A Guide to Guides
Guidesのガイド
Quartz読者のみなさん、おはようございます。世界はいま何に注目し、どう論じているのか。週末ニュースレターでは毎回、US版Quartzが週ごとに組んでいる特集〈Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんに解題していただきます。今週は「意思決定」について。
──つい昨日、さるメディアに若林さんの『Next Generation Government』が取り上げられていましたね。
そうみたいですね。
──なんでも菅総理候補が提唱した「デジタル庁」というアイデアが、この本にルーツがあるという内容で。
みたいですね。
──すごいじゃないですか。
そうですか?
──あれ。嬉しくもない、と。
どうでしょうね。本当に読まれたかどうかもわからないですし、自分が一番伝わって欲しいと思っていたところが届いているかもわからないですからね。都合のいいところだけ取り出されて拡張されても、こちらにはいい迷惑ですし(笑)。
──それはそうですよね。
例えば、菅さんという方が「自助・共助・公助」みたいなことをおっしゃったときに、ちょっとイヤな予感はしたんですよね。というのも、『Next Generation Government』は、「公助」が尽きたときに、人の生活や社会を守るためには「自助」「共助」の仕組みを社会のなかにおいてもっと強化する必要があって、そのとき「公助」はそれを下支えする一種のプラットフォーム的な役割となっていき、そうした仕組みをデジタル技術が強化することを可能にする、ということが主旨の本なのですが、この骨子だけは、それで即、バラ色の未来をもたらしてくれるものではないことは明らかなんですね。
──そうなんですね。
本のなかにも書いていますが、こうした社会のありようを全面に押し出したのは英国のキャメロン首相だったんです。
──へえ。
「ビッグ・ソサエティ」というコンセプトを打ち出してキャメロン首相は当選したんですが、そのコンセプトの要点は以下のようなものです。
- コミュニティに権限を与える:ローカリズムと権限移譲
- コミュニティ内で市民がアクティブな役割を担うよう後押しする:主体的参加
- 中央から地方政府への権限移譲
- 生活共同組合、相互会社、慈善団体や社会企業を支援
- 行政情報の公開:オープンで透明なガバメント
──なるほど、とは思いますが。
ところが、これは英国内ですこぶる評判の悪いコンセプトでして、当時の国民の57%がこの施策を「公共事業を削減するための口実にすぎない」と考えたといわれていて、さらに当時の労働党党首だったエド・ミリバンドは、「市民社会の再興という美辞麗句を用いて、コストカットを正当化しようとするシニカルな試み」「仮面をかぶった小さい政府」とバッサリ切り捨てています。
あるいは「キャメロンが考える理想の社会は、国家というものが存在しないソマリアのようなものらしい」と揶揄されたりもしました。
──なるほどなるほど。たしかにそうですね。菅さんの「自助・共助・公助」にもそういう批判が出ていますね。
そうなんです。とはいえ、おそらくこれからの国家は、その財政が悪化するばかりになっていくのは目に見えているところではありますし、簡単に増税できるわけでもないとなると、たしかに民間セクター、シビックセクターのなかに公共的なものを埋め込んでいくしか社会をサステインできなくなるだろうという見立てはその通りだとも思うんです。
かつ市民のなかにもそういう機運はあって、それこそ菅さんという方のお気に入りとされている「ふるさと納税」なんていう施策は、まさにこうした機運によって後押しされたものだったと思うのですが、とはいえですよ、「公助」を担う側が、「おれらもう無理なんで、あとはよろしく」みたいなかたちで、都合よく手放されても、そりゃ「おいおい」ってなるわけでして、それこそ、「仮面をかぶった小さな政府じゃねえか」でしかないわけですよね。
──そりゃそうですね。
そもそもデジタルテクノロジーを最大限に活用したガバメントというものは、そのアイデア自体がすでにプライバシーなどの問題を孕んでいるものだったりするわけですから、政治や行政のいままでのマインドセットや仕組みのなかでやったら、ブラックボックス化が進み、独裁性が強まるのはもう火を見るより明らかなんですね。
──ふむ。
