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Quartz Japan読者の皆さん、こんにちは。連載「Next Startups」では、定期的にひとつ「次なるスタートアップ」を紹介しています。
今回は世界中の科学者が協力し、資金調達を可能にするブロックチェーンベースのコミュニティを運営する「Molecule」を取り上げます。
Longevity and Crypto
長寿×クリプトへの期待
かつて、ピーター・ティールはこんな言葉を残しています。
「コンピュータのプログラムのバグを修正するのと同じように、人間のすべての病気を治すことができるようになる。死はやがて、謎から解決可能な問題へと変わっていくだろう」
彼だけではありません。ジェフ・ベゾス、ラリー・ペイジ、ラリー・エリソンら、世界の大富豪たちが熱心に投資しているのが「長寿」にまつわる研究機関やスタートアップです。老化や加齢にまつわる謎の解明は、全人類が直面する課題といえます。
いま、ブロックチェーンやNFTといった技術と掛け合わせ、さまざまな領域で次世代の試みが進んでいます。この連載でも、「学習」ならRabbitHole、「コンテンツ」ならMoonbirds、「気候変動」ならNoriといったスタートアップを取り上げてきました。
そしていま、Web3が新たに出合ったのはサイエンス領域。「DeSci(Decentralized Science=分散型サイエンス)」と呼ばれ、ブロックチェーンのユースケースとして大きな期待が寄せられています。なかでも、今回紹介するスタートアップの「Molecule」が立ち上げた「VitaDao」は、上に挙げた「長寿」に挑もうとしているのです。
yes, Research costs money…
研究にはお金がかかる
医薬品開発の世界では、特に初期フェーズはどこも資金不足が慢性化しています。
薬の開発は以前にも増して長期化・高コスト化しており、回収が見えづらい初期段階に民間の資金をつける難易度は上がるばかり。頼みの綱は国からの助成金ですが、貴重な開発者の労力の多くが、研究そのものではなく申請書や論文を書くことに費やされています。10〜15年かかる新薬開発のうち、約半分の時間がこれに費やされているともいわれます。さらに頼みの助成金も渋くなっており、米国国立衛生研究所(NIH)の助成金の採択率も下がってきている状況です。
助成金採択に重要な役割を果たすのが、『Nature』のようなサイエンス雑誌への論文投稿と採択です。評価の難しい初期ステージの研究プロジェクトでは、こうしたサイエンス雑誌に論文掲載されるかどうかが死活問題となります。
しかし、この不透明な仲介者の存在が複数の問題を起こす温床だといわれています。
まず、出版社は「社会に役立つもの」よりも「人びとの興味を惹く(=売れそうな)」論文を選ぶ傾向にあります。地味なテーマより目立つ内容にバイアスをかけます。サイエンスは地味な進化の積み重ねですが、一般読者にもウケそうな新しいアプローチや流行りのテーマを重視しがちです。
次に問題になるのが、世界でパブリッシュされる論文の半分以上を、出版社の上位5社で占めている寡占体制です。有名サイエンス雑誌はブランド商売なため競争が起きず、利益率は40%を誇ります。論文掲載までに1〜2年を要するとも言われますが、「査読(=他の専門家が読んで内容を査定すること)」も外部の研究者に報酬なしで丸投げで、書き手である研究者の給与は国の税金となれば、出版社にコストがかかりません。
そして最も致命的な点が、論文の研究結果がネガティブな内容の場合は掲載対象になりにくく、ボツになった論文は出版社のデータベースにただ眠り続けてしまうこと。このため試行錯誤の成果が研究者間で共有されず、世界中で同じ失敗に貴重な時間と資金が費やされてしまいます。ようやく立ち上がった『Nature』誌の「オープンアクセス」は研究者の利用料が年100万円以上と、とても手が出ません。
valuing IP assets
安売りされる知財
こうした金欠構造が向かう先での研究者にとってのゴールは、製薬会社への早期の「知財の売却」となりますが、これが次の不幸の始まりです。
せっかく世の中を変えるインパクトをもつ世紀の発見であっても、事業化や製品化による経済的メリットの大半は製薬会社の手に渡り、知財を早期に売却した科学者には多くは還元されません。
