A Guide to Guides
週刊だえん問答
Quartz読者のみなさん、こんにちは。週末のニュースレター「だえん問答」では、世界がいま何に注目しどう論じているのか、米国版Quartzの特集〈Field Guides〉から1つをピックアップし、編集者の若林恵さんが解題します。今週のテーマは「マインドフル・ビジネス」です。
──こんにちは。いかがですか?
元気ですよ。
──あれ。今週もどんよりした感じでくるのかと思っていました。今年に入ってからずっとどんよりしていたじゃないですか。
だいぶよくなりました。
──どうしたんですか。
瞑想アプリを使い始めたんです。
──ほんとすか! 今回の〈Field Guides〉がまさにそれがテーマなんですよ!
嘘ですよ。使うわけないじゃないですか。
──ちぇ。つまんない嘘をつかないでくださいよ。なんでそんな嘘をつくんですか。
「マインドフルネス・ビジネス」をテーマとした今回の〈Field Guides〉をひと通り読んでいたら、だんだん居心地が悪くなってきてしまいまして(笑)。少しくさしてやろう、なんて気持ちになってしまいました。
──ほんとに、ひねくれてますね。そういう人こそ瞑想アプリだとかを使ったほうがいいんですよ。
あはは。たしかに。
The business of mindfulness
マインドフルネスの不安
──使ってみようとは思わないですか?
思ったこともないですね。今回の〈Field Guides〉のなかのメイン記事「マインドフルネス・ビジネスは人びとの不安を活力としている」(The mindfulness business is thriving on our anxiety)には、コロナウイルスがもたらしたロックダウンが、瞑想アプリ業界に60%近い劇的な伸長をもたらしたとしていますが、そのなかで瞑想アプリの人気ブランドとして話題の中心にあるのが「Calm」「Head Space」「Meditopia」「Ten Percent Happier」といったアプリ/企業でして、言われてみればYouTubeで「Calm」のCMがこれまでもしょっちゅう流れてきていたことを思い出しましたが、なぜか興味をもったことないんですよね。
──どうしてですか?
どうなんでしょう。ちょっとうろ覚えですが、ああいう瞑想アプリって、いかにも雄大な自然の映像が使われる感じがあるじゃないですか。ヨセミテなのかグランドキャニオンなのか、あるいはハワイの夕陽なのか、あくまでもイメージの話ですが。
──なんとなくわかります。「雄大なる自然に溶け込む感」、出しますよね。
あれがですね、苦手と言いますか、ヨセミテやグランドキャニオンなどに行ってみたいと思ったことすらありませんから、なんの欲望も刺激されないんですね。
──あはは。じゃあ、ダメだ。
でも、そういうビジュアルプレゼンテーションって結構大事というか、本質的なところでもあって、実際のところ、「瞑想」や「マインドフル」というとなぜ唐突に「大自然のなかに溶け込んでいるわたし」のイメージになるのか、どういう思考や心理の回路を通してそれがいきなり結びつくのか、意味不明じゃないですか。逆に言えば、それ自体が固有の歴史性をもった文化的なコードだという感じがするんですね。端的に言ってしまうと、めちゃくちゃ「アメリカ西海岸的な感じ」がしちゃうんです。
──ははあ。アップルのOSのバージョンごとのデフォルト画像にある「山」や「島」に、似ているといえば似ていますね。
そうなんですよ。一応仕事として写真を扱ってきた身からすると、ああいういかにもストックフォト的な文体をもったネイチャー写真って、基本、うさんくさいものにしか見えないんですよね。うさんくさいというのが言い過ぎであれば、操作的とでも言いますか。
──自然の画像なのに、めちゃくちゃ人工的ですもんね。
おっしゃる通りなんです。そうした画像のある意味での究極が、「青い惑星」を表す宇宙から撮影された地球の写真だと思うのですが、この連載でたびたび引用させていただいているイヴァン・イリイチは、そうした地球の図像が内包している特徴を『生きる意味』という本のなかでこう書き記しています。
「場違いな具体性。挑発的な官能性。視点の強制。技術的な要請を規範的な責任へと転じてしまうこと」(イヴァン・イリイチ『生きる意味』2005、高島和哉訳、藤原書店)
