A Guide to Guides
Guidesのガイド
Quartz読者のみなさん、おはようございます。世界はいま何に注目し、どう論じているのか。週末ニュースレターでは、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんに解題していただきます。※ 本連載は、書籍版の制作作業のため、2週間お休みします。内容もリニューアルしてお届けする次回の配信は、11月15日を予定しています。
──お疲れさまです。
いや、ほんとに。
──大統領選もいよいよ大詰めですね。どうなりますかね。
バイデンが優勢と言われていますが。どちらが勝っても大荒れになりそうですね。
──すでに早期投票に行った人が5,000万人を超えたとも言われてます。
すごいですね。週刊誌の『TIME』が、創刊以来初めて表紙から「TIME」のロゴを外して、その代わりに「VOTE」の文字を掲載していましたし、昨晩、オンラインでさまざまなサイトを覗いていましたら、投票に行くよう促すメッセージがいたるところに掲出されていました。時代の大きな分岐点であるという認識なのだと思いますが、これはきっと両陣営が同じように感じている危機感なんでしょうね。
──トランプ陣営もきっとそう思っているわけですよね。
そうなんだと思います。自分が見ているメディアからは、右派の心情があまりわからないのですが、そちらはそちらで必死なのだと思います。そういえば、非常に面白いエッセイが、『The New York Times』に掲載されていました。
──どういうものですか?
アメリカ中西部のインディアナ州の小さな町に暮らすブライアン・グローという小説家が書いたもので、タイトルは「アメリカの小さな町のラジカライゼーションについて」(The Radicalization of a Small American Town)です。
──ラジカライゼーション?
“過激化”ということですね。エッセイは、2016年を境に、謙虚で穏やかな町が、おかしな気配に包まれるようになったことを綴っていくのですが、その異変の兆候として、自分の暮らす家の裏庭に人の頭蓋骨が見つかるというエピソードが語られます。
──え。こわいですね。
警察が来て調べたところ、どうやらオピオイドの過剰摂取で亡くなった若者のものだったそうで、頭蓋骨以外の骨は、裏山で見つかったことから、おそらく雨などで頭蓋骨が下の町まで流されてきたというのが警察の見解だったと言います。
──はあ。
その出来事自体は特に事件性があったわけではありませんが、そこがターニングポイントになったと小説家は書いています。その後、彼は、ロードサイドのお店でトランプ支持の旗を見かけるようになります。「Trump 2020 : Keep America Great」といった文言が描かれた旗ですが、しばらく経つと、その文言が「自由か死か」「リベラルをまた泣かしてやれ」といった、より攻撃的なものになっていることに気づきます。
──ふむ。
すると今度は、近所の家が、南部連合旗を掲げていることに気づくことになります。また、数週間前に地元のハイスクールの門前で、マスクをしたふたりの男が「KKK」の旗を持って立っているのが見かけられます。彼らは若者をリクルートしに、ハイスクールの前で網を張っていたんですね。
──ヤバいですね。
こうした事態を、グローは、こんなふうにまとめています。
「これらの出来事は、どこかホラー映画のようでもある。日を浴びた牧歌的な農家の幸福な景色から始まるのだけれど、やがてゆっくりと暗黒に包まれていく。ゆっくりと起きる変化は、うっかり見過ごしてしまう。そしてある日、自分の故郷が、もはやそれとわからないくらいほど違ったものになってしまっているのだ」
──本当にホラーですね。
グローは、トランプの旗を掲げているお店を訪ねて、そこで「自分は、ろくでなし」(I’m a Deplorable)との文字が書かれたTシャツをみつけるのですが、その自虐的な言葉から、彼はナチスドイツを逃れて、第二次大戦中に、このインディアナの小さな町へと逃がれてきた祖父母のことを思い浮かべます。
「祖父母がドイツで感じていた気持ちは、こういうものだったのかもしれない。誰よりも汗水垂らして働くつもりはあっても、境遇は何も変わらずよくもならない。寛容な気分のときであれば、近所の人たちのゼノフォビアもレイシズムも、チンピラ風のトランプ愛は、見捨てられ、見下された人びとの孤独の現れと認めることもできる。これも、自分の一部が、どこかでこの町に深く繋がっているからだろう。とはいえ、この数年にこの町で起きた醜い出来事には心底ぞっとさせられてきた。弱まりゆく8月の光のなか、祖父母が残した古びた農家を眺めながら思案する自分がいる。いよいよ荷物をまとめるときが来たのか、と」
──いいエッセイですね。