企業からすれば、初期段階でハイリスクな研究開発分野に積極投資する意味はなく、特許化したものを外から買ってきた方が割安で確実です。資金の続かない研究者は特許売却が研究のゴールとなり、上市後に生まれるであろう巨額の利益は製薬会社が全取りするような構図です。
また、製薬会社にとってせっかく買収した「知財」たる薬の設計図をオープンにするインセンティブはなく、基本的には一社で独占しようとします。研究開発成果の「ブラックボックス化」が進んだ先に、これらの知見共有が企業という枠を超えて起こることはありません。
研究者のコミュニティがオープンであれば、適材適所の集合知が働いて、より良い薬の開発も促進されるかもしれませんが、それが不可能なクローズドな構造。新薬開発という「知財」に集約される価値が一企業によって保有されることで開発は長期化、高コスト化し、そのツケを薬価負担の形で支払わされるのは一般市民であり、我々の将来世代です。
助成金、出版社、製薬会社の思惑が入り乱れるなかで発生した非効率が研究の現場を覆い尽くし、それらの負担は間接的に国民へ降り掛かっています。そして、こんな「壊れた」状態がもう50年以上放置されているのが、新薬研究や医薬品開発を巡る現在の構造なのです。
the breakthrough
NFTとDAOが拓く道
Moleculeは、この壊れた構造にメスを入れる、ブロックチェーンベースの医薬品開発コミュニティです。研究者や投資家、弁護士などの専門家や患者まで、世界中のバイオテックの関係者が誰でも参加できるオープンなプラットフォームであり、DeSciの推進者です。
Moleculeでは世界中の研究者が自らの研究結果を自由に公開し、外部の専門家からフィードバックを受け、投資家から投資を募ることができます。
Moleculeで最もユニークなのは、論文がNFTとして知財管理されること。一般市民、投資家、研究者が共同で、トークンを単位として保有・管理する仕組みとして「IP-NFT」が活用されています。
IP-NFTの仕組みは、一頭の競走馬へ多くの人が小口投資して賞金を分け合う「共同馬主」に近いです。研究結果や特許などのIP(知的財産)を「親NFT」として定義し、それを100分割するなどしてできた「子NFT」を発行・販売。購入者はそれを共同保有します。
研究者は不特定多数の人から資金を得られるだけでなく、実際に患者となる一般市民や、他の研究者と協力して開発を進めることもできます。外部からの協力は、これまではボランティアだったり協力費が支払われてきたのに代わり、NFTを介した知財の「共同保有者」になるわけです。論文査読に報酬ゼロな状況とは雲泥の差です。
これまで難病を患っている患者がその治療薬の開発に専念する研究者を支援する仕組みなど存在しませんでした。しかし、IP-NFTは初期ステージの研究開発を資金面から支援するだけでなく、研究者は薬のエンドユーザーである患者と直接繋がれます。NFT保有者にとっても、寄付とは異なり、自分はその知財の一部を保有することで、うまく行った場合には経済メリットも還元されます。
また、IPがブロックチェーン上で管理されるため情報は透明化され、権利関係もクリアです。何より参加者は無料でオープンなため、世界中の研究者はプラットフォーム上のNFT化されたIPを参照しながら研究開発を進めることができます。他の研究者の失敗事例も参照しながら研究を推し進め、得られた成果が公平に享受される仕組みを構築しています。
さらに、IPを細分化しトークン化することで取引や譲渡がしやすくし、特許取得後に製薬会社から買収打診があった際も、その一部分だけを譲渡して資金化するといった戦略も取れるため、研究開発の初期段階で全てを手放すことも不要です。
Moleculeはこのプラットフォームを疾患やテーマに応じてDAO(分散型自律組織)のかたちで構築運営しています。これまで3つのDAOを通じて250以上の研究プロジェクトに1,000万ドル以上の資金提供を実現してきたといいます。
Vitadao and $Vita
122年と164日
Moleculeが構築したDAOの中でも、注目したいのが「VitaDao」です。新薬開発のなかでも長寿領域に特化した治療薬の開発を取り扱っており、“We are democratizing the longebity”というスローガンのもと「長寿の民主化」を掲げています。Moleculeと同様の研究成果のNFT化やコミュニティによる協調の仕組みが、長寿というテーマに絞って展開されています。
