごいすね。一種の即興ですね。
はい。その面白さというのは、一種、自分のコントロールを手放しているようなところだと思うんです。つまり、あらゆるディテールをガチガチに制御して、毎日毎日100点のものを100%再現し続けるという方向で「完成」や「精度」を目指すのではなく、環境や条件の変化に合わせて、つど目指すべき達成が新たに生成されるという感じなんだと自分は想像するのですが、そうした制御不能性をどう取り入れながらも、それをいかにしてひとつのパッケージに収めるのか、といったあたりのバランス感覚の面白さは、いまの先進的なミュージシャンの仕事にかなり近いものを感じて、感心してしまいました。自分が最近贔屓にしているムーア・マザーやスメーツやフェイ・ウェブスターやビッグ・シーフといったアーティストがやっていることが料理で表現されているような感じがして、感心どころか、実際かなり興奮してしまいました。
──ちなみになんていうお店ですか。
そのうちお話しすることもあるかと思いますが、いまのところは内緒です。
──なんだよ。ケチだな。
いまのところはムーア・マザーの新譜でも聴いて我慢してください。
──いずれ何かで明かされるわけですね。
その予定です。
──何にせよ、いまの話ですとレコード屋はレストランに行くのに近いものだということになるんですかね。
どうでしょう。そんなふうには考えてはなかったですが、検討してみても面白いアナロジーかもしれませんね。
──コロナが徐々に終息しつつあるようにも見えるなか、小売店の今後というのは、ここでも何度か取り上げていますが、面白いテーマですよね。前回にも、スモールビジネス対策は、経済政策の根幹にあるべきだといったことをおっしゃられていましたが。
その話で言いますと、実はちょうど先週、アメリカは「ナショナル・スモールビジネス・ウィーク」というキャンペーン週間だったんです。それを知ったのは、Quartzが「Small Business Big Mission」というフルタイム従業 員500人以下の企業を対象としたコンテストの応募者を募集していたからです。
──いいですね。日本からも応募できるんですか?
残念ながらUSに本社がある企業だけが対象です。
──残念。
アメリカでいかにスモールビジネスが政策的に重視されているかと言いますと、先週のスモールビジネス週間に合わせて、バイデン大統領がわざわざホワイトハウスのウェブサイトに声明を出しているほどでして、基本的には政権による支援パッケージを公告する内容ではありますが、その前提として、「アメリカにとってのスモールビジネスとは何か」を語ったところは、なかなか素敵です。
起業家精神はアメリカという国家を規定する特質であり、それはわたしたちを新たな高みへと高めてきただけでなく、わたしたちが直面してきた幾多の困難をくぐり抜けること助けてきたものだ。スモールビジネスは経済成長のエンジンであるだけでなく、わたしたちのコミュニティの核心でもある。(中略)
わが国のスモールビジネスはコミュニティを形づくり、イノベーションをドライブし、日々の暮らしを豊かにしてくれるだけでなく、より持続的で住みやすい世界を築くべく世界的な課題の解決を目指すプロダクトやサービスを生み出している。そうした起業家たちがイノベートし、適応し、成長するために必要なツールやリソースを授け、スモールビジネスの経済がもつ力を最大化することで、アメリカ経済は以前よりも力強いものとなる。アメリカのスモールビジネスこそが、それを実現するのだ。
──いいですね。
このサイトには「10000 Small Businesses」というイニシアチブのためにゴールドマン・サックスがつくった動画があるのですが、そこではこのイニシアチブの主旨がこんなふうに語られています。
スモールビジネスよ永遠に/スモールビジネスは全米で5,900万人を雇用している/彼らは農業に従事し、工場やレストランで働く/コーヒーショップや清掃業や街角の店を営む/彼らはケアギバーであり、配達人であり、調理人である/スモールビジネスは全国の50%の雇用を生み出している/それはエッセンシャルである/彼ら彼女らはエッセンシャルワーカーである/そのサバイバルはすべての人にとってエッセンシャルである