で、ここで一番重要なファクターは「信頼」ということになってくるんです。
──ほお。
デジタルテクノロジーはデータというものを通して人を丸裸にしていってしまうものなわけです。で、あたりまえのことですが、誰もそんなのは嬉しくないわけですよね。
──たしかに。
なぜ自分たちだけが丸裸にされなきゃいけないんだ、と思うわけです。
──はい。
とはいえ、技術的には、それができちゃうわけですから、そうした仕組みのなかで公正性を担保し、行政府によってこちらが丸裸にされている状況をブレイクイーブンにするのであれば、反対にこちらから行政府を丸裸にできる環境にするしかないはずなんですね。もちろん例外的な領域は当然ありうるとは思いますが、デジタルガバメントの基本的な考え方はそういうもので、例えば、台湾のIT大臣のオードリー・タンさんの出た会議や行ったインタビューは、基本内容が公的に公開されているんですね。
──そうなんですね。
これはオードリーさんのことばですが、デジタル民主主義における最も重要な原理のひとつは「transparency by default」、つまり「透明性」ということです。
──それは、たしかによくおっしゃっていますよね。
加えて「accountability」つまり「説明責任」というものがこの上もなく重要になるんですが、要は、お互いの「信頼」がないところでデジタル民主主義は成立しないというのは、これまた非常に基礎的な原理でございまして、民主主義国家におけるデジタル化と絶えざる信頼の構築というのは、これはもうコインの裏表にして不可分なものなんです。
──なるほど。「都合のいいところだけ取り出されてもな」というは、その辺のことですね。
ですね。デジタル庁などとおっしゃっている方が官房長官を務めてきた政権はといえば、議事録もロクに残さないのはおろか、平気で公文書を破棄したり改竄したりしてきたことで知られているわけですし、デジタル庁をおっしゃっているその人も、ろくに政権の説明責任を果たさず、率先してメディアを恫喝したりしてきたことも広く知られていますし、さらにいえば首相を争う段においても、非常に隠微な“昭和”のブラックボックススタイルを踏襲されているわけですから、デジタル政府において不可欠であるところの「透明性」や「説明責任」というものをどう考えているのかと首を傾げたくもなるわけですね。
──その時点ですでに「DX」の本義をわかっていない、と。
わかっていないかどうかは知りませんが、まあ、いままでのやり方やマインドセットのなかでデジタル化を進めてもロクなことにならないのは明らかだと思うんです。要は、新しい時代環境に適合すべく「変われ」と国民に言うことになるわけですから、それを言うなら、「まずオマエからな」となるわけで、次に首相になる方や、そのそばにいらっしゃる官僚の方々が、「DX、DX」と言い募るつもりなら、自ら範を垂れてもらわなくては、国民もついて行かないですよね。
──DXを推進しなきゃいけない担当大臣や経済界のトップが、パソコンもろくに使えないとか、ありえないですよね。
自分が変わる気もない人に「変われ」って言われてもね、ということなんですけどね。それくらい簡単な機微もわかんなくなっているのだとしたら、政治家も官僚も、相当浮世離れしていそうですね。うらやましいくらいです。
──ほんとですね。
Decision making
意思決定のパラドクス
今回の〈Guides〉は「Decision making」、つまり「意思決定」をテーマにした特集なのですが、非常に面白いものであるだけでなく、例えばコロナ対応における国家元首の「意思決定」といったことを念頭におきながら読むと、とても示唆に富んでいるものなんです。
──コロナの専門会議の議事録が、要約だとはいえ平均10行で、かつ「意思決定者」の発言などが一切なかったということが指摘されていましたが、まあ、なんにせよ、一連のコロナ施策における「意思決定」の合理性のなさと不透明さときたら呆れるほどでしたね。
そうですね。今回のGuidesでも、一番長尺のメイン記事とも言える〈What a study of video games can tell us about being better decision makers〉は、コロナの話から始まっていて、しかも、安倍内閣の「意思決定」における象徴的な政策ともいえる「学校封鎖」をめぐる話題からスタートしています。