VitaDaoではガバナンストークンの「$VITA」が発行されています。購入・獲得した$VITAは、DAO資本の使途、主に投資支援先のプロジェクトを決める投票権として機能します。VitaDaoはこれまで30以上の長寿研究プロジェクトに、150万ドル以上の資金提供を実施しています。
ちなみに、$VITAの総発行量(発行可能上限)は64,298,880とキリの悪い値に定められているのですが、この値は人類史上、最も長生きをしたとされるフランス人女性のジャンヌ・カルマンさんが生きた「122年と164日」を分で換算した値を上限付きのERC20トークンとして表現しているそうです。また、カルマンさんよりも長寿の方が現れた場合は発行上限を伸ばす可能性も示唆されています。
一方、製薬業界はあまりにも巨大なマーケットなため、MoleculeやこれらのDAOが何かをすぐに変えるとまではいえません。提供されている150万ドルという資金も業界においてはごく僅かな規模で、まだまだ初期段階です。
しかし、先述したとおり、初期ステージの研究者にとって特許を獲得するまでには深い「死の谷」が立ちはだかります。従来のように助成金頼みではなく、必要な資金を必要なタイミングで調達しながら、世界中の研究者とコラボラティブに開発を進めていくという新しい状況をつくっていけることは、新たな希望になるはずです。
新薬による社会福祉の受益者が全国民であるとするならば、開発のプラットフォームも公共財として広くオープンであるべきです。出版社や製薬会社の寡占による利権構造を置き換えるアプローチとして、ブロックチェーンによる取引透明性とトークンによるインセンティブ公平性が大きく貢献できる領域です。
Moleculeの共同創業者であるTyler Golatoさんは、もともと米国で医師として働くなかで、病院に駆け込んだ腫瘍をもつ患者が「健康保険に入っていない」という理由で入院を断られた事例に直面した経験から、広くヘルスケア業界の課題そのものに向き合うことを決めたといいます。そこから、「患者コミュニティが治療薬の研究開発を支援し、共同保有することができたら?」という着想を得て、ブロックチェーンに詳しい人たちと交流を始め、起業に辿り着いたそうです。
What Mankind Learned from Pandemic
人類が学んだこと
振り返ってみれば、COVID-19から人類を救った、驚くべき速さのワクチン開発は、それまで積み上げられた基礎研究の成果と言えます。モデルナやファイザーが採用したワクチン開発のベースとなったメッセンジャーRNAの開発のルーツは、なんと1960年代に遡ります。
すぐに日の目は見ないけれども、いずれ根本的に病気を治癒したり、世の中から病気ごと消してしまったりするほどの基礎研究の大切さを、それこそ地球規模で感じたはずです。そのための土壌づくりの重要性を、人類はCOVID-19から学んだといっていいでしょう。
全人類が向き合うファンダメンタルな課題、例えば長寿などヘルスケア、人口減少対策など地域振興、温暖化対策のような環境問題、といった公共政策的なアジェンダは、多くの人が参加し貢献に応じた分配を促すトークンプラットフォームは相性が良いはず。
例えば、もし、将来的に「寿命を20年延ばす薬」が生まれたとして、既存の製薬業界の構造において、どこか一社がその知財を独占していればどうなるでしょう。莫大な既得権益が発生するだけでなく、おそらくは格差や争いといった火種を生むことは想像に難くありません。
単なる寄付や善意を超えた、社会の「参加」を促す仕組みとしてトークンが果たせる役割。暗号資産に冬の時代再来と言われ、社会的意義やユースケースについて懐疑的な見方も再燃しつつありますが、社会が分断され内向きに向かう現代こそ、こうした国境を超えたデジタル空間によって繋がることのできる社会やコミュニティの重要性は増し、Web3は一層存在意義を増すかもしれません。
久保田雅也(くぼた・まさや)WiL パートナー。ベンチャーキャピタリスト。主な投資先はメルカリ、Hey、RevComm、CADDi、UPSIDERなど。外資系投資銀行にてテクノロジー業界を担当し、創業メンバーとしてWiLに参画。本連載のほか、日経ビジネスで「ベンチャーキャピタリストの眼」を連載中。NewsPicksプロピッカー。慶應義塾大学経済学部卒業。Twitterアカウントは@kubotamas。
(構成:長谷川賢人)
🚀 ニュースレター連載「Next Startup」、次回は7月下旬〜8月上旬に配信予定です。
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