上の箇所がラストの文章ですが、うまいですよね。母国での苦境を逃れてアメリカにやってきて、汗水垂らして働いていまの暮らしを手に入れた、というのは彼だけでなく、アメリカにおいては、すべての人たちの先祖の物語でもあるわけですから、トランプ支持者の心情は、小説家にとっても必ずしも他人事ではないはずで、それを声を荒げるでもなくさらっと描くのは、これは文章の力ですよね。
──簡単には割り切ることのできないことがあるわけですね。
こういうエッセイがいいなと思うのは、まさにそういうところだと思います。Tシャツのスローガンやツイートは、どうしたって「キャッチフレーズ」になってしまいます。それはそれで有効なときもあるのでしょうけれど、現実というものは、そんなに簡単なものではないですよね。なんというか、簡単に割り切ってしまうことへのためらいや、うしろめたさといったものを、そうしたものは捨象してしまいます。
──こういう文章がニュースサイトに素敵なイラストとともに掲載されているのは、よいですね。
わたしたちは、いわゆる「五感」というものを通して「現実」というものを認識するわけですが、そうやって五感を通して得た情報にも、言語的なものとして「アタマ」に届くものと、この言い方は正確性はないとは思うのですが、「ココロ」に届いてしまうものとがあると思うんですね。
で、そこには一種の主従関係というものがありそうで、理性というものに重きが置かれる「近代的な個人」である以上は、あまり感情とかエモーショナルな部分で物事を判断したりしてはいけないと教わって育ちますから、感情というものを抑えながら、ココロで取得した情報をアタマで処理できる情報に転換すべく一生懸命、自分のアタマのなかのプロセッサを稼働するわけですね。でも、そこには、必ず処理できずにあぶれてしまう何かが残るんだと思うんです。
──「モヤモヤ」って、きっとそういうことですよね。
そうですね。そうした「モヤモヤ」が残るのは、やはり気持ちが悪いものでもあるのですが、特にデジタル化によってあらゆる物事が情報化されていく社会にあっては、余計にそうした「モヤモヤ」が切り捨てられていくことになりますから、わたしたちはそうした「モヤモヤ」に対してより一層耐性が失われて、我慢が効かなくなっていっているのかも知れず、そうした「モヤモヤ」への耐え難さが、陰謀論や先に見た言説の過激化を招き入れることになるとも言えるのかもしれません。
──余白のない「言い切り合戦」では、ことばも思考もだんだんエスカレートしてしまいますよね。
そうなんです。それはとても疲れることですよね。今週の〈Field Guides〉は「ポッドキャスト」がお題ですが、ポッドキャストへの需要の高まりは、案外こうしたこととも関係があるのかもしれない、と思わなくもありません。
The Podcast Business
Podcastの時代性
──ははあ。突然本題に。
自分が今年に入って、かなり熱心にポッドキャストに取り組んでいることもありまして、この分野は非常に興味がありまして、昨年から今年にかけてポッドキャストをめぐる状況をレポートとしてまとめる仕事などもしたのですが、「なぜいまオーディオメディアが熱いのか?」という問いをめぐる答えは、簡単であるように見えて、そうでもないように思います。
──よく言われるのは「何か他のことをやりながらでも聴ける」ということですよね。
家事であれ、仕事であれ、運転であれ、手と目が塞がっていても、消費できるコンテンツであるというのは、もちろん、音声メディアの優位性ではあるのですが、それを言えば、音楽だってずっとそうだったわけですし、ラジオというメディアは昔からありましたので、特に目新しい話でもありませんし、「今改めて、人が音声メディアに惹かれている」ということの説明にはなりませんよね。
──通勤や通学での需要が増えているとも聞きますが。
今回のField Guidesの「みんなが聴く番組をパンデミックが変えた」(The coronavirus pandemic is changing which podcasts people are listening to)という記事で真っ先に指摘されていますが、ロックダウンによって通勤・通学の時間がなくなったにもかかわらず、今年の1月から9月までの間に、番組のダウンロード数は150%も増えたようです。
──そうなんですね。
家での時間が増えたことで、かえってポッドキャスト需要が増えたということについて、何らかの証拠を見出すことはできるようにも思いますが、こうした説明は、ほとんどが結果を説明しているだけですので、「なぜ」の答えにはなかなかならないと思うのですが、以前ポッドキャストについてリサーチしたときに見たあるリサーチが、個人的には、その「なぜ」に迫る有力な手がかりになるのではないかと思います。
──ほお。どういうものですか?