──いいですね。
といっても、これは施策の是非を扱った記事ではなく、「superforecaster(スーパーフォーキャスター)」と呼ばれる、未来予測のプロをめぐる話なんです。
──はあ。
今回のGuides全体にわたって語られていることの基本的な問いは「よい意思決定のためには精度の高い予測が必要だが、精度の高い予測を常に人間の『認知バイアス』が妨げている。とするなら、そうしたバイアスに陥ることなくより精度の高い予測を可能にするにはどうするべきか?」というもので、この記事では、IARPAという組織が主宰する「FOCUS」(Forecasting Counterfactuals in Uncontrolled Settings)というプロジェクトが紹介されています。
──なかなか物々しいですね。
そうなんです。記事を読んでまず驚くのは、その物々しさなんです。IARPAは、DARPAの姉妹組織というべきもので、正式名称を「The Intelligence Advanced Research Projects Activity」と言いまして、CIAやFBIといった諜報コミュニティのためのリサーチを行う国家情報局長官室の一部門なんだそうです。
──へえ。
まさに国家的な意思決定を行うための「情報の取り扱い」の専門機関で、そのなかで、このFOCUSというプロジェクトは「制御できない環境下における反事実の予測」をテーマにした研究を行っているのですが、ここでいう「Counterfactuals=反事実」というのは、簡単にいえば「もし、あれがこうなっていたとしたら、現実はどうなっていただろう?」と考えるときの「『もし』の先にあるシナリオ」のことだと思っていただくとよさそうです。
──そうした「意思決定」をめぐる研究を国家諜報組織で行っているというわけですね。
そうなんです。で、記事で紹介されているエレン・リッチさんという研究者は、まさに「学校を閉鎖しなかったとしたら何がおきていたのだろう?」という質問に答えることで、「学校封鎖」がどれだけ感染封じ込めに有効かに答えを与えようとしていたわけです。
──すごいですね。
これはあくまでもリサーチで実際の政策立案に関与するわけではありませんので、ここでは統計モデルなどを用いたシミュレーションを行うわけなんですが、彼女らはこのリサーチのなかで「Civilization V」というゲームを使ってよりよい「意思決定」のプロセスをモデル化しようとしていたりしていまして、この辺も非常に面白い話なのですが、記事が注目しているのは、このプロジェクトを主導しているエレン・リッチさんの思考プロセスそのものなんです。
──彼女が、さっき言った「スーパーフォーキャスター」なんですね。
そうなんです。彼女は、2008年の米大統領選での予測で一躍有名人になったネイト・シルバーの予測技術に興味をもち、「The Good Judgement Project」というプロジェクトに参加したことで予測の才能を見出されてFOCUSに参加した方なのですが、彼女は記事のなかで自分自身で言っているように、実はなんの専門家でもないんですね。
──あ。そうなんですね。
そうなんです。記事には「引退した薬剤師」と紹介されていますから、おそらく若くもないようです。可能性としてはただのおばちゃんなんです。そもそもいま挙げた「The Good Judgement Project」というのは「一般人の予測が専門家の分析に勝るかどうか」を研究をしてきたペンシルバニア大学の心理学の教授が始めたもので、エレンさんは、そこで非常に優秀な予測能力を発揮したというんですね。
──面白いですね。コロナ対応のなかでは、「専門家会議」なるものが、非常に権威あるものとして位置付けられていましたが、そのなかで「政府が専門家会議の意見をちゃんと聞いていないんじゃないか」といった批判はありましたが、「専門家の予測なんかあてになるのか?」という批判は、さすがになかったですもんね。
そうなんですよね。問題は、「予測」というもの自体が、ある意味特殊なものごとの見方を要求するということで、「専門家」と呼ばれる人は、データを取り出して、それを解析することはできても、そこから「何が起きるか」を予測するプロでも達人でもないということなんですね。
──めちゃ面白いです。とすると、エレンさんはなんの達人なんですかね?