──ふむ。
イリイチは、そうしたイメージ上の「地球」は、踏みしめたり抱きしめたりできる現実的な大地であることからどんどん乖離していっていると語ります。そのくせ、図像自体はやたらと具体性をもっていて、かつ、映像となった場合にはたいてい非常に俯瞰的・鳥瞰的な視点であることが多いと思うのですが、そうした視点から物事を眺めるようにわたしたちを促すわけですね。これが「視点の強制」ということなのですが、こうした視点を人間が獲得したのは、多くの場合、これが技術的に獲得可能だったから生成されただけのものであるにもかかわらず、それがモラルや倫理に関わる規範へといつの間にかすり替わってしまうわけです。しかも、こうした図像の厄介さは、非常に官能的で人を恍惚とさせるところにあるんです。
──なあるほど。うまい定義ですね。逆に言えば、「マインドフル」を謳うのにこうした図像のほかにふさわしいものはないとすら思えてきます。
瞑想アプリが先にあって、そのマーケティングツールとしてこうした画像が用いられているのはなく、こうした画像が人びとのうちに内面化されたことによって、瞑想アプリのようなものが要請されたということですらあるのかもしれません。
いずれにせよ、今回の〈Field Guides〉がとても良いなと思ったのは、もちろんイリイチのような言い方で瞑想アプリなどを批判するわけではないのですが、そうした視点がちゃんと組み込まれている点でして、先の記事「マインドフルネス・ビジネスは人びとの不安を活力としている」は、瞑想アプリのいくつかの矛盾点を、いくつか指摘しています。
──ふむ。どういう矛盾でしょう。
ひとつ目は、加熱する瞑想アプリ業界が、本来的には人をスローダウンさせるためのサービスであるのに、それがベンチャーキャピタル主導のビジネスであるために「もっと早く、もっとデカく」というマインドによってドライブされているという点です。
──ああ。それは大問題ですね。
「あなたにぴったりのおすすめマインドフルネス・アプリ」(Which mindfulness app is right for you?)という記事にはこんな記載があります。
「瞑想アプリが、顧客をさらにエンゲージさせ、繰り返し利用することを促すやり方には、いくつかのやり方があります。ひとつは、他のユーザーの利用状況などを可視化したり、助けを求めたり友人をつくることのできるフォーラムを開催することでコミュニティの感覚をアプリ体験のなかに埋め込んでいくことです。あるいはゲーミフィケーションという手もあります。ゴールを設定し、そのプロセスをトラッキングし、達成したら祝う、といった流れを設計するのです」
──ソシャゲのようになりそうですね。
そうなんですよね。「結局はビジネスである」という点は、やはりどうしても避けては通れない論点でして、スタートアップエコノミーのビジネスロジックがサービスそのものの構造を規定してしまうことになるんですね。「Calm」はセレブを積極的に活用することで知られていまして、レブロン・ジェームズがプログラムをもっていたり、マシュー・マコノヒー、ハリー・スタイルズ、ケリー・ロウランドやスコット・ピッペンが朗読を担当したり、シガー・ロスやMobyなどが楽曲提供をしたりしています。
──めちゃ豪華ですね。
さらに「HBO Max」で、グウィネス・パルトロウが主宰するかの悪名高き「Goop」と組んで番組をスタートさせていまして、これはキアヌ・リーブスやケイト・ウィンスレットがナレーションを務めているそうです。
──ものすごい展開力に感心しちゃいますね。
アメリカのビジネスのダイナミズムにはいつもながら驚かされますが、とはいえ、こうしたビジネスが、そもそも孤立しかけている個人に向けて発動され、しかもそれが常に個別最適されていきますから、個々人が環境に対して最適化されていくことを極端に促していってしまうと危惧されているんですね。そのことによって、瞑想という行為を通して、人を社会から切り離してしまい、人をある意味でより「自己中心的」にしてしまう可能性を、先に挙げた記事(「マインドフルネス・ビジネスは人びとの不安を活力としている」)も指摘しています。これは、具体的にどういう状態となって問題化しうるかと言えば、「雇用者がマインドフルネスやメンタルヘルスをめぐる雇用者の過ちがもたらすリスク」(What employers risk getting wrong about mindfulness and mental health)という記事で、次のように指摘されています。