──なかなかエモいですね。
ゴールドマン・サックスのイニシアチブにおけるスモールビジネスは、それがみなの暮らしをボトムにおいて支えるものであるからこそエッセンシャルなものとされていますが、バイデン大統領の声明で重要なのは、街のコーヒーショップやグロサリーストアから、テックやグリーンスタートアップまでが同等に扱われていることです。日本で起業家精神と言いますと、どうしてもITスタートアップのことを言ったりしますが、ここで注意すべきことは、いわゆる「エッセンシャル」なコミュニティビジネスがイノベーションのドライバーでもありうるし、テックスタートアップがコミュニティやネイバーフッドに寄与するものでもありうるということなのだと思います。
──さっきのレストランの話なんか聞きますと、単にメニューの進化だけでなく、飲食業界において業態やビジネスモデル、社会意識におけるイノベーションをドライブするのは、どう考えても大手ファミレスやファストフードではなく、ユニークな新興スモールビジネスですもんね。
おっしゃる通りです。また、スモールビジネスが生み出している雇用がアメリカで50%、世界銀行の調査では世界でも50%以上がSME(Small and Medium-sized Enterprise)だとされていまして、国によってはGDPの4割をSMEが占めていたりもします。かつ、事業体の数でいうと、世界の9割のビジネスがSMEだとされていますので、どう考えてもスモールビジネス、さらにはそれよりも小さいマイクロビジネスを下支えすることは、今後の雇用対策を考えるうえで重要になってきます。
──日本でも同じことが言えそうですよね。
もちろんです。先週の回で、最後にちらと、某飲料メーカーの社長がぶちまけた「45歳定年制」をくさしましたが、その話の大前提として、この社長は、いくら大企業といえども、今後もはや雇用を新たに創出することは叶わないということをおっしゃっているわけですね。これは経済団体の爺さまたちが、近年あからさまに口に出すようになってきたことですが、これまで日本経済を牽引してきたとされる大企業が、今後雇用を創出できなくなるのは、なにもこうした爺さまたちや45歳定年を語る社長が、雇用をつくり出せないポンコツ社長だからでは必ずしもなく、実際は、DXを進めていけば必然的に起きることなんですね。
──合理化しちゃうわけですもんね。
といったことは別に最近発見された新たな知見ではなく、ずっと前から言われていたことでして、そこにずっと目をつぶって知らん顔してきた罪はでかいですが、これまで威張ってきた財界が基本的に雇用を産まなくなることは、まあ、必ずしも彼らの責任ではないわけです。なので、某飲料メーカー社長が「45歳定年」を言い出すのは、趨勢としてはそうならざるを得ないわけですが、この社長が的外れなのは、自分が45歳で退社し、再就職した先で社長にまで上り詰めたことからくる自負からこれを言っているように見える点でして、45歳定年という話をするなら、自分の経験はまったく参考にならないということを、本当にわかってんのかなと思えてしまうところが間抜けなんですね。
──どういうことなんでしょう。
自分が45歳で転職して成功者になったという自負は、それはそれで結構なのですが、45歳定年という話のキモは、それを全社会的に実施したなら、「45歳以上は再就職できない」ということになるはずですから、この社長の「武勇伝」はまずそれ自体意味が失効してしまうんですね。
──ああ、そうか。45歳定年ということは、45歳以上は採らない、という話でもあるわけか。
そうじゃないと話としておかしくないですか。なんらかの枠組みを用意して、45歳以上の人を雇用できるようにしたとしても、そもそも「もう人手がそんなにいらない」というところから人員削減したいというのが企業の本音であるわけですから、「45歳定年」を謳っておきながら何の根拠において企業が45歳以上の人を雇用するのが正当化されるのか、よくわからなくなりますよね。
──たしかに。
某飲料メーカー社長なら「いや、社長は経験を積んだものがやらないと」とか言いそうですが、役員や取締役については、45歳定年のルールから除外されるというのなら、現状権力に近い人たちにとってただ都合のいいだけのルールにしかなりませんよね。あの社長の放言に多くの人が反発したのは、そういう匂いを嗅ぎつけたからなんだと思いますよ。