彼女のみならず「The Good Judgement Project」で高い能力を発揮した人たちに共通しているのは、以下の点だと記事は書いています。
- 数字を読む能力が高い
- 「外からの視点」を常に考慮する
- 思考がオープンである
- 自分の視点への反証を常に探す
- ひとつの理論に依拠せず、複数の競合する理論を見渡す
──なあるほど。たしかに、これは「専門家」にはなかなか難しそうですね。
ちなみに「Outside View=外からの視点」という用語は、ノーベル賞を受賞した行動経済学の重鎮ダニエル・カーネマンの提唱した概念で、目の前にある問題と類似の構造をもった問題をさぐり当てる思考をさしているそうで、これと対置される「Inside View=内なる視点」は、俗に「認知バイアス」と呼ばれるもので、詳しく知っていることほど、自分が想定する結果通りになると思ってしまったり、好意的な判断を下してしまうことを指すそうです。
──自分が詳しい領域についてであればあるほど、それを相対化するような視点は持ちづらくなりますよね。
さらに記事は専門家の問題として、「ベストプラクティスを採用しない」という問題を挙げていたりもします。
──あるやり方にどうしてもこだわってしまうわけですね。
ですから、精度の高い予測を行うためには、ひとりでやるのはダメで、まずは複数の個人で予測を行い、それぞれをみなで検討し、そこからまた個人で予測をして、というプロセスを繰り返していくことで、予測の精度をあげていく、というプロセスを経るそうなんですが、このやり方は、冷戦下におけるアメリカの軍事戦略の立案と研究を行っていたランド研究所で開発されたデルファイ法という手法をベースにしているそうです。
──「予測」をめぐる研究っていうのは、それにしても、昔から、しかも国家レベルで存在してきたものなんですね。改めてそのことに驚いてしまいます。
面白いですよね。そこからさらに次の記事〈Use this tool to overcome the biggest decision-making mistake〉に行くわけですが、いわゆる認知バイアスを引き起こす最大の要因は、「overconfidence=自信過剰」であるとここではされていまして、これこそが「バイアスの母」とさえいわれています。
──それはなんとなくわかります。
その自信過剰のなかでも「overaccurate」ということがとりわけ問題だとされていまして、これは“自分が知っていることについては、無駄に正確性にこだわってしまう”という傾向で、その傾向を測るためのテストが記事内には用意されているのですが、これは非常に面白いものです。
──どういうものですか。
例えば「Facebookの創業年は?」「Amazonの株の1月の価格は?」といった質問が5つ出てきて、それを最初の質問であれば「何年〜何年の間」、2つ目であれば「何ドル〜何ドルの間」といった答え方をするのですが、ここでのお題は「正確に当てろ」ではなく、「5つの質問のうちきっかり4つが正解になるように答えろ」というお題になっているんです。
──面白い。Facebookの創業年の見当がつかない人は、1900年から2020年の間、と答えればいい、ということですね。
です。ただ、5問正解にしてはダメなので、ここが難しいところなんですね。わたしも最初試したときは、ちゃんとお題を読まなかったので、正確にあてることにムキになってしまい、2問しか正解しなかったんですが「きっかり4問正解しろ」となると、これ、実はまったく違うアタマの使い方になるんですね。面白いのは、問いが出されるとついムキになって正解を出そうとしてしまうことで、しかも多くの場合狭いレンジで答えようとしてしまうんですね。カリフォルニア大学のドン・ムーア教授は、人は自分が知っていること以上の知識をもっていると思いたがっている、という傾向をこの調査を通じて明かしています。
──つまりオーバーコンフィデントで、かつオーバーアキュレートである、と。
そうなんです。こうした認知上の傾向は、個人レベルでは大きな問題にならないことも多々ありますが、企業のような組織、まして国家の運営に関わる組織における「意思決定」においては巨大な問題を引き起こすことになりますから、非常に怖いわけですね。