──ほう。
この記事は、瞑想アプリやマインドフルネス/メンタルヘルス・プログラムを導入する企業が特にコロナ以降増えていて、アメリカでは現在36%の企業でそうしたプログラムが取り入れられているという状況をレポートしながら、こうした状況がもたらしうるリスクを、こう端的に表現しています。
「こうしたマインドフルネスの活用がもたらすリスクは、仕事のストレスから従業員を麻痺させるために企業がそれを利用することだ。雇用者がまずやるべきは、職場環境を向上させることであって、瞑想アプリを社員に無料で配布することではない」
──なあるほど。
こうした問題がより重大になっているのは、例えば瞑想アプリ大手の「Headspace」が法人向けプログラムに非常に注力しているからです。企業が福利厚生として有料アプリを従業員に無料で使えるようにすることは、もちろん全面的に悪いわけではありませんが、すでにそれがもたらすリスクが指摘されていることはとても重要です。
──この連載の数回前でリモートワークについて指摘されていましたが、「仕事の見える化」ツールが、より強固な監視・搾取のシステムになりうるというお話と、似たような構造ですね。
先ほどから挙げている記事のタイトルに、すでにそうした二律背反は含まれているんですね。
──「マインドフルネス・ビジネスは人びとの不安を活力としている」というタイトルは、たしかに人びとの「不安」が文字通り「食い物」にされていることへの警鐘、もしくは皮肉が含まれていますね。
とはいえ、そうした欠如や欠乏は、社会的なニーズであるわけですから、そこにビジネスが花ひらくのは当然ですし、それはそうあるべきものだと思うのですが、瞑想とかマインドフルネスといった概念は、それ自体が、ふんわりと「良いもの」であることを謳っていて、容易に道徳化、規範化しうるものであるという点は注意したいですよね。ついでに言いますと、こうしたサービスは、まずは「意識高い系」の人たちや企業から広まっていったりしますので、白人的なバイアス、もしくは男性的なバイアスなどが、そこに含まれていくことも懸念されています。システミックな格差や差別が、規範化された空間になりかねないんですね。
──たしかに。
そうした観点から、「Liberate」という黒人向けの瞑想アプリなどが出てきたりもしています。また、瞑想アプリの効く・効かないといったあたりは、ふつうに疑似科学やフェイクニュースの温床にもなるところですので、特にメンタルヘルスをテーマにしたこうしたサービスは、FDA(アメリカ食品医薬品局)の認承を受けるべきだというアイデアは、サービス業者の側から提案されてもいるそうです。
──なるほど。
そうすることによって、サービスや効能に対する透明性がもたらされることになることが期待されていますが、そうした規制は、最も脆弱な立場に置かれている人びとを念頭に規制が行われることが大事だとある臨床心理学者は記事内で語っていまして、そうであればこそ、規制の基準はそれなりに高く設定される必要があると考えられています。
──難しいものですね。
そもそも「不安」というものを、どの程度「病気」として扱えるのかという問題もありますよね。FDAの管轄下に置くということは、それを一種の薬とみなすことになりますが、それは同時に、ある種の状態を「病」として認めることでもありますので、それが本当に適切な考えなのか、というのは、実際、本当に難しそうです。イリイチは「病院が病人を作りだす」という状況について、『脱病院化社会』といった本で指摘し、かつて医療業界から猛然と批判を浴びたのですが、「健康」を強制していくような制度がもたらす害悪については、いま、より一層問題が先鋭化しているように思います。
──ミシェル・フーコーの言うところの「バイオ・ポリティクス」(生政治)みたいなことですよね。
