Guides: #11 コミュートの自律性

Guides: #11 コミュートの自律性

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Guidesのガイド

Quartz読者のみなさん、こんにちは。週末は米国版Quartzの特集〈Guides〉から、毎回1つをピックアップ。世界がいま注目する論点を、編集者・若林恵さんとともに読み解きましょう。

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──今週の〈Guidesのガイド〉の配信日は、ちょうど都知事選挙の投票日でもあるのですが、投票は行かれました?

あ、これから行って参ります。

──選挙は行かれるんですか、普段?

基本、行きますよ。行くのですが、毎回モヤモヤした気持ちで帰ってきますね。

──モヤモヤはどの辺にあるのでしょう?

なんでしょうね。なんか無力感といいますか、「これ、意味あるんだっけ?」っていう気持ちですよね。もちろん意味がないわけはないのですが、モヤっとしてしまいます。手応えがないと言いますか。

──逆に「今回は手応えあった!」といったことってあります?

難しいですよね。思い返してみると、自分が投票した人が受かったことないような気もしますし(笑)。

──誰に投票してるんですか?(笑)

それは、もちろん内緒ですが(笑)。そういえば、ちょっと前に、何かで気になって橋下徹さんって人の政策的立場というのが、どういうものなのかを調べたことがあるんです。

──はあ。

で、橋下徹さんのWikipediaというのが非常によくできていましてですね、たとえば「消費税」「公会計制度」「公務員」「関西国際空港」「国会議員の経費」「大阪都構想」「東日本大震災」「外国人参政権」「国民の定義について」「選択的夫婦別姓問題」「歴史認識」「教育」「TPP」「国防」「竹島問題」「北朝鮮」「事件・司法」「カジノ」「新型コロナウイルス」といったトピックごとに、彼の発言や見解がまとめられているんですね。で、これを自分と引き比べて見ていくと、自分はまったくシンパでもなんでもないのですが、全部が全部意見が真逆というわけでもなくて、それなりの割合で、合意できるポイントがあったりするわけですね。

──そうかもしれません。

で、これは別に橋下さんでなくても、きっと同じことのような気もするんです。政策の全部が全部100%同意、もしくは100%反対という政治家や候補なんていうのは、むしろ存在しないだろうと思うわけです。

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Image: REUTERS/ISSEI KATO

──それはたしかにそうですよね。

でも、選挙の仕組み上は、自分の一票をひとりの候補に預けちゃうわけで、たとえば、今回の都知事選では小野泰輔さんという方が立候補されてますが、たとえば「島嶼部については、オンライン診療の更なる規制緩和を国に要望します。また、オンライン授業整備を島嶼部に特に拡充し、地域による教育格差を是正します」というアイデアはいいかな、と思ったとして、彼に一票を投じると、同時に「江戸城天守の再建」という政策(?)を、支持することにもなってしまうわけですよね(笑)。

──江戸城天守再建って、すごいすね(笑)。

いや、別にそれがいいか悪いかは、どちらでもいいのですが、選挙のモヤモヤっていうのは、そういうところにありますよね。要はイシューが多様すぎる上に、それぞれに対する意見や立ち位置がみんなバラバラなのに、一個のパッケージになったものでしか選べないということの限界と言いますか。

──福袋感というか、闇鍋感と言いますか。

そうなんですよね。その点、立花孝志という方が天才的だったのは「NHKをぶっ壊す」というワンイシューで一点突破を図ったところで、そのイシューをよほど大事に思う人は、右だろうが左だろうが、それぞれの陣営にそれなりにいそうなわけですから、パッケージにしないで、一アイテムにだけに絞ったのは、そういう意味では、なんというか、わたしみたいなモヤモヤを抱えている有権者にとっては明快ですよね。といって、別に支持したいわけではないのですが。

──イシューの方が、政党やイデオロギーよりも上位に来てしまうわけですよね。

そうなんです。そう考えるとイデオロギーや政党というものは、なんというか、イシューをざっくりと取りまとめて「大体の方向性」を指し示してくれるものだったのだなと気づくわけです。が、これだけイシューが増え、かつ、人によってイシューごとの立ち位置も優先順位もてんでばらばらになってくると、「ざっくりとした方向性」なんてものが存在しえなくなってきてしまいますから、これまでの代議士制度って、だいぶ困難ですよね。