──たしかに。どうしたいいんですかね。
記事にはこう書かれています。まず、「自分の自信に見合うように自分の知識レベルをあげることは役に立たない」。
──え。そうなんですね。
ムーア教授はこれをきっぱり否定していまして、専門知識が増えていくにしたがって、過信は比例すると語っています。ですので、自分や組織内に向けてやるべきは、まず、できるだけ具体的に物事を語ったり理解していくことだとされます。「運転がうまい人」と言ったときに「運転がうまい」というのがなにを指しているのかを明確にしていくということです。次いで、「できるだけ数字にして言い表し、かつ確率として言い表していくこと」。そして最後に、「何度も考えてみること」。自分のあたまで、何度も意見を戦わせるということですね。
──ふむ。難しそうな、難しくなさそうな。ただ、何かを決定するような議論をしたり、考えたりする際に、いちいちそれは「何パーセントくらいの確率で起きるだろう?」とかは、あまりやらないですね。
〈How to improve your decision-making process〉という記事では、意思決定の精度をあげるための6つティップスがさらに紹介されていますが、ここでの面白い指摘は、わたしたちの意思決定の大半は、さまざまな理由から、「最良の選択」を選び取るところにフォーカスが向けられるより、「Good Enough=十分な選択」に向けられているという点かと思います。
──それも、あるあるですね。
できるだけ「最良」を目指すためには、以下の6つをちゃんとやることが大事だとされています。
- 問題を定義する
- 判断基準を設定する
- 判断基準に優先順位をつける
- オルタナティブな可能性をどんどん出す
- それぞれのオルタナティブを順位づけする
- 最適な決断を選ぶ
──「最適な決断を選ぶ」ってそりゃそうだ、ですが、そこが難しいのではなかったでしたっけ?
そうなんですが、そこにいたるまでの順位づけのなかで、選択はだいぶ狭まっているはずですので、ある程度の目鼻はついているはずなんです。かつ、最後のプロセスでは、必ず「その決断が失敗したときにその理由をどう人に説明するか」を考えるよう記事は勧めています。そうすることで最終判断の脆弱な部分が明らかになりますし、それが見えると、そこを強化することが可能になるわけです。うまくいかないときのシナリオをあらゆる角度から検証することは、最終判断をする上で欠かさないようにと記事は書いています。
また、「感情」というのは非常に重要な情報だ、とこの記事は言っていまして、「なんかしっくりこない」といった気分は、「なにか見落としていることがある」可能性を示唆しているので、そうした気分や感情を見落とすなとも語っています。
──それでも思い描いていた予測は、結構外れますよね。
そうなんです。予測は必ずしも思い通りには行きませんし、結果、あとで「もし、こうしていたら、結果は違っていたはずだ」といった思いに苛まれることにもなりかません。そうした「後悔」がその後の意思決定にも影響を与えることにもなりますし。
──後悔、したくないですもんね。
〈Why regret hurts so much—and why it’s good for us〉という記事は、「後悔」と「意思決定」の関係性についてのこれまた非常に面白い記事です。記事のポイントをいくつか紹介しますと、まず後悔には「やったことに対する後悔」と「やらなかったことに対する後悔」の2種類があるという指摘は重要かなと思います。
「やったことに対する後悔」はまだ自己正当化がしやすく、少なくとも何かは「やった」ことがいずれ自己肯定感へとつながるといいますが、「やらなかった後悔」は、自分を正当化するのが難しく、自分を責め続けることになるという点で、より乗り越えるのが困難であると記事は書いています。
──ううっ。なんか身につまされますね。
ただ、キルケゴールという哲学者は、「結婚しても後悔するし、しなくても後悔する。どっちにせよ後悔する」といったことを言ったそうで、後悔という感情は、結局のところ人生は一度しかないという事実につながっているものだと記事は解説しています。つまり、人生に限らずあらゆる物事は、時間を巻き戻してもう一回やり直すことができませんし、A/Bテストをやってから判断するということもできないわけですね。