すみません。こちらソースがすぐに出て来ないのですが、こうしたことが言われています。自分が作成したレポートからの抜粋ですが。
「イギリスの研究グループの調査によると、テレビ/新聞/ラジオの3つの異なるメディアコンテンツに、それぞれ嘘を埋め込んだところ、嘘を見破ったテレビ視聴者は全体の半数であったのに対し、音声リスナーは4分の3が嘘に気づいたという」
──へえ。面白いですね。
確かソースの資料に書かれていたのは、視覚情報は、情報の真偽や、人が嘘をついていたりすることを覆い隠してしまうことが多いということだったと思います。一方の音声情報は、余計な情報がないところに“声”というものがダイレクトに入ってきますので、自分たちにもよくわからないセンサーと判断基準で、真実めいたものとそうでないものを察知するんでしょうね。
──先ほどアタマで受容するものと、ココロで受容するものの違いという話がありましたが、音の方が、直接ココロに届くようなことがあるんでしょうかね。
そこはよくわからないのですが、この研究結果は、もしかするとポッドキャスト、あるいは音声メディア全般の、不思議な魅力を言い当てる、ひとつの切り口になるのではないかとも思います。
──なるほど。
ポッドキャストは、他のメディアと比べてもオーディエンスのエンゲージメントが極めて高いのが、その特徴とされていまして、離脱率が低く「リスナーの86%は1エピソードのほとんど、ないしすべてを聴いている」といった数字も出ています。Field Guidesのなかの「Spotifyはいかにしてポッドキャストの新時代をつくるか」(How Spotify is shaping the next era of podcasting)では、ポッドキャストのホストが広告を読み上げる場合でも、広告をスキップされる率が動画などと比べて低いとされています。
──信頼性が高いメディアと認識されているということになりますね。
その「信頼性」というものをどう理解するかはさまざまあると思いますが、それでも、上記の「みんなが聴く番組をパンデミックが変えた」は、コロナ禍のなか、ニュース番組の需要が一気に高まったとしていまして、なかでも『The New York Times』の「Daily」と、『Vox Media』の「Today, Explained」が飛躍的に伸長し、さらに「True Crime」と呼ばれるジャンル、いわゆる「実録モノ」も伸びたとされています。
──「The Daily」は、その日のトップニュースを書いた記者が記事の裏話を解説するといった建て付けですよね。
今、この原稿を書いている時点での最新のエピソードは、ちょうど大統領選の討論会についてのものですが、冒頭に、登場した記者が進行係にいたずらをするところから始まっていまして、非常にリラックスした雰囲気のなかで、とてもフランクに討論会が振り返られていまして、聞いていてやっぱりいいんですね。台本がある感じがしないのも、とてもいいなと感じます。
──“そこに人がいる”という感じですよね。
その「当事者性」というのも、ポッドキャストのひとつの重要な魅力だと思います。音声メディアが動画メディアと決定的に異なるのは「スクリーン」がないことなんですよね。
──と言いますと。
スクリーンって「向こう側」と「こっち側」とを明確に隔てるものじゃないですか。
──あ、たしかに。
映像は、音声のように、自分のいる空間に直接作用することができないんですね。という意味で、音声は実は、最初から「没入型」のメディアですし、「VR」でもあるのだと思います。
ポッドキャストは「リスナーに対し一緒に出かけて話を聞いているような近しい存在感を与える」といったことがよく言われるのですが、わたしがやっているような雑談ポッドキャストでも「部室で先輩が話しているのを聞いているような感じがする」と言われたりしますから、「そこにいる感」が音声、とくにトーク的な番組では、聞き手の側において強く作動するように思われます。