──なるほどなるほど。45歳定年という話は、基本45歳以上は個人事業主になるか、自分で法人設立するしか道がない、ということとして理解すべき、ということですね。
理屈でいうと、そうとしかならないはずなんですけどね。なので、あの社長もそんなこというなら、とっとと辞めてひとり立ちしたらいいんですよ。
──あはは。まあ、ああいう人はそれでも食っていけそうですけどね。
なら、なおさらそうしたらいいんですよ。
──あはは。範を示せ、と。
といったことを考えていましたら、まさにその話と合致する事例というか取り組みが進行していたことを最近知りまして、これがすっかり日本中を敵に回した観のある電通さまの事例でして、そう聞くと身構えてしまう人も多くいるかと思うのですが、これはかなり面白い事例だと思います。
──へえ。電通が。雇用に関する取り組みなんですよね。
はい。わたしは、これを毎日新聞の記事で知ったのですが、「さらば正社員 中高年を個人事業主にした電通の『大実験』」というタイトルです。
──いきなり反発を食いそうなタイトルですが(笑)
概要を記事から、ざっと。
電通が2020年、新たな人事制度「ライフシフトプラットフォーム」を公表した。この制度で早期退職募集に応じた40歳以上の社員は、退職金を受け取り、その後も個人事業主(フリーランス)や法人の代表として電通の子会社「ニューホライズンコレクティブ(NH)」と新規の顧客へのビジネス提案などの業務委託契約を結ぶ。対象者約2800人のうち、大谷さんを含め約230人が応募した。
大谷さんは契約に基づいて、電通がこれまで接点を持たなかったような企業に広告制作などの提案をしつつ、自分の夢である陶芸にまい進している。退職した社員らは、新規ビジネスを実際に受注できたかどうかにかかわらず、最長10年間、これまでの年収に応じて平均50~60%程度の固定報酬をもらえる。
実はこの制度、社員の提案で実現したという。提案者で、NH代表に就いた山口裕二さん(53)は「時代の変化の中で、自分に適したポジションがなくパフォーマンスを発揮しきれていない人が見受けられた。『人生100年時代』といわれる中、年齢や会社の枠にとらわれずに、60歳でも70歳でも個人の力を発揮できる方法を今から考えてもよいと思い、『大実験』を提案しました」と話す。
会社にとっても、バブル期を中心に大量に採用した中高年社員が早期退職すれば、人件費の削減につながる。ただ電通は、単に早期退職させて終わりではなく「安定した報酬を得ながら、個人がやりたかったことに挑戦できるような仕組みにした。社員有志が構想を練り、2年以上かけて準備した」と説明する。優秀な社員が退職しても、個人事業主としてつながりを保つことで、有望な新規ビジネスが電通に舞い込む可能性にも期待しているという。
──なるほど。早期退職者をただ退職させるだけでなく、個人事業者として業務提携関係を結び、10年間は報酬を払うかたちで事業支援しつつ、同時に、会社にとっても、独立した個人事業主の方たちが新たな営業チャンネルにもなる、と。辞める側、辞めてもらう側、双方にメリットがある格好になっているわけですね。
はい。この制度がいいなと思ったのは、会社がそれなりに、個人事業化にまつわる困難を解決しようとしている点で、この新会社ニューホライゾン・コレクティブのサイトは、退職した個々人に仕事が発注できるプラットフォームになっているのは、なかなかよいアイデアだと思います。
──ここから、実際どれだけ仕事が舞い込んで来るものなのか、気にはなりますね。
はい、また、記事内にある以下の取り組みも、いいものだと思います。
新制度の特徴はもう一つある。退職者同士でネットワークを作っていることだ。月に数回、近況報告をし合い、仕事でも助け合う。大谷さんもネットワーク内の人脈を通じ、自身が作った陶器の帯留めを都内の呉服店で販売してもらうことになった。「接点のなかった人と知り合えるし、仕事も紹介してもらえて助かっています。孤独にならないことが大きい」と話す。
──個人事業化に伴う孤独という問題。これは大きい問題ですし、今後さらに大きくなりますね。