──代議士って、英語ではRepresentativeって言葉になると思いますが、これって日本語英語化したところの「レペゼン」って言葉と同じですよね。誰に自分をレペゼンさせるのか、ということですよね。代議士制度って。

そうなんですよね。「自分たちをレペゼンしてくれる人」って、一言で言ったときに、たとえば女性や有色人種に対する不平等が大きくあるところにおいて、女性をレペゼンする人、有色人種をレペゼンする人が選ばれていくことは、とても正当なことだと思うのですが、それは「自分たちの代表を選ぼう」というわけですから、まず、その大前提として、常に「自分たち/私たち=We」の境界設定が必要になるはずですよね。

──たしかに。

昔は、「自分たち/私たち=We」の境界を設定することばが、たとえば“労働者”というものだったりしたわけですが、高度経済成長期以降の日本で、“市民”というものが、“労働者”であるよりも、どちらかというと“消費者”として定義づけられていくようになると、そうした「We」を束ねる力が、どんどん弱まっていったりしますよね。

アメリカには長らく“消費者”をレペゼンしてきた人として、ラルフ・ネーダーなんていう人もいますし、日本でも“消費者”の声を代弁する組織も多々あるはずなのですが、一方で消費者であることは、ポスト高度経済成長の時代のなかでは、“自己選択ができる責任ある個人”であることとして定義されていきますので、「We」というものから離れていこう/離れていくべきだ、という方向性がそこには作動しているわけです。

とすると、“自己選択できる責任ある個人”による政治家の選択は、「I=わたし」をレペゼンする誰かを選ぶということになってしまうのですが、そもそも「I」をレペゼンできる人が自分以外に存在しうるのかと言ったら、それはそれで疑問ですよね。

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Image: 2008年、米大統領選では“第3の候補”として立候補したラルフ・ネーダー。REUTERS/BRENDAN MCDERMID

──ほんとうですね。と言われて、自分が所属する「We」ってどこなんだろう、って考えると、実際何も思い浮かばないですね。まあ、強いていえば“日本人”とか?

そうなっちゃいますよね。そうなっちゃうんで、とくに国政選挙ともなると、そこにしかフォーカスできないもんですから、国防とか、愛国とか、勇ましい方向性に重みが行ってしまうのも納得がいくと言いますか、それしかやりようないって感じになっちゃうんじゃないですかね。

──その点、地方選挙は、もう少し「We」がはっきりしていますから、まだましですね。

そうですよね。イシューのステークホルダーが明確になりますしね。たとえば小池知事が前回選挙で掲げたままなにひとつ達成されていないと言われる「7つのゼロ」を見ると、政策の受益者がかなり明確で、政策提言としてはいいですよね。

──言ったならやってくれよ、って話ですが。

それらの実際のアウトカムを見ると、なかなかすごいですよね。「残業ゼロ」については、都職員の残業はむしろ2016年から18年にかけては増えていますし、「満員電車ゼロ」についても微減といったところです。通勤電車についていえば、新型コロナのおかげで激減したのは、瓢箪からコマという感じなのかもしれませんが、まあ、これは小池知事でなくてもそうならざるを得なかった類のものですから、評価ポイントにはならないですよね。

The commuting revolution

コミュートの自律性

──というところでやっと、今回のお題である「通勤」にたどり着いたわけですが(笑)。

すみません。今回の〈Guides〉は通勤をテーマに、パリ、サンフランシスコ、日本、インド、アフリカなどの「通勤」が、どのように新型コロナによって変更を迫られたかをレポートしているわけですが、面白いなと思ったのは、都市生活者の「We」というのは、案外「移動手段」の選択肢においてセグメントされているのではないか、ということですね。

──と言いますと。

たとえばインドのデリーの地下鉄を主題としたレポート〈It’ll take more than a pandemic to break down Delhi’s beloved Metro system〉によりますと、デリー市政府は近年、これまで市の主要移動手段だったバスを大幅に削減し、地下鉄の整備に注力してきたそうですが、地下鉄の運賃が高いせいで、それまでバスを利用していた人たちが困っていることが明かされています。つまり、そこでは、地下鉄の利用者と、バス利用者が、明らかに違う「We」に属しているということですね。

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──はい。

一方、日本を題材にした記事〈The pandemic is weakening the office’s grip on Japanese commuters〉は、新型コロナによる自粛とリモートワーク、そして変わりゆく電鉄事情などを報告していますが、ここでは、会社がリモートワークに適応していくことで、電鉄の需要や悪名高き「満員電車」が消滅していくのではないかということが語られています。通勤の問題は、ここでは主に“会社員”もしくは“サラリーマン”という「We」と、強く結びつけられているわけです。