──そのことと、さっき話題に出た「信頼性」は関係がありそうですね。
はい。おそらく、そこで問題になっている「信頼性」というのは、情報の客観的な信頼度というよりは、むしろ、ある情報を扱うときの身振りや息遣い、そしてそこから察知することのできる心の動きのようなものに宿る「信頼性」なのではないかと思います。つまり、人としての情報や出来事への向き合い方や距離感の部分ですよね。空気の振動として伝わる「信頼性」みたいなことなのだと思いますが、これは、なにがどう作用することでもたらされるものだかは、よくわからないですね。
──そうですね。
『Quartz Japan』のニュースレターに、これまた非常に面白い指摘がありまして、Spotifyがこの9月に提出した「Culture Next 2020」というレポートがソースなのですが、若者のポッドキャストをめぐる動向について明かした箇所について、こう書かれています。
「レポートによると、米国のZ世代(同レポートでは、15〜25歳)とミレニアル世代(同じく、26〜40歳)の73%が、ストレスや不安に対処するために音声コンテンツを使用していることがわかりました。若者の大多数にとって、“音”は『感情的なもの』で『治療的なもの』であり、『パーソナルなもの』。Z世代の54パーセントがより頻繁にポッドキャストを聴くようになり、4人に1人がメンタルヘルス関連のポッドキャストを聴いていると答えています」
──ああ、なるほど。「癒し」なんですね。
とはいえ、それが必ずしも逃避的なものでないことは、以下の指摘でもわかります。
「現在のところ最も注目されているテーマは、政治に関連するもの。今年1月から8月のあいだに、次期選挙で投票を予定しているというZ世代の割合は65%から72%に増加しています。また、Z世代の71%が政党との提携よりも『前進』を重視しており、若者は政治家よりも政策に関心をもっていることが分かっています」
──「政治」への興味を高めながら、それが「癒し」として作用するというのは面白いですね。先ほどから話題になっている「信頼性」というものと「癒し」とが同居するというのは、情報の信憑性、フェイクなのかそうでないのかをめぐって至るところで殴り合いが展開しているなかでは、なんだかとてもリアルですね。「信頼」できるものを見出すことが癒しになる、というのは、わかるような気がします。
また、こんな指摘もあります。
「Z世代とミレニアル世代はまた、異文化との繋がりを大切にしています。これは、業界が現在のようにグローバル化していなかった時代には、ストリーミングサービスを利用する前には実現できなかった概念です。両世代の80%が、音楽ストリーミングサービスは異文化への入り口になると回答。さらに、69%が音楽を通じてコミュニティの感覚を見つけるという考えを支持しています。
──面白いですね。「政党」よりも「政策=イシュー」が重視されるという話は、これまでも何度かこの連載のなかで指摘されたことだと思いますし、「コミュニティ」というテーマも折に触れて出てきたようにも思います。時代の向かう先を、若者たちの動向は、明確に察知しているように感じますし、同時に、そのなかで「音声メディア」が、そうした動きのドライバーになっているのは、興味深いですね。
それが「なぜなのか」は、おそらく誰もよくわかっていないのだと思いますが、ポッドキャストがもっている当事者性、コミュニティ性、近さや癒しの感覚、信頼性、イシュー性といったものが、不思議と、やはり時代の要請と合致しているんですね。
──簡単に始められるという手軽さもいいんでしょうね。