──ですね。
であればこそ、後悔という感情は不可避のものですし、後悔の感情が作動している限りにおいて、人は、過去を精査・分析して、そこから何かを得ようとしているわけで、その意味で後悔という感情は、非常に人間的でありポジティブなものだとも言えるはずなんですね。
──たしかに。
記事は、こんな素敵な文章で閉じられています。「後悔のない人生を歩むことが重要なのではない。重要なのは後悔をもつことで自分を憎むようにならないことだ」
──いいですね。
「意思決定」の話題からだいぶ遠くまで来てしまいましたが、意思決定というものの難しさは、こうして見ていくと、きっと人間の弱さに関わるからなんですよね。
──認知バイアスから後悔まで、人間が人間であることのバイアスがそこには大きく関与していくわけですもんね。
アメリカにおいてこうした研究が盛んに行われているのは、もちろん最終的には、正確無比な予測を機械的に行うことを目指してのことではありながらも、それがとても面白く感じられるのは、こうした研究が結果として、逆に人間の弱さ、つまりは人間の人間らしさを明かしているように見えるところですよね。
──はい。
世界が複雑化し、予測不能性が高まっているなか、より合理的で、より精緻な予測に基づく意思決定が目指されている一方で、その合理性が高まれば高まるだけ、人間の弱さが浮き彫りになっていくというのは、いま、意思決定を担う多くのリーダーがおそらく直面している面白いパラドクスなんじゃないかと思うんです。
──自信をもちすぎているやつはいい判断ができない、とされているわけですしね。
と考えると、いま求められる「意思決定者」の資質は、そうした人間の弱さに対して正直であることだったりするようにも思うんです。実際、コロナ対応で評価されたリーダーは、わからないことについてわからないと言えるような、そういう弱さをもってリードするようなやり方だったように思うんです。
──言われてみればそうかもしれません。
弱さに対して正直であるからこそエビデンスを重視するし、弱さに対して正直であればこそ「もし〜だったら」を最大限に考慮するし、弱さに対して正直であればこそ決定にいたるまでの一連のプロセスをきちんとオープンにする、と、そういうやり方を取らざるをえなくなっているんですね。
──最初に話に出た「透明性」や「説明責任」というものは、そうした弱さも含めたものとしてある、とそういうことになるわけですね。
乱暴な説明だとも思うのですが、これまでの「俺が言うんだから間違いない」といったマッチョな意思決定が決定的に世界のありようと不適合を起こしているのを見るにつけ、未来は予測不能でわからないということを前提にベストな選択を選びとっていくという作業は、より謙虚さを要するタスクになっているのは間違いないと思うんです。そうした謙虚さをもって社会なり組織なりを導くためには、みなと同じ地平に立って、隠し立てすることなくオープンマインドをもって世界と相対することが不可欠になってくるように思います。
──わからないときはわからないと言われた方が、かえって安心することもありますよね。わかったふりとか、やれているふりをされるのが一番不安になるわけで。
信頼って、結局はそういうことなんだと思うんですけどね。弱さを分かち合うことじゃないですか。
──ほんとですね。日本の政治家にできますかね?
お年を召した方に、いまからそんなふうに「変われ」というのは、もはやすでに酷な話かもしれません。「変われ」と言うことは大事なことですが、それで実際に変わることは期待はしない方がいいんじゃないでしょうか。
──残念な感じですね。
世代が変わっていくなかで徐々に変わっていくとは思いますよ。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともホストを務めるポッドキャスト「こんにちは未来」のエピソードをまとめた書籍が発売中。
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