──なるほど。

その一方で、弊社の社長もそうなんですが、通勤もあらゆる移動もすべて自転車という人たちは、確実に増えていますよね。これは、もちろん、都心の仕事場に自転車で通うことができる距離に住んでいるという条件のもとでこそ実現できる話ではあるのですが、こうした人たちと、満員電車で通勤している人の決定的な違いは、「移動のタイミング」を自己決定できるか、そうでないか、というところにあるような気がするんです。

──と言いますと。

記事のなかで、これまで片道90分通勤にかかっていたという、ある日本人の会社員のコメントが紹介されていますが、その方が語るのは、パンデミックによる自粛によってテレワークが可能となり、通勤をそもそもしなくてよくなったのも喜ばしいことなのですが、それ以上に喜ばしいのは、都内の会社に行く用事があったとしても、もはや定時に行く必要がなくなった、ということなんです。午前リモートで家から働いて、午後から出社してハンコだけもらって帰るようなことができるようになった、といったことが語られています。

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──あ、なるほど。そもそもハンコ押しにだけ会社に来させるのはやめようぜ、という話もありそうですが(笑)。

もちろんです。そうやってハンコが消滅していったりすると、なおさら、「会社に行くタイミング」は自由裁量になっていくことにもなりますから、みんながこぞって一斉に満員電車に詰めかける必要がなくなるわけです。それは、毎日どうしても定時に通勤しなくてはいけない、という人たちにとっても朗報となるはずですよね。

──ほんとですね。

「移動のタイミング」の自由化というのは、通勤ということの問題を考える上ではとても重要だと思うのですが、わたしが敬愛するイヴァン・イリイチという思想家は、『エネルギーと公正』という名著のなかで、この問題をこんなふうに整理しています。

「人間を移動させるのにエネルギーがどのように使われるかを検討するには、交通 trafficの二つの要素である他律的な運輸 transportと自律的移動 transitとをきちんと区別しなければならない」(『エネルギーと公正』大久保直幹訳、晶文社)

──ははあ。面白いですね。

これまで、近代以降の「交通」は、言ってみれば“人の自律的移動”を“他律的な運輸”へと変えていくことで産業化していくことになるのですが、イリイチはそれを「交通の産業化」と呼んでいます。で、実際、日本の都市とそこでの生活を規定したのは、電鉄会社、およびそれに紐づいた不動産開発会社であったわけですし、アメリカはといえば、サンフランシスコの都市改革を題材にした〈San Francisco is leading the charge to dethrone cars〉という記事で、アメリカの都市計画は1939年にニューヨークで開催された世界博覧会でGMが発表した「Futurama」というビジョンによって形づくられ、それがディストピアとして変貌していったのが現代の都市であると語られています。

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──へえ。

ちなみに、これは以前BRUTUSという雑誌のコラムで書いたことなんですが、20世紀のポピュラー音楽って、実は完全に「自動車ドリブン」なんですよね。

──自動車ドリブン(笑)。でもわかります。「Highway Star」から「Highway to Hell」って基本クルマですもんね。

ですよね。クルマをテーマにした曲は、本当にジャンルを問わず、もういくらでもあるわけですが、これが翻って「自転車」ってことになりますと、まず出てくるのがクイーンの「バイシクル・レース」、ついでクラフトワークの「ツール・ド・フランス」くらいのもので、Wikipediaで「Songs About Bicycle」という項目を見てみると、紹介されているのがたった35曲で、しかも有名曲は皆無なんです。

──面白い。

ところが、実はそこに唯一とも言える例外がいまして、それがトーキング・ヘッズのデイヴィッド・バーンなんです。この人は、70年代からずっと自転車で移動をしていたそうで、いまでもいわゆる「自転車都市」の有力な支持者で『Bicycle Diaries』というエッセイ集を出しているほどですが、これはツアーで訪れたベルリン、マニラ、ブエノスアイレス、イスタンブールなどの都市を「自転車目線」から読み解いた面白い本なんです。

──へえ。

実際、トーキング・ヘッズの音楽ってクルマのなかで聴いてもいまひとつグルーヴしないんですよ。それがなんでなのかなって、ずっと不思議だったんですが、自転車乗りであることを知って疑問が氷解した、と。で、デイヴィッド・バーンは、先のエッセイ集で、都市というものがいかに、それこそ「自動車ドリブン」でつくられているかを世界中で体感して、それを批判するわけです。

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Image: リャマでのデイヴィッド・バーン。REUTERS/PILAR OLIVARES

──自転車都市って話が出てくるの、本当に最近ですもんね。

ところが、本当はそうでもなくて、20世紀初頭には、実は、自転車用のハイウェイをつくるというアイデアがカリフォルニア州であったそうなんです。

──へえ!