この「実験」は、電通という会社における社員のそもそもの業務が、ある程度個人化できるものであればこそできるものだと思いますし、法政大キャリアデザイン学部の田中研之輔教授は、「電通はコピーライターなど手に職のある人材が多く、社員が独立しやすい企業であるのは事実」と、記事内でも指摘していますが、記事は、こうした取り組みは電通に止まらないだろう、とも書いています。
電通の新制度は「人生100年時代」といわれる中、中高年の働き方が転換点を迎えていることを示しているように見える。
かつて会社員は、60歳で定年退職を迎えるのが一般的だった。しかし、人口減少で働き手が減り、高齢化で年金制度の持続が課題になる中、政府は高齢者の就労を増やそうとしている。4月には、70歳までの就業機会の確保を努力義務として企業に課す改正高年齢者雇用安定法が施行された。内閣府によると、60歳以上の働き手も、9割近くが70歳以降も就労を希望している。
ただ、企業が高齢者を雇い続けるのは簡単ではない。年齢を重ねるにつれ、仕事のやり方が「賞味期限切れ」となったり、若手にポストを譲ることで働く意欲が下がったりする社員は少なくないからだ。キャリア戦略に詳しい法政大キャリアデザイン学部の田中研之輔教授(44)は「企業は『組織にしがみつく人』を支えられないと思っている。人材を活性化させるためにも、電通のような制度を導入する企業は出てくるだろう」と指摘する。
働き手の側も意識改革が求められそうだ。田中教授は「電通はコピーライターなど手に職のある人材が多く、社員が独立しやすい企業であるのは事実」と指摘。「ただ、どんな会社、職種の人でもこれからの時代、長く働くには何らかの技術を身につけ、更新していくことが必要。営業をやってきた人なら、受注を獲得するまでの自分のノウハウを文章にしてみるなど、スキルを再点検し、環境が変わっても働き続けられるよう準備しておくことが大切です」と話す。
──ああ、面白いですね。要は、国は高齢者の再雇用を促進したいと思っているけれども、企業側は勘弁してくれ、と言っているわけですよね。むしろ「45歳定年」と言ってみたり、国を牽制しているところもあるんでしょうね。
45歳定年の話が出たときもそうですし、今回の記事でもそうなのですが、「組織にしがみつく人」という言い方が、わりと頻繁に出てきますが、この言い方、本当にやめた方がいいと思うんですよね。もちろん、そういう目障りなおっさんなどが企業にいつまでも居座っていることをよく思っていない人がいっぱいいるのは想像できますし、その人たちが「早くいなくなってくれるといいなあ」という思いが経営層から若手社員まで、広くあるのはわかりますが、そうやって非難がましく責めて、居心地悪くして辞めさせようみたいな物言いは、基本いじめと同じですし、ここまで意固地に居座ってきた人が、それで辞めるかというと辞めませんよね。だし、そう言っている経営層にしても、日本企業ではその実、ほとんどが「組織にしがみついてきた人たち」なわけですよね。上層部がそんなだからこそ、下だって辞めないわけじゃないですか。
──なるほど。
わたしのいる業界はかなりフリーランサーが多い業界ですが、そういう人たちが身の回りにふんだんにいたとしても、それでも新卒で会社に入り転職はあれども個人化したことがないと、個人事業主としてやっていくことにものすごい恐怖を感じる人はいるんです。「自分にはできない」って思い込んじゃっていますから。そういう人に「組織にしがみつくな」といくら言ったところでダメで、できそうだという手応えや、安心感を与える必要があるんです。あるいは、そこに向けて色んな知識やノウハウを調達する必要もあります。で、これを自分ひとりでやれ、と言われても、そこにはなんのインセンティブもありませんから、まあ、やらないですよね。それをやる人は、最初から、いつかは独立でもしようかと思っているような人ですから。となるとですね、企業はまず、そんなに辞めて欲しいなら、そういう人たちに向けて、ある種の教育を普段からやっていかないとダメなんですよ。
──そうですか。企業側には、そのインセンティブがなさそうですけど。