それも当然ありますね。もっとも、近年ではさらに手の込んだラジオドラマのような番組も、とくにアメリカでは増えていますし、「映画スタジオは作品を探すのにポッドキャストを使っている」(Film studios are using podcasts to decide which movies to make)という記事は、ポッドキャストが映画会社のネタの草刈場となっている様相も明かしていますので、ビジネスとしても、これからさらに大きく伸びていくと見られています。
──Spotifyと映画制作会社のChernin Entertainmentが提携したというニュースなども紹介されています。
ポッドキャスト制作会社の最大手のひとつGimlet MediaのCEOは、自社を「IP工場」と呼んでいるほどで、これは記事のなかでも指摘されていますが、これまで映画会社やテレビ制作会社が、本や雑誌記事などをネタのソースとしていたのが、今後はポッドキャストに移行していくと見られています。また、タレントエージェンシーも、ポッドキャストが、より大きなビジネスに食いこむための登竜門であると見て、ポッドキャストの仕事を取るための専任の担当や部門を置き始めています。
──ノンフィクション、フィクションにかかわらず書籍にとって映画化やテレビシリーズ化は、ひとつの大きな収益源でしたが、アメリカは雑誌記事も映画になることが珍しくありませんから、出版業界も、今後大きくそっちに傾斜していくことになりますね。
『The New York Times』を見ても明らかなように、ニュースメディアはすでにポッドキャストは重要なビジネスアセットになりうると見込んでいまして、同誌の例で言いますと、昨年、奴隷船のアメリカ到着400年を契機として制作された特集「1619」は、紙面、ウェブサイトでももちろん大々的に掲載されましたが、同時にポッドキャストシリーズとしても展開され、昨年担当者に聞きましたところ、大手SVODプラットフォームと提携して、映像化の話が動いているとおっしゃっていました。
──ひとつの題材を、文字、写真、音声、映像と、全メディアを通じてコンテンツ化していくということですね。冒頭に紹介してもらったエッセイなんか、そのままポッドキャストになりそうですし、映画にだってなりそうです。
そうなんですよね。ホラー映画のようだと実際書かれていますが、ポッドキャストになった際の声も聞こえてくるようですし、映画になったときのシーンも思い浮かびますよね。これはもちろん文章がとても上手だからなせるわざなのだと思いますが。
──そうですね。
ちなみに今のお話にあったコンテンツの横展開という話で言いますと、最近わたしが聴いて面白かったポッドキャストは、アメリカの80年代のポルノ女優トレイシー・ローズのキャリアを題材にした「Once Upon a Time…In the Valley」という実録モノでして。これは企画者がLili Anolikという女性で、彼女は名門雑誌『Vanity Fair』のコントリビューティングエディターなんですね。
──雑誌でノンフィクション記事を書くのが、そのままポッドキャスト制作に移行したということですね。
そうなんです。内容も非常に面白かったのですが、個人的には、このエディターの動きの方に興味があったんですね。ちなみにこの番組の謳い文句は「『ブギーナイツ』と『ゴーン・ガール』と『アリー/スター誕生』が3Pしたら」というものですから、おそらく当然のこととして映画化まで視野に入れて制作されているように思います。
──めちゃ面白そうじゃないですか。
面白いんですよ。内容については詳細には語りませんが、トレイシー・ローズという女優さんの歴史的な重要さというのは、彼女が単に人気女優だったということではなく、彼女が、ある意味「歴史上初めてのAV女優」だったというところにあるんです。
──どういうことですか?