ところが、それを自動車産業と石油メジャーが中止に追い込んだと言われておりまして、その結果、アメリカでの都市生活というのは、イリイチのいうところの「交通産業」の要請のもと、編成されていくことになってしまったというわけなんですね。でも、本当は、とっくの昔にオルタナティブな道は提示されてもいたんです。

──なるほど。で、日本の場合、アメリカの自動車・石油産業にあたるのが、鉄道産業だった、ということになるわけですね。

そうですよね。自分のオフィスは虎ノ門にありまして、最近新駅なるものが近場にオープンしたのですが、これって都市開発と駅の開発がセットとして行われるという意味では、端的に日本的な政策と言えるような気がします。

──小池知事が約束して、なんの実行もされていない「多摩格差」という問題も、大元を辿ってみると鉄道の沿線拡張と不動産開発がセットになったスプロール化の産物のように見えますね。

イリイチをここでもう一度参照しておきましょうか。彼は先の引用部分のちょっとあとで、こんなことを語っています。

「運輸産業の成長は、いたるところで、逆の効果をうんでいる。機械が各乗客にある一定量以上の馬力を加えることができた瞬間から、この産業は人間同士の平等を減少させ、人間の移動性を産業的に規定された道路網に制約し、未曾有の厳しい時間の欠乏を生み出したのである。乗物の速度がある境界をこえると、市民は運輸機関の消費者となり、出ては家に舞いもどる毎日の循環、米国商務省が、歯ぶらしを携えて家を出る「旅行」(トラベル)と対比して、「通勤」(トリップ)と称しているところの回路(サーキット)に乗せられるのである。

運輸機関に与えられるエネルギーが増大することは、毎日きまった行程を移動する人間の数とその速度とその移動範囲とが増大することになる。各人の毎日の行動半径が拡大することで、知人の家にたち寄るとか、仕事に向かう途中に公園を通って行くといったようなことができなくなる。極度の特権が生み出される代償として、万人が奴隷にならねばならないのである」

──万人が奴隷。いやですね。

ですから、新型コロナをテコにして、サンフランシスコやパリなどでは、歩行者と自転車を中心とした新しい都市編成を猛然と進め始めています。もちろん、そこではバスや地下鉄といったものは相変わらず大事なのですが、それらをつなぐものとして、自転車を筆頭としたマイクロモビリティの整備に、より比重をかけようという方向性で進んでいます。

──いいですね。

先から紹介しているイリイチのことばは、自転車についてふんだん語っている本からの引用ですが、タイトルが『エネルギーと公正』であることからもおわかりいただける通り、都市の「自転車シフト」は、エネルギーやCO2エミッションという観点からも、もちろん重視されているわけです。

──ああ、そりゃそうですね。

また、道路の活用の仕方についても、これまでは道路は、そこのけそこのけの体で自動車がわがもの顔で使っていたわけですが、ソーシャルディスタンシングを保つ上でも、歩行者道路を拡張したり、また、レストランなどが路上営業できるように規制緩和をし、道路をマルチユースしていくことがどんどん起きています。パリの都市改革を扱った記事〈Paris is purposefully walkable—and has lessons for post-pandemic cities〉では、ヴィリニュス、オタワ、エディンバラ、バンクーバーなどの事例が紹介されていまして、これはとても面白いです。

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──日本、あるいは東京では、そういう議論ってなかなか聞こえてこないですね。

実際のところシェアサイクルに乗っている人は、劇的に増えているように感じますし、車道のわきに自転車マークを記しているだけとはいえ、自転車レーンの整備も徐々に進んでいるようにも見えますが、都市改革のマスタープランとして、自転車という論点が取り上げられるのは、あまり見かけませんよね。