まさに、です。この辺りにつきましては、それこそちくま学芸文庫の「フーコー・コレクション」第6巻『生政治・統治』をあたっていただくか、また「健康」を通じた管理社会の問題・恐怖を鋭く指摘した『健康禍 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』という素晴らしく面白い本がありますので、ぜひ読んでみてください。
──そういえば、日本の総理大臣が、藪から棒に「孤独担当相」なんてことを言い出して、ソーシャルメディア上では完全に物笑いのタネになっていましたが、「孤独」のようなものを国家の管轄下に置くには、よほどの慎重さが必要なはずですが、どうなんでしょうね。
まあ、フィジカルな病に関わる公衆衛生施策すら、ろくにやれていない人たちですから、相当厳しいそうですよね。おそらく自殺者の増加といった状況を受けての思いつきのように感じますが、それこそ、先の企業のメンタルヘルス・プログラムの話題のなかで出たように、本来的には、職場環境やステークホルダーの経済的環境の改善をすべきところ、メンタルヘルスを崩した人たちのケアにいきなり向かうのは、端的に自己責任論を補強することになりますし、本末転倒の誹りは免れない気もします。
──何をやるのでしょうね。
さあ、担当大臣も任命されて始めて知ったと言いますから、その杜撰さからして、誰もなんの期待も寄せてないと思いますよ。「ウケる!」みたいな反応しかなかったですから。
──残念ですよね。『週刊だえん問答 コロナの迷宮』のなかでも、それこそメンタルヘルスの問題は何度も取り上げられていましたし、孤独/メンタルヘルス、もしくは社会全体のウェルビーイングをどうつくりあげ、持続していくかは世界的に見ても、重要な政策課題になっているにもかかわらず、日本でいざこうやって発動されると物笑いのタネでしかない、というのは。
本当ですよね。ただでさえ説明責任をロクに果たせない首相とその内閣が、詳細な説明もなく思いつきのようにこうした重要施策を発動してしまうと、そうした施策が、いざ国民にとって切実な関心事になったときに、誰も耳を傾けてくれないということになってしまうのが問題です。
──マイナンバー制度でもそうでした。どんな社会像を目指してシステムをアップデートしようとしているのか、まったく説明がないところで、いきなり「使ってください」と言われても、「なんで?」となりますよね。
そもそも信頼性の低いところで、いきなりさらに信頼を下げるようなやり方で発動すれば、誰も耳を傾けないですよね。しかもその施策を発動している政治家自身には、まったく切実さがないわけですしね。そういえば先日、面白い本が送られてきまして、『未来を実装する テクノロジーで社会を変革する4つの原則』という本でして、なんともありきたりなタイトルのせいでうっかりやり過ごしそうになってしまったのですが、チラと覗いてみましたら、内容は非常に勉強になるものだったんです。
──ほお。
この本の主題は、テクノロジーによって世界や社会を変えるために必要なのは、もちろんまず最初にイノベーティブなテクノロジーやそれを用いたアイデアだとしつつ、それだけでは不十分で、それが社会に浸透し、根付いていき、それを用いることが習慣化されるようになるための「社会実装」のところにおいて、実は「イノベーション」が必要だとしているのですが、この指摘は、さもありなんなんですね。というか、自分にとっても、ここは非常に大きな盲点だったことに気付かされたのですが、「実装」を単なるデリバリーの戦略として考えている以上は、なにも実装されないということを、この本は教えてくれるんです。
──面白そうです。
先の「マイナンバー」のようなものについても、一番のネックになっているのは結局のところ「使ってもらえない」という点でして、それを、半ば強引に銀行口座や保険証に結びつけようとしたり、無駄な広告キャンペーンを打ったりといった手法で乗り越えようとしている限りは、おそらくどこにも行かないんですね。むしろ「実装」の道筋が、きちんと最初からサービスデザインの基礎に位置付けられていないとダメだ、というのが、ざっくりとしたわたしの理解なのですが、それで合っているかどうかはわかりませんが、それで合っているのであれば、自分としては深くうなずいてしまいますね。
──どなたの本ですか?