どうでしょうね。企業は常に創造性のある人材が欲しいとか言っていると思うんですが、それってほとんどが「起業家精神」のある働き手が欲しいと言っているようなものでして、そういう人を社内で育てるということは、実際は、独立して事業ができる人間を育てるということと、ニアリーイコールであるはずなんですけどね。でも、企業の多くは、おそらくそういう起業家精神のある人材を育てたいと言いながら、実際は、その人たちを自分たちの言いなりになるように使いたいと思っているわけです。
──創造性のある起業家精神をもっていて、会社の言いなりになってくれる、そんな都合のいい人は、まあ、ふつうに考えて、この世にほとんどいないですよね(笑)。
要は不可能なことを言ってるんですよ。
──ないものねだり。
まさにそれです。なんにせよ、社員の独立支援と、社員の創造性、起業家精神の育成は、基本は同じことですから、そう思って自社の人間を、育てていくことを企業はもっと真剣に取り組むべきですし、それをやらずに言いなりになる人間ばかりを重宝するから、生産性も上がらないんだと思いますけどね。
──なるほど。
さらについでに言いますと、そうやって個人として生きていくためには、なんらかのスキルが必要だ、という話も必ず出てくるんですが、それもミスリーディングなんですよ。スモールビジネス振興のキモは、「こういう具体的なスキルがないとスモールビジネスができないよ」と言うことではなくて、「どんなスキルでもビジネスにできる」と言うことなんだと思うんです。
──どういうことでしょう。
先のニューホライゾン・コレクティブのページには、みなさんそれぞれの営業用コピーが、「#」付きで一言で紹介されています。これを見ていただくとおわかりになるかもしれませんが、実は、「自分の売り」というものには、色んなレイヤーがあるんですね。「スキルが大事」という言い方は、だいたいの場合、ここでいう「#電子工作系クリエーティブディレクター」「#戦略家」「#マーケ一筋30年」といった「肩書き」的なものを想定しまいがちですが、必ずしもそうでなくてよくて、「#企画はともあれ企画書がうまいです」とか「#新しい取組み好き」「#断りません」「#中東・欧州・アセアン12年」みたい具体的な対象に関わらず得意なことというレイヤーや、なんなら「#イタリアに恋して」「#園藝とレコード」といった趣味のレイヤーでも、実は、自分の「売り」になるというか、していいんですね。
──人には誰しもなにかしらの取り柄がある、と言うことですよね。
ダイバーシティとかインクルージョンって、そういう話だと思うんですよね。世の中の仕事には決められたカテゴリーがあって、それに合致する人が、これまでは「働き手」であったわけですが、経済におけるダイバーシティとかインクルージョンっていう話は、そのカテゴリーを増やしましょうっていうことではなくて、「すべての人は誰かの役に立つことができる」という前提に立った上で、それを事業化できるようにしましょう、ってことであるはずなんですよ。
──ああ、そうか。「一億総活躍」なんていうお題目も、本当はそうあるべきものですよね。
もちろん、これは理想論としては、ということですが。
──これは、最近よく言ってらっしゃる、「コンピテンシー」というものを通して人と社会がつながっていくと言う考え方にも通じていますね。
そうですね。スキルという話になると、必ず「資格」ということばが出てきますよね。つまり、おまえはそれをやれる資格があるのか、ということですが、これがどんどん浸透していきますと、何かを言ったりすることにも資格を求められるようになって、その程度のことも知らないなら語る資格もない、といった物言いも出てくることになるわけですね。で、そうなったとき、その「資格」を設定する者がつねに権力なり権威をもつことになるわけです。もちろん、そうした資格が大事になる領域はありますが、この世のほとんどの仕事は、資格化された技術を交換することだけで価値が発生しているわけではなく、すぐにやってくれる、とか、こっちの話をよく聞いてくれる、とか、趣味が共通とか、そういう定量化できないところで発生していたりするわけですよね。特に個人事業主のようなかたちになっていくと、「資格」の部分で勝負できるところなんて本当にごく一部なんですよ。
──ほんとですね。