それまでポルノ映画の配給先は映画館しかなかったんです。ところが家庭用ビデオ再生機というものが登場したことによって、日本で言うところの「アダルトビデオ」という産業が一気に勃興することになるんですね。というのも、映画館に行かずとも家で視聴できてしまうわけですから、そこで起きた産業規模の爆発的な増大というのは簡単に想像がつくかと思うのですが、トレイシー・ローズは、そういう意味で言うと、産業を誕生させたと言っても過言ではない存在なんです。しかも、彼女のキャリアはわずか3年で、しかも活動期間中は未成年だったんです。
──え。
デビューしたのがなんと15歳だったんです。番組は、そのスキャンダルを中心に、政府までも巻き込んだ入り組んだドラマを展開していくことになります。社会ドラマでもあり政治ドラマでもあるのですが、今回の話題に関連することで言いますと、この番組が扱っているのは一種のメディア史でもあるんですね。
──面白いです。そういえば、この連載の第3回「ホームフィットネスの意義」で、VHSの普及とジェーン・フォンダの「ワークアウト」の爆発的人気の関連性と女性のエンパワーメントといった話がありましたが、まさにそれと対をなす話ですね。VHSの普及が男性に何をもたらしたかというのは、かなり興味深い社会学的お題になりそうです。
ここでは、さすがにそこまで言及はできませんが、面白いのは、メディアチャンネルが映画館からVHSに移行するなかで、新たなスターが生まれ、新たな産業が生まれ、また新たな価値観やものの見方や感じ方が生まれていくということではないでしょうか。
おそらく、いまポッドキャストは、まさにそうした胎動のなかにあって、コンテンツ制作上の新たな話法や切り口、新たなスターやプレイヤーたち、そして新たなビジネスモデルが猛然と開拓されようとしているのではないかと思います。
──ブログが流行って人気ブロガーが出てきたり、YouTubeの普及とともにYouTuberが出てきたりしたときの感じに近いんでしょうか。
そうかもしれません。ただ、ポッドキャストは、フォーマットとしては長らく存在してきたにも関わらず、ずっと泣かず飛ばずでいたのが、ここ数年の間に飛躍的に伸びたことには、おそらく、ブロガーやYouTuberといったものが、掬いきれなかった何かがあってのことのようにも感じます。
──それはなんなんでしょうね。
それが、自分にもよくわからないのですが、自分で番組をやっていて面白いなと思うのは、音声によるコミュニケーションというものは、ポリフォニックなところがあるんですね。
──ポリフォニック?
音楽用語としては「多声音楽」の意でして、要は複数の声が入り混じっているということです。わたし、実は、面白そうな新刊本を選んで、そのなかの数ページを朗読するという謎のポッドキャスト番組をやっているのですが、それをやっていて気づいたのは、文中にある引用部分を、「ここからここまでが引用文ですよ」と明示的に明らかにすることが朗読だとできないということなんです。
──ははあ。たしかに。
「カギカッコ/カッコ閉じ」と読んでもいいのですが、それも聞き辛いかと思うので、そのまま読んでしまっていますが、それだと聴いている人は、おそらくどこまでが地の文で、どこからが引用で、どこで地の文に戻っているのかが、かなり不明瞭だと思うんです。それは、おそらく会話の場合はなおさらそうで、「誰々がこう言った」といった話が、話者自身の話とシームレスに繋がってしまい、それが相手の話ともシームレスに繋がっていってしまうというようなことも起きるんだと思います。
テキストというものは、それをきっかり個体別に切り分けることができて、わたしたちは、普段文章を書くにあたっては、そこを明瞭に分けるように教わりますが、会話ではいちいちそんなことをやっていないんですね。
──面白いですね。
この連載で何度も言及しているメディア批評家のダグラス・ラシュコフは、文字の読めない人が大半であった中世の時代のバザールにおけるコミュニケーションについて論じていまして、それがデジタル空間における情報のやり取りにとても似ていると指摘しています。
駄話や噂話やほら話が騒然と飛び交うバザールにおいて、情報の「客観的な真実性」なんというものはとても見極めることはできないのですが、それでもなんらかの方法で、人びとは、自分たちなりの現実に即した真実性をコミュニティとして把握していくことになるんですね。それは、「ポリフォニックな合意」と呼ぶべきものかもしれず、また、声というものを通じてなされるのではないかと感じなくもありません。
──この連載を、あえて対話形式にしているのも、そうした「多声性」みたいなことと関係しているんでしょうかね。
そういうところもあるのかもしれません。実際、構成を考えもしないで、本当に出たとこ勝負で、会話を繋いでいっているだけですから、これが全部厳密に「自分のことばである」という感じはないんです。
──ポッドキャストっぽいですよ。
そうなのかもしれません。それがいいのか悪いのかはよくわかりませんが。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともホストを務めるポッドキャスト「こんにちは未来」のエピソードをまとめた書籍が発売中。目下、本連載をまとめた単行本の制作中。
※ 本連載は11月1日、8日の配信をお休みし、11月15日よりリニューアルして配信を再開します。12月初旬の刊行が予定されている書籍版とともに、どうぞご期待ください。
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