馬田隆明さんという東京大学産学連携本部でディレクターをされている方です。一度イベントでご一緒したことがあるのですが、とても聡明で話しやすい方でした。
──へえ。
日本の首相・内閣に関わる人たちは読んだ方がいいと思いますけどね。どうして自分たちの施策がことごとく実装に失敗して、むしろ反発しか生まずに、自ら実装を困難にしているか、よくわかるように思いますので。
──あはは。
話がだいぶ逸れてしまいましたが、今回の〈Field Guides〉で日本が大いに参考にしたらいいと思うのは、ウエルネス化が進む自動車業界を扱った「自動車会社はいかにマインドフルムーブメントに傾斜しつつあるか」(How car companies are leaning into the mindfulness movement, 日本語)という記事です。
──へえ。そうなんですか。
自分もこの記事で始めて知ったのですが、自分はかねてより、日本のあらゆる産業は、メンタルヘルスも含めたヘルスケア産業にシフトすべきだと言ってきましたから(笑)、さほど驚きはしないのですが、それでもこうやって実際にそうした動きが活発化しだすと面白いですね。記事はこんなふうに始まります。
「自動車製造者たちは、快適さと安全の先に、運転手や乗客たちのフィジカルおよびメンタルを含む包括的なヘルスの向上への道筋を探して熾烈な競争を行なっている。このカテゴリーは業界では『ヘルス・ウェルネス・ウェルビーイング』(HWW)と呼ばれており、イノベーション空間として現在盛り上がりを見せている。『KIA』や『Hyndai』は、AIを用いて運転者の精神状態に反応する機能を搭載したコンセプトカーを発表。『Audi』はイタリアのフィットネス機器大手『Technogym』と提携し、フィットネスジムとしても利用できる車両を開発。メルセデスは運転者の気分を向上させる匂いを研究すべく専門家を雇用し、『BMW』は『セルフケア・コンシェルジュ』プログラムをスタート。『Lincoln』にいたっては、クルマを『瞑想空間』と位置づけ、アプリのサブスクリプションを提供し始めている」
──あはは。たしかに面白いですね。クルマを「家」のように感じ、そこが一番落ち着く場所だと考えている人が、アメリカでは45%いるという調査が、第23話「ホームオフィスの含意」のなかに出てきましたが、それを踏まえると、クルマがジムや瞑想スタジオに変わるというのは、ありうべき「進化」ですよね。
さらに、Teslaの「Model X」が搭載した「バイオ兵器防御モード」は、非常に強力な換気システムを用いたものですが、当初は、これまた物笑いのタネではありましたが、パンデミックによって大きくその価値を見直されていまして、広義の「ヘルスケア」に即したフィーチャーとしてみなされるようになったと記事にあります。ちなみに、この機能は、森林火災が起きた地域においても有用だったそうですし「Jaguar Land Rover」がパンデミックを受けて、UV光を用いて車内環境を抗ウィルス化する研究を発表してもいます。あるマーケットリサーチャーは、健康とウェルネスは、2025年には業界のスタンダードになると予測しています。
──面白いです。
自動車をモビリティの道具から、ウェルネス空間へと定義し直すこうした動きの面白さは、それ自体の面白さとは別のところにありまして、この転換がもたらす新しい価値を、記事はこんなふうに説明しています。
「運転席は、これまで『コックピット』であったが、それはホームインテリアとして定義され直されようとしているが、それは自動車産業の男性中心主義をシフトさせる可能性を秘めている。自動車の購買における女性の影響力に気づいてから自動車メーカーは女性デザイナーを採用するようになったが、それでも女性デザイナーは主にインテリアの仕上げを任されることが多く、その仕事は、エキステリアのデザインと比べると重要性が低いものとみなされてきた。クルマのそのものをウェルネス空間と定義し直すことは、こうした従来のヒエラルキーを覆すことになる」
──ああ、いいですね。