ずいぶん前にMITメディアラボで客員研究員をされていたスガタ・ミトラさんという方に、これからの教育というテーマでお話をお伺いしたことがありまして、そこで彼がお話されていたことは、鮮烈でいまもよく覚えています。
会計士ではないのに、あなたが会計士のフリをしていたとします。わたしがそれを信じてあなたに仕事を頼んだとします。あなたはインターネットを駆使してわたしのバランスシートの問題を解決し、わたしは報酬を支払います。次のお客さんが来ます。同じ手順であなたは仕事を遂行します。2度目は最初のときよりも仕事は簡単になっているでしょう。それを2〜3年続けたらどうなりますか? あなたは立派に会計士ではないですか? それがわたしの問いでした。人は何かのフリをしているうちに、それになってしまいます。子どもたちも、実際そんなふうに学ぶのです。インターネットを前提としたこうした学び方は、これまでの教育のあり方を消滅させてしまうことになるでしょう。
これからの時代、資格試験や卒業証書などは無意味になっていくでしょう。それよりも何ができるのかが問われます。わたしの会計の問題を解決してくれるなら、あなたは会計士です。免状などいりません。その社会では、人々は一切の画一化から自由になっています。
──いまはまだ想像しにくい世界ですが、でもYouTubeの教則ビデオなどで学びながら、新しいことを学んでいくようなことは実際周りでも増えている感じもしますし、すでにそういう時代なのかもしれませんね。
ただ、こうした社会に待ち受けている困難もありまして、先生はそれを、こう語っています。
同時にみんなが共有する知識というものもなくなります。そのとき物事の価値判断はいったいどうなってしまうのでしょう。わたしの現在の興味はそこにあります。子どもの価値判断のメカニズムがどうやって形成されるかということです。それがわかれば、未来の子どもに教えるべきことは3つだけになります。読み書きする能力。必要な情報を得る能力。そして、その情報の価値を判断する能力、つまりあらゆるドクトリン(教理)から自由になるための能力です。
──面白いですね。共有する知識がなくなるというのは、まさに「リテラシー」という概念の崩壊を意味するのだと思いますが、それはまさにフィルターバブル/フェイクニュース/陰謀論というもののなかにあらゆる陣営が落ち込んで、泥試合を繰り広げている様相と重なります。
「情報の価値を判断する能力、つまりあらゆるドクトリン(教理)から自由になるための能力」というものほど、いま必要にされているものもなさそうですが、それをいかに身につけるのか、は難しい実践になりそうですよね。そんなことが、「ドクトリンから自由になる」ことがほんとうに可能なのか、という気もしますし。
──難しい問いですが、重要な問いですよね。
いま改めてその重たさを感じます。
──って、結局、今日は〈Weekly Obsession〉の話題に到達する前に終わりそうですが。
そうですね。今回は「Quartz」の「スモールビジネス・コンテスト」に寄せた話題ということにしましょうか。ちなみに、このキャンペーンに紐づくかたちで、小特集「Built FOr Small Business」もありますので、もしよかったら覗いてみてください。Z世代、建設業界、法律業界、スモールビジネスにおけるサイバーセキュリティといった興味深いお題が並んでいますので。
──最後に一言だけ、自分が個人事業主だとして、ご自分の売り文句を、さきほどのニューホライゾン・コレクティブにならって言うとしたら何になります?
うーん。難しいですね。「#遠くから見る」。ですかね。
──あはは。いいですね。この連載も毎回、遠くをウロウロしてる感じですもんね(笑)。
近いの、得意じゃないんですよ。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社設立。本連載の書籍化第2弾『週刊だえん問答第2集 はりぼて王国年代記』のお求めは全国書店のほか、Amazonでも。
📺 『Off Topic』とのコラボレーション企画、4回連続ウェビナーシリーズの第2回は9月28日(火)に開催。詳細はこちらにて。先日開催した第1回のセッション全編動画も公開しています。