──なんでなんですかね。

どうなんですかね。自分の印象ですと、たとえばスマートシティみたいな話と、自転車、マイクロモビリティ、あるいは自律的移動というのは、ほんとうは織り重ならなきゃいけないものだと思うのですが、これが本当に乖離しているのは、わたしの予想だと、自動車産業が、「スマートシティ」というものに自分たちの生き残りを賭けちゃっているからなんじゃないかという気がします。というのもスマートシティみたいなものに関する勉強会やリサーチグループには、自分が知っている限りですが、必ず大手自動車メーカーの人たちが参加しているんですよね。

──なるほど。「交通の産業化」の夢の続きを、まだ見ようとしているわけですね。

トヨタが今年の初頭に「Woven City」という都市構想を発表していましたが、あれなどが、その最たる例かもしれませんね。それこそ、GMが1939年に提出した「Futurama」と変わりませんよね。

──おっしゃったように、自転車都市みたいなものへの潜在的な欲求というのは、市民の間ではありそうな気もするんですけどね。

そうなんですよね。自転車というものを象徴として束ねることのできる「We」は、もしかしたらそれなりの規模で存在するような気もするんですよね。これはWIREDを手伝っていたときからそうですし、いまでもそうなのですが、「自転車」をテーマにした記事って、なぜか非常によく読まれるんですよ。

──へえ、不思議ですね。

そうなんです。不思議なのは、デジタルと自転車は実はとても相性がいいということで、自転車は、ある意味で、デジタルテクノロジーのよいところや希望を表す象徴となりうるんですね。

──面白いですね。「自律的移動」というキーワードと並べてみると、たしかに相性よさそうです。

随分以前に、ゲームクリエイターの水口哲也さんに、「アップルの記事と自転車の記事に通底するものって、なんなんですかね?」って聞いたら、水口さんはさすがで、「恵さん、それ『風を感じる』ってことじゃないかな」って仰ったんです。

──すごい。めちゃいい。

自分もそうかもな、と思ったんですよね。新しい風を感じたいんですよね。そういう人は少なからずいると思うんです。だから本当は、都知事選の争点として「自転車」を持ち込む人がいてよかったと思うんですけど、残念ながら大きなテーマにはなっていなさそうです。

──江戸城再建、ですから。

東京が本当に気持ちのいい自転車都市になったら、江戸城よりもはるかに多くの観光客を呼べると思うんですけどね。デジタルにお強いことになっている方でも、そこら辺の機微は、よくわからないのかもしれません。

──残念ですね。

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Image: REUTERS/RITZAU SCANPIX

あ、あと最後に、先ほど挙げた日本を題材にした記事のなかで、京急の人がインタビューに応じて答えていたことなのですが、「リバース通勤」という考え方を提唱していまして、たとえば三浦海岸のあたりに会社を構えて、都内から三浦海岸に通勤するみたいなアイデアはあるのではないか、と仰っていまして、これはちょっと面白い発想だなと思いました。

──と言いますと。

これもたとえばなんですが、自動走行車が普及したら、通勤は非常に楽なものになりますし、車内でさまざまなことができるようになるので、もう一回郊外から通勤することが一般化するのではないか、といった議論はありまして、そうかもな、と思いつつも、それってこれまでの電鉄主導のスプロール化とたいして変わらないな、と思うところもあって、同じ問題を再生産するだけなんじゃないか、という気がしていたのですが、京急の方がおっしゃるように、通勤の方向をリバースすると、ちょっと楽しいような気がしたんですね。

──リモート前提の働き方のなかで、たまにミーティングや作業をしに三浦海岸に行く、というイメージですよね。

ですです。めんどくさいだけかもしれませんが、「今日はちょっと気分転換に会社行こうかな」って感じになるのだとしたら面白くないですか?

──たしかに。

会社を郊外の環境のいいところに移して、行楽と労働の空間的関係性を反転させてみようというのは、自分的にはちょっと盲点でした。そういうことをやっている会社は、すでにあるのかもしれませんが、もしあったら、どんなものか聞いてみたいですね。

若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。著書『さよなら未来』のほか、責任編集『NEXT GENERATION BANK』『NEXT GENERATION GOVERNMENT』がある。ポッドキャスト「こんにちは未来」では、NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子とともホストを務めている。次世代ガバメントの事例をリサーチするTwitterアカウントも開設。


若林恵さんによる本連載は、毎週末お届けしています。Quartz Japanメンバーには、過去の配信記事もご希望に応じてお送りしています。下記フッター内のメールアドレス宛てにお問い合わせください。

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