実際、自動車メーカーは車内を「五感にとって気持ちのいい空間へとつくりあげるか」という問いから「スパのような体験」をもたらすものへとつくり変えようとしていまして、そうしたなか、車内で利用されるプラスティックや糊、塗装、皮革などを、より安全で気持ちのいいものに変えようと奮闘しているそうです。
──いわゆる高級車の「ラグジュアリー感」の追求のなかで、これまでも自動車メーカーはインテリアの上質化に労を費やしてきたのだとは思いますが、Lexusのようなブランドが特にそう見えますが、そのセンスが、なんというか、どうしても「金持ちのおっさんの書斎」モードだったじゃないですか。そうではなく、もっと女性的な観点から、ある種の合理性と贅沢感が再定義されるのは面白いですね。それこそ、第3話の「ホームフィットネスの意義」のなかでは、「ボディビルド」から「フィットネス」への転回が、男性原理の身体観から女性原理の身体観への転回というふうに説明されていましたが、遅ればせながら自動車にも、そうしたシフトが起きつつあるということですね。
そうですね。そこで重要なのは、それによって「マーケットが女性購買者を中心にシフトする」ということではなくて、社会を動かす原理が、垂直ヒエラルキー型の一元的で拡張的なものから、水平的で分散的で自足的なものに変化しているということなんですね。男性・女性の区分はあくまでも比喩的というか象徴的なものであって、であればこそ、デザイナーに女性を採用することが重要なのは、そうした価値軸を導入できることが期待されうるからであって、女性であることが重要ではない、という点にあります。実際、あるメーカーのデザイナーは、若いデザイナーがジェンダーにかかわらず、クルマの外観よりもインテリアのデザインのほうにこそ、はるかに大きな興味を抱いていると語っていまして、ジェンダーとは無関係に、これまでの価値体系にシフトが起きていることを明かしています。
──いいですね。
なんにしましても、ウェルネスやウェルビーイングというテーマを扱う際に重要なのは、最初から指摘しています通り、個人が個人として「自分のウェルネス」にだけ気を配っていてもダメだ、という点です。
──と言いますと。
とくにメンタルヘルスの問題がわかりやすいと思いますが、その問題は基本的に、人と社会の関わりのなかで発生するものですから、企業とマインドフルネスの関係で触れた通り、ワーカーのメンタルの改善を問題にするだけでは不十分です。職場環境、勤怠管理や査定のシステム、社内コミュニケーションの方法はもとより、取引先・下請企業・顧客との関係性の健全化も必須ですし、最初に述べたように「早く、デカく」だけを求めるだけの資金の調達も見直さなくてはなりません。そしてそれを実現しようと思えば、企業が属する業界全体の健全性にも関わりますし、企業の置かれた都市の通勤環境や飲食の環境などのウェルネスにも関わってきますし、ひいては国の政策や制度の健全性に関わってきます。というように、ミクロからマクロへとひと連なりの連続性のなかで、個人のウェルネスは依存しているわけですから、政治・経済・文化といった領域を横断しながら、包括的な観点で検討されないと、「ウェルネス」や「ウェルビイーング」は、それ自体が新たな管理システムを発動させるだけになってしまうようにも思います。
──ウェルビーイングが自己責任化され、かつ国家による懲罰の対象になるというような事態が現実に起きていることですしね。
ほんとにいやになっちゃいますよね。瞑想アプリが必要になるのも当然といえば当然ですよね。
若林恵(わかばやし・けい) 1971年生まれ。『WIRED』日本版編集長(2012〜17年)を務めたのち、2018年、黒鳥社を設立。NY在住のジャーナリスト 佐久間裕美子さんとともホストを務める「こんにちは未来」をはじめさまざまなポッドキャストもプロデュース。これまでの本連載を1冊にまとめた『だえん問答』も好評発売中。
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